前の画面〕 〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕 〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了

1123 No.119「深く重く、そして強く」全文結合版(原稿用紙370枚)
2004/10/24(日)19:26 - 名無し君2号 - 18836 hit(s)

現在のパスワード


   深く重く、そして強く

       1

 ピアノの音が、教室のなかに満ちていた。
 机に寄りかかりながら、草一郎はその旋律に身をまかせる。冷たく透きとおった音色。曲はたしかドビュッシーで、「月の光」。
 草一郎はまぶたを閉じる。
 放課後の音楽室が、夜の湖に変わる。
 さざなみに揺れる湖面に、鮮やかに月が映っている。すこし冷たい空気が、かえって心地よいぐらい。空は満点の星だ。
 草一郎は静寂を感じていた。
 たしかに音が鳴っているにもかかわらず。
 旋律に抱かれているにもかかわらず。
 その世界は静かだった。
 輪郭をかたち作っているのは――ピアノを奏でているのは、長い髪の女性。純白のドレスに、漆黒の髪が重なり、濡れたように輝く。ほっそりとした指先が、鍵盤に沈む。
 そう――眼を閉じてさえいれば、そう感じることができる。
 だけど、現実はいつだって残酷だから。
 草一郎はまぶたを開く。
 古ぼけたグランドピアノが目に入った。穏やかな午後の光を浴びている。まわりには机が並び、そのひとつに草一郎は寄りかかって立っていた。
 曲は終わりを迎えようとしている。
 終わらせようとしているのは、女性だった。――合っているのはそれだけだ。
 髪は三つ編みだった。おまけに金髪だった。学校の制服であるブレザーを着ていて、胸のワッペンは二年生であることを示していた。草一郎のひとつ上だ。
 彼女の左手が、最後の音を叩く。
 深みのある低音が、教室のなかに広がった。
「――で、先輩」
 音が完全に空気に溶けるのを待って、草一郎は切りだした。彼女、赤羽根凛子は、いったいなんの用があって、こんなところに呼びだしたのか。
 まさか演奏を聴かせるためじゃないでしょう?
「いったいなんのようなんス――」
「ベース弾け、草一郎」
 間髪いれずに返事がきた。
「……は?」
 間の抜けた顔と、間の抜けた声でもって、草一郎は答えた。凛子は笑っていない。鍵盤から手をはずし、ペダルから足をはずし、草一郎に向きなおる。
「あたしと組まないか、といってる」
 ごきゅ、と草一郎は唾を呑みこんだ。
「おれはすでにバンドやってます。それにおれは」
 凛子はひらひらと手を振る。
「知ってるよ。ギタリストなんだろ。バンドも見たことがある。だからいってる。草一郎には才能がないよ」
 意味を理解するのに、かっきり十秒かかった。草一郎は強ばり――とりわけ「才能がない」に反応し、凛子をするどく睨みつける。口元を歪ませた。
「おれも先輩のことは知ってます。バンドのメンバー全員に逃げられたんですよね?」
 彼女は有名だった。
 さっきのピアノの腕前でもわかるように、凛子にはクラシック音楽の素養がある。うわさではコンクールで優勝したこともあるらしい。
 なのになぜかギターなんて弾いている。
「すこし違う」
 凛子は笑顔を見せた。八重歯が尖っていた。
「あたしがあいつらを追いだしたんだ」
 ルーツから考えれば、もう少し理知的でもよさそうなのに。
 ロック畑のだれよりも、凛子は感性と衝動の二文字に忠実だった。それはもう、だれもついていけないほどに。なんどもバンドを結成しては、独りになった。それの繰り返しだ。
 だから彼女は有名で、問題児でもあった。
 草一郎は凛子と真っ正面から見つめあう。
 最初に視線をそらしたのは、草一郎だった。
「なんでおれなんスか。だって、才能ないんでしょ」
「才能がないのはギターに関して。ベースはべつ。草一郎は背が高い。手もでかい。ベースに向いてるだろ?」
 たしかにベースはフレット――ピアノでいうところの鍵盤にあたる――の幅が広く、正確にす速く指で押さえるのは、小さい手よりは大きい手のほうがいい。自明の理ではある。
「だけど、そんなことで」
「リズムだって正確。なにより大切なのは、その従順な性格」
 ぐぐ、と草一郎は奥歯を噛みしめる。
(草一郎くん、いいひとなんだけどー……)
 けど? けどなんだ? 期せずして心の奥がえぐりだされた。
「わがままな奴じゃなきゃ、六本弦の楽器は無理だよ」
 追い打ちだ。なんとか力をふりしぼって、草一郎はあざ笑う。
「先輩のように、ですか」
 凛子もあざ笑った。八重歯が犬歯に見えた。
「そう。あたしのように、だ」
 感性と衝動。
 技術の無い奴がほざいたら、ただのいいわけにしかならない言葉。
 凛子には知識があり、技術がある。さらには自信と覚悟まで。
 ――じゃあ自分は?
 草一郎の笑いは、どこかに引っこんでしまった。それでも反撃を試みようとする。なかば無駄な努力だとわかっていても。
「おれは――」
 反撃は、音の壁にさえぎられた。
 ピアノの鍵盤の低音部分に、凛子の左手が叩きこまれている。びりびりとした重い音が、草一郎の体を、震わしながら通りぬけた。
「下っ腹にくるだろ」
「へ」
 凛子は右手で指さす。草一郎の股間を。
 かえって草一郎のほうがへどもどとなって、股ぐらを手で押さえた。頬が熱くなる。
「な、な、なんスか」
「低音は下っ腹にくるんだよな。そこにはなにがあると思う」
 にやにやと笑っている。
「ナニがあるだろうが」
 丸々と口を開ける草一郎の目の前で、凛子は足を組んだ。
 やけに大きな動作だったので、短いスカートがひらりと舞って、当然の結果の帰結ながら奥にかいま見えた布の色はグレイだったのでなんだか色気ないなあと思いつつ、はっと我に返って草一郎が顔をあげると、「ふふん」と言いたげな顔つきで凛子は見おろしていた。凛子は座り、草一郎は立っているのに。凛子のほうが位置関係は下なのに。
 間違いなく――凛子は見おろしていた。
「男はタマタマだよな……。女は子宮があるわけよ。ブチこみたいとは思わないか、草一郎。深く重く、そして強い低音を、ぐりぐりとねじこみたいとは思わないか? できるんだよ、ベースなら」
 はい。草一郎は素直にうなずく。
「ベース弾け、草一郎」
 はい。草一郎は素直にうなずく。
「ちなみに上はスポーツブラだったりするけど。こういうの好きだろ、草一郎」
 ……はい。やや間があって、草一郎は素直にうなずいた。
 知識に技術に自信に覚悟に、感性に衝動。
 なんでいつも凛子が独りなのか、そして自分を選んだ理由が「従順な性格」だったのか、なんだか腑に落ちてしまった。
 凛子は笑っている。八重歯を覗かせながら。
 腰を後ろに引いた、ちょうどへっぴり腰とよばれる格好で、座っている女性に見おろされながら、草一郎は三年間弾き続けてきたギターを捨てることを決意した。

     2

 夜空には、星のひとつもまたたいていない。草一郎の視界には、ただのっぺりとした濃紺が広がっているだけだった。
(こんなものだったっけ……?)
