〔前の画面〕
〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕
〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了〕
1175 「僕は、君と闇の中へ歩き出す」、リライト |
2004/12/19(日)00:24 - 月白 - 1867 hit(s)
僕は、君と闇の中へ歩き出す
廃車が、あちこちに点在していた。
僕は、その影に隠れながら後をつけている。前には、結城静葉のきれいな後ろ姿がある。そして彼女を囲んで、だぶだぶの上着に脱げそうなズボン、ピアスやネックレスやらをじゃらじゃら身につけた四人組が、闊歩していた。
彼女の背の上に、黒灰色の髪が流れ落ちている。それを汚すように、下卑た男の手が、すき入れられる。肩に手が掛かる。腰に別の腕が回りこんで、紺のブレザー越しにくびれたラインを浮き出させる。
左手の錆びたフェンスの向こう側には、われ先にと成長を競っている雑草たちが、一面の黄色い光を受けている。右手には、黒ずんで周囲が剥がれ落ちているボロタンクが並んでいて、地面に長い影を落としている。
そんな中、静葉は男たちの猥笑に包まれて、汚れた雑巾のようなアスファルトの道を進んでゆく。
静葉と不良たちは、間違いなく知り合いでもなんでもないと思える。でも男たちにまとわりつかれても、彼女の背に格別の反応は見えない。僕の心はぎゅっと締めつけられる。頭の中で火が爆ぜる。手の汗を握りつぶして、奥歯を噛み締めた。
この結城静葉と僕は、高校一年のクラスメートだ。ついでに言うと、静葉が転校してきてからまだそう日は経っていない。孤高というか、人とあまり交わろうとしない静葉に惹かれながら、僕は毎日をすごしてきた。今日の下校時も、駅前までは彼女を見ながら進めるのがすごく嬉しかったところだ。そして男たちに声をかけられる静葉を目撃して、この再開発地区まで彼女たちをつけてきたのだった。
と、静葉と男たちの右側に『ぬう』という感じで、風雨の染み込んだコンクリートの壁があらわれる。男たちは、自分たちの家に招き入れるといったざっくばらんさで、静葉を連れて壁面にある鉄扉から中に入っていった。
彼らが見えなくなったのを確認して、僕はその壁にまで移動して身体を張り付かせた。大きく一回深呼吸をする。それから胸に手をあてて服をぎゅっと握り締めて、ゆっくりと扉に隙間を作る。
慎重に中を覗いた。
鉄パイプが天井を走り回っている。その下に、灰色の壁とがらんとした床がある。上方の窓からの光が幾つも差し込んで、屋内の錆びてかすれた色合いにも濃淡がある。
真ん中に、オンボロのソファとテーブルといった応接セットみたいなものが置いてあって、そこに静葉と男たちがたむろしていた。
不快な猥声が耳にまで届いてくる。
いったん偵察を中止して、壁に背をつける。
まぶたを閉じた。
二度三度と、大きく静かに息を吸って吐く。吸って吐く。
そうしていると、僕の中の熱くなっていた部分が、落ち着いて冷えてゆくのを感じる。
目を開いた。
周囲を見回して、探す。
あった!
壁前に土が剥き出しになっていて、雑草が申し訳程度に生えている。その上に、棍棒くらいの鉄パイプが、無造作に転がっていた。
それを拾って、ぐっと握り締める。その体勢のまま、再び建物の中をうかがおうとして――
と、
「よう」
気さくでフランクな、でも突然の背後からの声に、僕は背筋が跳ね上がる。
こんがらがって鉄パイプを落としそうになる。後ろを振り返りかえろうとした瞬間、首筋に焼けるような激痛が走り、頭の中に火花が散る。
僕の視界と意識は暗転した。
ずきずきとした頭の奥の痺れを、まず感じた。
それから周囲の感覚が入ってくる。僕のいる場所はぐるぐると回転しているようで、上下左右がよくわからない。
脳を揺すられているようで、とても気持ちが悪い。そんな中、耳に入ってくる哄笑に気付いた。
思考のともし火が、ぽっと灯る。
そうだ。
僕は、目を開いた。
あの時、後ろからやられて……
ぼやけた知覚と視界を払おうと頭を振って瞬きをし、起き上がろうとして、ガクンとつんのめった。
身体を動かそうと試みて、足首を縛られ、後ろ手に拘束されているとわかる。
すると背の方から、
「どうだった、本場モンのスタンガンの味は? イキそうになったか?」
セリフに続いて、下品なこもり笑いと膝を叩く音が響いてきて、僕は『きっ』となってそちらの方向に身体を向けた。
剥き出しの木板に不揃いの足をつけただけのテーブルが、まず目に飛び込んできた。それから、机の上に山積みになった酒瓶が見える。続けてその向こうの、あちこちがはみ出しているロングソファに焦点が合って、僕の頭は瞬時に沸騰した。
