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1054 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「思い出よりも速く」(12000文字)、8/8作成
2004/8/8(日)22:33 - 名無し君2号 - 2259 hit(s)

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題名:思い出よりも速く(12000文字)

 熱気、熱気、熱気。
 暖かいはずの春の風が、涼しく心地よく感じるんだから、こりゃー本物だわ。多少あきれつつ、馬渡太輔はまわりでざわめく陸上部の仲間たちを眺めた。体育館の建物が作りあげた影のなかで、三年生はもとより二年生にいたるまで、彼らの興味はただひとりの少女に傾けられている。
 同じ新入部員の群れからもぽつんと離れて、彼女はたたずんでいた。上にはジャージ、下にはショートパンツ。すらりと伸びた小麦色の足が、春の日差しに鮮やかだった。
 少女の名前は伊能かなめ。
 これほどまでにみんなを静かな興奮に陥れているのには、理由があった。
 ひとつ。彼女は中学校時代、百メートルで全国三位の成績を残したことがあること。
 ひとつ。彼女はあまたの有力校からの推薦の話を全部蹴っ飛ばして、なぜかうちのような無名校にやってきたこと。
 ひとつ。彼女は非常に……美形だったこと。
「すごいね、太輔くん」
 話しかけてきたのは鈴木清佳だ。太輔はちらりと清佳の胸元を見る。ジャージを内側から押しあげてる立派なふくらみ。走り高跳びの選手としてはさぞかし邪魔だろう。
 視線を清佳の瞳に戻した。こちらも大きく、綺麗で、見てて楽しい。
「まったくだ。ああいうのをスーパースターっていうのかもしれねーや」
「ホントだね」
 ふぅ、と清佳が小さく息をついた。同性としてはなかなか複雑なのかもしれない。頬にかかっていた横髪をさっとかきあげる清佳を見て、ふと太輔はそんなことを思った。
 太輔は清佳の視線をなぞる。
 皆の注目を集めるスーパースターにたどり着いた。
 去年まで中学生だったにしては長身の体と、それにふさわしい引き締まった足とで、伊能かなめは真正面から風を受けていた。なびきそよぐ、少しだけあかね色のポニーテール。はらはらと波打ちながら、彼女の背中を半ばまで覆っていた。
 かなめが小麦色の腕を伸ばす。風に踊る前髪を撫でつけた。
 きゅっと目を細めていた。すっきりと覗いた横顔は、まだ女よりも少女が勝っているみたいだ。女の部分が逆転勝ちしたなら、どれほどの輝きを持つのやら。ぞわりと太輔の心を撫でるものがあった。
 ふいに、かなめがこちらを向いた。
 太輔と視線がぶつかる。かなめは逸らそうとせず、むしろ積極的に絡めてきた。何かを確かめるように、眉間に皺を寄せる。
 そして顔をほころばした。一瞬のうちにつぼみが開き、満開の花となる。思いもよらず噂の少女の笑顔を我がものとして、太輔はあっさりと気持ちを吸いこまれてしまった。
「た、す、け、くん」
 冷たい言葉のつららが背中を撫でた。ぴょんと爪先で立ち上がる。
 そろそろと瞳を横に向けた。言葉に負けずおとらず冷たい清佳のお顔が待っていた。
「ずいぶんと熱心なんだね? へええ、太輔くんはああいうのがタイプなんだ?」
 『ああいうのが』にやたらとアクセントがついていた。
「いや、そんなこたあ、べつに」
 はいはいはい、という部長の声と手拍子で、太輔の言い訳はかき消されてしまった。
 部長が新入部員挨拶の始まりを告げる。
 軽く頬をふくらましながら清佳は先に歩きだしていた。その後ろ姿を見送って、太輔は頭をがしがしと掻いた。