 昔はもっときれいだったような気がする。
(気のせいかな)
 思い直して、草一郎は、ふう、とひとつ息をはいた。視線を正面に戻し、目を細める。
 目の前をサラリーマンが行きすぎた。ややあってからヒップホップ大好き、といった格好の男たちが、三人連なって歩きぬける。
 もう人影もまばらになっていた。
 雑に並んだ自転車の群れの奥には、たまに猛スピードで車が通りぬけるアスファルトの道路があり、さらにその向こうにはすでにシャッターの閉じた店が並んでいる。草一郎の足元から長い影が伸びているのは、背後から二十四時間営業のコンビニエンスストアの光に照らされているからだった。
 ここは街の中心に位置する、大通りの一画だった。季節は春とはいえ、夜だとまだすこし肌寒い。なんでこんな時間に、こんなところに草一郎がいるのかといえば、もちろんスモッグで汚れた夜空を見るためではない。
(遅いな……凛子さん)
 腕時計を眺めて、草一郎はため息をつく。
 残念ながら草一郎は携帯電話は持っていない――そんな金があったら、ぜんぶCDや楽器のために使ってしまう――ので、待ち人と連絡を取ることができない。
 夜の街、たしかに危険ではある。もっとも、身長一八〇センチの草一郎に絡むやつもそうはいない。むしろ補導される心配のほうが高かった。いちおう私服ではあったが、草一郎は童顔だし、眼鏡だし、おまけに高校一年生なのだから。
 運よく補導員にも出会わず、草一郎はひたすら暇に耐えている。星のない星空なんて見ちゃうほどに。
 それはいい。それはいいんだけど。
 顔をしかめ、草一郎は肩をゆすった。肩に食いこんでいるストラップの位置をずらす。強ばりをなんとかほぐそうと、草一郎は肩をまわした。
 草一郎は背に大きな荷物を抱えていた。
 ソフトレザーに包まれた、およそ一メートルほどの縦に細長い荷物――。
 ベースだった。
 待ち人である赤羽根凛子より、楽器持参の上でこの場所に来るように、との命令が下ったのは、草一郎が凛子のバンドに加入して、一週間後のことだった。
 ちなみに、そのあいだの連絡は一切なし。
 ただ、ベースとアンプを渡されて、『指示したとおりに練習するように』と言われただけだった。ベースとアンプ、とひとくちでいうが、決して安いものではない。草一郎の見立てでは、合わせて三十万もするのではないだろうか? それをいきなりライトバンに載せて草一郎の自宅にやってきて、命令ひとつと一緒に置いていってしまった。だいたいにして、自宅の住所を教えた記憶など、草一郎にはまったくないというのに。
(運転手もだれだったのやら)
 品のよい中年だった。凛子とどういう関係なのか、まったくわからない。
 ともかく謎が多すぎる。
 伝説も多すぎる。
 想像と破壊――ロックに限らず、あらゆる表現技法というのは、そのくり返しだ。
 だからってなにも、日常生活までロックンロールじゃなくてもよいだろうに。凛子の場合、とくに破壊の比率が高い。高すぎる。
 これもそのひとつに入るのだろうか。
 なんといっても、もう一時間も立ちっぱなしで待たされているのだから。
(帰ろうかな……)
 何度目かの逡巡をしたとき。
「よーう、草一郎」
 なんの反省も感じられない声が、風にのって草一郎の耳に届いた。
 草一郎の肩に不調を抱かせた張本人、赤羽根凛子が、平気な顔で歩いてくる。その手には漆黒のギターケースを持っていた。草一郎のようなソフトケースではなく、しっかりとしたハードケースだった。あれならたとえ落としたとしても、なかのギターは壊れないだろう。
「……先輩。いま何時だと思ってんスか」
 なるべく抗議が伝わるように、草一郎はじっとりと凛子を睨んだ。
 真っ黒いワンピースに、おなじく黒いカーディガンをはおっている。今回、髪の色は紅くなっていた。三つ編みであることに変わりはなかったが。
 ひとつの疑念が、草一郎の頭のなかにうかぶ。
 まさか、髪の色を変えるために遅刻したのか?
 ――この人ならやりかねない!
 顔を引きつらせる草一郎にはおかまいなしで、凛子がそばに立つ。
「草一郎、ちゃんと練習はしてきたか?」
「も、もちろんスよ」
 ムッとなりながら、草一郎は答えた。
「手、だす」
 素直に草一郎は左手を差し出す。凛子はその指先を、ひとつずつ確かめはじめた。冷たいな、と草一郎は感じていた。冷たい指で凛子は、草一郎の指先にできた硬いタコを、ぐ、ぐっと押していた。右手の薬指には指輪がはめられている。ドクロの指輪だった。
「――よし」
 凛子は八重歯を覗かせた。
 内心、草一郎はホッと胸を撫で下ろす。
 ギターやベースの弦は金属で出来ている。その材質はニッケルやステンレスで、いわば表面のざらついた針金である。そんな弦に、指を走らせたり、文字どおりに滑らしたりするのだ。初めてベースを弾いたものなら、一時間も触っていれば指先に痛みを感じるだろう。下手すれば皮膚が裂ける。血がでる。
 草一郎は前にギターを弾いていた。三年間、ほぼ毎日、ギターをいじり続けていた。おかげで指先は硬い。それでも、ベースに転向したことで、指先はさらに硬くなった。弦の太さが、テンション――どれだけの力で弦を押さえれば、音を鳴らすことができるのかという意味――が、ぜんぜん違うからだ。ベースのほうが負担がはるかに大きい。
 きちんと練習していたならば、指先は前より硬くなる。
 凛子は、それを触って確かめたのだった。
「今回は草一郎がキモだから。頑張ること」
 そう言い残し、凛子は歩きだした。凛子の手の冷たさと感触を、指先でじっくり味わっていた草一郎は、あわてて追いすがった。ゆれる真紅の三つ編みに話しかける。
「それってどういう意味っスか。あと、その髪の色はなんスか」
 凛子は携帯電話を眺めていた。背中越しに草一郎が覗くと、デジタル時計が映っているようだった。
「このままじゃ間に合わないな……。よし、草一郎、走れ!」
 携帯電話を折り畳んで懐にしまうなり、凛子は歩道を駆けだした。
「ちょ、ちょっと……先輩! 凛子先輩!」
 草一郎も駆けだす。ぎょっとした顔のサラリーマンの横をすり抜け、アルコールの匂いに顔をしかめながら、遠ざかる真っ赤な髪と、その下でひるがえっている真っ黒なワンピースのふちを追いかけた。――ほっそりとした太ももが、ネオンに押しやられた闇のなかでも、鮮やかだった。
 背負ったベースがゆれる。
 ああ、肩が痛え。息が切れる。なのに遠ざかる太もも。
 いつか追いつけるんかな。そう思いながら、草一郎は夜の街を駆けた。


 はあ、はあ、はあ……。
 膝に手をあて、草一郎は荒い息をついていた。背負った楽器が、ずっしりと肩に重い。ひたいからしたたる汗を、袖で拭った。
「体力ないなぁ、草一郎」
 草一郎は顔を横に向ける。
 あえぐ草一郎のとなりで、凛子はもう息を整えはじめていた。
「ライブやるには体力も必要。もうちょっと頑張れ」
 どういう人だよ……。
 なかば呆れながら、草一郎はうすく汗ばんだ凛子の横顔を見つめる。
 凛子の手には、黒いギターケースがあった。
 種類によって違うが、中身のギターはだいたい三キロから五キロほどの重さがある。ケース自体の重量も、草一郎の背負っている皮のソフトケースと違って、スーツケースがギターのかたちになったような、いわゆるハードケースなので、たぶん二キロ近くあるだろう。
 それだけの重量を手に持って、街中を走りまわって、どうしてこの人は平気なんだ?