その上に静葉が座っていて、両側から男たちに絡みつかれていたからだ。
片側の男が静葉のほほを何度も舐め上げ、その胸をまさぐる。いつもは端整な顔をしている静葉が目を瞑って、眉を震わせている。男が、ほら飲めよ、という感じで手に持っていたボトルを静葉の口に突き入れ、静葉が少し顎を上げ、コクコクと喉を鳴らす。
反対側の男は、手を股の奥に差し込んでいた。スカートがまくれ上がって、滑らかな太ももが剥き出しになっている。男が手をこねる仕草を見せ、静葉が身をくねらせながら、悩ましげに吐息を漏らす。
男たちは、獲物を弄びながら、興奮と酔いに顔を脂ぎらせている。
これ以上は見てられなかった。
「やめろっ!」
僕は、男たちに向かって叫んだ。
「彼女を放せっ!」
その叫びに、男たちの幾人かがこちらを見る。
「バカか、テメーわ」
うち一人が、嘲りと見下しの混じった声を投げつけてきた。
「ソノ気があるからついてきたにきまってんだろ? すこしゃ、アタマつかえよ」
男は、僕の前に来て、頭の上からどぼどぼと酒をこぼした。
「ボウヤにゃ、サケはまだ早かったか?」
続いて嘲笑が沸き上がる。
僕は、きつくまぶたをつむって、唇を噛み締めた。
もし動けるのなら、かなわなくてもすぐに叩き伏せられてもいいから、殴りかかってゆきたい。
でも、それすらもできない。
ただ、静葉がなぶられるのを前にしているだけだ。
目から雫が溢れ出しそうになって、身体がぶるぶると振るえた。と、
「ねぇ。あの子は……関係ないわ……ん。放してあげて……んん」
あえぎに混ざり込んだ、途切れ途切れの言葉が聞こえた。
驚いてそちらに顔を向ける。
全身をまさぐられている静葉と、目が合った。
氷みたいな瞳だった。
その、僕を冷えつかせるまなこに気付きもせず、男たちが彼女を遮ぎる。
「できねぇ相談だなぁ」
「そうそう。オレぁ、ギャラリーのいる方が燃えんだよ」
口々に、げらげらとしたあざ笑いを上げる。
「どうしても?」
静葉が、冷えきった声で男たちに問う。
「そんなことよりよぉ」
男が、静葉の襟元に手を伸ばし、ボタンを外し始める。
「そう。わかったわ」
言うなり、静葉は、自分に絡みついている男一人の腕をねじり上げた。
僕が、『え?』と思う間もなく、ぐがあああぁーっという喉をかっさばいたような悲鳴が上がる。続けて静葉は、男の首を抱え、周囲の男たちをその瞳で一閃する。赤い光が走り、男たちは、不細工な格好のまま石膏像のように硬直する。
男たちの卑猥な気配に満ちていた空間は、今や凍りついていた。なぶられるだけの獲物だった静葉には、圧倒的で巨大な気配が満ち満ちている。その前の男たちは、灼眼に射抜かれた哀れな小動物みたいだ。
静葉が、抱えている男の首筋を、真っ白な指で二三度さする。恍惚の笑みを浮かべて、深紅の唇で『はぁ』と上気を漏らす。それに従って、男が、びくっびくっと、不規則に手足を痙攣させる。
静葉の口が、その男の首筋に近づき始める。
周囲も男も、凍りついたように動きがない。
静葉の唇が、ゆっくりと開いた。
二本の尖った犬歯が現れ、異様な照りを放っている。
そして、それが男の首に突き刺されてゆく。
目が離せなかった。
僕の中で何かが『かっ』と燃え上がる。
それが、僕の全身を焦がして、ほほを熱く染めていた。
その僕を前にして、静葉がこくこくと喉を鳴らす。男は、ヘタな操り人形の様に全身を無様に震わせた後、がくんと膝から崩れ落ちた。
男たちは全員、床に倒れ伏している。
その中を静葉がゆっくりと近づいてくる。静葉の黒い瞳は、寒々としている。僕は、魅入られたようにまっすぐ見つめる。その前で静葉が止まって、視線に微かな、でもすごく深いって思える憂いを混じり込ませてきた。
続けて、静葉がひざまずく。
「ありがとう。私を助けようとしてくれたんでしょ」
優しい声音でそう言って、人間には有り得ない力で、僕の足のロープをまるでこよりのようにひきちぎった。
そして静葉が、僕の瞳をまっすぐに見つめて、諭すように言ってくる。
「約束して。今日のことは忘れて、全て記憶から消し去って、明日からはまた普通に暮らすの。そうでないと私はあなたを……」
「き、きみはいったい……」
僕は、かすれかすれの声を出す。
「あなたの想像通りのモノ、よ」
静葉は目を細めて、薄刃のような微笑をした。
その表情とセリフで、先ほどの出来事が、僕の脳裏に鮮やかに蘇る。彼女がなんなのかを、僕は今はっきりと認識した。
全身に冷たい汗が噴き出し始める。
身体の小刻みな震えが止まらない。
でも。
僕は思う。
今しかないんだと。
