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1141 2号長編、「天帝の騎士(仮)」冒頭部分(原稿用紙29枚)
2004/11/24(水)00:28 - 名無し君2号 - 4313 hit(s)

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     1

 足下から風が吹きあがってきた。
 冷たさをはらんだ秋の風は、岩肌に張りついているトトの服をばたばたとはためか
せ、頭上へと抜けてゆく。細く寄りあわせた後ろ髪が、盛んな舞いを見せた。
 ううう。
 ぞくぞくと冷たいものが、トトのみぞおちにこみあげてきた。
 強ばりそうになる手足を、なんとかほぐした。こんなところでつまづいてはいられ
ない。岩をつかんでいる指先に力をこめ、でっぱりに乗せた足にも気を入れ直した。
左足を下におろそうと、右手に体重をかける。
 と、腕先の感触が消えた。
 右手が、つかんでいた岩ごとはがれる。バランスが崩れ、谷底に向かって体が開い
た。背をつっぱらせる。右手をふりふり、いきおいとのつなひきをする。
 ――勝った。強引に上半身を前に戻し、右手で岩をつかむ。どうにか、また張りつ
くことができた。
 息が荒くなる。体中に汗が浮かぶ。
 やばかった! いまのはやばかった!
 トトは足元を覗きこんだ。
 はるか下方へと、細かい石のかけらが落ちてゆく。さっきまで右手でつかんでいた
石のかけらは、風に吹かれ、右へ左へと流されていった。谷底の急流へと吸いこまれ
る。
 川の流れは速かった。ところどころ、白く泡だっている。
 もし自分が落ちていたら。そう考えてしまいそうになって、トトはむりやり振りは
らった。底冷えする感情が体中に広がってしまったら、もう動けなくなってしまいそ
うだ。
「だいじょうぶー?」
 明るい声が降りそそいできた。
 トトの体ひとつぶんほど上にある崖から、少女が顔を突きだしていた。
 谷風に黒髪を踊らせ、黒目を大きく見ひらいている少女の姿で、トトは自分がたい
して岩壁を下りていないことを知った。本人の心境としては、地の底までも下ってい
るつもりだったのだが。
 ――ジジ。
 トトをこんな目に遭わせている張本人。
「ちっとも大丈夫じゃ、ないよー」
 じゃあ大丈夫よねと言わんばかりに、ジジは二度うなずいた。かたちよい唇が軽く
突きだされている。トトはいろんなこと――自分の身の安全だとか、もうかんべん願
うとか――すっぱりあきらめた。どうせ自分は、彼女に逆らえやしないのだから。
 ジジから顔を引きはがし、下へと向ける。川の流れはなるべく視界に入れないよう
にして、獲物がある岩場を確認した。
 風にそよぐ、青い花。
 岩壁にしか咲かない花だった。鮮やかに青い大ぶりの花びらと、さわやかな、深み
のある香りを持っていた。ちなみにすりつぶせばよく効く湿布薬にもなるのだが、そ
ちらはジジの興味の外だろう。
 ――ねえトト、あれ、きれいよね。
 そうだねえ、きれいだねえ。はあ、とトト息をはいた。
 まだ花までは遠い。あと体ふたつは下りなきゃ届かない。
「ねえ、だいじょうぶー?」
 また声が降りそそいだ。こんどはじれったさがこもっていた。トトが訳するところ
によると、「さっさとしなさいってば」。
 はいはい、わかりましたよ。
 ため息を吹きすさぶ風に溶かしこみながら、トトは足をそろそろと動かした。下ろ
す場所はさっき確かめた。くぼみにたどりつく。靴ごしに、親指をぐいぐいと押しつ
けた。
 けっして両手両足のバランスは崩してはいけない――トトはさっきの失敗で、よう
やく肝心なことを思いだしていた。なんどか岩壁を下ったり登ったりはさせられてい
る。目的はきれいな花だったり、美味しい実だったり、ジジが落としてしまった帽子
だったり――ああ、思えばぜんぶ、ジジにお願いされてのことだ。