 「時間がない」とのひと言で、先導する凛子について草一郎は繁華街のなかを走りまわった。ぎらぎらと輝くネオンの下、アルコール臭いサラリーマンたちをかわしながら走り、裏道に入る。飲み屋の看板と、窓から洩れる明かりだけが照明の裏通りを抜けて、ようやくこの建物の前で止まった。
 草一郎は目の前のビルを見上げる。
 かなり年期の入った外観だった。クリーム色の壁はだいぶ色褪せている。その壁を夜から浮かびあがらせている、ビルの脇に付けられた看板には、バーやキャバクラの店名が並んでいた。
「ほら、いくよ」
「あの、凛子さん?」
 なかに入ろうとした凛子が、なんだ? とばかりに振り向いた。
「ここ、タコビルっスよね」
「そう」
 タコビルというのは、このビルの愛称だ。本当の名前はオクト興業ビルで、オクトだからオクトパスで、転じてタコになったらしい。
「今日は練習じゃなかったんスか」
「なんの話?」
 あっさりと凛子は否定した。
「いや、だって……」
 草一郎は背負った楽器を示す。
 普通、楽器を持ってこいなんていわれれば、スタジオにでも入って練習するかと思うものだ。そもそも草一郎が凛子と一緒にやると決めてから、一度たりとも音を合わせたことがないのだから。
 ところが、タコビルに貸しスタジオはない。
 あるのは――ライブハウスだけ。
 ライブハウスというのは音楽を聴きに来るところだろう。なんで楽器を持ちこまなければならないんだ?
「くればわかる――いくぞ」
 例の八重歯を見せて、凛子は笑った。真紅の髪とあいまって、その表情はまるで悪魔の甘く恐ろしい微笑みに見える。そのまま背中を向け、ビルの入り口、蛍光灯の点滅する通路の奥へと消えた。悪魔の笑顔を残像にして遠ざかってゆく赤髪の三つ編みを、草一郎は口を半開きにして見送っていたが、やがて我に返り、あわてて後を追いかけていった。

 軽い衝撃とともに、ヤニ臭いエレベーターが停止した。階数の表示は四階を示している。充分すぎるくらいの間をとってから、ドアはぎこちなく開いた。
 とたんに伝わってくる振動。
 一定のテンポ――かなり速い――を保った「重み」が、草一郎の体に響いていた。カーステレオを爆音で鳴らして走る車から洩れ聞こえてくる音、それに近い。バスドラムの音だと、草一郎は聴いてとった。
 ――近くでライブがおこなわれている。
 それもこのBPMの速さ――ビート・パー・ミニット、ようするに楽曲のテンポのことだ、それから考えると、だいぶハードな曲のようだ。
 テンポが遅ければバラード。
 テンポが速ければ激しい曲。
 たいていはそんなものだ。テンポが速くなればなるほど、曲というのはエグく、荒々しくなる。
 凛子と一緒に、草一郎は四階、重低音の響くなかへと足を踏みいれた。
 元は白だったのだろうクリーム色の壁が、ときおりビリ、と震えている。
 その振動で、草一郎はあることを思いだしていた。
 タコビルのライブハウスでは、どんなジャンルの音楽を主にやっているのか、だ。
 ひとくちにロックといっても、いろんな種類がある。
 ブルーズ、パンク、ロカビリー、カントリーロック、ビートロック、ロックンロール、ハードロック、プログレ、ニューウェーブ、デジロックにメロコアなどなど、ホントにまあ、いろいろ。
 で、ジャンルごとにライブハウスも違ってきたりする。
 もちろん幅広いジャンルを受け入れるライブハウスもある。逆に非常に狭いジャンルしか受け入れないライブハウスもある。そしてタコビルは後者。
 問題はそのジャンルで、タコビルはいわゆるパンクやハードコア、つまり衝動だけで作られた音楽というか、そういった過激――奏者も観客も――な音楽ばかり演奏させる場所だということだった。
 草一郎も、凛子に引っ張られる前、バンドを組んでいたことがある。
 なんどかライブをやったこともあった。草一郎はブリティッシュロック――湿っぽい音を鳴らすものだと思ってもらえばいい――をやっていて、だからあんまりそういう過激な音楽とは近しくない。当然、タコビルの話は聞いていても、来たことはない。
 そんなことに思いを馳せていたとき、前方にいる人影に視線が止まった。
 モヒカンヘアー。
 むき出しの二の腕にはタトゥー。
 大きなドクロの書かれたTシャツを着て、ボロボロのジーパン、でもってなぜか腰には手錠がくくりつけてある。
 なにより、鋭い眼。
 草一郎は体が強ばるのを感じていた。背筋をぞくぞくと駈け上がってくるものがある。
 いわゆる苦手なタイプだった。
 ――ぶっちゃけ、怖い。
「あの、凛子さん?」
「ん」
 振り向かず、凛子はずんずんと前に進んで行く。蛍光灯がちかちかと点滅していた。ビルの入り口もそうだったなと、草一郎は思いだす。
「どうするんスか。こんなとこに楽器なんか持ちこんで、まさか飛びこみでライブする気じゃないっスよね」
 冗談のつもりだった。
 ぴたりと凛子の足が止まる。
「……なかなかいい線ついてる」
 振り向いた凛子の顔は、いつもの無邪気な、だからこそ恐ろしい笑顔だった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! だっておれたち、一回も音を合わせたことないんスよ!」
 無謀にもほどがある――そんな草一郎の言葉も待たず、凛子はすたすたと歩いていってしまう。
 凛子さん、ともう一度声をかけようとして、草一郎はその言葉を呑みこんだ。
 モヒカンな彼が凛子に気づいたからだ。
「あー……」
 彼が開いた口のなかは、前歯が三本なかった。
 凛子は立ち止まり、モヒカンに視線を向ける。
 草一郎はつばを呑みこむ。
 長い時間が流れた――ように草一郎は感じた。
「凛子ちゃんじゃんかぁ」
 モヒカンな彼が見せたのは、満面の笑顔だった。
 一方、凛子は軽く目を細め、首をひねる。
