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1053 競作課題 「ボーイミーツガール」 、春日作「ショートガール」(5800字) 8月8日 作成
2004/8/8(日)02:50 - 春日 - 2289 hit(s)

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「ショートガール」


 和哉が走ってグラウンドまで行くと、すでに新入部員の挨拶は始まっていた。
「しまった……」
 バツの悪い表情を作り、小走りに近づいていく。ただし部長に見つからないように、部室の裏に回り込むルート。
 二、三年の部員たちは部室を背に並んでおり、数名の新入部員がそれと向き合う形になっていたはずだ。部長は背後に注意を払っておらず、上手くすれば見つからずにすむ。
 足音を忍ばせて、和也は部室の影の中に入った。プレハブの端から表の様子をうかがうと、ちょうどひとりの少女が前に出たところで、
「あの、わたし……神谷小春っていいますっ」
 小さな背中をピンと張って、少女が言う姿が目に入った。近づいてよく見れば、その頬は上気しているに違いない。
 ほっそりしている。背は女子のなかでも低く、百五十センチといったところ。肌は白く、まるで彼女のまわりだけいつも光が当たっているみたいだった。
「陸上は……というか運動すること自体、まったくの初心者なんですけど、一生懸命がんばろうと思います。よろしくお願いします!」
 彼女が腰を直角に折ると、頭の両端にあるふたつのおさげも下を向いた。顔を上げたときには、ピョンと跳ねた。
 そのまま後ろの列に戻ろうとする彼女を、部長の野太い声が呼び止めた。死角で見えないが、苦笑しているようだ。
「なあ、神谷さん。希望する種目があれば、言ってもらいたいんだけどね」
「あ! ご、ごめんなさいっ。言い忘れてました」
 周囲に失笑が起こり、彼女は薄っぺらい胸を押さえておろおろと視線をさまよわせ――
 じっと彼女に見入っていた和哉と、目が合った。
 お互い、
「あ……」
 と言った。
 次に新入部員の群れが彼女の視線を追って、ほぼ一斉に彼を見つけた。彼ら彼女らは皆、ぽかーんと、似たり寄ったりの表情をする。
 そしてなにをする間もなく、横から伸びてきた太い腕が彼の首をしっかりと掴んでいた。冷や汗が頬を伝い、落ちたしずくはその腕に吸い込まれていった。
 砲丸投げで二十三メートル飛ばすという部長の豪腕。
「和哉〜……」
 声が地の底から脳内へと響く。続いて、ぬっと濃い顔が突き出され、ゲジ眉の下にある目が鈍く光った。
「ナ、なんでしょうぅ?」
「おまえ、俺のこと舐めてるだろう」
 生ぬるい息が耳にかかり、全身の毛穴が開く感触を和也は味わった。
「いいえ、とんでもない、ノー、めっそうもございません……」
 和哉は絞りだすようにして、言った。首を掴まれているせいで苦しかったというのもある。
「そうか。それならいい。だが昨日言ったはずだよな、うん? 言ってなかったか? まあいい、とにかく今日は大事な日なんだ。遅刻は許されない。なんたって――」
「ちょっとお兄様! そのへんにしてあげてくださいまし!」
 部長の声を遮って、白くなりかけた彼の思考に声高な女の声が響き渡った。
 手を離されると、和哉は咳き込んだ。肩膝をついたところに、先ほど声を上げたであろう背の高い少女が駆け寄ってくる。新入部員のひとりらしく、陸上部のジャージではなく、学校指定の体操着を着ている。胸元に縫い付けられた文字は揺れていて読みぬくいが、鳳凰寺とあった。
 鳳凰寺部長の、妹……?
「和哉様。和哉様! ねぇ、ちょっと、大丈夫ですの!?」
 背中をさすってくる彼女に、顔を上げながら和哉は答えた。通った鼻筋。切れ長の目。さらさらの黒髪が見えた。
「ああ、うん、大丈夫。ありがと、助かったよ。でもなんで僕の名前を?」
「以前、お兄様の部屋で写真を拝見させていただきましたわ。高跳びで全国に行かれたこともあると」
「凛乃(りんの)……」
 すっ、と影がさした。見上げれば部長が苦い顔をして立っている。和也は頬を硬くして身構えた。
「すまなかったな」
「え?」
 思わず声を漏らす。が考えてみれば、彼への謝罪とは限らない。
 背中に手を添えたまま、妹が答えた。
「いいえ。お兄様は私のために怒ってくださったのでしょう? それはとても嬉しいことですわ。それに――」
 彼女は兄に顔を向けたまま、ちらりと彼を見て、
「こうしてちゃんと和哉様にお会いすることができて、私は満足しています。ええ、とても」
 にっこりと微笑んだ。
 と。次の瞬間、細められた目は見開かれ、彼女はばっと横を向いていた。
 和哉が習って横を向くと、先ほど彼を見つけた少女――神谷小春がヘビに睨まれたカエルのように硬直していた。
 相手を射殺さんばかりの鳳凰寺の視線に怯えながら、彼女はか細い声を出す。
「あの、大丈夫、ですか……?」
 部長のほうを一度見てから、おずおずと。
「ごめんなさい……その、わたしのせいで見つかって、怒られちゃったみたいで」
 和也はゆっくりと立ち上がりつつ、手のひらを振ってみせ、
「いや、それは僕の自業自得だから。君の気にすることじゃ――」
 ないよ、と言おうとして、遮られた。
「まったくですわ!」
 鳳凰寺が勢いよく立ち上がり、腰まで届く長い髪を揺らしながら、無遠慮な足取りで神谷に迫っていった。並んでみると、ふたりは頭ひとつ分ほども身長差がある。鳳凰寺は前かがみになり、困惑顔の彼女に、ピッ、と指を突きつける。
「あなたのせいで和哉様が死ぬところでした。わたしの――いいえ、日本の宝である和哉様が!」
「え……? えっ? ぅえ!?」
「あなたにその意味がわかって? ねぇ、おわかり?」
 ずずいっと詰め寄られ、神谷は顔を伏せた。もともと小さな身体が、さらに小さくなる。
「ぅぅ……ごめんなさい」
「わかればいいのよ」
 鼻を鳴らす鳳凰寺。2、3年の部員たちから、なぜか拍手が起こる。新入部員はと見れば、みんな似たような表情で固まっている。
 春の風がそよそよと吹いていた。神谷が吹き飛ばされないか心配だ。
「ところで部長」
 ふと気になって、和哉は聞いた。
「なんだ?」
「神谷さんの希望種目って、なんなんでしょうね?」
 部長はなんだか、複雑な顔をした。なにが近いかといえば、泣き顔に近かった。
「…………」