 陸上部、新入部員挨拶。
 ついに、伊能かなめの順番が回ってきた。どんな挨拶が聴けるのかと、ざわめきがより一層声を増す。かなめがすっと胸を張ると、一瞬にして静まり返った。一緒に横に並んでいる新入部員たちも、なぜか緊張顔でいた。
 太輔は、自分も鼓動を速くしていたことに気づいた。
 これがトップクラスの選手のオーラってやつかね。
 詰めていた息を吐いた。そこで、かなめの肩と胸もわずかに膨らんでいることに太輔は気づく。深呼吸していた。いくらスターでも、やっぱり緊張ぐらいはするものらしい。
 かなめが口を開く。
「一年A組、伊能かなめです。ずっと短距離を専攻してやってきました。中学校時代は百メートルで全国三位、二百で五位でした。だから、高校では必ず一番になります」
 どよめきが起こった。冷やかしでも茶化しでもなく、本当に心の底から感心した、そういう声だった。なぜわかるかといえば、太輔自身もそうだったからだ。
 まだ収まらない三年生たちを、かなめがじっと見つめ――あれ?
 太輔だけを見つめて――え?
 唇とにっと曲げて、かなめが片目をつぶった。あれって一般的にはウィンクだよな、と太輔が思っているうちに、かなめの顔はみるみるうちに笑顔へと変わっていった。
「タッちゃん! 帰ってきたよ!」
 かなめは確かにそう言った。花の咲きほころぶ笑顔で。
 ……へ。
 『タッちゃん』『帰ってきた』。
 ふたつの言葉が意味するところを考える間もなく、かなめの体が跳ね、まっすぐに飛びこんできた。しなやかな動きに才能という言葉を感じながら、太輔はしっかりと抱きとめる。
 掴んだ二の腕で、筋肉がぷりんと弾けた。
 見上げるかなめの頬にわずかなそばかすを認めて、太輔はみぞおちがぞわぞわするのを感じた。
「ホント、変わらないよね、タッちゃん!」
 変わらないよね……『タッちゃん』……おれが!?
 タッちゃんなんか漬け物しか知らねえ、そんな思いがそのまま顔に出ていたらしい。みるみるうちにかなめの眉は不機嫌そうに逆立っていった。
「もしかして……覚えてないのぉ!」
「いや、あのな」
「タッちゃんは、馬渡さんちの太輔くんでしょお! 公園の近くに家がある! お父さんは会計士で、それに、それにぃ――!」
 次々とかなめが太輔の個人情報をあげてゆく。
 いちいちぶんぶんと太輔は頷いた。
 話がかつて、夏の暑い日、誰もいない家のなかでかなめとふたりきりになったときのことに及ぶにいたって、ようやく太輔は思いだすことができた。
 でも、あいつは、抜けるように白い肌で……。
 そうだ。かすかに赤い髪だった。目の前の少女のように。
「お前……カッちゃんか? あの、ドジでのろまだった」
 微笑みかけたかなめの頬が強ばる。
「それは昔の話だよ。いまのあたしは違うもん」
 そうはいってもさ。頭の中で、伊能かなめとはな垂れカッちゃんとがぐるぐると回った。
 全国三位のスーパースターな美形ランナーと、いつもカメのぬいぐるみを抱いて、どこへいくにも後ろをついてきた泣き虫の女の子と、なにをどうしたって映像が重ならない。どういう成長をすれば、アレがコレになるんだろうか。
「カッちゃん……マジで変わったわ。これはわかんねーよ」
 ふふん。かなめが得意げに笑う。
「タッちゃんは変わんないよ。そのぶっきらぼうなしゃべり方も、ちょっとクセのある髪も、眉のかたちも、大きな手も、ちっとも変わんないもん。あたしはすぐわかったよ」
 かなめの目と声に、ふいにとても懐かしい匂いを嗅ぎとって、太輔はなんとも暖かな気持ちに包まれた。同時に、斜め後ろから冷たい殺気も感じ取って、背筋を凍らせる。
 おそるおそる振り向く。
 まわりの男子からは明らかな敵意、女子からは好奇心をぶつけられていた。それすらも押しのけて、一番濃くって強いのを、鈴木清佳が放っている。
 いつも大きく、くりくりとよく動く瞳が、いまは針のように細く鋭く尖っていた。からからと太輔の胸の回し車が回る。臆病なハムスターが中で一生懸命に駆けだしている。
 にゅ、と太輔の肩越しにかなめが覗いたので、さらに回し車は激しく動いた。
 びくん、と清佳が目を見開き、すぐさま睨み返した――ただし今度はかなめを。太輔はもう、回し車が外れて口から飛び出るんじゃねえかと思った。
「へえ……」
 すっとかなめの温もりが離れてゆく。太輔が振り向いたときには、かなめは背の半ばまでを隠す、薄く赤い髪を見せつけていた。元いた新入部員の列に戻ってゆく。
 しかし太輔は見てしまっていた。
 かなめが身を返す瞬間、口元に笑みが浮かんでいたのを。
 意味はたぶん、戦闘準備、完了。
 からからから……胸の回し車は、動きを止めようとはしない。からからから。