「――だれ?」
 がくん、とモヒカンが肩を落とす。
「冗談キツいよ、凛子ちゃん……。おれだよ、おれ、シバだよシバ。柴崎だってば」
 思ったより人の良さそうな声だった。
 身振り手振りを交えながら、柴崎はあれやこれやと説明しはじめる。――が、凛子はうざったそうに手を振ってさえぎった。
「わかったわかった。それでモヒカン、あたしになんかようか?」
 見るからに柴崎は落ちこんだ顔つきになる。
「ひどいなぁ……おれの頭をカチ割ったの、忘れたの? ホラ、ここにキズが……」
 そう言って下げた頭の、ちょうど真ん中を区切って伸ばされた髪の左側に、縫合した傷跡があった。五針は縫っているだろうか。
「ビンでさ、ゴバーンって。血ィ、ダラダラって。あれからおれ、凛子ちゃんのファンなんだあ。だから、これ自慢なのね」
 うっとりと柴崎は目尻をさげた。眉毛はなかったが、もしもあれば、そっちもさがっていたのだろう。
 凛子はつまらなそうに見つめるばかり。
「いくぞ、草一郎」
 かまわず、凛子は先を急ごうとした。
「あ、ちょっと待ってよ凛子ちゃん。ライブならもう終わりだよ。いまは最後のバンドがやってるところ――それももう終わっちゃうよ」
「いいんだよ」
 そのまま通路の奥、閉めきられた扉へと凛子は向かう。
「それに用があるんだから」
 柴崎は目を見開く。
 へへ……とだらしなく笑った。
「そうか、やるんだね、凛子ちゃん。おい、頑張れよ、お前!」
 そう言って柴崎は草一郎の腕を叩いた。
 いったい、なにを頑張ればいいんですか?
 問いかけてみる勇気は、草一郎にはなかった。なにより、扉の前で凛子が睨んでいるし。
「早くしろ! 草一郎!」
「はい!」
 あわてて駆けよる。
 凛子が扉を開き――いきなり、「重さ」に打ちのめされた。
 最初、なにがなんだか草一郎にはわからなかった。
 体をブッ叩くものがある。
 体を震わしてくるものがある。
 体を突き刺してくるものがある。
 まったく気にせずに、凛子が扉のなか、ギラギラ光る、まるで暴風雨のような空間に入ってゆくのを見て、どうにか草一郎もついてゆき――ようやくわかった。
 これは音だ。
 バンドの音だ。人間が楽器を使って出している音なのだ。
 ブッ叩いているのはドラムだ。震わしているのはベース。突き刺しているのはギター。どうやらがなりたてているのがボーカルらしいが、楽器隊の音量が凄すぎて、なにをいっているのかまったくもってわからない。
 ジャンルとしてはコア……グラインドコアになるんだろうか。
 草一郎はこういうジャンルのバンドだって聴いたことはある。
 ただし、CDとして、ステレオのスピーカーから、ヘッドホンからの音としてだった。
 生のバンドの音が、ここまで凄いとは。
 まさに音圧だった。
 押される。ぶっ飛ばされそうになる。体のなかをかき混ぜられる。
 平気な風で進む凛子についてゆく。
 やがてステージが見えた。ギラギラ光っていたのは、ステージの照明だった。
 すごい。
 なにがすごいって、音もすごいが、観客がとんでもなかった。
 ステージのライトに映しだされた大量の人影が、うねっていた。まさに波だった。跳びはね、互いに体をぶつけ合い、なかにはステージから客席に飛びこんでる客もいて、おまけに飛びこんだまま観客で出来た波の上を泳いでいる者までいる。
 モッシュだ。ダイブだ。
 言葉では知っている行為だが、生で見たのは草一郎ははじめてだった。
 ただひとこと――
 なんじゃこりゃあ、だった。
 観客席の一番後ろ側で、しばらく草一郎は呆然と眺めていた。
 だれかが裾を引っぱる。
 凛子だった。口をぱくぱくと動かしている。
 草一郎は身を屈めて、耳を近づけた。
「どうだ?」
 と聞こえた。
「すごいっス! こんなのはじめてっス!」
 と、草一郎も凛子の耳に返した。
 ――すねに激痛が走る。
 思わず草一郎が飛びあがると、凛子が蹴り足を引くのが見えた。おまけに耳たぶを引っぱり、むりやり屈ませられる。
「バカ。草一郎がのせられてどうする。ちゃんと音を聴け。それだけの耳は持ってるだろうが」
 そんなこと言ったって……。
 思いが表情に出ていたようだ。凛子がまた蹴るようなそぶりを見せる。あわてて草一郎は目の前の音に集中した。
 ――まぶたを閉じる。
 ぴかぴかと、舞台の照明はまぶたごしにも眼球に飛びこんできていた。
 バンドの発する音の、細かい部分まで聞き取ろうとしてすぐに断念した。大きく、ひとつの固まりとして捉えてみて、ようやく気づく。
 そうか。ドラムか。
 ともかくリズムがいい。
 ひとくちにリズムといっても、かっちりと正確な、まるで機械のようなリズムと、それと微妙にずれ、それがかえって気持ちのいいうねりを生みだすものとがある。うねりとはグルーブともいう。アマチュアというのは、たいていリズム感があまりよろしくない。正確ならまだしも、うねりどころか、ただのでたらめで、聴いているうちに気持ち悪くなるものまである。
 このバンドのドラマーが生みだすリズムは、ともかく気持ちよかった。
 おおきなグルーブ。力強く、重いバスドラム。またナタのようにぶった切るスネア。ドン、タン、ドン、タンの「ドン」がバスドラ、「タン」がスネアだ。シンバルだって小気味いい。
 それにしてもとんでもない音量。
 ドラムというのは、基本的には生楽器である。
 ボーカルやギターやベースは違う。これらの音はアンプを通して増幅されて、スピーカーから流れてくる。ドラムはそのまんま、人が叩いた音がなにも通さずに観客へと伝わる。もちろん例外はあって、会場が大きくなればドラムもマイクを通すことになるが、いま草一郎がいる程度の場所の大きさでは、当然ながら生だ。
 それでこれだけの音量を叩き出すってのは、いったいどれだけごついドラマーなんだろう?