「なんであなたが高跳びなんですの?」
 全体でのランニング、準備体操も終わり、各種目ごとに分かれて練習を始めようとしたとき、鳳凰寺凛乃が言った。首を四十五度傾けた姿は、心底不思議そうだった。
「なんでと言われても……」
 鳳凰寺を見上げる神谷小春の目には、怯えの色が見て取れた。
 対する鳳凰寺は、出会いのことなどすっかり忘れてしまったかのような穏やかな声で訊ねる。
「だって、あなた、そんなに背が低くて、どうするの?」
 さすがに神谷も眉を寄せた。目をそらし、口を尖らせた。
「あ、あなたには関係ないじゃないですか」
「あ!」
 突然、鳳凰寺が大声を出し、神谷はビクッとした。
「な、なに」
「あなたまさか、和哉様のことが……!」
「へ」
「そ、そうなのね……そうなのね!? きー、許せないわ。ええ、許せませんとも! あなたみたいなお子様、和哉様には似合いませんわ!」
 神谷の顔が下から上に、ゆっくりと赤くなっていった。耳まで染まったところで、慌てて、
「ちょ、ちょっと、なにそれ、どうしてそうなるの!?」
「ええーい黙りなさい。そうと分かったからには容赦はしませんことよ。わたしと勝負なさい!」
「だからどうしてそういうことに……」
 神谷の抗議など聞く耳持たず、鳳凰寺はくるりとこちらに向き直ると、言ってきた。
「というわけで和哉様。バーとマットを準備してもよろしいでしょうか?」
「ん?」
 訊ねられ、和哉は晴れ渡った空を見上げた。考える。今年の高跳び新入部員はこのふたりだけだ。
「うーん、まあ、今日は基礎だけして終わる予定だったんだけど。やりたいっていうなら、きちんとストレッチをやれば、いいかな。自分がいまどれだけ跳べるのか、知っておくのも悪くないし」
「さすが和哉様ですわ!」
 胸の前で手を合わせる鳳凰寺に、和哉は曖昧な笑みを浮かべた。


