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1212 3/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.17(28000文字)
2005/3/20(日)17:01 - 名無し君2号 - 6227 hit(s)

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 ろり魔女(仮)No.17(28000文字)

 ほこりが白く舞っていた。
「ミューさま!」
 這いながらアシュは叫んだ。四つんばいになった手足に、さっきまで壁や天井だった石塊《いしくれ》がごつごつと当たる。
 もういちど師の名を呼んだ。ほこりを吸い、咳きこんでしまう。
 ――あの魔人だった!
 涙目になりながら、アシュは思い返す。
 銀髪の魔人。元魔王を裏切り、ミューとアシュごと、凄まじい力で始末しようとした男。
 名はゾフィル。ミューが名を覚えた……敵と認めた相手。
 うっすらとしか見通せないアシュの視界のなかを、ふっと影がかすめた。
 反射的にアシュは銀の剣を構える。
「ミューさま……?」
 影は低く笑った。甘い、心をざわめかせる響きが耳をくすぐる。
 誘惑を振り払うように、アシュは剣を薙《な》いだ。銀の刃をきらめかせる。
「うがっ」
 たしかな剣先の感触とともに、聞き覚えのあるうめき声があがった。
 やたらと重々しい、この声は……。
「元魔王さん!」
「しょ、少年か? 痛い、痛いぞ!」
 ぼんやりと、ゾーククラフトの皺だらけの顔が見えた。あわてて剣を引き抜く。またもや、うぐっと声があがった。
「す、すみま」
「どけ、アシュ!」
 口を閉じてアシュは後ろに跳んだ。
 ほこりを巻きあげながら、目の前を風が通りすぎてゆく。立て続けに烈風が巻きおこり、石ぼこりを吹き飛ばしていった。
 ようやく視界が晴れる。四方の壁はみごとに吹き飛んでいた。
 ああ、とアシュは声をあげる。
「ミューさまぁ」
 思いきりミューは足を蹴りあげていた。
 太ももの裏が鮮やかに白い。ぐびりと喉を鳴らしたアシュを叱るように、強い勢いで足をおろした。足元の瓦礫が細かく砕ける。
 その手に、銀の杖は握られてなかった。
 指先から赤い液体がしたたっている。ミューはぺろりと血を舐め、笑った。鋭く尖る八重歯をわずかに唇から覗かせて、右横――アシュの前方にあたる――を睨みつける。
 アシュはその視線をなぞった。
 息をのむ。
 かつて杖の収められていた台座、いまはひび割れ、なかば砕けていた石に、銀髪の魔人が腰かけていた。
 黒い袖に覆われた腕の先に――杖はあった。
 細い銀の杖を、まるでもてあそぶように指先でしゅるしゅると回している。
 杖から立ちのぼる紫色の魔力の光が、魔人の服に貼りつけられた金属の鱗に、きらきらと反射していた。
 右には、さっきアシュに蠱惑の笑みを聞かせた女の魔人が寄りそっている。
 肉感的な体を、蔓《つる》が這いまわっていた。節くれだった緑の線は、シリナの体から伸び、頭上で寄りあわさっている。
 ゾーククラフトにぐるぐると巻きついていた。
「ええい、離せ、離さぬか!」
 もがきたてるも、植物の縄はびくともしない。
 ゾフィルの左には、針金のような体全身に包帯を巻いた魔人、ジャンダルと、岩石を削って人のかたちにしたような魔人、タウロンが控えている。
「へ……魔人ご一行の勢揃いってわけだ」
 ゆっくりとした動きで、ミューはアシュの右に並んだ。
「でも、どうして……聖王都は、結界で守られているはずなのに」
「結界自体がなくなっておったからの」
 声は後ろからした。
 大剣を抜き払ったアーレスの横に、老人が立っている。
「さっきおぬしも見たろう。聖杖の魔力が、ほれ、魔女のお嬢ちゃんが首からさげた、魔王の封具に吸いこまれたのを。聖王都の結界はの、杖に封じた魔王の魔力を利用して張っておったのだよ。魔力が薄れてしまえば、当然ながら結界はもたん。そうなれば、魔人も侵入し放題なわけだ」
 じろりとミューがアシュの後ろを睨みつける。
「なんで魔王の魔力を、タコの迷宮から動かしたんだよ」
「限りある資源は、有効利用せねばの」
 けっ、と吐き捨てる。
「どうせ聖王とやらにゴマするために使ったんだろ。魔法の腕は上達しないで、政治ばっかりがお上手だな? そういうところがだいっ嫌いなんだ!」
「私たちが、お前さんら魔道士から嫌われているのは承知しておるよ。それでも我らは、こういう生き方しかできんのだ」
「きさまが師長になにかいえた義理か!」
 青い気をまとった大剣を振りかざしながら、アーレスが怒鳴った。
「だいたいにしてだな、魔女ミュー! きさま、魔法を使うにしても、時と場合というものを少しは考えろ。あやうくこっちまで巻きぞえを食らうところだったぞ!」
 ふと、やわらいだ視線でアシュを見つめた。
「それにしても……少年、よく無事だったな。あれだけの至近距離にいて、傷ひとつないとは」
「あ、はい。それは――」
 低い笑い声が聞こえた。
 ゾフィルが杖を眺め、目を細めている。冷たく、しかし奥底に熱さを秘めた笑いをあげていた。
「ミュ・シャ。きみには感謝をしてもしきれないな……」
 笑い声はさらに高まった。ゾフィルは身を縮め、背中を激しく震わしている。
 たまらない、といった様子で、高笑いをあげながら身を起こした。
「我らの封を解き、ゾークを倒す機会をくれ、さらにはやつの魔力までこの手にさせてくれた。はっは、これほどまでに尽くしてくれるとは、まったく」
 ミューは返事をしない。
 不審に思って見たとたん、アシュの背中を冷たいものが虫のように這い回った。
 その横顔には、なんの感情も浮かんではいない。
 ただ、ひどく冷たい瞳でゾフィルを眺めているだけだった。
「言いたいことはそれだけか……?」
「そんな顔をするなよ、ミュ・シャ。きみの願いを叶えてやろうというのだぞ」
「願いィ?」
 台座からゾフィルは降りた。音もたてない。