 草一郎はステージ上を眺めてみる。
 残念ながら、観客が飛び跳ねまくっているおかげで、まったく姿がわからない。
 ともかく、すばらしいドラムなのはわかった。
 しかし……。
 ドラムスの素晴らしさに対して、まわりが追いついていない。
 ギターもベースも、自分のリズムでしか動いていない。音楽のジャンルというのもあるだろうが、あまりにもドラムがもったいなさすぎる。
 そう思って草一郎が凛子の顔を見ると、彼女は笑みを浮かべていた。
 くいくい、と指先を曲げる。いそいそと草一郎は屈んだ。
「いいだろ、草一郎――ドラムだけな」
 ふと草一郎は思った。
 この音の洪水のなか、凛子は決して怒鳴っていない。まるでささやくようなのに、なぜか草一郎の耳にはしっかりと届いている。
「こいつらにはもったいないよなァ」
 ――まさか。
「もらっちゃおうよ、草一郎。いまからさァ」
 悪魔のささやきに聞こえた。
 草一郎はまじまじと凛子の顔を見つめる。
 悪魔の犬歯が、ステージの照明に照らされ、凄みを増していた。
「無理っスよ! 正々堂々と引き抜きなんて、ケンカ売ってるようなもんス!」
 思わず草一郎は大声で叫んだ。それでも、この音圧の前では意味をとらない。
 しかし凛子には通じたようだ。手に持ったギターケースを示し、草一郎が背負ったベースを示し、唇を動かす。
 なぜか草一郎は、意味を理解してしまった。
「だから持ってきたんだろ――武器をさ」
 たしかに凛子は、そう言っていた。


 楽屋のなかは、しんと静まりかえっていた。
 一〇人も入れば満杯になってしまうほどの広さに、いまは八人がいる。ついさっき終わったばかりのライブに出演していたバンドのメンバーたちだ。ふたつのバンド全員の視線が、草一郎と、彼の前で仁王立ちしている凛子とに注がれていた。楽屋の外にまで洩れていた笑い声は、いまはぴたりと止んでいる。
 だれも、身じろぎひとつしない。
 静けさのなかで、草一郎は無意識のうちに肩に食いこむひもを握りしめていた。背負っている楽器ケースを支えるストラップだ。そうしておいて、集まった視線から逃れるように、前に立っている凛子の真っ赤な三つ編みを見つめる。
 こちらは草一郎とは違って、じつに堂々としたものだった。
 草一郎からは、黒いカーディガンに包まれた、思ったよりも華奢な背中しか見えない。それでも、凛子の表情はありありと思いうかべることができた。
 自信を型にとって、ダイヤモンドで抜きだしたような顔。そんな傲慢ともいえる微笑でもって、室内の人間全員を見おろしているのだろう。
 そう考えると、部屋の空気は拒絶というより、とまどいのほうが濃いことに気づく。
 無理もないよな、と草一郎は思った。ついでにすこし同情もした。
 そのときになってようやく、野太い声が静寂を突きやぶる。
「――なんだ、お前ら?」
 ごもっともな、そのせいで少々まぬけな疑問を発したのは、楽屋の隅にあるテーブル席に座っている、ひげ面の大男だった。頭にはバンダナを巻き、なにやら禍々しい絵柄のTシャツを着ている。
 彼は顔に汗をうかせ、軽く息を弾ませていた。
 部屋のなかにいる人数は、八人。ふたつのバンドを合わせた数だ。そのなかで、いままで運動してましたよと言わんばかりの姿をしているということは、つまり――。
 ついさっきまで演奏していたということだ。
 草一郎が凛子と一緒に見たバンドだということだ。
 すなわち、凛子がドラマーを引き抜いちゃおうといったバンドのことだ。
 あらためて草一郎は男を見る。けっして視線を合わさぬように。
 体とくらべて椅子が小さい。きつそうだ。椅子が小さいということではなく、男がでかすぎるのだ。草一郎の身長は一八〇センチ。縦なら勝てるが、横では草一郎が三人集まっても完敗である。
 彼から――引き抜くんですか?
