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1097 弟切、自己課題、テーマ「別れ」、題名「天の星、地の星」(11520字)
2004/9/17(金)22:54 - 弟切 千隼 - 2526 hit(s)

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題名「天の星、地の星」
          2004/09/17 弟切千隼

 外から蝉の声が聞こえている。
 窓辺のすだれが風に揺れる。畳に影が踊った。
 畳の上に、秀紀【ひでのり】は長々と寝そべっていた。頬杖をついて、漫画雑誌を読んでいる。
 べらりとページをめくると、秀紀は頬を支える腕を換えた。と、今まで雑誌に添えていたほうの腕に、畳の跡があるのに気づいた。
 軽く鼻息を吐く。雑誌から目を離した。ぼんやりと、腕に付いた畳の目を数える。
 十六まで数えたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。ような気がした。
「はい?」
 秀紀は玄関に向かう。板張りの廊下が、素足にぺたぺたと貼りついた。
 玄関には、滝口翔太が立っていた。小学校以来の友人だ。今は、秀紀とは別の大学に行っている。
「滝口軍曹、ただいま帰還しましたぁ」
 翔太は軍隊風の敬礼をして、にかっと笑った。
「御苦労。いつこっちに?」
「ほんとに今帰ってきたとこ。峠で雨に降られて、まいったぞ」
 秀紀は、翔太のジャケットに目を止めた。確かに濡れているように見える。真新しい感じの、バイク用のジャケットだった。
「またバイクで来たのか」
「うん。このジャケットいいだろー。バイト代貯めて、やっと買ったぜ」
「見せびらかしに来たのかよ」
「それもあるなぁ」
 翔太は腕組みをして、うんうんとうなずいた。
「しっしっ、帰れ」
 秀紀は手で払う真似をした。翔太の眉が八の字に下がる。
「そう言うな。今、暇か?」
「暇だよ。実家って、やることねえ」
「んじゃ、ちっと付き合ってくれ」
「いいけど、どこへ?」
「ごしょう」
「は?」
「五小だよ、俺っちの通った。第五小学校。お〜お五小に、わーれーらありー、ってね」
 翔太は、懐かしい校歌を口ずさんでみせた。
「なんでまた?」
「……行きゃあわかる」
 一瞬、翔太の表情がかげった。


 家じゅうの戸締まりを終えて、秀紀は外へ出た。途端に、頭のてっぺんを日光に焼かれた。
「あちい。だめだ、帽子取ってくる」
 秀紀は家へ駆けこんだ。ばたばたとサンダルが鳴る。
 つばの長いキャップをかぶって、秀紀は翔太と歩き始めた。十歩と歩かないうちに、全身に汗が噴き出した。
「お前、よく暑くねえな? そんなん着て」
「雨に濡れて冷えたからな」
「そういや、バイクは?」
「置いてきた。担いでくるにゃ、ちと重過ぎる」
「そうかよ。重量挙げの選手じゃなくて残念だな」
「ほーお、重量挙げの選手は、バイク担いで練習すんのか」
 翔太は白い歯を見せた。そのまま、ひょいと角を曲がる。
「そうくるか、お前は」
 秀紀も続いて角を曲がった。
 二人は、それまでより狭い小路に入っていた。自動車一台がやっと通れるほどの幅だ。両側の商店がひさしを伸ばしている。
 ひさしの影から影へと、二人は渡り歩いた。通路にはしょっちゅう障害物がある。西瓜を載せた八百屋の台や、夏服の下がった洋品屋のハンガーだ。二人とも器用にすり抜けていった。
 ガラスの入った格子戸の前で、翔太が立ち止まった。
「ここ、ばあちゃんの店だよな」
 内側を見透かすように、翔太は目を細めた。
 そこは普通の民家に見えた。だが、入り口の間口がやけに広い。戸を開け放てば、何かの店になりそうだ。
「ああ。毎日来てたな。けど、やめちゃって、何年になるっけ?」
 二人が小学生の頃、ここは駄菓子屋だった。老婆が一人、駄菓子と素朴なおもちゃを売っていた。
 屋号は知らない。子供たちの間では、『ばあちゃんの店』で通じたからだ。
 翔太は格子戸をじっと見つめる。
「俺、毎日ここで苺飴【いちごあめ】食ってた気がする」
 苺形をした苺飴。色は黄色と赤がある。長い紐が付いていて、紐の部分を束ねて売られる。紐のどれかを引っ張って、付いてきた飴を買う仕組みだった。
「俺も、あの、赤い苺飴が欲しくてさ、毎日、引っ張るんだけど、なかなか当たらないんだよな。いつも黄色いのばっかで」
 秀紀のほうを、翔太が振り返った。
「そうかあ? 俺、けっこう当たったぜ。日頃の行ないが違うんじゃねえの」
「うるせえ」
 秀紀は肩をすくめた。
 翔太の言うとおりだ。明るくて思いやりもある翔太は、皆に好かれていた。内気で口下手な秀紀とは大違いだった。
 なぜ翔太は、こんな自分を友達にしたのだろう?
 秀紀は、翔太の声で我に返った。
「お前、ここでいつもビー玉買ってたよな。あのビー玉コレクション、どうした?」
 上目遣いに、翔太が秀紀の顔をうかがっていた。
「どうしたって……たぶん、実家のどこかの押入れの中、だと思う」
「さすがに、今じゃコレクションはしてねえか」
「そりゃあな。俺、言われるまで忘れてたよ、ビー玉のことなんて」
 翔太が目をしばたたいた。
「あぁんなに熱心だったのに。あのコレクション、すごかったぞ、今考えても」
 秀紀は記憶を探った。
「あー、思い出した。俺、ビー玉にみんな名前付けてたな。星の名前。スピカとかシリウスとか」
「そうだよ。一緒に星座図鑑を見たじゃんか、図書室の借りて。それで一緒に付けたんだって」
 透明な中に赤い染料がうねるアンタレス。蛍光っぽい青に光るリゲル。乳白色の中に、泡がきらめくプロキオン。どれも、星座図鑑の上にビー玉を並べて決めたものだった。
「……懐かしいな」
「うん」
 再び上目遣いで、翔太が秀紀を見た。
「ビー玉でさ、お前、覚えてねえか?」
「何を?」
「いいや、覚えてねえなら」
「なんだよ、言えよ」
「後で言うよ」
 翔太はすたすたと歩きだした。