 かなめは飛ぶように走った。美しいフォームで、美しく髪をなびかせて。
 太輔は走り幅跳びの選手だから、短距離の走り方には詳しくない。太輔に必要なのは、加速をどれだけ効率よく飛ぶことに活かせるかという点だからだ。
 それでも、どれだけ素晴らしいフォームなのかはわかった。
 揺れない。スタートして体をなめらかに起こした後は、腰や頭の高さがまったく変わらない。真っ直ぐにゴールを見据え、肘は鋭く振られ、高く上げた腿は同じ勢いで落とされ、足裏は地面を掴み思いきり後ろへと蹴飛ばす。まるで体重が無いかのように、グラウンドを滑るかのように、かなめは百メートルを駆け抜けた。
 一流の選手は、その動きさえも一流なわけだ。
 陸上部のくせに、陸上競技なんかなんでテレビで放送してんだ? 見ていてなにが面白えんだ? などとふざけたことを思っていた太輔だが、考えを改めた。
 こいつは凄え。なるほど、ゼニ取れるわ。
 ストップウォッチを見つめたまま、女子の部長がごくりとつばを飲みこんだ。
「じゅ……十二秒五五」
 どよめきがおこる。太輔が吹いた口笛の音がかき消されるほどの大きさだった。
 賞賛の声のなか、かなめは笑顔も見せずに呼吸を整えている。かえって部長の方がはしゃいでいた。
「伊能さん、凄い、凄い。ああ、これならいけるわ、全国出場も夢じゃ……」
「いえ、ぜんぜんダメです。やっぱりちょっと体がなまっているみたいです。これは鍛え直さないと」
 はあ、と部長は生返事をした。ぱちぱちと何度もまばたきする。
「それと部長。私は一年生ですから、呼び捨てでお願いします」
 にこやかにかなめに微笑みかけられ、部長も笑顔を返した。
 そこで太輔の視線に気づく。かなめは手でおでこの汗を拭いながら、小走りに駆け寄ってきた。耐えきれないといった様子で、唇がむずむずと動いている。太輔に到着するときには、満面の笑顔ができあがっていた。
「どーう?」
 誇らしげに胸をそびやかした。胸自体はあまり誇らしくなかったが。
「いや、おでれーた。ホントに凄いんだな、えっと……伊能はさ」
 とたんに睨みつけられる。
「昔のまま、『カッちゃん』って呼んでよー!」
「いや、お前、それはな……」
 太輔はぴくぴくと自分の頬が震えるのを感じていた。まわりからの強い視線を感じる。じっと太輔の顔を見つめていたかなめが、仕方ないなあ、と言わんばかりに深々とため息をついた。
「たしかに、高校生にもなって『カッちゃん』はおかしいか。うん、わかった! じゃ、これからは『かなめ』ね、か・な・め。名前で呼んで、ね?」
 太輔の頬の震えがさらに増した。横目に清佳を捉える。ぷい、と横を向かれた。
「かんべんしてくれよ、おい」
「どうしてぇ? あたしと太輔の仲なんだよぉ? 呼び捨てでかまわないじゃなーいー?」
 うああ。
 太輔が声にならない呻き声をあげている間に、ずんずんずんっと清佳が近づいていた。怒り肩で、がっちがちに顔を強ばらせている。
 綺麗に太輔を無視して、かなめの正面に立つ。ずんっと胸元を突きだした。さしずめ怒り胸か? 気圧されたようにかなめは背を反らす。
 こほん。清佳が咳払いをした。強ばった笑顔で、軽く首を傾げる。
「ええと、伊能さん?」
 ぐいとかなめが体を戻した。同じように胸元を突きだす。
「呼び捨てでかまいません。えっと……」
「鈴木。鈴木清佳」
「はい、清佳センパイ」
 かなめは完璧な笑顔を作りあげた。
 笑顔と笑顔がぶつかりあうのを目の前にして、太輔は忙しく視線を動かすことしか出来なかった。
「い、ち、お、う先輩である太輔くんを呼び捨てにするのは、一年生としては……どうなのかな、伊能」
 にこり。
「はい。でも、私と太輔は特別ですから」
 にこり。
「と、特別ってどういうことかな」
 ぴく……にこり。清佳は頑張った。
「それは……」
 ちらりとかなめが太輔を見た。
「うああっ!」