 そんな無茶な経験上、手と足にはおなじくらいの力をこめていないと駄目だとわか
っていた。そうじゃないと、ただでさえ崩れやすい岩壁、さっきのようにはがれ落ち
る。ついでに自分の体もはがれて、谷底へとまっさかさまだ。
 ゆっくりと下りてゆく。トトにとっては永遠とも思える時間だった。とちゅう、ジ
ジからはなんども「ホントにだいじょうぶかー」と催促の声がかかっていたが。
 ようやく、花の真横まで辿りついた。
 花はトトの右側で、呑気に揺れていた。ほのかに香りが風にのった。色とおなじ、
深い青さを感じさせながら、澄んだ匂いだった。
 右手を伸ばす。そっと、そっと……。
 太い茎の根本を探った。つかみ、引っぱる。抜けない。しっかり岩肌に根を張って
いるようだ。力をこめる。じわじわと強める。
 みき、といやな音がした。
 なにかが砕けてゆく音だ。どんどん大きくなる。目を剥くトトの眼前を、いなずま
のようにひびが走っていった。
 体が浮いた。
 しっかりと岩はつかんでいる。両足は突っぱっている。
 なのに、浮いている。そして、落ちている。たしかなものは、手のなかの花だけだ。
 トトは砕けた岩ごとあおむけになってゆく。亀裂の向こう、抜けるように青い空の
なか、ジジが口を丸く開けているのが見えた。
 そんな顔、するなよ――。
 瞬時にトトは身をひねっていた。
 ひねりながら、つかんでいた岩を突きはなす。足でも蹴飛ばして、そのいきおいで
体を岩壁へと向けた。
 真っ逆さまに落ちながら、トトは右手の花を左手に持ち替えた。腰の山刀を引きぬ
く。鉈の刃先を、思いきり岩肌に向けて振り落とした。
 おなじ強さで跳ね返された。
 歯を食いしばり、こんどは横あいに振り抜いた。やはり刃は立たない。花を口でく
わえ、両手で振った。鈍いしびれが走る――ようやく刃がめりこんだ。
 落ちながらもぐいと引きつける。体が岩壁に近づいた。山刀はすっぱりと手放す。
足元に来たところで、刀を思いきり足で蹴った。そうして、体を左斜めへと飛ばす。
 木の茂みがあった。
 頭から突っこむ。
 枝が頭を叩き、葉がほおを引っかく。肩にあたった幹が、へし折れた。
 ――いきおい、落ちろぉぉぉ。
 すぱっと目の前が開ける。水が激しくうねっていた。
 すこしは速さ、遅くなったかな……。
 体のあちらこちら、感覚がなくなっていた。それでもしっかりとふところに抱えて
いた花を、さらに覆うように背を丸めた。
 耳に轟音が届く。うずまく水――。
 ずばん、と体中が包まれた。冷たい、揉まれる、流され――。
 うああああ。



「あらららら」
 渓谷のはるか下で、ちっちゃく水しぶきがあがっていた。すぐに川は、なにごとも
なかったかのように流れを取り戻す。
 ジジは、しばらくいきおいのある水の流れを覗きこんでいた。人影は浮かびあがっ
てこない。
 うんうん、と二度うなずき、立ちあがる。風に踊る黒髪を撫でつけた。麻のスカー
トを手で払ってから、歩きだす。
「これで……四、いや、五回目?」
 指を折って数えた。
「これだけ落ちれば慣れるか……ま、大丈夫でしょ」
 ふんふんと鼻歌を奏で始めた。すぐそばの森には目もくれない。足元の草を踏みわ
けながら、崖のそばを進んでゆく。下へとゆく坂道が見えたとたん、軽やかに走りだ
した。
「まったく、手間のかかる奴だっ」
 かかとで土の坂を滑ってゆく。



 激しくトトは咳きこんだ。息を吐きだすたびに、水滴がごろごろした石に落ちてゆ
く。
 全身びしょぬれだった。短い黒髪も、麻の上下も、腰につけた袋も、水が滴ってい
る。寄りあわせた後ろ髪が、背中に貼りついていた。
 すぐそばに、しっかりと青い花があった。長い根っこつきだった。乗せられた石に
水を滲みさせていた。すこし離れた場所では、河がいきおいのよい流れを見せている。
「ううう……」