 小学校の敷地には、見慣れない建物がそびえていた。
 おそらく鉄筋コンクリート製だろう。頑丈そうな四角い箱だ。教室ごとに、広いベランダが付いている。
 壁面は薄いピンクだ。正面の壁には、三角定規やコンパスをかたどったモザイク画が描かれていた。
「うーわー、なんだこれ」
 秀紀は、校門の前で立ち尽くした。
 門は開かれていた。夏休み中は、校庭を開放しているらしい。陽炎【かげろう】の向こうで、ボールを蹴る子供たちが揺れている。
「なんか、おっしゃれー。おしゃれ過ぎ。昔はおんぼろ木造だったのに」
 秀紀の隣に翔太が立つ。
 校庭の子供たちの声が、風に乗ってきた。
 門の位置と門柱は変わらない。なのに、秀紀はどこか違和感を持った。
「ここさあ、昔どぶがなかったっけ? 門のとこ」
「今でもあるよ。ほら」
 翔太が地面を指差す。秀紀が目で追うと、細長い穴が点々と連なっていた。
 側溝【そっこう】に、ずらりと蓋がかぶせてあるのだ。蓋と蓋のつなぎめに、穴が開いている。
「暗渠【あんきょ】か、全部」
「昔はなあ、通り道のとこだけ蓋があってさ。よく物落とすやつがいたよな。自分まで落ちたやつもいたけど」
 秀紀はぷっと噴き出した。
「そう、風間! あいつ、六年の時に落ちたよな。なんだっけ、確か賭けをしてて、どぶ飛び越えることになって」
「そうそう。大した幅じゃないから、越えるのは簡単。だけど、昔はここにブロック塀があって、越えたとたんに塀にぶつかって跳ね返って、ぼしゃーん」
 翔太は大きく腕を広げて、水しぶきをまねた。
「バカだよな、ほんとにバカだよな、風間。好きだったけど」
 秀紀の口もとに笑いがこみ上げた。
「落ちたんじゃなくて、わざと降りたことなら、お前もあったろ? 六年の時」
 翔太が、また上目遣いで秀紀を見ていた。
「六年の時って……えーと、あっ!」
 秀紀の脳裏に、ビー玉の姿が浮かんだ。銀粉がちりばめられた中に、青とオレンジの染料がからみ合う――アルビレオ。
 一番のお気に入りだった。その名は、天で最も美しいといわれる二重星から取った。青とオレンジと、二つの星からなっている。
「アルビレオなくしちゃって、一緒に探してもらったっけ。どぶまで降りたよな。下駄箱とか花壇とか、さんざん探して見つからなくて、どぶに落としたのかもって、底さらった」
「そいで先生に見つかって、何してんのって怒られて、無理やり上げられてなあ。ビー玉なんて余計な物、学校に持ってくるなって、説教されたし」
「俺、あの後うちでもさんざん怒られた。服、どろどろだったから」
「俺も。親にホースで水かけられた」
 二人は向かい合って笑った。
 ひとしきり笑った後、翔太は急に表情を引き締めた。
「実は、五小行こうって言ったのは、アルビレオのことでな」
 秀紀はきょとんとした。
「まあ、来いよ」
 翔太は門を入っていった。秀紀も後を追う。
 校内に入ると、すぐ校舎の玄関に突き当たる。校舎を避けて右側に行けばグラウンド、左へ行けば中庭だ。翔太は中庭のほうへ進んだ。
 後に続く秀紀の視界に、大きな樹木が飛びこんだ。校舎の陰で見えなかったものだ。
「おう、あの樹、まだあるんだ」
 秀紀は立ち止まった。帽子のつばを少し上げ、樹を見上げる。
 樹の形は、秀紀の記憶とほとんど変わらなかった。堂々たる枝が張り巡らされている。
 翔太も、手をかざして樹を仰いだ。
「世話になったなあ、あの樹にゃ。よく登った」
「お前だけだ、んなことするの」
 翔太はずんずん進む。彼の進路は、大樹のもとへまっすぐに伸びていた。
 大樹の根もとに看板があった。『そうりつきねんしょくじゅ(創立記念植樹) クスノキ』と書かれている。
 看板の横で、翔太は足を止めた。
 秀紀も止まった。
 翔太は秀紀に向き直った。
「ごめん」
 いきなり翔太は頭を下げた。
「ごめん。アルビレオ、俺が隠した」
「え……」
 秀紀はぽかんと口を開けた。
「お前と一緒に探したの、カモフラージュだよ。ほんとは俺が隠した。お前、困らせたくて」
 翔太はうつむいている。
 甲高い蝉の声が、耳を打った。
 秀紀は口を開けたまま、固まっていた。こわばった舌をようやく動かす。
「……あーのー、なんで?」
 翔太が顔だけ秀紀に向けた。頭は下げたままだ。
「お前、あの頃、風間っちのグループと仲良くなったろ。あいつらと帰ることとか多くなって……。俺、面白くなかった。俺から離れてくのが気に入らなかった。……ガキだな俺。いや本物のガキか、あの頃は。とにかく、困らせればまた俺を頼るんじゃないかって、アルビレオがなくなれば困るだろうって」
 信じられない。
 そう言おうとした。が、秀紀の声は出なかった。
 わかっていた。こんな状況で、翔太は嘘をつくやつじゃない。
「けど、なんで……今ごろ、ここで、そんなこと」
 翔太は頭を上げた。
「ずっと言いたかった。ずっと気になってて、ずっと後悔してた。今じゃなきゃもう言えない。アルビレオは」
 片腕を高く、翔太は差し上げた。
「ここにある」
 翔太の指は、クスノキの上部を指していた。
 秀紀はクスノキを振り仰いだ。
 枝はまんべんなく張っている。幹はどっしりしている。黄色がかった灰色の樹皮に、一つ大きなこぶがある。
「ここって、樹の上か? どうやって?」
「そこにこぶがあるだろ。そのこぶの横に、穴があんだよ。下からだと見えにくいけど、登ればすぐわかる。そこに、アルビレオ隠した」
 翔太は腕を下ろした。
「自分で、確かめろよ。まだあるはず」
「確かめるって、登れってこと?」
 翔太はうなずいた。
「や、けど」
「頼む」
 秀紀は断れなかった。
 サンダル履きで来たことを後悔しつつ、幹に足を掛けた。手近な枝をつかむ。腕の力で体を引き上げる。足を掛けなおす。少し上の枝に手を伸ばす。再び引き上げる。
 四、五回も繰り返すと、汗まみれになった。Tシャツの袖で汗をぬぐった。サンダルに気を遣いながら、こぶの近くの枝に腰掛けた。
「穴あるだろ?」
 下から翔太が叫んだ。
「ある。なんか、枯葉が詰まってるけど」
「中、掘ってみ」
 枯葉の量は大してなかった。ぱりぱりと乾いた音とともに、枯葉は幹を滑り落ちていった。
 穴の底に、塵まみれのものがあった。
 そっと手に取ると、硬い。息を吹きかけて、塵を払った。Tシャツで拭いてみる。
 夏の日差しが、銀と青とオレンジとを貫いた。