 反射的に、太輔はふたりの間に割って入っていた。清佳に『にへへ』とだらしない笑顔を見せてから、かなめの方を向く。
「し、しかしだ、ホントに伊能は速くなったよな。昔なんかさ、ドジだわノロマだわすぐ泣くわでさ、大変だったじゃんか。なあ、どうしてそんなに速くなったんだ? 伊能って、昔から走るの好きだったっけ?」
 かなめが目を見開き、息を吸いこむ。
 反応に驚く太輔に浴びせかけられたのは、凍りつくほどに冷たい視線だった。
「ふうん……そーなんだ。タッちゃん、やっぱり……」
「え? え? ええ?」
 問いかけようとした太輔を、横顔できっぱり拒絶する。
「昔の思い出といえば、太輔センパイも相当なものでしたよね」
「あの、伊能?」
 横顔を向いたまま、歌うようにかなめは続ける。
「私が引っ越したのは小学三年生のときですけど、まだおねしょしてましたもんね」
 太輔は口をあんぐりと開ける。
「それを黙ってくれたらなんでも好きなものあげるっていって、本当に近所のスーパーからおかしを持ってきてくれましたよね。ただしレジは通さなかったみたいですけど」
 へえ、と興味深そうに清佳が身を乗りだした。
「ふうん。太輔くん、昔から手癖が悪かったんだ」
 ぱくぱくと太輔は口を動かすばかり。
「結局バレて怒られてしまって、私に八つ当たりして。泣きじゃくる私に、患者さんになったら許してあげるっていって……太輔センパイがブラックジャック役で。忘れません。あれは夏のひどく暑い日で、私の体を床にそっと横たえて、太輔センパイはスカートの中に手を……」
「わーっ、わーっ、わーっ」
 手をバタつかせ、太輔はまわりに漂う嫌な空気を吹き飛ばそうとした。どうにもらちがあかないので、発生源であるかなめの両肩を掴む。
 ぐいと引き寄せ、睨みつけた。
「なあ、かなめ? いったいどういうつもりなんだ」
「わあ。やっとかなめって呼んでくれたね、太輔」
 両手を合わせ、にこやかに微笑む。
「ごまかすなっ」
「だってぇ、ホントに嬉しいんだもんっ」
 手が太輔の首に回された。逆に引き寄せられそうになる。
 ええい、やめいっ。あわてて太輔は振り払った。
「こっちは哀しいわっ。人聞きの悪いことをべらべらとなあ……」
「だってホントのことでしょおー? 見たじゃない、あたしのす、べ、て」
 まわりの部員からどよめきがあがる。すぐに男子部員のものは怒号、女子部員のものは非難に代わった。四方八方からの敵意に囲まれて、太輔はぽつんと立ちつくす。
 すがる思いで、清佳を見た。
 清佳の顔には、何の表情も浮かんでなかった。
「へえ。見たんだ。すべて」
 ヨカッタネ。それきり無表情でじっと太輔を見つめているばかりだった。
 目を潤ませながら、太輔はかなめに向き直る。
「お前なあっ……!」
「だってタッちゃんあたしのこと覚えてないっていうんだもんっ!」
 噛みつかんばかりの勢いで逆に吠えられた。唾が飛んでくる。ぐいぐいと迫られて、太輔は背中をのけぞらせた。
「だって、その、あれだ、ぜんぜん違ってたし……そうそう、名字だってさ、伊能とかって、昔は玉田だったじゃんか、玉田かなめ」
 びく、とかなめが体を震わす。あ、と太輔が口を押さえる間にも、二歩、三歩と後ずさった。
 哀しげに眉をうなだらせ、うつむく。
「両親、離婚したんだ。だから戻ってこれたの」
 肩をふるわした。太輔はぎゅっと目をつぶり、息を深く吐いてから、手を伸ばす。
 そっとかなめの肩に触れた。
「いや、悪かった。どーもおれはその、気が利かねーでよ」
「ホント、変わってないよね、タッちゃん」
 まったく声には湿り気がなかった。ええ? と見下ろした太輔に、かなめがぺろりと舌を出す。鮮やかなピンクだった。
「えへへ、うそ泣きでしたー。昔っから見抜けなかったよね」
「うそ泣きって、お前――え? 昔から、見抜けなかった?」
 口を半開きにして、太輔は顔を斜めに傾けた。
 すっと顔に色が戻る。