 ぶるりとトトは震えた。行水するにはちょっと季節が遅かった。上着を脱ぐ。濡れ
てごわごわした服を、力の入らない腕でどうにか引っぱがす。
 しなやかな肉体があらわになった。獣を思わせる、無駄のない筋肉だった。肩につ
いた真新しい青あざ――さっき茂みに突っこんだときついたものだろう――も目立つ
が、なにより目に留まるのは、胸の傷痕だった。
 四本線の傷。巨大な獣の爪痕。
 トトは上着を絞る。しゃばしゃばと水が落ちる。ぱん、と広げ、河原に敷いた。お
もむろにズボンを脱ぎ始める。
 葉がこすれる音が、上からした。
「あー、いたいた……って、ちょっと」
 濡れねずみのトトが見あげると、ジジが両手を腰に当て、睨めつけているところだ
った。後ろの枝に引っかかっていた髪を、ジジは手で払って元どおりにする。
「うあっ」
 トトは身をよじる。ジジが顔をしかめた。
「男のする反応じゃないな、それは。まったく、わざわざ人を歩かせたかと思ったら、
いきなりそんな格好で……ばか」
「うう……ご、ごめんよ、ジジ」
 なんであやまってるんだろうな、ぼくは。膝までおろしたズボンが情けなさを増す。
 頬を染めつつも、ジジは顔を逸らしてはくれない。トトは身の置き場がなくなって
きた。とりあえずズボンに手をかけると、足音が近づいてきた。
 ジジが目の前に立つ。
 おもむろにジジは指先を伸ばしてきた。トトの胸の傷痕に触れる。ぞくり、とトト
の皮膚をかけまわるものがあった。
「あのときの傷?」
 ジジの声は湿っぽかった。大きな瞳は、じっとトトの胸元に注がれている。
「うん……でもだいぶ、痕は薄くなったよ」
 ジジといっしょに山を探索していたとき、出会ってしまった獣。山の主。
「あたしを守ってついた傷か……」
 触れられた傷が、なんだか熱っぽくなってきた。トトは一歩さがり、ジジの指から
離れる。
「あ、そうそう」
 トトは花を拾いあげた。濡れそぼった青い花弁から、水が滴った。
 ジジはつまらなそうに目を細める。雰囲気を壊したことが不満なのか、目当ての花
が台無しになったのが気にくわないのか、たぶんどっちもだろうな、とトトは見当を
つけた。
 それでもジジは、黙って受け取った。指先で茎をつまみあげ、花弁を顔に近づけて
ゆく。鼻をうごめかした。
「ぜんっぜん匂いしない」
「そりゃ、それだけ濡れれば」
「……トト、刀は?」
 腰を覗きこんできた。トトは遠く、自分が落ちたと思われる崖を指さす。
「あそこに刺さってる」
「刀を捨て、花を取るか……ずいぶんとロマンティストだこと」
 いちおー、死にかけてたんですけどね。
 ジジが羽織っていた服を脱ぎ始めた。麻の上着があらわになる。脱いだ服を、トト
に向かって放る。
「着なさい」
 濡れてしまうよ、とはトトは言わなかった。こういうときに逆らうと、ひどく機嫌
が悪くなる。いそいそと着こんだ。
 口を真一文字にする。
「どうしたの?」
「ちくちくする」
 毛糸で編んだ服は、素肌にはかなり不快だ。
「がまんしなさい。風邪ひくよりはいいでしょ……それより下、いつまでそのままで
いる気?」
 トトはあわててズボンを上げた。
「あーあ、祭りのとき、頭に飾るのにいいと思ったんだけどなあ……これじゃあね」
 ジジは青い花をなんどか軽く振る。そのたびに水滴が落ちた。長々と伸びていた根
を、手で引きちぎる。
「あげる」
 結果がすべてで、過程は考慮されないらしい。いつものことなので、とくにトトに
言うべきことはない。細長い根を受け取った。根っこを持った指先をこすりあわせて、
根の先端をくるくる回した。
「ほかの花、探そうか」
「いい。村に戻ろ」
 言うなり、ジジはすたすたと歩きだした。
「トトの体も心配だし」
 そいつはありがたいことで。上着を枝に引っかけ、トトは肩にかつぐ。先を行くジ
ジを追いかけた。



 両脇を崖に挟まれた道には、轍《わだち》ができていた。ふた筋の車輪の跡、その