「ふふ……呪いを解いて欲しいのだろう。己の師にかけられた、子供になるという呪いを。ゾークの魔力を手に入れたいまの私ならば、簡単なことだ」
 ――あ。たぶん、のるな。
 いつものミューなら、間違いなく受ける話だった。となれば、必然的に後ろにいるアーレスたちを裏切ることとなる。
 胃に重いものを感じながら、アシュはミューの様子を確かめた。
 笑っていた。
 くっくくっくと肩を震わし、さらには大口を開けて、ミューは笑いだした。目尻には涙まで浮かべている。
「……なにがおかしい、ミュ・シャ」
「けっ、くだらないことばかり抜かすからだよ。答えは……これだぁ!」
 伸ばした指先から、赤い光線が走る。
 当たる寸前で四散した。ゾフィルは聖杖を構えている。杖を中心として、円形の結界が張られていた。
 魔人の顔から、笑みが消えている。
「なにを考えている、ミュ・シャ? わかっているのだぞ。いまのきみには、魔力がほとんど残っていないことを。どうやら強力な魔法を連発したらしいな? 万全であっても我らからは逃げることしかできなかったではないか。いまの状態で、どうやって四人の魔人相手に勝つつもりなんだ」
 にたり、とミューは笑った。
「楽勝だよ、バーカ」
 嘲りに、ゾフィル以外の魔人がいっせいにこちらに向かって歩を進めた。アシュはミューの前に立ち、剣を構える。
 同時に後ろから声が飛んできた。
「いまじゃ、アレスティルァルファ!」
 いつの間にか、タウロンは遠く離れていた。
 腕を伸ばしている――ミューに向けて。
「封!」
 白い光がミューに当たった。彼女の全身を包みこむ。
 光は急激に縮まった。ミューの胸元へと集まる。魔王を封じた首飾りに集まった光は、星となって弾けた。
 きら星となって、まわりに降りそそいだ。
 やがて、星は渦を巻き始める。
 流星の渦は半球状となって、四人の魔人と捕まっているゾーククラフト、それにミュー、アシュを包みこんだ。
「よし、成功した! これで魔人どもはこの場より動けん! いまのうちに……」
 あんぐりとタウロンは口を開けた。
「お、おぬし」
 大剣を手にさげた、金髪の騎士の姿があった。凛とした表情をしている。
 彼女、アーレスは、星の結界のなかにいた。
「申し訳ありません、タウロン聖導師長」
 剣を横に振った。青白い光が軌跡を残す。
「ですが、せっかく魔人どもがこの剣の届くところまでやってきたのですよ。空にいる相手には手も足もでませんが……地上ならば話はべつだ。おまけに、師長の結界でやつらは逃げられなくなったときている」
「話を聞いておらんかったのか! なぜに古代の魔法使いが魔王を封じたのか。魔力だけなら魔王に互するものがあったのにだ。それは、魔人は魔人でしか倒せんからだぞ!」
 ぽかんと口を開けたままのアシュのとなりに、アーレスが並んだ。
「いくら傷つけても、魔人はすぐに復活するというのでしょう? ならば、復活する気がなくなるまで屠るだけです」
「……バカだな、オバハン」
 心から呆れたといった、ミューの声と顔つきだった。
「魔王の封印を解いたきさまには言われたくない。あとこれだけはいっておくがな、私の名はオバハンなどではなく――」
「じゃあいくぞ、アシュ!」
「きさま、話は最後まで」
「わかってるよ、アレスティルァルファ!」
 大きくアーレスの目は見開かれる。なんどもまばたいてから、魔人たちに向き直った。
 剣を構えながら、ぼそりと言う。
「……アーレスでいい」
 ミューは口の端をにやりとあげた。
「それじゃアーレス。アシュに……あとジジイ! おまえら、ゾフィル以外の魔人はまかせたからな!」
 その言葉に、元魔王を捕らえていた魔人、シリナが噴きだす。
「まかせるって……人間ふたりとおじいちゃんで、どうやって?」
 体に巻きついていた蔓が、さらに締まった。ゾーククラフトがうめく。
 にたにたとミューは笑っていた。
「わかっているんじゃないのか、お前たちもさ」
 シリナが眉をあげる。
「なにをかしら、お嬢ちゃん」
「魔王ゾーククラフト。三大魔王のひとり。かつての戦いでは超武闘派だった魔人。魔法だけじゃなく、肉体を使った戦闘でも最強だった。ようやく思いだしたよ」
「それはね、魔力が健在だったときのこと……うふふ、いまの老いた体じゃあねえ」
「だから私がいるんじゃないかよっ。いくぜ!」
 黒いマントをひるがえし、ミューは両の手のひらを天に突き上げた。
 やたらイガイガした黒い塊が、みっつ宙に浮かぶ。
「ああ……やっぱりこれか」
 深々とアシュはため息をついた。
 とげのついた鉄球をつや消しの黒で塗りつぶしたような塊が、アシュ、アーレス、そしてゾーククラフトへと飛んでいった。
 それぞれの体に吸いこまれる。
「うううー」
「こ、これは!?」
「ぬおっ! うおおっ?」
 ため息をついたままのアシュ、目を見開いたアーレス、ぐるぐる巻きにされ宙に浮かされたままもだえるゾーククラフト、三人の体が、一瞬、影のように黒ずんだ。
 絶叫があがる。
 ゾーククラフトが吠えていた。
「うおおおおお! 熱い、体が熱いぞ!」
 ふんぬ、というかけ声とともに、あっさり蔓をぶち切った。
 呆然としたシリナの前に降り立つ。
「ははは! これはなんだ! 力が湧いてくるぞ!」
 いまにも法衣を筋肉で破りかねない勢いで、ゾーククラフトは体に力をみなぎらせた。ぶるぶるぶると震える。
「なるほど……能力増強か。それなら少ない魔力でも使えるな」
 呟きを洩らしたゾフィルに、魔王は獰猛《どうもう》に尖らせた視線をぶつける。
 一歩、足を踏みだした。
 そこに、横あいから岩石がつっこんでくる。
 体中に石を貼りつけた魔人、コントラだった。瓦礫を巻きあげながら、太い腕でゾーククラフトを押してゆく。地面に蛇ののたくったような跡を残した。
 流星の結界の近くまで来て、ふたりの動きが止まる。
 重々しい笑い声があがった。
 がっちりとふたりは組みあっていた。肩をぶつけあい、互いの両手を組みあって、押しあっていた。体格だけを比べるならば、岩の魔人が魔王よりも大きい。ゾーククラフトもかなりたくましい体つきだが、コントラは優に魔王の三人分はあった。