「では、行きますわ!」
 鳳凰寺は軽快なダッシュを見せ、一メートル五十センチを跳び越えた。わずかに足がかかり、バーを揺らしたものの、結果は成功。
「どんなもんですか!」
 荒い息をつきながらも、瞳を輝かせる。
「…………」
 一方、そんなライバルの様子を、神谷小春は真剣な顔つきで見つめていた。普通に考えて、長身の鳳凰寺がギリギリで跳んだものを、神谷が跳べるはずがない。誰もがそう考えるし、バーのところで記録係をやっていた部員もそう思ったのだろう、バーを下ろそうかと彼女に問うた。
「いいです。このままで」
 彼女は首を横に振った。目つきが座っている。先ほどまでとはまるで様子が違った。彼女の中でなにかが燃えていた。
「行きます」
 言って、彼女が走り出す。鳳凰寺に比べて歩幅が小さく、バーとの距離は近い。一気にスピードを上げていく。
 踏み込んだ足が、地面に吸い付き、彼女の身体がわずかに沈んだように見えた。が、次の瞬間には彼女は跳んでいた。
 見よう見まねの背面跳び。おそらく初めてのチャレンジ。
 上手くいくはずがない。
 バーは後頭部に引っかかって落ち、彼女の上半身だけがマットの上にダイブした。
 夕日に染まりだした空を見たまま、動かない。
「ふふふ、いいざまですわ。あなたみたいなチンチクリンには高跳びも和哉様も――あ」
 勝ち誇る鳳凰寺の脇を抜けて、和哉はマットに駆け寄った。記録係が、どうしたらいいのか分からない目で見てくる。
 彼女は、泣いていた。
 彼に気づくと、
「負けちゃいました……」
 と言って、さらに顔をくしゃくしゃにした。
 その様子を見ていたら、とても「仕方がないよ」とは言えなかった。言うつもりもなかったが。
 負けることは、誰だって嫌だ。
 和哉は神谷を見つめながら、言うべきことを整理していた。まずは――
「ねぇ、神谷さん。僕がインターハイに行ったって話は、聞いたよね」
 こくっと、彼女は頷く。涙がこぼれる。
「その時、僕の身長は百七十センチなかった。他の選手たちに比べたら、ずいぶんと低い」
 彼女の目が見開かれる。和也はマットに腰かけた。続ける。
「でもね、僕はあきらめたことなんてなかった。なぜだかわかる?」
「……なぜ?」
「一年の時、僕の身長は百六十センチもなかった。その頃に比べたら、ずいぶんとマシだってね」
「そう……だったんですか」
「うん」
 和也はにこやかに頷いた。
「だから君にも、あきらめてほしくはないと思う。いいライバルもいるしね。彼女なら君に同情することもないだろう。自分にも他人にも厳しい人だよね、彼女と君は。いがみ合うこともあるだろうけど、きっといい関係になれる」
「先輩」
 いつのまにか、彼女は身体を起こしていた。両手をマットについて、こちらを覗き込むような格好になっている。
「ありがとうございます」
 くすぐったい声だった。
 苦笑。遠くからの肌に突き刺さるような視線を感じつつ、和也はつぶやいた。
「ああ、まずい……とりあえず君に彼女が突っかかってくる一番の原因は、やっぱり僕になりそうだよ」
 神谷は耳まで真っ赤になった。


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