真ん中をトトは進む。前をゆくジジの黒髪を見るともなしに見ながら、歩いた。まだ
乾ききらない麻服の感触が、すこし気持ち悪い。
「いよいよ、明日にはあたしたち、大人ね」
 青い花をくるくると回しながら、ジジが振りむいた。桃色の唇を、意味ありげに微
笑ませている。
 明日、村で行われる祭りは、山の神さまに感謝を捧げるとともに、ある年齢となっ
た子供たちを大人と認める、成人の儀が行われるのだった。
「あんまり実感がわかないな。大人になったからって、べつにやるべきことが変わる
わけでもないし」
 山を歩き、木の実や山菜、食べられる獣を獲る。狩人がトトの仕事だった――本来
は。
「たしかに。あたしに仕えるのがトトの仕事だし――それは変わらないでしょーね」
 そのとおりだった。ほとんどがジジのお守りに時間を割かれていた。それを嫌と感
じないのが、自分でも困りものだったが。
「でもね……大人になれば、自分の責任で、自由に動くことができるじゃない」
 ジジが言いたいことはわかっていた。
 わかっていたから、はぐらかす。
「そうですね、姫さま」
 ぴたりとジジの歩みが止まる。ぶつかりそうになって、トトも止まる。数歩下がっ
た。
 ジジは鋭く目を細めていた。
「ふたりだけのときは、それ、止めてって言った」
 トトは前方を指さした。
「もう、村、近いよ」
 遠くに大きな門が見えていた。丸太を重ねあわせて作られていた。櫓《やぐら》が
門の向こう側から覗いていた。
 しかし、ジジは前を向こうともしない。ぞっとする、でも熱く煮えたぎった視線を、
トトにぶつけてきた。
「きちんと名前で呼びなさい」
「……ジジ。カリューが見てる。あの人は唇の動きを読むよ」
 物見櫓《ものみやぐら》がきらりと光った。きっとカリューご自慢の遠見筒で、こ
ちらを覗いているに違いない。
「勝手に読ませればいいじゃない!」
 ジジはまっすぐにトトを見つめている。トトはだまって、ジジのすこし青みがかっ
た瞳を見返した。
 いきなりジジは背を向けた。斬りつけるような動きだった。艶やかな黒髪が、ふわ
りと舞いあがった。
「いくじなしめ」
 すたすたと村へ向かう。いそぎ足でトトはついていった。



「姫さま、お帰りなさいませ」
 門を押し開けた大男が、その体を小さく折り曲げている。ひげもじゃの顔を笑顔に
ほころばせていた。
 ジジは返事もせずに村の奥へと進む。
「ただいま」
 代わりにトトが答えた。
「よー、また怒らせたのかー、トト」
 門のすぐそばに立つ物見櫓《ものみやぐら》から、声が飛んできた。
 眼帯をつけた男が、顔を出している。口元にはにやにや笑いを浮かべていた。
 カリューの問いかけを、トトはあいまいに笑ってごまかした。
 石造りの家々が並ぶなかを、ジジは早足で歩いてゆく。肩の位置は、さっきよりは
なだらかになっていた。
「あー、ひめさまー」
「ひめさまひめさまー」
 子供たちがジジのまわりに集まってきた。親を手伝う振りをして遊んでいたのか、
手足が土で汚れていた。道の端で、麦わらを抱えていた子供たちの母親が、会釈をす
る。
「おみやげはー、おみやげー」
「ない。文句はこのいくじなしに言って」
 きらきら輝くたくさんの視線が、ぜんぶトトに集まった。いっせいに睨んでくる。
「トト兄ちゃん、いくじなしー」
「こんじょうなしー」
「かいしょうなしー」
「ひめさまがっかりー」
「……どこで覚えたんだい、そんな言葉」
「ひめさまー」
 知らぬ顔でジジは歩き去っていた。
 はしゃぐ子供たちをあとにする。おみやげに、花の根っこはすこぶる不評だった。
 村の真ん中にある広場では、祭りのために神さまの像を建てているところだった。
女たちが神さまを飾りつけしている。男たちはまわりに柱を建てようと、汗をかいて
いた。
 みな手を止め、ジジに向かって頭を下げた。一様に微笑んでいる。ジジに対する親