 それでも、動かない。
 ゾーククラフトの笑い声が高まる。
 ぐっ……。
 一歩。また一歩。
 上から押しこんでいるはずのコントラが、じりじりと押し返されていた。
「ぬはははは……こんなものなのか? お前は我が配下のなかでも、こと肉体の強さにおいては我と互したはずだがな」
 うがごぉ! と声をあげながら、コントラがゾーククラフトの腕を振り払った。棒立ちになった魔王めがけて、文字通り岩の拳《こぶし》をぶつける。
 石に石をぶつけたような、堅い音が響いた。
 殴られ、真横を向いたゾーククラフトの顔が、ゆっくりと正面を向く。唇から血が流れていた。
 赤く染まった口の端を、にたりとあげる。
「つぎは我の番だな」
 打ち返した。岩が砕け、石ぼこりがあがる。
 コントラの腹に腕がめりこんでいた。弱々しいうめき声を洩らしながら、巨大な体が沈んでゆく。
 高らかに笑おうとゾーククラフトは口を開けた。
 まともに岩石がめりこむ。いきなりコントラが伸びあがり、頭突きを食らわせていた。歯と鮮血を散らしながら、ゾーククラフトはふっとんだ。
「あーあ。すぐにあいつは我を忘れやがる」
 左目に眼帯をした魔人が、細い手を自分の頭に持っていった。毛ひとつない頭を、つるりとなでる。その腕にはぼろぼろの包帯が巻かれていた。
「どっちにしたところで、相手は魔力がねえんだ。わざわざつきあわなくてもよ、魔法を使えばイチコロじゃねえか」
 針金のような指先を、一発ずつ殴りあいを繰り返しているふたりへと向けた。
 よろめいたゾーククラフトに、狙いが定まる。
「――待て」
 いまにも魔法を放とうとしたジャンダルの前に、騎士が立ちふさがった。
 短く切りこまれた金色の髪。油断なく構えた大剣。
 アーレスは、残った三人の魔人を順番に眺める。
「きさまらにひとつ訊きたいことがある」
 ジャンダルとシリナはにやにやと笑い、ゾフィルは遠くを見つめと、だれも答えるものはいなかった。
「毒を使ったのはいったいだれだ」
「ほら、訊いてるわよ、ジャンダル」
 シリナの流し目を受けて、包帯を巻いた魔人が、下品な笑い声をあげた。
「毒使いといえば、このおれさま、黄華のジャンダルがそうだが――」
 最後まで話せなかった。
 打撃音とともに、姿がかき消える。あとにはアーレスのすね当てつきのブーツが、蹴りあげた体勢で残っていた。
 アーレスも消える。地面にほこりが舞った。
 後ろにいたアシュと、ゾフィルだけが顔を見あげていた。シリナは口を丸く開け、まばたきするばかりだった。
 ――速い!
 ジャンダルは高々と蹴りあげられていた。針金の体をぐきぐきと丸め、半球状の結界すれすれまで上がる。
 落下した。そこに、アーレスが跳んできて、剣を振りかぶった。
 腕と剣とが消失する。
 ……三、四。
 そこまでしかアシュは数えられなかった。
 魔人の体は四散していた。切り離された肉体のすきまに、剣から生じた青い光が跡を残す。アーレスは六度の斬撃を繰りだしていた。
 切り離された首が浮かぶ。まだにやけた顔をしていた。
 横にした剣で、アーレスは地面目がけて首を叩き落とす。目の前に生首を落とされて、シリナは悲鳴をあげた。
 その悲鳴が終わらぬまに、さらにアーレスが降りてくる。
 実の熟した果実を、思いきり叩いて潰したような音があがった。
「毒を使うなど、そのような卑劣な手段、許せぬ」
 ぎり、と噛みしめた歯を、うすく開いた唇から覗かせた。騎士のブーツが、ドス黒い血で染まっている。
 少し離れた場所に、黒い塊が、液体とともに降ってきた。
 瓦礫にぶちまけられる。
「ひいいいいい」
 わきわきとシリナは指先を動かした。
 針のように目を細めたアーレスに見つめられ、イヤイヤと手を振った。
「わ、私は……そう、きみ! そこのきみ! きみが相手して、お願い!」
 涙目になって、アシュに向かって手を伸ばした。
「……少年。いかに魔人とはいえ、女は女。やりづらかろう? なんなら、こいつも私が片づけようか」
「やめてよしてたすけて! 男の子でしょ、女性を助けようとは思わないの!」
「助けるって……ぼくと戦うんですよね」
「この鬼とやるよりはまだきみのほうがマシよぉー!」
「……鬼か」
「ひいいいいい」
 おもむろに白い大剣を持ちあげたアーレスの腕が、がくんと止まる。
 包帯が巻きついていた。
 ぼろぼろの布は、肉片のぶちまけられた血だまりから伸びていた。黒い血まみれの腕を、おなじく血まみれの坊主頭が持ちあげている。しゅわしゅわと泡だっていた。
 きひひ、と笑う。
「いくら頑張ったところでよ、魔人はニンゲンにゃあ敵わねえのよ」
「そうか……何度でもきさまらは復活するのだったな」
 ぶつん。
 あっさりとアーレスは包帯を引きちぎっていた。
「ならば、二度と復活する気がなくなるよう、徹底的に殺らせてもらうまで」
 軽く首を傾げながら魔人を見おろし、唇を歪めた。
「覚悟はできたか? できなくてもやるがな」
 鬼の笑みがあらわれた。
 きひ、ひ? とジャンダルの笑いから力が失せる。
 ――悲鳴があがった。
 この世のものとも思えない叫びに、アシュは身を縮こませる。片目を開けると、おなじくシリナも小さくなっていた。
 目と目があう。
「な、なんなのよ、いったい! ニンゲンの力を超えてるわ!」
 あ、と口元に手を当てた。
「あれね、あの変な黒いイガイガ! あの子はなにをしたの?」
「いわゆる強化魔法です。ミューさま特製、超強力なやつですけど」
 苦々しい顔つきでアシュは言った。
「どうしてそんな嫌そうなの」
「強力なぶん、後遺症が……とんでもないんです」
「と、とんでもないの?」
「はい。体中がもう、がったがたで。しばらくは寝たきりに」
 シリナは波うつ紫の髪をかきあげた。眉と唇が一文字の、同情的な顔が覗く。
「きみも、師には恵まれないのね……」
「悪かったな、恵んでなくて」
 いつのまに来たのか、となりにミューが立っていた。
 まっすぐに前を見つめている。視線の先には、銀髪の魔人――ゾフィルがいた。そのとなりでは、アシュとおなじように、シリナがおろおろとミューたちを眺めていた。
