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1176 「僕は、君と闇の中へ歩き出す」、指示語禁止、接続詞禁止 |
2004/12/20(月)00:42 - 月白 - 2097 hit(s)
僕は、君と闇の中へ歩き出す
再開発地区内には、廃車があちこちに点在していた。夕暮れ時の長い影を、地面に伸ばしている。
僕は、廃車の影に隠れながら後をつけている。前には、結城静葉の、いつものきれいなブレザーの背がある。彼女は、四人組の男たちに囲まれて、歩いていた。男たちは皆、だぶだぶの上着に脱げそうなズボンという格好だ。
彼女の背の上に、黒灰色の髪が流れ落ちている。下卑た男の手が、すき入れられた。肩に手が掛かる。腰に別の腕が回りこむ。紺のブレザー越しに、くびれたラインが浮き出る。
クラスメートの静葉は、人と交わらない孤高の性格だ。高校の教室での、独り離れた様子が思い浮かぶ。僕は、静葉に惹かれすごす毎日だった。今の彼女の背に、格別の反応は見えない。僕はたまたま駅前で、静葉が男たちに声をかけられたのを見た。嫌そうな雰囲気はなかった。僕が彼女たちをつけてきたときも、ずっとだ。僕の心はぎゅっと締めつけられる。頭の中で火が爆ぜる。手の汗を握りつぶす。奥歯を噛み締めた。
静葉は、汚れた雑巾のようなアスファルトの道を、進んでゆく。男たちの猥笑が、彼女を包み込んでいる。
静葉と男たちの右側に、コンクリートの壁があらわれた。風雨の染み込んだ、四階建てくらいの壁面だ。男たちは、自分たちの家に招き入れるといったざっくばらんさだ。静葉を連れて、鉄扉から中に入っていった。
彼らが見えなくなったのを確認する。僕は、その壁にまで移動した。身体を張り付かせた。大きく一回深呼吸をする。胸に手をあてる。服をぎゅっと握り締める。ゆっくりと扉に隙間を作る。
慎重に中を覗いた。
鉄パイプが天井を走り回っている。天井の下には、灰色の壁とがらんとした床がある。上方の窓からの光が幾つも差し込んでいた。屋内の、錆びてかすれた色合いにも、濃淡がある。
真ん中に、オンボロの応接セットが置いてある。ソファとテーブルといったものだ。静葉と男たちがたむろしている。
不快な猥声が耳にまで届いてきた。
いったん偵察を中止する。
壁に背をつける。
まぶたを閉じた。
二度三度と、大きく静かに息を吸って吐く。吸って吐く。
僕の中の熱くなっていた部分が、落ち着いて冷えてゆくのを感じる。
目を開いた。
周囲を見回して、探す。
あった。僕は胸中で「よし」と声を上げる。
壁前に、土が剥き出しになっている場所があった。棍棒くらいの鉄パイプが、無造作に転がっていた。
拾って、ぐっと握り締める。再び建物の中をうかがおうとした時だった。
「よう」
気さくでフランクな、でも突然の背後からの声がした。
僕の背筋は、跳ね上がった。
こんがらがって鉄パイプを落としそうになる。後ろを振り返りかえろうとする。首筋に焼けるような激痛が走った。頭の中に火花が散る。
僕の視界と意識は暗転した。
ずきずきとした頭の奥の痺れを、まず感じた。
周囲の感覚が入ってくる。僕のいる場所はぐるぐると回転している。上下左右がよくわからない。
脳を揺すられている。とても気持ちが悪い。耳に入ってくる哄笑に気付いた。
思考のともし火が、ぽっと灯る。
そうだ。
僕は、目を開いた。
建物内をのぞこうとして、後ろからやられたんだ。
ぼやけた知覚と視界を払おうと、頭を振って瞬きをする。起き上がろうとして、ガクンとつんのめった。
身体を動かそうと試みる。足首を縛られている。後ろ手に拘束されているとわかる。
背の方から、下品なこもり笑いが響いてきた。
「どうだった、本場モンのスタンガンの味は? イキそうになったか?」
膝を叩く音が聞こえる。僕は、頭に血を上らせながら、そちらの方向に身体を向けた。
ボロいテーブルが、目に飛び込んできた。剥き出しの木板に、不揃いの足をつけただけのものだ。机の上に山積みになった酒瓶が見える。向こう側に焦点が合う。あちこちがはみ出しているロングソファがある。静葉が座っていて、両側から男たちに絡みつかれていた。
僕は瞬時に沸騰した。