 秀紀は、樹上からアルビレオを掲げてみせた。
「あったよ」
「だろ」
 翔太の目が輝いた。しかし、すぐに曇った。
「ごめん。今さら、許しちゃ……もらえないな」
 秀紀は、きらめく玉を掌に転がした。
「俺、すっからかんに忘れてたぜ、ビー玉のこと。その程度なんだから、許すも何もねえよ」
 樹上から顔を突き出して、秀紀は笑ってみせた。
「どっちかっつーと、ありがとうって言いたい。本当のこと言ってくれたろ」
 翔太の表情が、みるみる晴れ上がった。
「そっか……そっか……ありがとう、こっちこそ」
 ぐらりと、翔太の体が傾いた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫。や、大丈夫じゃないかも。わはは、どっちだ俺」
 翔太は体勢を立て直した。
「名波」
「なんだ?」
「たぶん、もう会えない」
「えっ!?」
「最後に会えてよかった。これで行ける」
「待てって。どゆことだ?」
 翔太はきっと口を結んだ。それから、おもむろに開いた。
「驚くな、っていうほうが無理だけど。俺、死んじまった」
「……冗談、だろ?」
 翔太が首を振る。
「峠でさ、雨に降られたって言ったろ。あの時、スリップして、どかん!」
 秀紀の頭上で、梢がざわざわと鳴った。
 ざわざわ、ざわざわ、音がのしかかってくる。
「言っても、信じられねえよな。証拠、見せるよ。名波」
「ふぁい?」
「しっかりつかまってろ。びっくりして落ちんなよ」
 唐突に、翔太は浮き上がった。かと思うと、秀紀のいる高さまで、すーっと上昇した。全く、何にもつかまらずに。
「のああっ」
 秀紀はのけぞった。
「だから落ちるなっちゅうに。重力に逆らえ」
「無理だっ」
 秀紀は枝にしがみついた。ぜえぜえと息をつく。
「そんだけ元気なら大丈夫だな。俺、行かなきゃ」
「や、やっぱ、あの世に行くのか?」
「らしいぞ。なんか、上の方に引っ張られる。今まで、体が重くて行けない感じだった」
 秀紀は、どうしていいかわからなかった。掌にじっとり汗をかいている。手の中でビー玉がつるつると滑った。
 これか。
 秀紀は、翔太にアルビレオを差し出した。
「持ってけ」
「ばぁか。この世のもの持ってけるわけねえだろ。それはお前のもんだし、上には本物のアルビレオが」
「そうか、そうだな」
 翔太はじりじりと上昇していた。だんだん、体の輪郭も薄れているようだ。
「すげえ体が軽い。気持ちいいなあ。名波が許してくれたからだ、きっと」
「違う。滝口がいいやつだからだ、もともと」
 輪郭がぼやけた顔で、翔太は微笑んだ。
「お前、昔からそうだよな。絶対に人を恨まないよな。そういうとこ、いいぜ」
 翔太は、クスノキの梢を越えようとしていた。
 秀紀は枝の上に立ち上がった。木の葉を透かして、翔太を仰ぎ見る。
「もう、忘れねえから。二度と、忘れねえから」
 秀紀の声は、翔太に届いたかどうか。翔太は次第に薄く、小さくなってゆく。
 翔太が天に溶け込むまで、秀紀は見送っていた。