「かなめ、お前、じゃあ、ガキの頃ぴーぴー泣いてたのは」
「うそだよもちろん」
「おーまーえーなー!」
 体の震えと共に、自然と声も震えた。とんだ七年目の告白である。
「でも怒っていたのはホント。忘れるなんて、ナイよ」
「だからしょーがねーだろーがよ。お前が変わりすぎだ」
「そっちじゃナイ」
 きっ、とかなめに睨みつけられた。
「なんだっつーんだよ、いったい……」
 太輔が顔を横に向けた、その瞬間。
 いきなりかなめが飛びこんできた。どこにこんな力が、と太輔が思うほど、ぐいぐいと抱きついてくる。顔にかかった少しだけ赤い髪から、ほのかに甘い匂いを感じて、太輔は呻いた。
「お、おい」
「約束してくれたじゃない! 一番になったら、誰よりも速くなったら、結婚してくれるって!」
 えーっ!
 部員たちがハーモニーを作りあげた。太輔は心の中で主旋律をがなりたてていた。
「なぬ、な、あう」
「やっぱり覚えてない。ほら、あたしが五十メートル走のクラス代表に選ばれちゃったとき、タッちゃんが励ましてくれたんだよ。もしも一番になったら、なんでも言うこと聞いてくれるって。だからあたし……『ケッコンして』ってお願いしたら、タッちゃんったら口をへの字にしてダメだって。その後でこう言ったんだよ。『そーだな、ニッポンでイチバンになったらイイゼ』」
 ゆっくりと太輔は口を開く。顎が外れそうなるまで開いた。
「あは、思いだしてくれたんだ?」
 顎を開いたまま、太輔はぶんぶんと首を縦に振った。
「だからあたし、頑張ったんだ。中学時代は、どうしても勝てない奴がふたりいたんだけど……高校ではぜったいに勝ってみせる」
 ぱくん、と太輔は口を閉じる。
「かなめ……だってお前、それガキの頃の約束だぜ。それをずっと」
 産毛が触れあうほど間近で、かなめが太輔の顔を見つめた。
「ここまで来たよ。やっと、タッちゃんに追いついた」
 光の加減か、瞳が赤くきらめいていた。
「かなめ」
「タッちゃ……太輔」
 ゆっくりとかなめがまぶたを閉じる。静かに顔が近づいて――。
「ちょっと待ってよ!」
 ぐいと引き離された。すぐさままた抱きしめられ、なにやら柔らかいものに頬が埋もれる。
 見上げた先に、大きくて綺麗な瞳があった。と、なると……太輔は視線を横に向ける。これは、もうひとつ――いや、ふたつの大きなものか。
 かなめが冷たい目で見つめている。
「どうしたんですか、清佳センパイ。私と太輔センパイに、なにか?」
 腕の力が増して、さらに太輔は清佳の胸に押しつけられた。かなめの顔色がさっと変わる。
「……あげない」
「え?」
「あなたと太輔くんが一線越えているのだとしても、結婚の約束をしているのだとしても、あなたが……伊能が、才能あるランナーであったとしても」
 清佳がかなめを見据える。顔の動きとともにふぁさりと髪がなびき、頬に当たって散った。
「あげないんだからっ」
 しん、と静まり返る。
 かなめは微笑みを浮かべ、顔を真下に向けた。小さく笑い声をあげ、一緒に肩を震わせている。目尻に浮かんだ涙を拭った。
「そうか……ちょっとやりすぎちゃったかな」
 笑いを引っこめ、清佳と、胸に抱かれた太輔の方に近づいてくる。
 太輔の頭上で、女ふたりが視線をぶつけあった。当の太輔はへっぴり腰で清佳に抱かれたまま、身動きがとれない。
 かなめの顔に、また笑みが浮かんでいた。
 それを見て、太輔は思いだす。
 最初にかなめが太輔に正体を明かした後で、清佳に睨まれ、大人しく引き下がったとき、口元に浮かべていた笑みを。
 意味はそう、戦闘準備、完了。
 つまり――『いつでもどうぞ、センパイ』。
 いま真上にある顔は、どんな表情をしているのだろう? たぶん――潤んだ目で睨みつけているのではないだろうか。――『負けないんだからっ』。
 そしておれは、どんな顔をしているんだ?
 女の子の胸に顔を埋めているというのに、太輔の心はどうにも晴れなかった。

