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1255 「宝物のハンカチ」 完全版+補助輪付き 5/22 まこと
2005/5/22(日)00:24 - まこと - 2716 hit(s)

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「宝物のハンカチ」 完全版+補助輪付き 5/22 まこと

 サツキは牛乳を飲み干した。ポケットからハンカチを出し、口を拭う。手も拭くフリをして、ハンカチ越しに和浩を眺めた。
 ――寝起きの顔もいいなぁ。
 ダイニングテーブルをはさんだ向かいがわに、和浩がいた。まばゆいばかりの朝日に包まれている。
 サツキはハンカチをいじるフリをしては、寝ぼけ顔を盗み見した。
 いつもはキリッとした目鼻だちが、リラックスモードになっている。
 和浩は家名をついでくれた。姉、亜紀のお婿さんだ。
 斜め座りして、熱心に新聞を読んでいる。
 キッチンにはふたりしかいなかった。休日のせいか、みんな朝寝坊をしている。
 和浩ががさがさと新聞をたたんんだ。ばさりと横に置く。
「サツキちゃん、朝強いんだな」
「そうかな……。あ、トースト、冷めないうちにどうぞ」
「ん、ありがと」
 ――ほんとはね、合わせて早起きしてるのよ。
 和浩がにっこりした。ばくっとトーストにかじりつく。
 サツキは手が止まっていたことに気づいた。あわててトーストの食べかけをちぎりだす。それをしずしずと口に運んだ。
 新婚のくせに、姉はまだ起きてこない。こんなすてきな旦那さまをほったらかしにするなんて。姉はおバカさんだと思う。
 ――あたしなら、うーんと大切にしてあげるのになぁ。
 和浩がピンク色の目玉焼きをつついていた。半熟の目玉焼きが好物なのだ。練習してものにした、サツキの自信作だった。
「おう、なんだ。亜紀はどうした。旦那そっちのけで寝てるのか」
 ゴルフバックをかついだ父が入ってきた。
「君も君だなぁ、女房はしつけが大事なんだぞ。たたき起こさんかい」
 自分のことを差し置いて、父が笑った。
 和浩は姿勢を正してうなずいていた。
 父がふたたび笑う。すぐに起こせよと言い残し、ゴルフへ出かけていった。
 和浩は言いつけを実行に移すことなく、トーストをほおばっている。
「お姉ちゃんてば、お嫁さん失格」
 サツキは腕を組んだ。イスにもたれかかる。
「そぉ? すぎた奥さんだと思ってるよ」
 ごく自然な感じで言った。サツキ特製のカフェオレに手を伸ばす。
 胸に冷たい痛みがあった。頭の奥に、ずしっとした重みを感じる。
 そう、和浩は姉のお婿さんなのだ。
 どんなにぞんざいな扱いを受けても、姉がいいと思っているのだ。
 ――わかってるもん。いいんだもん、べつに。
 サツキはハンカチを広げた。丁寧に手を拭く。それから、口もとにもっていった。
 ハンカチで口もとを覆う。
 覆われた口もとを、そっと動かした。音をださずに、ス、キ、としてみる。
 和浩は気づかない。カフェオレをおいしそうに飲んでいた。
 サツキも和浩も朝食をたいらげてしまった。向かい合わせの食事タイムは終わりだ。
 楽しい時間はあっという間にすぎるものだなと思う。なんとも名残惜しかった。
 しかたなく、ごちそうさまをした。のろのろと皿やコップを片付けはじめる。
 がちゃがちゃと鳴らしながら、ステンレス製のシンクにおろした。
 和浩はどうしているのかと、振り返った。リモコンを持って、隣のリビングにあるテレビをつけた。サツキに背を向ける格好になる。
 テレビでは、お天気情報をやっていた。
「晴れマークだ。今日はお天気みたいね」
「んー」
 気のない返事だった。
 天気を気にするということは出かけてしまうのかもしれない。姉とふたりで出かけていくのだろう。
 スポンジを握りしめ、コップや皿を泡だらけにした。体は和浩のほうに向けたまま、ザーザー水を流す。
 和浩がテレビの音量を高くした。
 邪魔をしてしまったと、あわてる。手早く泡を洗い流し、蛇口をひねった。そうして食器は拭かずに、イスに戻った。
「今度のお天気お姉さん、現役女子大生なんだって」
「ふーん、そう」
 和浩が席を立った。グレーのスエットはすらっと縦に長い。うしろ姿になってキッチンをあとにした。
 うるさかったのかなと後悔した。なんだか寂しくなる。
 和浩はソファーに座るでもなく、うろうろしていた。サイドボードの引出しを開けてのぞいている。
 探し物らしい。
 サツキはだいぶきを手にした。腰を浮かしてテーブルを拭く。腕を振り払うしぐさで、力を込め拭いていった。
 ふと視線を感じて、手を止めた。
