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1115 早瀬と雪
2004/10/3(日)17:37 - 月白 - 2102 hit(s)

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 早瀬と雪


「東野君……」
 脇から柔らかい声がして、前面のデパートや行き交う人波、どんよりと曇った空を眺めていた俺は、そちらを見る。
「まった?」
 落ち着いた白のロングコートをまとって、さらさらの黒髪を肩にまで流した女の子。優しい光を湛えた瞳でこちらを見ている少女、早瀬雪野がいた。
 早瀬は、僅か一ヶ月前に転校してきた高校二年の同級生だ。たったひと月ばかりいただけで十二月にはまたよそへ行ってしまうことになっている。
 その彼女は物静かな女の子で、十七歳という騒ぎたい盛りの年齢にもかかわらず、いつも教室に溶け込むこともなく独りでいたことが多い気がする。
 俺がそんなことを思っていると、目の前の早瀬が、口元をほのかに丸める。
「行きましょう」
 そう優しく誘われて、俺たちは街中を並んで歩き出した。


「あのさ、早瀬さん……」
 商業ビルの立ち並ぶ雑踏の中を進みながら、俺は隣をちらちらと見やって尋ねる。
「なに?」
 まっすぐ前を向いたまま、彼女は物腰柔らかな声を響かせてきた。
「なんで俺なんか、その、誘って……」
「迷惑だった?」
 後ろに両手を回し、早瀬はどこか遠くに目を馳せるようにして、少し顔を上げる。
「いや、迷惑だなんてそんなことは……」
 慌てて俺が否定すると、彼女はくすっと笑いこちらを見て、それから腕を絡めてきた。
「ね、あそこに入りましょう」
 早瀬にそう促されて目を向けると、四・五階建ての大きなショッピングモールがあった。デパートの看板も幾つか出ていて、その脇から白亜の直方体が空高く伸びている。
 俺は、彼女と腕を組んだまま、モール内に入った。


 ウィンドウショッピングに、吹き抜けの噴水広場でのおしゃべり。アミューズメントパークでクレーンゲームに夢中になって、水族館で魚たちに挨拶して。その後、ファミリーレストランで一緒に食事をしてから、超高層ビルの展望台に上がった。
 ガラス扉を開いて、早瀬と共に屋外に出る。
 とたんに、吐く息が白く変わる。
 吹き抜けてゆく風があっという間に手と顔を冷えつかせ、髪を流して頭皮にまで染み込んでくる。
 俺はポケットに両手を入れて、自分の身長の倍ほどもある容易には越えられそうもない金網の前に立つ。
 前面に、大パノラマ。
 足元には、家屋や建物などが無数に密集していて、徐々に遠くなるにつれ大きな建築物の形しかわからなくなり、やがて全てが融けてただの青黒いすり流しになる。それが、地と空の境界だ。
 ぼんやりと、その風景を眺めていると、
「私、この景色、好きよ」
 隣から声がして顔を向ける。と、金網に片手をかけて白い湯気を口から立ち上らせながら、はるか遠くを見つめている早瀬がいた。
 その彼女が、こちらに目を向けて僅かに口元を緩める。
「東野君、いつも教室で私のこと見ていたでしょう」
 早瀬の台詞に、ドキンと、俺の心臓が震えた。
 何と答えていいのかわからずに、でも視線を離すこともできなくて。早瀬に吸い付けられた俺の鼓動はどんどん高まっていき、頭の中は焼け火鉢を投げ入れられたみたいにかあっと熱くなって、もう何がなんだかわからなくなりそうで。すると、
「ねえ……」
 さりげない感じで、早瀬が言葉を継いできた。
「私と一緒に飛び降りて……って頼んだら、どうする?」
 彼女はそう言って、にこっと笑ってきた。
 一瞬、頭が真っ白になる。
 なにを言われたのかわからないまま、俺がただただ早瀬に目を向けていると、
「私、東野君となら、この世界の向こう側にだっていけると思うから」
 彼女はそう続けて、目尻を優しく落とし、唇を緩やかな弧にして淡く微笑んだ。
 その早瀬の、艶やかに濡れた瞳と今にも壊れてしまいそうな口元はとてもきれいで、とても哀しくて。
 胸に中にどんどん染み込んできて、込み上げてくる感情を抑えきれなくなって。
「早瀬とならっ!」
 気づくと、俺はそう声を出していた。
 早瀬はその前で、そっとまぶたを閉じ片手を胸にあてる。それからゆっくりと瞳を開いて、顔を柔和にほころばせ、
「うそ。冗談」
 優しい響きを漏らしてきた。
 その早瀬が、あ……という感じで前に手を出す。
「ゆき……」
 つぶやいた彼女に、俺も天を仰ぐ。と、灰色の小さな羽みたいなものが、ちらほらと舞い降りてくる。
 どんどんそれが増えて景色を覆ってゆく中、早瀬は両腕を広げ、目を瞑ってゆっくりと宙に顔を向けてゆく。
 その早瀬の動きが止まる。
 早瀬の表情が、緩やかに解き放たれた。
 落ちてくる白片だけが視界を流れてゆく静寂に包まれて、ほんとうに穏やかな表情をした早瀬は、今にも天空に上ってゆくように見える。
 その彼女の姿に俺の胸は再びきゅうと締め付けられて、
「俺は……君のことが……」
 途切れ途切れに声を出すと、
「いいの……。もう……いいの」
 早瀬は、腕を開いて瞳を閉じたまま、もう満たされて充分だという旋律を奏でてきた。
 そんな雪の中の早瀬は、すごくきれいですごくすてきで。
 俺は、そんな早瀬を、ずっとずっと見つめていたくて。


 雪が、ふってくる。
 早瀬に、雪が、ふってくる。
 静かに、しんしんとたんたんと、早瀬が、雪にとけてゆく。


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