 また目があう。
「……」
「……」
「あの、やりますか、ぼくらはぼくらで」
「そ、そうね。じゃあ、えーと、頑張ってね、ゾフィル」
 すたすたとふたりで離れた。
 残されたミューとゾフィルは、互いに見あったまま、身じろぎひとつしない。
 くぐもった音が洩れる。
 ゾフィルが低い声で笑っていた。すらりと伸びた腕の先で、銀の杖をもてあそびだす。
「きみには、少々親近感を抱いていたのだがな」
 わずかにミューは目を細める。返事はしなかった。
「互いにおろかな師を持つ……ゾーククラフト、あれは力しか見えぬ男だよ。一介の魔法使いだったときからそうだ。ただ力を追い求め、そのためだけに己のみならず、我ら弟子をも犠牲にした」
 やわらかな微笑みを見せた。
「ミュ・シャ。きみの師はどうなんだ? どうせ大した理由もなしに、そのような呪いをかけたんだろう? だから」
「ごちゃごちゃうるさいなぁ」
 ゾフィルから表情が消える。
「……なに」
「泣き言なんかアシュでじゅーぶん間にあってんだ。くだんね。さっさと来いよ」
 ふ。
 ふふ。
 魔人が肩を震わした。震えはだんだん大きくなり、やがて哄笑へと変わる。冷たく整った顔に、狂気をにじませていた。
「ならば終わりにするとしよう、ミュ・シャ。きみの求めた、魔王の力でな……」
 銀の杖から紫色の光が立ちのぼる。煙のような光はゾフィルの腕から肩、そして体全体へと包みこんでいった。
 同時に、魔人の魔力は高まってゆく。
 遠巻きにしていたアシュの肌をも、ちりちりと刺した。魔法に転じていないというのに、すでに体に直接感じられるほどの力――
「いけない!」
 ミューに向かって駆けだす。
「そうはいかないわ」
 緑の鞭がアシュの視界を覆った。シリナの手から、いく束もの蔓《つる》が伸びている。とげが生えていた。
 アシュは剣を一閃させる。
 すべて断ち切り、豊かな体を持つ魔人へと踏みこんだ。銀剣を横に薙ぐ。
 きゃ。
 やたら色気のある悲鳴があがった。胸元が、服一枚だけ切り裂かれ、豊かな谷間をあらわにしている。もっとも、体にぴったりした彼女の服は、すでにところどころが破れ、褐色の肌を覗かせていたのだが。おそらくはわざと。
「忘れていたわ……きみにも、魔女の特製超強化魔法はかかっていたのね」
 胸元をシリナは腕で押さえた。意味ありげに片目をつぶる。
「それに、男の子だってことも」
 アシュは頬を強ばらせる。
 ――肉欲。
 ぶるぶると顔を横に振って、邪念を払った。
「隙ありィ!」
 シリナの腕に巻きついていた蔓が、ぽんぽんぽんと花を咲かせた。毒々しい極彩色の花びらの奥から、甘い匂いが漂ってくる。
 濃厚な香りがアシュの鼻で渦を巻いた。
 手の甲を口元に寄せ、シリナが高笑いをあげる。
「どうかしら、私の花は? これできみは、身も心も私の虜《とりこ》と……」
 艶やかな唇が、開いたまま固まる。
 銀の剣を喉元に突きたてられていた。
「なんで、どうして」
 平気な顔でアシュは細剣を伸ばしていた。鼻をこする。
「ひどく効きにくいらしいんですよね……ぼくには魔法が」
 は、と唇のかたちが変わった。
「なにやら特異体質らしいんですが。おかげで、ミューさまといっしょでもどうにか死なずにすんでいます」
「そんな体質、聞いたことないわ!」
 叫びをあげる魔人にはかまわず、アシュは視線を横に向けた。
「ミューさ……」
 瞳の焦点がぎゅっと縮まった。
 ゾフィルの体が白い冷気に包みこまれている。ミューとアシュとゾーククラフトを、亡きものにしかけた魔法。あのときは、間一髪、塔の力で逃れることができた。いまはもちろん、塔の脱出装置は使えない。
 なのに、魔人を前にしたミューは平然としていた。
 膝丈まで伸びた黒いマントのなかに両手を隠したまま、まったく怖れたところがない。笑みすら浮かべて、ゾフィルの魔法が完成するのを眺めていた。
「ミューさまぁ!」
 張りあげた声に、ミューはアシュを見やった。唇の端をにんまりとあげる。
 そのまま、雪崩《なだ》れのような冷気にのみこまれた。
 一緒にアシュの心までが凍りつく。
 喉を振りしぼり、師の名前を叫ぼうとした――その瞬間。
 冷気がかき消えた。
 なかから、ミューの小さな体があらわれる。マントも、裾からちらと覗いた黒いワンピースも、あらわになっている太ももや、顔や、後ろで留めた赤い髪も、すべてが無事だった。凍るどころか、むしろ肌の血色はよいぐらいだ。
 アシュは口を開けたまま、何度もまばたきをする。
 それは、攻撃をしかけたゾフィルもおなじだった。信じられないものを前にしたかのように、切れ長の目を見張っている。
 すぐさま左手を伸ばした。
 手のひらから、鋭く尖った氷の塊が飛びだす。空中にぎざぎざを描きながら、ミューへと襲いかかった。
 砕けた。
 ミューの体に触れる寸前で粉々となり、空気をきらめかせる。こんどこそゾフィルはミューを凝視した。
「……ミュ・シャ。いったいなにをしたんだ」
 にたにたと少女は笑みを浮かべるばかりだった。
「答えろ! ミュ・シャ!」
 感情を高ぶらせたゾフィルに対して、ミューは黒いマントから両手を出し、肩の高さまで手のひらを持ちあげる。やれやれ、と身振りで示した。
「べつにめずらしいことでもないだろ。てめえの魔法を無効化《レジスト》しただけだよ」
「ふざけたことを……私の魔法に、ゾークの魔力が乗ったのだぞ。そうそう簡単に無効化などできるわけが」
「できるんだなあ、それが」
 にゃはは、と笑った。
 ゾフィルの体から、氷の塊でできた龍があらわれた。鋭い牙を剥きだしにして、ミューに噛みついていった。
 結果はおなじだった。
 傷ひとつつけられぬままに、砕ける。
「なんどやったって無駄さ」
「なぜだ。ミュ・シャ、きみにはほとんど魔力は残っておらず、また技量とて私のほうが上なはず! こんなことがあるはずがない」
「たしかに上だろーなぁ。お前が封じられた時代なら、なぁ」
 白いゾフィルの顔から、さらに色が失われた。