 テーブルの向かい側に、和浩が立っていた。
 サツキはだいぶきを両手で握ると、背を伸ばした。
「お誕生日おめでとうー。ジャーン」
「えっ」
 さしだされたピンクの包みには、赤いリボンがしてあった。
 思考が止まった。
 手からだいぶきがすべり落ちていく。両手が空いて、機械的に差しだしていた。
 黙ったままで、包みを受けとる。震える指先で、リボンをとった。
「私ったら、聞きもしないで。これ、開けていいの?」
 笑顔の和浩にホッとして、包みをといた。中からピンク色のハンカチが出てくる。サツキ好みの色合いだった。
 ふっと疑問がわいた。折り目のはっきりしたハンカチを、箱ごとテーブルに置く。
「お姉ちゃん、でしょ」
 すると同封されていたカードを指で示してきた。手書きのものだった。それを、読めというのだろう。
「選ぶの、けっこう、恥ずかしかったぞー。かずひろ……?」
 見上げると、鼻の頭をかいていた。
「君のお姉ちゃんはねー、誕生日も覚えてませんでしたー。ぜぇーんぶ、俺がやりました」
 たしかに姉は、誕生日プレゼントなんて気のきいたことをするタイプではなかった。
「誕生日も覚えてたし、好みはリサーチしておいたし、自分で買いにいったし。すっごい、マメだろ?」
 和浩が店員さんに相談する姿が浮かんできた。まわりを気にしながら選んでくれたのだろう。
 プレゼントのお礼を言おうとする。けれどほんとうは、お礼よりも言いたいことがあった。言いたいというより、聞いてもらいたいことだった。
 ――本当は、あなたが好きなんです。
 和浩が目を細くして微笑んでいる。プレゼントをもらったサツキより、うれしそうだった。
 そんな和浩を困らせる言葉など、言えるはずもなかった。
 サツキはハンカチを抱きしめた。ハンカチはのりがきいている。かたさのある手触りだった。
「ありがとう、大事にするね」
 和浩がくれた。それがなによりのプレゼントだった。
「おおげさだな」
 和浩が手を鼻の頭に持っていく。照れたときのクセだ。クセは他にもある。緊張すると髪を触る。退屈すると爪をはじく。姉に怒られると一瞬だけ子供っぽい顔をする。
 和浩のことならなんでも知っている。けれど和浩はサツキの想いに気づいていないだろう。
 あらためてハンカチを見た。それをテーブルに広げた。木綿のハンカチだった。色は淡いベビーピンクだ。濃いピンクへと微妙にグラデーションがかかっている。ぼかしの入ったものが好きなのだ。
「実は、ね。探し物をしてるんだけど、さ」
 口調がはっきりしなかった。
「ハンカチ、なくしちゃったんだよ。木綿でね、色はそう、薄いみずいろなんだ」
 サツキの手が一瞬だけ止まった。ほんの一時だ。
 ――あれだ。どうしようバレたのかな。
 頭にパステルカラーのハンカチが思い浮かんだ。みずいろのハンカチだ。正直なところ何日も前から使っていた。手になじんできている。けれど家にはない。ハンカチは学校にある。ロッカーの中だ。箱に入れてしまってある。
 和浩が大切にしているのは知っていた。和浩が大切にしているハンカチだから欲しくなった。だから盗った。
「知らない」
 サツキはハンカチを丁寧にたたんでいった。
「そっか、そうだよな。ほら、サツキちゃん木綿のハンカチいっぱい持ってるだろ。色も好きそうなヤツだし。まぎれちゃったかなぁとかさ……ごめん。あ、いや、疑ったわけじゃないんだけど、その」
 声のトーンが高めになった。手振りをまじえて説明してくる。
 和浩から目をそらせた。そうして手元のハンカチをいじくった。手になじまない感触だった。手触りがざらざらとしている。
「誕生日のプレゼントなんだ。めずらしく亜紀がくれたんだよね」
 サツキの手が止まった。
 ――違う。あれはプレゼントじゃない。ジュースの景品なの。
 手をハンカチから離した。
 ――プレゼントなんか用意する人じゃないでしょ。これでいいやなんて言う人でしょ。あたしならちゃんとしたプレゼントをあげるのに。好みだってわかってるのに。休みの日だって和浩さんより早く起きられるのに。あたしなら、あたしのほうが……。
 息がつまった。胸が苦しくなる。
 サツキはストンとイスに座った。声をあげて泣きたい気分だった。泣きながら打ちあけたくなった。ハンカチを隠していることを。
 ――こんな硬いハンカチ、いらない。あたしが欲しいのは、あのハンカチなの。だって、こんな硬いハンカチじゃ涙は吸えない。
 テーブルにハンカチがあった。真新しいハンカチだった。サツキは両手を伸ばした。手をハンカチに乗せる。そして、和浩のほうへと押し出した。
 ――あたしのほうが和浩さんを大切にしてあげるのに。お姉ちゃんなんかよりずっと。そう、宝物みたいに。