 サッカーだって、敵のチームから選手を引き抜こうとすれば移籍金が発生する。すばらしい選手であればあるほど、金額は膨れあがってゆく。何十億もの額になったりもする。
 さて、相手がすばらしいドラマーの場合、私たちはどれだけのものを払わなくちゃいけないんでしょうか。
 男の、太くて毛むくじゃらな腕……ごつごつとした指……ああ、銀色に光っているのは、あれは指輪か? あんなので殴られたら……。
「お前たちのドラムに用がある」
 低いのにやたらとすきとおった声が、部屋のすみずみにまで響きわたった。いつもなら心ざわめかす凛子の声が、このときばかりは死刑宣告を告げる看守の無慈悲な声として、草一郎にずんと冷たい重しをのせる。
 思わず草一郎はなにごとか喋ろうとした。
 それよりもひげ面大男の反応が早い。
「ああん? いったいなにを」
 言いかけて、男はバンダナの下の眼を細めた。
「お前……どこかで」
「凛子だろ。赤羽根凛子」
 それは女性の声だった。部屋中の視線が、声の出どころに集まる。
 化粧台の前に腰かけ、ドラムのスティックを太ももにリズミカルに当てている……うん? この人、女性か? 草一郎は自信を失った。
 ともかくでかい。
 さきのひげ面大男とは違い、しっかりと縦に長かった。かといって草一郎のようにひょろ長いというのでもない。ほとんどスポーツブラのような形状の黒のタンクトップからあらわになっている、汗に濡れた浅黒い肌の下には、しなやかな筋肉が息づいていた。肩も腕もだが、とくにお腹がすごい。ごりごりに割れている。おへそについたピアスが、いいアクセントになっていた。
 男性的な体つきのなかで、女性であることを主張しているのは、その腹筋の上にある――胸。
 なんというか、ともかくでかい。
 たわわに実った、という表現がじつにしっくりくる。身長と肌の色と胸から、もしかしたら外国のひとなのかも、と草一郎は思った。
 ゆたり、と胸が揺れる。
 女性は胸をそびやかしていた。思わず見上げた草一郎は、ドレッドヘアの向こうで光る、女性の大きな瞳と目を合わせてしまう。
 彫りの深い、エキゾチックな顔つきであった。だがどこか日本人的なものも感じさせる。豊かな厚みを持つ唇が、微笑みをかたちづくって、おそらくはわざと体を揺らした。
 ゆたゆたと揺れる胸を見ながら、きっとこの人と凛子は気が合うだろう、と草一郎は確信する。しかし……でかい。
 ――と、草一郎が思うぞんぶんに楽しませてもらっているあいだ、部屋のなかはざわめいていたらしい。鼻の奥につん、としたものを感じながら、草一郎はようやくそのことに気づく。
「凛子……あの凛子か」
「ライブのたびに怪我人が……」
「ギターで頭をカチ割ったって……脳みそが……」
「メンバーが何人も死んで……」
「五人殺ったって聞いてるぜ。事故として処理……」
 さっきまでのもやもやとは違った種類の感情が、草一郎の頭のなかに湧きはじめた。前のがときめくようなピンク色なら、こんどはいがらっぽい灰色の雲だ。
 ライブハウスの入り口で出会った、凛子に頭をビンで殴られたというパンクスを思いだす。五針縫ったという、彼の頭の傷跡も。
 口より手が出る人なのだろうか。草一郎は口より下着を見せられているのだが。
 なんというか……凛子さんって……。
「草一郎」
 どすん、と下っ腹に声が当たった。小さな、しかしよく通る声。凛子だった。
「余計なことは考えるなよ」
 でっかい釘を打たれた。
 逃げるように、草一郎は凛子の、やたら大きく見える背中から視線を外す。行きつく先はさきほどの大きな胸であった。心を落ちつけるのもつかのま、こんどはそのふたつの実が持ちあがる。
 女性は立ちあがっていた。
 そして草一郎と凛子に向かって歩いてくる。彼女が履いているスニーカーが、床にこすれて音を立てた。
 ――やはりでかい! 胸もだけど、背もでっかい!
 男性ならともかく、女性の顔を見あげたのは、草一郎にとってはこれが初めての経験だった。一九〇センチはあるんじゃないだろうか。間近で顔を眺めて、おそらく黒人の血と、日本人の血を受け継いでいるのではないかと草一郎は見てとった。ほのかに、甘く刺激的な匂いが香った。なんとも大人な香水をつけていた。
 鳶色の瞳が、凛子を見つめている。
「あたしになんか用なのかい、有名人のお嬢ちゃん」
 なんだって? あたしになんか用?
 その言葉の意味するところはひとつ。
「それじゃ、あなたが……」
 思わず問いかけてしまった草一郎に、彼女はドラムのスティックを指先でくるりと回して、くすっと笑いかける。
「なんだい、エッチな坊や。女がドラム叩いてちゃあ、変?」
 ゆたゆたゆた……。
 脳裏にうかぶ先ほどの光景とともに、頬を熱くした草一郎は、何度も顔を横に振った。そんな草一郎の耳に届いたため息は、前方の凛子から洩れたものだ。いたたまれなくなって、草一郎は凛子の足元を見つめる。
「怒らないでやってくれ」
 凛子の声に、はっと草一郎は顔をあげた。
「草一郎がムッツリスケベなのは、仕方がない。こういうやつなんだ」
 取りなしともいえない取りなしに、草一郎はがくりとうつむき、ドラムスの彼女は笑い声をあげた。
「――で、凛子ちゃん。まさかムッツリな彼氏を紹介するために、わざわざこんなところまでやって来たってわけじゃあ、ないんだろう?」
 笑いを噛み殺しながらの問いかけに、凛子は背筋を反らして答えた。
「ドラムを叩け、カレン・キャンベル・早乙女」
 がばりと草一郎は顔をあげた。
 ついに来た。凛子さんがカードを切った。というか、この人はカレンさんというのか。やっぱり外国人の血が混じっている……?
 カレンは笑顔を見せる。
「ドラムなら叩いてるよ。充分にね」
「あたしのところでだ」
 一拍おいて、楽屋に広がったのは笑い声だった。
 発信源は、いままでことのなりゆきを見守っていたカレンのバンドのメンバーたちだ。関係ないはずのもうひとつのバンドまで、ついでに大笑いしている。
「り、凛子さ――」
 思わず前に踏みだし、凛子と並んだ草一郎が見たものは、一切の迷いがない、まさに凛とした横顔だった。視線の先にあるカレンの顔にも、笑顔はない。じっとふたり、眼差しを交わし合っている。
 奥から、床が擦れる音がした。
 ひげ面の大男が、笑いながら椅子から立ちあがっている。
「おいおい、ガキ。おれたちゃお前らみたいなお遊びと違って、真剣に音楽やってんだ。来月にはアルバムのレコーディングにかかる。そんなときにうちのドラムを引き抜こうなんざ、まったく……」
「ちょっと待て、ヒゲブタ」
 凛子の発した声は、相手じゃないはずの草一郎にすら、みぞおちのあたりに重いものを生まれさせた。当の大男にいたっては、蛇に睨まれた蛙どころか、すでに半分呑みこまれかけた顔つきになっている。
 もう、部屋のなかのだれも笑っていなかった。
「真剣だと? 真剣に音楽をやっているだと? あれでか? あれが真剣な音楽なのか?」
「な……」
「――まあいい。そっちの真剣には興味がない。好きなだけ真剣にやってればいいだろう」
「う……」
「だが、それにカレンを巻きこむな。才能をクソのような自己満足で埋め立てるな。カレンの音を殺すな。リズムを殺すな。カレン自身を殺すな」
 大男は奥歯を噛みしめ、小刻みに震えていた。目には怒りがうかび、するどく凛子を睨みつけている。
 そこにカレンが割って入ってきた。
「凛子、あんた……」
 言葉は、凛子の突きたてられた指先で止められた。
「お前も同罪だ。なぜ妥協する。あれだけのうねりを生みだせる人間が、どうしてこんなバンドにいる。どれだけ練習した。どれだけの時間と情熱を費やしたんだ。それはなんのためだ。あんな汚物を作るためじゃないだろう?」
 カレンは、わがままな子供を持てあます保母さんのような顔つきになった。いったいどうしたものかな……苦笑がため息に溶ける。
「あたしは、そこまでひどいとは思っていないんだけどね……」
 『そこまで』ひどいとは思っていない?