                        〈了〉


〔ツリー構成〕

【1061】 弟切、自己課題の根っこ 2004/8/20(金)23:09 弟切 千隼 (65)
┣【1062】 弟切、自己課題、テーマ「別れ」、題名「プラスチック」(5000字) 2004/8/20(金)23:28 弟切 千隼 (5717)
┣【1097】 弟切、自己課題、テーマ「別れ」、題名「天の星、地の星」(11520字) 2004/9/17(金)22:54 弟切 千隼 (12256)
┣【1120】 :弟切、自己課題、テーマ「本心を明かさない人」、題名「笑顔の下で」(10480文字) 2004/10/18(月)00:45 弟切 千隼 (12238)
┣【1142】 弟切、自己課題、テーマ「ボーイミーツガール」、題名「肺魚なボクら」、プロット 2004/11/24(水)00:32 弟切 千隼 (1199)
┣【1143】 弟切、自己課題、テーマ「ボーイミーツガール」、題名「肺魚なボクら」、プロットその2 2004/11/24(水)00:35 弟切 千隼 (931)
┣【1153】 弟切、自己課題、テーマ「ボーイミーツガール」、題名「肺魚なボクら」、人物設定 2004/11/28(日)01:31 弟切 千隼 (2741)
┣【1154】 弟切、自己課題、テーマ「ボーイミーツガール」、題名「肺魚なボクら」、人物設定その2 2004/11/29(月)01:52 弟切 千隼 (3595)

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