 ハンカチを盗んだ。その本当の理由をサツキもわかっていなかった。そのことに今、気がついた。
 ――大切にされたいのはあたし。あたしだった。
 サツキは涙をこらえていた。
 ――気づかれちゃった、よね。
 相手は和浩だ。気づいていないかもしれない。伏せた頭に視線を感じる。ここで泣くわけにはいかなかった。冗談だよと言って顔をあげなくてはならない。
 短い間に頭をフル回転させて考えた。なにくわぬ顔を作ることにした。その顔を上げて見せる。
「サツキちゃん、怒った? そりゃ怒るよなぁ。わるい! 俺って、人怒らせんの上手いんだよねー。まいったなー、許してくれる?」
「う、んん」
 カン違いぶりは予想を越えていた。ホッとした反面で、やっぱり気づいてはくれないんだなと思う。
「なんて言うのかなー。自分の推理は、絶対に正しい。なーんて思っちゃってさぁ」 
 そういう悪びれないところに、ひかれる。
 普段のサツキは人見知りをする。けれど人見知りをせずに話せたことがある。その相手が、どこかとぼけた、それでいて素直な和浩だった。話をするたび、自分まで素直になった気がする。気がつけば、目で追いかけるようになっていた。
「よかったー。範子に怒られるとこだったー。こえーからなぁ、君のお姉ちゃん」
 想いが大きくなればなるほど、うれしさや楽しさは減っていく。どんどんつらくなっていく。
「かっこわる」
「なんだよ、ひでぇなぁ」
 サツキは笑った。ふ、ふ、と二回、鼻で笑った。上手に笑えた。
「え? サツキ、ちゃん?」
 驚いた表情の和浩が腰を浮かせた。テーブルに左手をつく。その姿がぼやけていた。鼻の奥が熱い。
 ポトッという音が聞こえてきた。涙がこばれた音だった。小さな涙の粒でも音をたてることはできるらしい。
「ど、どうした? そんなに傷つけちゃった?」
 和浩がイスの背もたれをつかんだ。立ち上がる姿が、ゆがんだり、はっきり見えたりをくり返している。次から次から涙があふれてきている。
「ちが……う、の。あのね、あの……ね」
 しゃくりあげながら、言ってしまおうとした。言いたかったあのことばが、のどのところにあった。すぐに出せるところにあった。
 ――好き。
「カーズー!」
 声は部屋の外から聞こえた。二階で怒鳴っているのかくぐもって聞こえる。機嫌の悪そうな響きだった。
「わっ、とっ」
 和浩は斜め上を見た。すぐに顔を戻す。そして、サツキを見つめてくる。返事もせずにおたおたしていた。和浩がどうするのか見守っていた。結果はわかっている。サツキが許せば、姉のところへ飛んでいくのだ。今か今かと待っているのが、よくわかった。
 引き止めるのは簡単なことだった。許さなければいいのだ。
 ――行っちゃダメ。お願い、行かないで。
 無駄なことだ。わかっている。
「和浩さんの、ばか」
 ――こんなに好きなのに、どうしてわかってくれないの。
 パタッと和浩の動きがやんだ。体はドアに向かっている。顔だけがサツキに向いていた。
「うめ合わせはするよ。ごめん」
 顔の真ん中に開いた手を立てた。ばたばたと廊下に飛び出していく。
 ――変なの。これでも気づかないなんて。
 今度こそふふふと声をたてた。
「ばか」
 ――でも、ほんとにおバカさんなのは……あたし。
 テーブルにしずくが落ちる。そのそばに、ハンカチがポツンと残されていた。


〔ツリー構成〕

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┣【1253】 「宝物のハンカチ」 短編の結 5/21 まこと 2005/5/21(土)13:23 まこと (3022)
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┣【1231】 「ひと足早い夏」 転のセルフリライト 5/12 2005/5/12(木)07:33 まこと (2300)
┣【1240】 「ひと足早い夏」 結のセルフリライト 5/15 2005/5/15(日)09:54 まこと (2347)
┣【1241】 「ひと足早い夏」 セルフリライト全文統合版(原稿用紙15枚) 2005/5/15(日)10:07 まこと (9672)
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┣【1262】 「犬と猿と」 短編の前編  6/4 まこと 2005/6/5(日)01:12 まこと (5511)
┣【1264】 「犬と猿と」 短編の後編  6/5 まこと 2005/6/6(月)00:14 まこと (7982)
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