片側の男が静葉のほほを何度も舐め上げている。胸をまさぐっている。いつもは端整な顔をしている静葉が、目を瞑っている。眉を震わせている。男が、ほら飲めよという感じで、ボトルを静葉の口に突き入れる。静葉が少し顎を上げ、コクコクと喉を鳴らす。
反対側の男は、手を股の奥に差し込んでいた。スカートがまくれ上がっている。滑らかな太ももが剥き出しになっている。男が手をこねる仕草を見せた。静葉が身をくねらせる。悩ましげに吐息を漏らす。
男たちは、獲物を弄んでいた。興奮と酔いに顔を脂ぎらせていた。
これ以上は見てられなかった。
「やめろっ」
僕は、男たちに向かって叫んだ。
「彼女を放せっ」
男たちの幾人かがこちらを見る。
「バカか、テメーわ」
うち一人が、嘲りと見下しの混じった声を投げつけてきた。
「ソノ気があるからついてきたにきまってんだろ。すこしゃ、アタマつかえよ」
男は、僕の前に来た。僕の頭の上から、どぼどぼと酒をこぼした。
「ボウヤにゃ、サケはまだ早かったか」
続いて嘲笑が沸き上がる。
僕は、きつくまぶたをつむって、唇を噛み締めた。
もし動けるのなら、殴りかかってゆきたい。かなわなくてもいいから、殴りかかってゆきたい。すぐに叩き伏せられてもいいから、殴りかかってゆきたい。
それすらできない。
ただ、静葉がなぶられるのを前にしているだけだ。
目から雫が溢れ出しそうになる。身体がぶるぶると震える。
その僕の耳に、あえぎに混ざり込んだ、言葉が聞こえる。
「ねぇ。彼は関係ないわ、んん。放してあげて、んぅ」
驚いて顔を向ける。
全身をまさぐられている静葉と、目が合った。
氷みたいな瞳だった。
男たちは、冷え冷えとしたまなこに気付きもしない。
「できねぇ相談だなぁ」
「そうそう。オレぁ、ギャラリーのいる方が燃えんだよ」
口々に、げらげらとしたあざ笑いを上げる。
「どうしても?」
静葉が、冷えきった声で男たちに問う。
「そんなことよりよりよぉ」
男が、静葉の襟元に手を伸ばす。ボタンを外し始める。
「そう。わかったわ」
言うなり静葉は、絡みついている男一人の腕をねじり上げた。
瞬きをする間もない。ぐがあああぁーっという喉をかっさばいたような悲鳴が上がる。静葉が男の首を抱える。周囲の男たちをその瞳で一閃する。赤い光が走る。男たちは、不細工な格好のまま硬直する。
空間は、今や凍りついていた。さっきまでの静葉は、なぶられるだけの獲物だった。今の静葉には、圧倒的な気配が満ち満ちている。男たちは、灼眼に射抜かれた哀れな小動物みたいだ。
静葉が、抱えている男の首筋を、真っ白な指で二三度さする。恍惚の笑みを浮かべる。深紅の唇で上気を漏らす。男が、びくっびくっと、不規則に手足を痙攣させる。
静葉の口が、男の首筋に近づき始める。
周囲も男も、凍りついて動きがない。
静葉の唇が、ゆっくりと開いた。
二本の尖った犬歯が現れる。
異様な照りを放っている。
牙が、男の首に突き刺されてゆく。
目が離せなかった。
僕の中で何かが燃え上がる。全身を焦がす。ほほが、熱く染まってゆく。
静葉がこくこくと喉を鳴らす。
男は、ヘタな操り人形の様に全身を無様に震わせる。
がくんと膝から崩れ落ちた。
男たちは全員、床に倒れ伏している。
静葉がゆっくりと近づいてきた。静葉の黒い瞳は、寒々としている。僕は、魅入られてまっすぐ見つめる。僕の前で静葉が止まる。静葉は、視線に微かな憂いを混じりこませてきた。すごく深いって思える心の揺らぎだ。
静葉がひざまずく。
「ありがとう。私を助けようとしてくれたんでしょ」
静葉は、僕の足のロープに手をかける。
人間には有り得ない力で、ひきちぎった。
静葉が、僕の瞳をまっすぐに見つめて、諭すように言ってくる。
「約束して。今日のことは忘れて。全て記憶から消し去って。明日からはまた普通に暮らすの。そうでないと私はあなたを、」
「き、きみはいったい」
僕は、かすれかすれの声を出す。
「あなたの想像通りのモノ、よ」
静葉は目を細める。薄刃のような微笑をした。
先ほどの出来事が、僕の脳裏に鮮やかに蘇った。彼女がなんなのかを、僕は今はっきりと認識した。
全身に冷たい汗が噴き出し始める。
身体の小刻みな震えが止まらない。
でも。
僕は思う。
今しかないんだと思う。
今言わないと、もう永久に彼女に伝えるチャンスはない。
念じながら歯を食いしばる。
休み時間に独りで本を読んでいる、彼女の端整な横顔が浮かんだ。