愛にあふれていた。
 一方、トトに対しては文句が飛ぶ。
「お前もちょっとは手伝えよ! まだまだ仕事はあるぞ!」
「獲物はどうした? 祭りの料理はどうするんだ。まさか、木の実だけか」
「染料が足りないの。神さまにお化粧できない」
 はいはいはい。いちいちうなずきながら、トトはジジについていった。
 家並みがとぎれる。一面の畑のなかを、道がまっすぐに伸びていた。はるか遠くに、
大きな屋敷が見える。ジジの家――村長《むらおさ》の屋敷だ。
 建物の背には小高い丘がある。そこはトトたちが住む山の、ちょうどてっぺんにあ
たった。
 ふたり、並んで歩いた。
 風が吹くたびに、穂は揺れ、さわさわとささやいた。
 ぽつりとジジが洩らす。
「人気ものだこと」
「こきつかわれてるだけですよ、姫さま」
「なんだかんだ言いつつ、トトはしっかりこなしちゃうからね」
 あたしも人のことは言えないか、と呟いた。
 はっとジジは顔をあげた。駆けだす。
「おじいさま」
 白髪の男が、屋敷から姿を見せていた。
 男の顔には深い皺が刻まれ、ふさふさな髭も白い。しかし足どりはしっかりしてい
た。背筋もぴんと伸びている。
「おお、ジジ。戻ったか」
 眠っているかのような顔つきを、男はさらにくちゃくちゃにした。
 門の前でふたりは話していた。細かい装飾のほどこされた門へと、トトは近づいて
ゆく。
「長《おさ》」
 トトの言葉に、長は髭の下をもふもふと動かした。微笑んでいるらしい。
「おお、おお、トト。いつもいつもジジが世話をかけるの」
「ちがう。あたしが世話をやいてあげてるの」
 長が笑い声をあげた。髭のなか、赤いものが見えた。どうやら口らしい。
「いよいよ明日はジジも成人となる。しっかりせねばならんぞ」
「はいはいはーい、じゃあね、トト」
 お小言から逃れるように、ジジは駆けだしていた。門をくぐる。
 玄関の扉まで行ったとき、思いだしたように振り返った。
「トト。こちら、褒めてつかわす」
 手を振った。花が青い軌跡を作る。
 笑顔を残して、ジジは屋敷のなかへと消えた。
「まったく……体ばかり大人になりおって」
 長の苦笑に、思わずトトもいっしょになって笑ってしまうところだった。
「迷惑かけるの、トト」
「いえ」
「成人の儀を終えれば、いままでのようにこきつかわれることもない。明日までの辛
抱だ」
 トトはかすかに眉をあげる。
「それは……どういうことでしょうか、長」
「ふむ? ふむ……」
 もごもごと白髭が動く。
「おお、そうそう、ギャロが戻っておるぞ」
「――父さんが?」
 脳裏に、トトよりふたまわりは大きい男の姿が浮かんだ。満面の笑顔で、筋肉を誇
示している。なぜか上半身は裸だった。
「いつも祭りの前になると帰ってくるなあ」
 ふぉっふぉっふぉ、と長は笑った。笑いながら、家のなかへと去っていった。
「……あ」
 質問をはぐらかされたことにトトが気づいたのは、扉が閉まる、重々しい音を聞い
てからだった。



「おまえ、腰のものはどうした」
 家に戻るなり、あいさつもそこそこに父のギャロは突っこんできた。トトよりふた
まわりは体が大きく、首廻りの筋肉も太い。トトが思い浮かべたとおりの父が、しげ
しげと息子を眺めてのことだった。
「崖に取られた」
「あれは業物だったんだぞ。まったくおろかな息子だ。いまだ刀の使い方もしらんの
か」
「ふた季節も顔を見せないでおいて、ひさしぶりに家に帰ったかと思ったら、いきな
り説教なわけかい、父さん」
 豪快にギャロは笑いだした。腰かけていた椅子ががたがたと揺れる。
「そもそもどうやったら刀を崖に取られるのか、じっくりと訊きたいところだがな。
まあいい。姫さまはちゃんとお守りしているか、ん?」
「言われるまでもないよ」
 崖に山刀を取られたのも、姫さまのおかげです、という言葉は呑みこんだ。
 部屋の隅にある水瓶《みずかめ》へと、トトは向かう。ひしゃくで水をくんだ。