「そうだよ……お前が封じられてから、どれほどの時が流れたと思う? 魔道の力だけを追い求めた魔法使いが、どれほどの研鑽《けんさん》を積んだと思う? ゾフィル。お前の魔法は時代遅れなんだよ。もう三世代ほどは時代遅れ。そんなもん、このミューさまに通用するか!」
 ここぞとばかりに高笑いをあげた。にゃははははは、と反り返る。
「さすが、ミューさま」
「ゾフィルぅ!」
 剣を突きつけられたまま、シリナはくねくねと身をよじる。
 銀の杖をだらりとさげ、ゾフィルは目を閉じていた。まぶたを開けたとき、瞳は凍りつくような輝きを取り戻していた。
「たとえそのとおりだったとしても……私がきみを倒せないのだとしても、きみも私を倒すことはできないだろう。私が魔人だということもある。きみの魔力が尽きかけているということもある。どうするつもりなんだ、ミュ・シャよ」
「べつに……待ってりゃいいこともあるだろーさ」
 ここでミューは振り向いた。
「なあ、じいさん」
 視線は星の結界の外、タウロンに当たる。
「わからないか、ゾフィル。あのじいさんは、ゾーククラフトを封じた魔法使いの子孫だ。つまり……お前たちを封印する術法を持っているということだ。なんの考えもなく結界を張って、ただお前たちの身動きをとれなくしただけだと思ったのか? 私たちはただ、時間をかせげばよかったのさ。ほら……そろそろかな」
 タウロンは白い髭のなかで、黙って笑みを浮かべた。
「なるほど……ならばしかたがないな。私たちも、また封じられるわけにはいかない。いまだゾークに復讐を果たしていないのだから」
「――うん。そこだ。お前ら、あのジジイになにされたんだよ?」
 静かにゾフィルは笑う。
「魔人になど……全員がなりたいわけではないのさ」
 うん? とミューは首を傾げた。
「さらばだ、ミュ・シャ」
 すでにゾフィルは飛びこんでいる。ミューの小さな体とおなじ高さにまで、その長身を屈めていた。
 ミューの体が浮きあがる。
「魔法が通じないのなら――これでどうだい」
 小さな背から、銀色の杖が飛びだしていた。
 そのまま高々と持ちあげられる。人形のようにミューの手足はばらばらで動いていた。逆に顔には動きがない。
 すべてをアシュは見ていた。やたらとゆっくりした映像だった。
 ミューとゾフィルのあいだから、赤い血がしたたり落ちる。丸い粒が瓦礫に落ちて弾けるのを、アシュの目は捕らえていた。
 一緒にアシュも弾ける。
「うあああああああ」
 吠えているのが自分だと、ようやくアシュが気づいたときには、すでに体の自由を奪われていた。蔓《つる》がきつく巻きついている。
「いかさないわよ」
 声は遠く聞こえた。
 ――いかさない?
 ミューの元にいかさないというのか。だれが? ぼくを、どうやって?
 体からあふれるばかりの怒りに、アシュは身をゆだねた。いましめを簡単に引きちぎる。さらになにかおこなおうとした魔人を斬った。
 悲鳴をあとに、銀髪の魔人へと駆ける。
 ゾフィル、と自分が叫んだような気がした。
 構えた剣から、魔力が輝く炎となって噴きだしている。
 そのまま叩きつけた。
 かわされる。体を狙った斬撃は、身を引いた魔人の片腕だけを断ち切った。振りおろした剣を跳ねあげる。それも魔人の胸元をかすめただけだった。
「ミューさま!」
 宙から落ちるミューを抱きとめた。マントからは、魔人の手つきの銀の杖が覗いている。黒いワンピースに包まれたおなかに、しっかりと突き刺さっていた。
 力なくまぶたを閉じている。呼吸がどんどん弱々しくなっていった。
「しっかり、しっかりしてください、ミューさま、ミューさまぁ」
 語尾が震える。鼻の奥がつんとした。
 遠く、だれかが声を張りあげている。
「私の腕を……きさま」
 ミューをこんな目にあわせた男のたわごと。
 奥歯を噛みしめ、アシュは相手を睨みつけた。
 銀髪の魔人は、なくなった右腕の先を見つめていた。切断された部分からは、白い冷気が漏れている。
 魔人の顔がゆがんだ。
「なんだ……再生しない。まさか、魂ごと? そんなことができるのは……」
 アシュを見つめる瞳には、わずかな怯えが混じっていた。
「お前は、私とおなじ、魔――」
『ミュ・シャ! ミュ・シャ! ミュ・シャ! マジ最高っす!』
 呆気にとられたアシュとゾフィルの前で、火の玉たちがかけ声をあげている。ぐるぐるとそこら中を列になって飛び回り、アシュへと向かってきた。
 いつのまにか、アシュの目の前には細い腕が伸ばされていた。
 その腕に、炎たちが螺旋を描いて絡みつく。
「ミュ・シャ、お前は……!」
 喜びの声をあげるアシュの腕のなかで、ミューが身を起こし、手を伸ばしていた。血で濡れ光る唇を、笑みのかたちに曲げている。
 唇を開いた。上唇と下唇で、血が糸を引く。
「五、四、三、二、一」
 最後の言葉を、アシュは一緒に叫ぶ。
「発射ァ!」
 視界が白くくらんだ。
 極太の光が、魔人をのみこむ。
 かすかに人影を残して、光は伸びていった。流星の結界に当たり、半球状に炎を広がらせる。結界のそばにいたゾーククラフトとコントラを燃やした。執拗に黒い血だまりに剣を突きたてていたアーレスは、身をひるがえし、結界の中央へと跳ぶ。じゅう、と音をたてて、血だまりは蒸発した。
 悲痛な叫びがあがる。
 光のなかに、シリナの豊満な影が浮かびあがっていた。ゾフィルが立っていた場所を見つめて、何度も何度も声をあげていた。
 やがて炎も下火となる。
 瓦礫にちらちらと火を残して、消えた。
「へ……やったな」
 アシュの腕のなかで、ミューがかすれた声を洩らした。
「ミューさま、大丈夫ですか!」
「大丈夫なわけ、ないだ……ろ……っと」
 うめきながら腹に刺さった杖を引き抜こうとする。まだついていた魔人の手をはがす。
「む、無理をしては」
 おろおろするばかりのアシュをしり目に、ミューは銀の杖を抜き取った。びゅ、と血が噴きだす。アシュは手で押さえた。鼓動が伝わる。
「よし……これで」
『ミュ・シャ……』
 ぼんやりと白いもやが浮かびあがっていた。
 人のかたちを成そうするが、うまくできないでいる。