廊下を下校してゆくときの、綺麗で素敵な髪のそよぎが浮かんだ。
僕の心に力がこもった。
湧き出す汗と震えが止まる。
彼女をしっかと見つめ返す。
「君が転校してきてから」
僕は一言一言ゆっくりと、眼前の彼女に向かって話し始めた。
「すぐに君のことで頭がいっぱいになったんだ。いつも君のことを見て、毎日君のことを考えてすごした」
僕の目の前に、泰然とした静葉のまなこがある。
漆黒に、僕は言葉を流し込んでゆく。
「ここで君と別れて全て忘れて。普通に暮らして学校に行って。勉強して部活して。なんてことないおしゃべりで喜んで怒って泣いて笑って。そういうのがあたりまえで普通で。まともでちゃんとしたことだってわかってる。でもっ、」
僕の瞳が、恐怖じゃなくて沸き起こってくる衝動で震えた。
「僕はっ、僕はっ、」
目が潤む。
顔がしわくちゃになってゆく。
喉が焼けつく感覚を覚える。
静葉は、湛える様な瞳を注いでくれている。
「血を吸われた男が、うらやましかったんだっ」
僕は、泣き濡れた言葉を叫び放った。
「今の僕は冷静じゃないよっ。ずっと君のことばかり考えていたっ。おかしくなっているのかもしれないっ。でも僕はっ。僕はっ、」
僕は、静葉の膝に顔を埋めた。ぼろぼろと、みっともなく涙をこぼした。
ふわっとした感触が、顔にあたった。
静葉の手だった。
静葉が、優しく僕の顔を持ち上げてくれる。
静葉の顔が、その息の匂いを感じられるくらいそばにくる。
静葉が、風のように僕にささやいてくる。
「私は今まで、数え切れないほどのサーヴァントを作ってきた。あなたがいる間は、私はあなたを愛する。私を支えてくれるモノとして。私が心を分けたモノとして。でも、」
静葉が、表情を曇らす。
「もしあなたが死んだら、何事もなかったように新しい相手を作る。あなたのことはきっと忘れる。そのときには、もはやあなたがこの世界に存在した証はなにもない。それでも、いいの」
静葉は、じっと見つめてくる。いろんな感情を、底がなくなる程蓄えてきたんだって思える。眼は、吸い込まれそうなほど深い。
僕は、ただ一回、はっきりとうなずいた。
静葉が、ゆっくりと、僕の首に腕を絡めてくる。
静葉の柔らかい感触と匂いに包まれる。息が、僕の首筋をくすぐる。
背筋に冷たいものが走る。心臓がドクドクと激しく脈打っている。僕の顔は火照りで焼けそうだ。
彼女の唇と牙の先端が皮膚に触れた。全身が総毛立つ。突き刺す感触が走る。めりめりと肉にめりこんでくる。僕は、目尻から雫を流し落とす。嬉しさと快感に、とろけるあえぎを漏らした。
「どうかしら」
静葉の目が、優しい。ほほが綺麗な薄紅色に染まっている。僕も、静葉をいとおしく見つめている。
「自分で、自由になれるはずよ」
静葉の抑揚は、とても温かい。確かに彼女の言葉どおりだ。今の僕の中には、彼女の力が宿っていると感じる。
僕は、縛られている後ろ手にぐっと力を込める。
荒縄は、あっけなくちぎれる。
と、建物の扉付近から、男たちの声が聞こえてきた。
「メールでナシあったの、ここか?」
「おいおい。トウヤたち、やられちまってるぜ」
「ふん。ざまぁねぇ。いつも偉そうに踏ん反り返ってるからだ」
「つっても、オンナはゲキマブ」
「コブのほう、どうするよ」
下品な高笑いが室内に反響する。僕の身体にも響いて、血がたぎってゆく。
僕は立ち上がって、静葉と見つめ合う。互いに目を鋭利に細めながら、口端を釣り上げる。二人して、獣の笑みを浮かべる。
僕と静葉は、彼らに向き直る。
僕は今、彼女と共に歩き出したのを実感した。
〔ツリー構成〕
【1106】 月白、掌編根っこ 2004/9/30(木)23:13 月白 (50) |
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┣【1115】 早瀬と雪 2004/10/3(日)17:37 月白 (4266) |
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┣【1176】 「僕は、君と闇の中へ歩き出す」、指示語禁止、接続詞禁止 2004/12/20(月)00:42 月白 (10094) |
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