 なにかを感じた。
 感じるままに体を横に反らした。目の前の壁に、小剣が突き刺さる。投げる用途に
使っていい大きさのものではない。さすがにすこし驚きつつ、トトは水を飲み干した。
 おもむろに小剣を抜く。しっかりと石に刺さっていた。よほど力をこめて投げたら
しい。
「父さん」
「腕は鈍ってないようだな。いや、感心、感心」
「あのね」
 ずどん、ともう一本の小刀が顔の横に突き立てられた。投げ終えた格好の手を、
ギャロはそのまま机の上の杯に向ける。ずず、と中身を飲み干した。
「……じじい!」
「失くした刀の代わりにくれてやる。大切にしろ」
 冷たい怒りを押し隠しながら、トトは顔の真横に刺さった剣を引っこ抜いた。
 両刃の小剣だった。長さはおよそトトの肘から手までほどある。簡素な飾りがほど
こされていた。なにより珍しいのは刃だ。青白い、陶器のような材質でできていた。
いままでトトは、こんな剣を見たことがない。
 しかし……妙に手になじむ。
 まるでいままで使っていたかのように、手のひらにしっくりとくる。ふた振りの剣
を、トトはばつの字に重ねあわせた。峰がこすれ、澄んだ音色が響く。
「ねえ、父さん」
「いいだろう。お前もいよいよ成人だからな、これは父からのささやかな――」
「どこから盗んできたのさ、これ」
「――バカヤロウ。お前は父親をなんだと思っているのだ」
「……墓荒し?」
 ギャロは太い眉を真一文字にした。机に覆いかぶさる。大男にのしかかられ、机が
悲鳴を鳴らした。がばりと起きあがる。
「父は、お前の父は商人ではないか。山の幸や織物、飾りを都に持ってささやかな商
売をしているのを、息子よ、お前も見ているだろう。荷を馬車に積むのを、お前も手
伝っただろう」
 大げさな身振り手振りだった。
「じゃあ、これはどこから持ってきたの。安いものには見えない――しがない商人の
買えるものには」
「どこからも持ってきてはいない。なぜならば、代々我が家に伝わる宝剣だからだ」
「嘘だ」
 胸を張る父親に向かって、きっぱりと言い放った。
「こんなもの、いままで見たことがない」
「それはお前が悪い。おのれの見る目のなさを、父にぶつけるでない」
「あのね……」
「姫さまを守りたいのだろう?」
 いきなり父親は真剣な顔になった。
 思わずトトはうなずいている。
「だったら黙って受け取れ。それは必ずや姫さまを、そしてお前自身を守るはずだ」
 じっとトトはギャロの顔を見つめた。角張った顔に、満面の笑みを浮かべていた。
 あきらめた。トトは双剣を軽く打ちあわせる。鈴のような音が鳴った。
「わかったよ。とりあえず貰っておく。でも、盗品だとわかったらすぐ持ち主に返す
からね」
「勝手にせい……おい、どこへゆく?」
 外へと出る扉に向かったトトに、ギャロは声をかけた。
「祭りの準備しなくちゃいけないんだよ。まずは神さまをお作りして、それから山に
入って、獲物を獲って、赤い実をもいでこなくちゃあ」
 がはははは、とギャロは笑った。背中に当たる父親の爆笑を、トトは思いきり扉を
閉めて追いやった。


〔ツリー構成〕

【1139】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」ねっこ 2004/11/24(水)00:20 名無し君2号 (149)
┣【1140】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」あらすじ(800文字) 2004/11/24(水)00:22 名無し君2号 (1820)
┣【1141】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」冒頭部分(原稿用紙29枚) 2004/11/24(水)00:28 名無し君2号 (18303)