「ゾフィル?」
 シリナが濡れた声をあげた。
『最初から……狙って……いた……のか』
 ゆっくりと、銀髪の魔人の顔をつくる。すぐに崩れた。
「あったりまえだろ。こっちの狙いは最初っからこの杖だったけどさ、素直に渡しちゃあくれないじゃんか。とりあえず肉弾戦に持ちこむのが狙いだったんだけど」
 腹を押さえ、顔をしかめた。
「まさかぶっ刺してくるとは思わなかったけどな」
『魔法が通じないと……我らを封じる手段があると……そう思わせた』
「そう。どっちもハッタリだった」
「えええ! だって、たしかに無効化《レジスト》してたじゃないですか。それに聖導師さんだって」
 かえってアシュのほうが驚いていた。
「無効化《レジスト》はできるよ。ただし一種類だけなー。さすがの私でも、氷やら大地やら毒やら植物やら、四人の魔人にいっぺんに襲われたら、どうにもならなかった」
 はあ、としか言えなかった。
「聖導師は……なかなかいい演技だったろ、あのじいさんも」
 ゆっくりと振り向く。
 遠く、結界の向こうで、タウロンはほっほっほと笑っていた。
「たいしたタマですよ……どっちも」
 アーレスが剣を振るう。白い刃を濡らしていた黒い血が払われ、地面を汚した。
 ――すごいや、みんな。
 もやがうごめく。
『どうするのだ……いかにお前といえど、ゾークの力は……使いこなせまい』
「それはお前もおなじだっただろ、ゾフィル」
 白いもやが、笑みを浮かべたように見えた。
『だから……私の提案を蹴ったのか』
 ミューの呪いを解くというゾフィルの申し出のことだと、アシュは気づいた。
「まあな。お前じゃ私の呪いは解けないってわかっていたし」
『ならば、ゾークの魔力は……そやつに使わせるのか』
 もやが腕らしきものを伸ばした。手はなかった。
 ぼ、ぼくですか、とアシュは自分を指さす。
「なんか勘違いしてないか、ゾフィル。こいつはロクな魔法を使えない、おちこぼれな上になまけものな弟子だぞ」
「す、すみません」
 頭をさげたアシュの腕から、ミューは立ちあがる。
 ぽんぽんと杖を手のひらで跳ねさせた。
「魔王の魔力は、本人に使っていただこう」
『いかん! 止めろ、お前たち!』
 いきなりゾフィルが実体化した。しかしすぐにほどけて、白いもやを散らす。
 シリナは呆然と立っている。
 コントラは黒こげていた。
 ジャンダルは……。
「殺せー、いっそ殺してくれぇー」
 血だまりからうめきまじりの声をあげていた。
 四人の魔人の前を、うなりをあげて杖が飛んでゆく。槍投げをするかのように、ミューは銀の杖をぶん投げていた。
 思いきり突き刺さる。
 ゾーククラフトの、後頭部に。
 両手両足をぴん、と突っ張らせたまま、魔王は動かなくなった。
「ああん! ちゃんと受け取れよぉ、ジジイ!」
 ミューは手をじたばたと上下させる。
「いくらなんでも、ミューさま」
 こげたままのコントラが、ゾーククラフトを殴りつける。自分の体にひびが入っているというのに、両腕を振るうのを止めようとはしなかった。
『シリナ……コントラに手を貸すんだ……早く!』
 ようやく顔だけを再生させたゾフィルが怒鳴った。
 我に返ったシリナは、とげつきの蔓《つる》で作った鞭で、動かないゾーククラフトを打つ。地面の染みとなったジャンダルは、まだうめいていた。
「殺せぇぇぇ」
 えい、とアーレスが剣を刺す。黙った。
「このままじゃあ、ミューさま! 元魔王さんを助けないと!」
「べつにいらないよ……あとアシュ、元は抜いてやれ」
「え」
「ジジイは魔王に戻る」
 ふっ……と紫の光が差した。
 杖を頭に突き刺したままのゾーククラフトが輝いている。魔人たちは攻撃を強めた。ゾーククラフトの体を茨《いばら》が包みこみ、さらに地面が割れ、のみこみ、潰した。
 光が地面のすきまから漏れる。
 笑い声も洩れる。重々しいものだった。
 紫の光が強くなるに従って、声はどんどんと若くなっていった。
「ぬははははは……はーっはっはっは! 復活、完全復活だ! 我はついにすべてをこの手に取り戻したぞ!」
 地面が砕け散った。
 ほこりを巻きあげながらあらわれたのは――黒髪の男。
 なおも攻撃を繰りだそうとしていたコントラに向かって、腕を伸ばす。
 指を弾いた。
 とたんに岩の体は、頭から砂へと変わってゆく。さらさらと散った。逃げだそうとしたシリナの背に向けても、指を弾く。
 彼女は極彩色の粉となった。悲鳴が長く尾を引く。
『ゾーク……クラフト』
 ゾフィルの声に、黒髪の男が振り返った。
 たしかにゾーククラフトだった。しかし髪も髭も、黒く、艶があった。顔には皺ひとつない。傲慢さに満ちた笑みを浮かべていた。
 おでこからは、銀の杖先が突きでている。
「ゾフィルよ……お前にはさんざん世話になったな」
 一歩一歩、どっしりした動きで近づいてゆく。途中、地面の黒い染みに向けても指を弾いた。黒い霧が舞いあがる。あわててアーレスは退いた。
 白いもやの前に、魔王が立つ。
 ゾフィルは上半身だけ再生を果たしていた。
 吠えながら飛びつく。いまだ右手は復活させられないままだった。
「ゾーク!」
「さらばだ。永久《とこしえ》に、な」
 指を弾く。
 銀髪の魔人は崩れた。人型にきらめき、やがて、消えさった。
 静かだった。小鳥の鳴く声が、どこからか聞こえる。
 小石がこすれる音があがった。ゾーククラフトが、ミューとアシュに向き直っている。
「さて……魔女に少年。お前たちにも世話になったな。じつに。たっぷり。とことんと」
「いえ、それほどでも」
 あはは、とアシュは乾いた笑い声をあげる。
 ゾーククラフトも笑った。老人のときより、やや明るい声だった。
「遠慮するでない。さんざんコケにし、灰になるまで燃やし、武器がわりに飛ばし、あげくにこれだ。いくらお礼をしても、したりぬわ」
 おでこから出た杖を指さした。
「で、どうしてくれるんだ」
 ミューは腰に手を当てた。マントの前が開き、血でさらに黒ずんだワンピースが覗く。
「決まっておろう? 魔王を嘲《あざける》るものには、死、あるのみ」