時間:13時間

読んで欲しいもの()は読んでの読者感想、→は作者判断:
・少女の健気さ(どきどき)→まあまあ
・恋人未満女の子が嫉妬の隙間に見せるいじらしさ(えへへ)→まあまあ
・羨ましい状況ながら困りまくる主人公(あはは)→まあまあ
・あたふたする主人公(うひゃひゃ)→そこそこ

メモ
■一行あらすじ
 期待の新人が実は美人に成長した幼なじみで、昔した結婚の約束まで持ちだされて心を動かされるが、同時に仲の良かった女の子を怒らせることになって非常に複雑な立場に立たされる陸上部員の話。

■プロット
・校庭にて、陸上部の新入部員が挨拶を行っている。三年生たちは、中学時代に優秀な成績を残したという少女の噂で持ちきりだった。主人公は少女に微笑みかけられて喜ぶが、おかげで仲の良い(友達以上恋人未満)女の子を不機嫌にさせてしまう。慌てて取り繕う。

・少女の挨拶の番になる。いきなり主人公に馴れ馴れしく話しかける。少女が使ったあだ名から、主人公は彼女がかつて子供のころに引っ越していった幼なじみだということに気づく。

・グラウンドにて練習開始。やはり少女は速かった。主人公は感心して、「どうしてそんなに足が速くなったんだ」と質問。とたんに少女は機嫌を悪くし、主人公の情けないエピソードをさんざんばらす。(おねしょしていたとか、万引きしたとか、お医者さんごっことか)あたふたしまくる主人公。お医者さんごっこのくだりで不機嫌きわまる恋人未満女の子。

・怒る主人公に、いきなり少女は泣きだす。気づいてくれなかったから意地悪したという少女に、だって名字が代わっていたからと言い訳する主人公。落ちこむ少女に、すぐ失言したと気づく。両親の離婚をしんみりと告げる少女。気まずい主人公に、少女は抱きつく。実は嘘泣き。でも怒っていたのは本当だと告げ、昔、一番速くなったら結婚してくれると主人公が約束したから、一生懸命頑張ったんだと告白。主人公は胸をときめかすも、恋人未満女の子が怒り心頭なのを見て、非常に複雑な心境になる。(少女と女の子は火花を散らしている)

■起承転結
起:一年生の中のひとりに注目。(中学校時代、全国大会にも出場したという期待の新人。なかなかかわいい。鼻の下を伸ばしているところを仲の良い女の子につねられる)
承:その子に好感を持つ。(実は離ればなれになった幼なじみだった)
転:挨拶終わって練習に移行。その子の指導をさせられることになる。なにか小さな困難or苦難に遭遇。(さすがに速い。感心しているところに、いきなり旧悪をばらされまくる。あたふたする主人公)
結:その子に惚れる。(ヒロインが主人公にどうして陸上を始めたのか理由を説明する。幼い頃、誰よりも速くなったら結婚してくれるって約束してくれたらからと言って、抱きつく。胸を高鳴らせるも、仲の良い女の子の刺すような視線を浴びて、心中複雑)


〔ツリー構成〕