今言わないと、もう永久に彼女に伝えるチャンスはない。念じながら歯を食いしばると、休み時間に独りで本を読んでいる彼女の端整な横顔や、廊下を下校してゆくときの綺麗で素敵な髪のそよぎが浮かんできて、僕の心に力がこもった。
湧き出す汗と震えが止まる。
彼女をしっかと見つめ返す。
「君が転校してきてから……」
僕は一言一言ゆっくりと、眼前の彼女に向かって話し始めた。
「すぐに君のことで頭がいっぱいになったんだ。いつも君のことを見て、毎日君のことを考えてすごした」
僕の目の前に、泰然とした静葉のまなこがある。
その漆黒に、僕は言葉を流し込んでゆく。
「ここで君と別れて全て忘れて。普通に暮らして学校に行って。勉強して部活して、なんてことないおしゃべりで喜んで怒って泣いて笑って。そういうのがあたりまえで普通でまともでちゃんとしたことだってわかってる。でもっ、」
そこまで言って、僕の瞳が、恐怖じゃなくて沸き起こってくる衝動で震えた。
「僕はっ、僕はっ、」
目が潤む。
顔がしわくちゃになってゆく。
喉が焼けつく感覚を覚えながら、湛える様な瞳を注いでくれている静葉に、
「あの血を吸われた男が、うらやましかったんだっ!」
泣き濡れた言葉を叫び放った。
「今の僕は冷静じゃないし、もしかしたらずっと君のことばかり考えていて、おかしくなっているのかもしれない。でも僕はっ、僕はっ!」
僕は、静葉の膝に顔を埋めて、ぼろぼろとみっともなく涙をこぼした。
と、
静葉が優しく僕の顔を持ち上げてくれる。
静葉の顔が、その息の匂いを感じられるくらいそばにくる。
その静葉が、風のように僕にささやく。
「私は今まで、数え切れないほどのサーヴァント――しもべ――を作ってきた。あなたがいる間は、私を支えてくれるモノとして、私が心を分けたモノとして、私はあなたを愛する。でも……」
静葉が、表情を曇らす。
「もしあなたが死んだら、何事もなかったように新しい相手を作って、あなたのことはきっと忘れる。そのときには、もはやあなたがこの世界に存在した証はなにもない。それでも……いいの?」
じっと見つめてくる静葉。いろんな感情を、それこそ底がなくなる程蓄えてきたんだって思える、吸い込まれそうなほど深い眼。
僕は、その瞳に向けてただ一回、はっきりとうなずいた。
そして……
静葉が、ゆっくりと、僕の首に腕を絡めてくる。
静葉の柔らかい感触と匂いに包まれる。その息が、僕の首筋をくすぐる。
背筋に冷たいものが走る。同時に心臓がドクドクと激しく脈打って、僕の顔は火照りで焼けそうだ。
彼女の唇と牙の先端が皮膚に触れた。全身が総毛立つ。『ちく』とした感触が走り、めりめりと肉にめりこんでくる。僕は、目尻から雫を流し落とす。嬉しさと快感に、『ああ……』という、とろけるようなあえぎを漏らした。
「どう?」
静葉は、僕の顔を両手で包み込んでくれた。目がとても優しくて、ほほが綺麗な薄紅色に染まっている。そして僕も、その静葉を、いとおしく見つめている。
「自分で自由になれるはずよ」
静葉が、手を動かして、僕の顔の輪郭をそっとなぞる。確かにその言葉どおり、今の僕の中には、彼女の力が宿っていると感じる。
僕は、縛られている後ろ手にぐっと力を込める。
荒縄は、濡れ新聞みたいにあっけなくちぎれた。それと同時に、建物の扉付近から男たちの声が聞こえてきた。
「メールでナシあったの、ここか?」
「おいおい。トウヤたち、やられちまってるぜ」
「ふん。ざまぁねぇ。いつも偉そうに踏ん反り返ってるからだ」
「つっても、オンナはゲキマブ」
「コブのほう、どうするよ?」
下品な高笑いが室内に反響し、それが僕の身体にも響いて、血がたぎってゆく。
僕は立ち上がって、静葉と見つめ合う。互いに目を鋭利に細めながら、口端を釣り上げる。二人して、獣の笑みを浮かべる。
そして僕と静葉は、彼らに向き直る。
僕は今、彼女と共に歩き出したのを実感した。
〔ツリー構成〕
【1106】 月白、掌編根っこ 2004/9/30(木)23:13 月白 (50) |
-
-
-
┣【1115】 早瀬と雪 2004/10/3(日)17:37 月白 (4266) |
-
-
-
-
┣【1175】 「僕は、君と闇の中へ歩き出す」、リライト 2004/12/19(日)00:24 月白 (10833) |
-
〔前の画面〕
〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕
〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了〕
※ 『クリックポイント』とは一覧上から読み始めた地点を指し、ツリー上の記事を巡回しても、その位置に戻ることができます.