 腕を伸ばした。
 指と指とを重ねあわせる。
「――ぬ?」
 がくん、と魔王の体が沈んだ。腕をあげようとして、ぶるぶると震える。
「これは、なんとしたこと」
「わかってないなぁ。お前の封印はここにあるんだよ」
 にひひ、と笑いながら、ミューは胸元から首飾りを取りだした。銀色に鈍く光っている。それを見て、ゾーククラフトは目を剥いた。
「また封印されたくなきゃ、約束を守れ!」
「や、約束?」
「忘れたとは言わせねーぞぅ。私の呪いを解くんだよ! ついでに金目のものをくれるというなら、それもやぶさかではない」
 にゃはははは、と笑った。
「さもないと……これだ」
 首飾りが、銀の光を放った。
「ま、待て! わかった」
 ぐぬぬぬぬ、と声を洩らす。うつむき、顔をあげる。杖もぶんぶんと振り回された。
「……取引といこう」
「ああん? まだ自分の立場がわかってないようだな」
「悪い取引ではない。我はお前の呪いを解こう。替わりに、お前は我の配下となれ」
 さすがのミューも意外だったらしい。目をしばたたかせた。
「ちょうどいまは配下もおらぬしな。お前の悪辣さ、計算高さは、じつに我の配下としてふさわしい。魔人となって、ともに愚かな人間どもを従えようぞ!」
「ミュー……まさかそんな話にのる気ではないだろうな」
 血で濡れた大剣をさげ、アーレスが近づいてきた。
「まさか、いくらなんでも……ねえ、ミューさま?」
 ミューの小さな体が、震えた。
 笑っている。
 震えが大きくなるに従って、笑い声も大きくなった。にゃはははは、といつもの高笑いになった。
 勢いよく振り向く。目が熱っぽく輝いていた。
「アシュ! 私は人間をやめるぞ!」
「ええええええ〜!」
 それはちょっと、ミューさま、考え直して、と止めようとしたアシュを振り切って、ミューは魔王に駆けていった。
 抱きしめるように、ゾーククラフトが腕を広げた。
「ともに覇道をゆこうぞ!」
「にゃはははは〜」
 紫の光にミューは包みこまれる。
 あっけにとられたアシュとアーレスの目の前で、光のなか、少女だったミューの体が、みるみるうちに成長してゆく。
 腕が、足が、伸びていった。胸も……ゆるやかに膨らんでゆく。
 光が消える。
 魔王が広げたままの腕のなかには、女性の姿があった。
 背に穴の開いた黒いマントは、彼女の腰までしかない。太もものつけねぎりぎりまでを、危うい感じで黒いワンピースが覆っていた。長く細い足が、すらりと肌身をさらしている。ついさっきまでは膝の半ばまであったブーツは、いまは足首しか包んでいない。
 振り向いた。
「やったぞ、アシュ!」
 満面の笑顔がアシュに注がれた。少女のときのおもかげを残した、少し尖り気味の目は、いまは喜びに細めている。小高い鼻の下、桃色の唇から白い歯を覗かせていた。
 うん? と胸元を見る。
 がばりと両手でなだらかな双球を包みこんだ。
「アシュぅ! なんか減ってる!」
 がくりとアシュの体から力がぬける。
「は、はは……呪いが解けての第一声が、それですか」
「大事なことだろうが! もっと……こう、私、ばいんばいーんだった!」
 じとりと睨む。
 アシュのとなりにいたアーレスが、その視線から自分の胸を隠した。
「なんだ、なにか言いたいことでもあるのか、魔女」
「てめえ……それ、胸当てになんかつめてるだろ! 嘘つき!」
「ふざけるな! 剣に誓って、私は天然ものだ!」
「いいかげんにしましょう、ミューさま。前からそんなものでしたよ、たしか」
「そ、そんなものっていうなあ!」
 顔を真っ赤にしてミューは伸びあがる。
 ――大人になっても、この人はなにも変わらない。
 あきれたような、なんとなくほっとしたような、そんな気持ちをアシュは味わっていた。
「これでよいか、魔女よ」
 おごそかな口調だった。
 ミューは伸びやかな足をゆったりと動かして、振り返る。
「ああ……大満足」
「ならばよし。さあ、ではともに人間どもを支配しようではないか」
 うん、とうなずいた。赤いポニーテールがふさりと揺れる。
「手始めに……我を封じた無能どもの子孫を、片づけるとしようか」
 きらめく星壁の外に立つ、白髪の老人を見やった。
「こんな結界で、我の行く手を阻めるとでも思って――」
「ちょいと待った」
 タウロン目がけて腕を伸ばした魔王の、頭に刺さったままの杖をぐいと下げた。ゾーククラフトの首が回され、ぐきんと鳴る。
「ふごがっ! な、なにをするのだ!」
「まだ終わってねーよ。もうひとつ、約束が残ってるじゃーん」
 約束? と眉をあげた魔王に、赤髪の魔女はにこりと微笑んだ。



■元のプロット

・魔王の魔力は、魔法の杖に封印されていた。気づいたときには、魔王の配下に杖を奪われてしまう。
・自分の失態を棚にあげて、ミューは王や女騎士になんで魔王の魔力をタコの迷宮から移したりしたのか問い詰める。魔王の魔力を有効利用したかったから、と答える。
・しかたがないので戦いを決意するミュー。ぼこぼこにされたわりには平気そうな魔王。
・魔王の配下は、ミューの魔力が残り少ないことを見抜いていた。数も魔法の配下たちのほうが多い。負けるわけがないと高をくくっている。
・ミュー、アシュに強化魔法を唱える。魔法の配下たちと互角の戦いを広げるアシュ。だが一対五だと余裕の配下たちに、ミューはさらに魔王にまで強化魔法を使う。強力な魔王の肉体がさらにパワーアップし、形勢は逆転する。

※ミューの使う強化魔法は特別製で、強化される側のことを一切考えていない。力が数倍にもなるが、効果が切れたあとは地獄の苦しみを味わう。アシュは諦めている。魔王は知らない。

・杖を持った配下とミューは一対一で戦う。しかし魔力の少なさはいかんともしがたく、ミューは追いつめられる。それでも挑発を止めないミュー。魔力を引き絞って使い、配下に傷をつけることに成功する。
・怒り狂った配下は、杖でミューの体を貫く。ちょうどアシュと魔王にかけられた強化魔法も効果が消える。苦しみまくるふたり。
・それこそがミューの狙いだった。貫かれながらも魔法の杖をつかみ、杖の魔力を解放する。吹き飛ぶ配下。