 その言葉が意味することは――。
「まずはボーカル!」
 雷光のごとく凛子の叫びがきらめいた。
 ひげ面大男のとなりで口を半開きにしていた金髪の男が、びくりと震える。彼の着ているTシャツはドーベルマンが吠えている顔をアップにしたものだが、勇壮なはずのそれが、いまはまるで怯えて吠えているように見えた。
「そのか細い声はなんだ。声量がない。無理に出すから音程も悪い。とりあえず腹の底から声を出せ! できなきゃ死ね! つぎはギターだ、そこのヒゲ」
 こんどはひげ面大男の番だった。
「たいして上手くもないくせに、ごちゃごちゃと弾きすぎだ。ちゃんとまわりの音を聴いているのか? バンドとしての姿が見えないのなら、見たくないのなら、独りでシコシコやってろヒゲブタ。そしてどうしようもないのがベースだ、ベース」
 ボーカルとギターの後ろに隠れるようにしていた、頭にキャップをかぶった男が、背を縮める。
「ベースの役割はなんだ。いってみろ」
 凛子先生に使命された生徒は、目をぱちぱちとさせることしかできない。
「え……あ……」
「ドラムが作るリズムと、ボーカルやギターのメロディーとをつなげることだ! そんなこともわからないからあんな乗れないリズムになるんだ――カレンが叩いているにもかかわらず」
 そこで鼻を鳴らす。
「だいいちにしてお前ら、カレンがどういう質のリズムを作りあげているのかわかっているのか?」
 だれも答えられない。草一郎だってわからない。凛子はため息をついた。心底から呆れた、そんな思いがこもっているようだった。
「うねっているんだよ。大きく横にうねっているんだ。それなのにお前らはひたすら縦じゃないか。タン、タン、タンとまったく面白くもなんともない」
 草一郎は見逃さなかった。
 カレンの目が、大きく見開かれたことを――独演会はまだ続く。
「ああ、勘違いするなよ。べつにお前らのやっている音楽のジャンルについて文句を言ってるんじゃない。どれだけ速くて重くてやかましい音楽だって、しっかりしているバンドはいくらでもあるんだから。悪いのは、間違いなくお前らだ、お前ら」
 荒く、不規則な呼吸音。
 ギターであるひげ面大男が、びっしりと汗をかいている。目は潤んでいた。蛇に丸飲みにされた蛙が、消化されているところに見える。髭に包まれた口元が動く。
「……好き放題言ってくれやがって」
 凛子は鼻で笑った。
 派手な音とともに、テーブルが転がる。
 上に乗っていたペットボトルや灰皿がぶちまけられ、床に鮮やかな色の液体や吸いがらを広げさす。
 静寂のなか、ただひとりだけ荒い息をつくひげ面のあわれな蛙は、自分がひっくり返したテーブルには目もくれず、凛子の足元を睨みつけている。
「凛子のバンドはどうなんだい」
 すこしかすれた声。カレンだった。
「そこまでいうんだ。よっぽど凄いメンバーがいるんだろうね?」
 こんどは草一郎の呼吸が荒くなる番だ。カレンはひどく真剣な顔で、凛子を見つめている。
「ギターはあんただとして――」
 視線が草一郎へ、そして草一郎が背負っている楽器のケースへと移った。
「ムッツリスケベな彼氏がベース……。ボーカルは?」
「現在交渉中」
 即座に凛子は答えた。
 え?
「期待してもらっていい」
 ええ?
「凛子さん、おれなんにも聞いて」
「ふうん」
 質問は寄ってくるカレンの顔でさえぎられた。鳶色の瞳のなかに、まぬけな顔の男が映っている。前にも嗅いだスパイシーな香りが、草一郎の心をざわめかした。
「こっちの彼氏も期待できるのかな」
「言ったろう」
 凛子はまっ白な歯を覗かせ、笑った。
「ムッツリスケベで、おまけに従順なんだ……ものすごく」
 ふふ、とカレンも笑って、背を反らせる。重たげに揺れる双球を、やっぱり草一郎は見逃せなかった。
 凛子が、黒いギターケースを持ち上げてみせる。
「論より証拠。音楽は言葉でやるもんじゃない。やろう。そうすればすぐわかる」
「――そのわりにはずいぶんとやっつけたじゃないか」
 カレンは瞳を眼の端に向けた。後ろでは、カレンのバンドのメンバーが、全員しょぼくれている。ほかのバンドのメンバーまで、ひどく居心地が悪そうだ。
 厚ぼったいカレンの唇がうごめき、小声でささやく。
「みんな衝撃は受けている――だけど納得はしていない。あたしが欲しいのなら、やってみせな。納得させるんだ、その音で」
「わかっている」
 凛子は横を向いた。楽屋に入ってはじめて、草一郎は凛子に真っ正面から見つめられる。
「いくぞ、草一郎」
 脈拍が速くなった。草一郎はあえぐように答える。
「……無理っス」
 小声でつづける。
「おれに、この人を、バンドの人を納得させるベースなんて……」
「自分を信じろ。お前ならできる」
 凛子の言葉はかまわず大きい。
「できないっスよ」
「だったらあたしを信じろ。草一郎を信じているあたしを」
 優しい笑みを見せた。いつもの悪魔の笑顔じゃない。いまばかりは天使の笑顔だ。
「大丈夫だよ。草一郎はやればできる子だから。だって、ちゃんと練習したんだろう?」
 草一郎はこくりとうなずく。包みこまれるような雰囲気に、なかば無理矢理うなずかされた、といったほうが正しい。
「お前の音で、感じさせてやるんだ……相手があたしとカレンじゃ、不満か?」
 草一郎は首を横に振る。
 くぱあ、と凛子の唇が開いて、覗いたのはやっぱりいつもの八重歯だった。
「いいか、深く重く、そして強く、ぎっちりとあたしたちにねじこんでくれよ。そのついでにあのヒゲブタどももぶっ飛ばしてやればいい。わかってるよな、従順なエロ小僧。ベースの役割はさっき教えてやったんだから」
 わかっている。ドラムとギターをつなげることだ。
 逆にいえば、それ以外はなにもわからないんですけど。
「よし、いくぞ草一郎! お前らもついてこい。本物を聴かせてやる!」
 凛子は草一郎の横をすり抜けてゆく。
 あわてて草一郎は凛子について、楽屋の外へと出た。薄暗い通路の奥に、ステージがある。いまは客のいないそのステージこそが、決戦の場所――。
 草一郎は思う。
 ――どうしよう。


 草一郎は舞台の上に立って、しらじらと明るい客席を見おろしていた。