┣【1155】 2号長編、「天帝の騎士(仮)」冒頭部分改稿(原稿用紙21枚) 2004/12/2(木)01:08 名無し君2号 (13785)
┣【1188】 『ろり魔女(仮)』プロット 2005/2/11(金)01:20 名無し君2号 (19780)
┣【1189】 2/11分、『ろり魔女(仮)』本文、No.1 2005/2/12(土)01:28 名無し君2号 (3822)
┣【1190】 2/12分、『ろり魔女(仮)』本文、No.2(8400文字) 2005/2/13(日)15:11 名無し君2号 (12180)
┣【1191】 2/15分、『ろり魔女(仮)』本文、No.3(文字) 2005/2/16(水)00:56 名無し君2号 (12167)
┣【1192】 2/16分、『ろり魔女(仮)』本文、No.4(7700文字) 2005/2/17(木)01:49 名無し君2号 (10266)
┣【1194】 2/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.5(5000文字) 2005/2/20(日)03:43 名無し君2号 (7975)
┣【1195】 2/21分、『ろり魔女(仮)』本文、No.6(10000文字) 2005/2/22(火)01:25 名無し君2号 (14776)
┣【1196】 2/23分、『ろり魔女(仮)』本文、No.7(6400文字) 2005/2/24(木)02:36 名無し君2号 (9828)
┣【1197】 2/25分、『ろり魔女(仮)』本文、No.8(5000文字) 2005/2/26(土)01:29 名無し君2号 (7024)
┣【1198】 2/26分、『ろり魔女(仮)』本文、No.9(11000文字) 2005/2/26(土)21:24 名無し君2号 (15477)
┣【1200】 3/1分、『ろり魔女(仮)』本文、No.10(3600文字) 2005/3/2(水)00:46 名無し君2号 (5197)
┣【1201】 3/3分、『ろり魔女(仮)』本文、No.11(3600文字) 2005/3/4(金)00:12 名無し君2号 (3416)
┣【1202】 No.11、ボツ版 2005/3/4(金)00:18 名無し君2号 (4173)
┣【1204】 3/5分、『ろり魔女(仮)』本文、No.12(4000文字) 2005/3/6(日)22:26 名無し君2号 (5763)
┣【1207】 3/8分、『ろり魔女(仮)』本文、No.13(16000文字) 2005/3/10(木)00:42 名無し君2号 (21483)
┣【1208】 3/12分、『ろり魔女(仮)』本文、No.14(17000文字) 2005/3/12(土)22:41 名無し君2号 (22201)
┣【1210】 3/14分、『ろり魔女(仮)』本文、No.15(5000文字) 2005/3/14(月)18:54 名無し君2号 (7682)
┣【1211】 3/15分、『ろり魔女(仮)』本文、No.16(9000文字) 2005/3/16(水)01:13 名無し君2号 (12155)
┣【1212】 3/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.17(28000文字) 2005/3/20(日)17:01 名無し君2号 (35837)
┣【1213】 3/19分、『ろり魔女(仮)』本文、No.18(7200文字) 2005/3/20(日)19:14 名無し君2号 (9870)
┣【1214】 『ろり魔女(仮)』全文統合版(124ページ、原稿用紙327枚) 2005/3/21(月)08:38 名無し君2号 (207911)

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