・しかしミューには魔法の杖は使いこなせない。魔王の配下はそれを見透かしている。

※聖王都の魔法とミューの魔法は体系が違うため、完全には杖を使いこなせない。

・ミューには使いこなす気は最初からなかった。杖を魔王にぶつける。見事につきささる杖。
・流れこんだ魔力によって、魔王完全復活。若返る。
・あっさりと配下たちを灰に変える。

※爺さん魔王は少々間が抜けていたが、復活した魔王は冷酷かつ傲慢。後の展開へのギャップを狙っている。


○6、解呪

 聖王都内、神殿
・魔王はこのまま世界を支配すると宣言。絶望する女騎士や、聖王都の人たち。
・ミューが自分の呪いを解くよう迫る。いままでのミューの行動を激怒していた魔王は、まったく聞く耳を持たない。それどころか殺す気でいる。「どうして魔王が人間と約束なぞしなくてはならんのだ?」
・ミューは魔王が捨てた杖を拾いあげると、魔法を詠唱する。魔王の足下に魔法陣ができる。自分の体の動きが鈍くなったことに驚く魔王。
・封印されたくなかったら呪いを解けと迫るミュー。しばらく睨みあっていたが、魔王はしかたなくミューの呪いを解く。大人の姿を取り戻すミュー。


〔ツリー構成〕

【1139】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」ねっこ 2004/11/24(水)00:20 名無し君2号 (149)
┣【1140】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」あらすじ(800文字) 2004/11/24(水)00:22 名無し君2号 (1820)
┣【1141】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」冒頭部分(原稿用紙29枚) 2004/11/24(水)00:28 名無し君2号 (18303)
┣【1155】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」冒頭部分改稿(原稿用紙21枚) 2004/12/2(木)01:08 名無し君2号 (13785)
┣【1188】 『ろり魔女(仮)』プロット 2005/2/11(金)01:20 名無し君2号 (19780)
┣【1189】 2/11分、『ろり魔女(仮)』本文、No.1 2005/2/12(土)01:28 名無し君2号 (3822)
┣【1190】 2/12分、『ろり魔女(仮)』本文、No.2(8400文字) 2005/2/13(日)15:11 名無し君2号 (12180)
┣【1191】 2/15分、『ろり魔女(仮)』本文、No.3(文字) 2005/2/16(水)00:56 名無し君2号 (12167)
┣【1192】 2/16分、『ろり魔女(仮)』本文、No.4(7700文字) 2005/2/17(木)01:49 名無し君2号 (10266)
┣【1194】 2/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.5(5000文字) 2005/2/20(日)03:43 名無し君2号 (7975)
┣【1195】 2/21分、『ろり魔女(仮)』本文、No.6(10000文字) 2005/2/22(火)01:25 名無し君2号 (14776)
┣【1196】 2/23分、『ろり魔女(仮)』本文、No.7(6400文字) 2005/2/24(木)02:36 名無し君2号 (9828)
┣【1197】 2/25分、『ろり魔女(仮)』本文、No.8(5000文字) 2005/2/26(土)01:29 名無し君2号 (7024)
┣【1198】 2/26分、『ろり魔女(仮)』本文、No.9(11000文字) 2005/2/26(土)21:24 名無し君2号 (15477)
┣【1200】 3/1分、『ろり魔女(仮)』本文、No.10(3600文字) 2005/3/2(水)00:46 名無し君2号 (5197)
┣【1201】 3/3分、『ろり魔女(仮)』本文、No.11(3600文字) 2005/3/4(金)00:12 名無し君2号 (3416)
┣【1202】 No.11、ボツ版 2005/3/4(金)00:18 名無し君2号 (4173)
┣【1204】 3/5分、『ろり魔女(仮)』本文、No.12(4000文字) 2005/3/6(日)22:26 名無し君2号 (5763)
┣【1207】 3/8分、『ろり魔女(仮)』本文、No.13(16000文字) 2005/3/10(木)00:42 名無し君2号 (21483)
┣【1208】 3/12分、『ろり魔女(仮)』本文、No.14(17000文字) 2005/3/12(土)22:41 名無し君2号 (22201)
┣【1210】 3/14分、『ろり魔女(仮)』本文、No.15(5000文字) 2005/3/14(月)18:54 名無し君2号 (7682)
┣【1211】 3/15分、『ろり魔女(仮)』本文、No.16(9000文字) 2005/3/16(水)01:13 名無し君2号 (12155)
┣【1212】 3/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.17(28000文字) 2005/3/20(日)17:01 名無し君2号 (35837)
┣【1213】 3/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.18(7200文字) 2005/3/20(日)19:14 名無し君2号 (9870)
┣【1214】 『ろり魔女(仮)』全文統合版(124ページ、原稿用紙327枚) 2005/3/21(月)08:38 名無し君2号 (207911)

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