【1042】 競作課題、ボーイミーツガールの根っこ 2004/8/1(日)23:40 名無し君2号 (369)
┣【1043】 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「ないぺた」(9000文字)、8/1作成 2004/8/1(日)23:55 名無し君2号 (13429)
┣【1044】 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「胸のドキドキ」(4200文字)、8/2作成 2004/8/2(月)23:38 名無し君2号 (6059)
┣【1048】 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「一奈部長の青春」(10000文字)、8/5作成 2004/8/5(木)17:45 名無し君2号 (15250)
┣【1054】 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「思い出よりも速く」(12000文字)、8/8作成 2004/8/8(日)22:33 名無し君2号 (18706)
┣【1055】 競作課題「ボーイミーツガール」、2号作「コドモでオトナで」(8600文字)、8/9作成 2004/8/9(月)22:28 名無し君2号 (11885)
┣【1045】 削除
┣【1046】 1045 競作課題 「ボーイミーツガール」 、津荒作「惚れました」(3920字) 8月3日 作成 2004/8/3(火)23:55 津荒 夕介 (4944)
┣【1050】 競作課題 「ボーイミーツガール」 、津荒作「入部試験」(4960字) 8月5日 作成 2004/8/6(金)02:57 津荒 夕介 (5395)
┣【1047】 競作課題 「ボーイミーツガール」 、春日作「儀式」(2240字) 8月3日 作成 2004/8/4(水)00:00 春日 (4537)
┣【1053】 競作課題 「ボーイミーツガール」 、春日作「ショートガール」(5800字) 8月8日 作成 2004/8/8(日)02:50 春日 (9052)
┣【1049】 競作課題 「ボーイミーツガール」 、弟切作「春の訪れ」(1960字) 8/5 作成 2004/8/5(木)20:11 弟切 千隼 (4976)
┣【1051】 競作課題「ボーイミーツガール」、巻島作「ランナーズ・ファン」(9600字) 8/6作成 2004/8/6(金)23:15 巻島翔史 (15769)
┣【1052】 競作課題「ボーイミーツガール」、紫ゆきや作「マネージャーになれない」(4200文字)、8/7作成 2004/8/7(土)08:14 紫ゆきや (6494)

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