 さっきまで凛子と一緒に、目の前のフロアーで演奏を聴いていた。いま立っている舞台を眺めていた。激しい音を鳴らすバンドを見ていた。
 こんどはそれを自分がやらなくちゃいけないわけで。
 客席には、その言葉とはうらはらにひとりも客がいなかった。ライブ中は薄暗くてわからなかったが、床は緑色のタイルだった。紙コップや紙くず、煙草の吸い殻で汚れている。まさに祭りの後という感じ。床の半分ほどをモップがけで濡らしていた、エプロン姿の若者が、転がっている酒瓶を拾いあげた。振って中身を確かめてから、そのまま口をつけ、あおりだす。
 ――おれも酒でも飲みたい。
 ずんと沈んだ思いを抱きながら、草一郎は視線を手前に引いた。
 お客さんはいないが、そこに審査員はいたりする。一番前にずらっと並んで、陣取っていた。その数は七人、カレンのバンドのメンバーが三人、見物している別のバンドが四人。全員が男で、むさ苦しい顔と格好をしていた。
 カレンのバンド、といった。
 彼女の名前はカレン・キャンベル・早乙女さん。
 凛子が引っこ抜こうとしているドラマーのことだ。
 筋肉ムキムキかつ背が高く胸も大きく、ドレッドヘアで黒人の血を引いている女性だ。草一郎の後ろで、ドラムの音を確かめている。
 ドッ、ドッ、ドッ……
 軽いバスドラの音が草一郎の背中を静かに揺すっていた。この人が本気になったら、こんなもんじゃあない。それはライブ中に演奏を聴いて、よーくわかっていた。
 草一郎の手にはベースがある。
 となりには長方形の箱が置いてあった。小学生高学年の少年ほどの大きさがあるそれは、ベースをつなげるアンプだった。
 いまから一緒に演奏しなくてはならない。自分のベースでカレンを満足させ、目の前のいかつい審査員を満足させ、円満なメンバーの移籍を実現させなければならない。じゃないと……。
 もう一度だけ、審査員の顔ぶれを眺める。
 ひげ面の男と目があってしまって、あわてて顔をそむけた。それでもしっかりと草一郎の瞳には焼きついてしまう。腕の太さといったら草一郎の腕二人分、腹の太さなら三人分。じつにご立派な体格だ。
 あんな人にブン殴られたら。まさに生きるか死ぬか。
 だけど、これじゃ勝負にもなりゃしない。
 だって草一郎はベース初心者だもの。ギターを弾いていた年月なら三年だけれども、ベースはたったの一週間。おまけにバンドで音を合わせたことすらない。その事実を、いま草一郎を睨んでいるひげ男たちに伝えたなら、喜んで審査を取りやめてくれるだろう。パンチのおまけつきで。
「――じゃ、そういうことで」
 びくん、と草一郎は背筋を伸ばす。草一郎をこんな状況に追いやってくれた女性の声が聞こえたからだ。
「……凛子さん」
 赤い髪を三つ編みに結った少女――赤羽根凛子が、草一郎に向かって近づいてくる。凛子の後ろでは、黒いスーツに赤いシャツ、ノーネクタイの中年が手を振っていた。オールバックに撫でつけた顔で、にこやかに笑っている。どうみてもまともな職業の人ではない。
 凛子は草一郎の前に来るなり、ぎろりと睨みつけてくる。
「なんだ、まだ準備してないのか。チンタラしてるなよな」
「凛子さん、あの人は……」
 ん、と凛子は首だけ曲げて後ろを確かめた。ヤクザにしか見えない男性は、にやにやと笑っている。
「ああ、ここのオーナーだよ。これからやる余興の許可をもらったんだ」
「余興……ですか」
 心の底からげんなりとして、草一郎はため息をついた。
「なんだその顔は。いまホンットしけたツラしてるぞ、草一郎」
「だれのせいだと思ってるんスか」
 恨めしげな草一郎の視線にも、まったく凛子は動じる素振りを見せない。黒いワンピースに包まれたしなやかな手足を動かす。両手は腰に当て、足は肩幅に広げた。顔を軽く傾けて、眉をあげる。
「この期におよんでなにをビビってるかな。要はお前がびしっとしたベースを弾けばいいだけの話だろ。簡単なことじゃないか」
 草一郎は腰を屈め、凛子の耳元に唇を近づけた。小声でささやく。
「おれは一度たりともドラムと一緒にベースを弾いたことがないんスよ。それでどうやってあの人たちを納得させれるんスか!」
 凛子はゆっくりと鼻から息を吐いた。まるで雨に濡れた捨て猫を眺めるような目つきで、草一郎を見る。濡れ猫にそうするように、手を伸ばし、草一郎の喉を撫でる。
 背だけがひょろ長い猫は、喉を鳴らすかわりに、むくれた顔のままで凛子を見おろしていた。
 撫でていた手がするりと滑り、頬に触れる。さらに動いて鼻に辿りついた。人さし指ですうっと鼻筋をなぞって――いきなりつまみあげた。
 草一郎は大きく眼を見開く。
 うめき声をあげる草一郎の頭は、凛子に引っぱられるままに下がっていった。涙にうるんだ草一郎の視界に、凛子のささやかな胸元が入ってくる。ようやく凛子の手は離れ、鼻が解きはなたれた。草一郎は深く息を吸いこむ。締めつけられていた部分だけでなく、鼻のつけ根にも血の気が戻ってきた。血液の流れとともに、痛みまで生まれる。ずきずきと響く。
「凛子ひゃん、いったいにゃにを」
 するんですか、の声は凛子の胸に吸いこまれていった。ついでに目尻に浮かんだ涙も黒い布に染みてゆく。逃れようとして、しっかりと頭を押さえつけられていることに気づいた。頭を抱きすくめられているのだ、と草一郎がわかったのは、顔全体で凛子のやわらかい感触を味わいながらだった。
 つむじに凛子の声がかかる。
「ちょっと小さいかもしれないけれど」
 いいえ、このくらいのサイズのほうが好きっスよ、という言葉は、もがもがとはっきりしない響きにしかならなかった。
 ぱっと解放される。
 ゆりかごの揺れを止められたような、そんな物足りなさ。そんなことを草一郎が感じていたのはわずかなことだった。すぐさま両側から頭をつかまれ、横向きに変えられる。草一郎の首は異音を発した。痛みに小さな悲鳴をあげるも、また抱かれて途切れる。こんどは頬で、ふにゃっとした肌触りを感じた。頬骨に当たっているのは、ブラのホックだろうか。
 怒り混じりの声が、つむじに当たる。
「ドアホウ、心臓の音のことだ。しっかりと聞けい」
 凛子に言われるまでもなく、草一郎に右耳にはゆったりとした鼓動が伝わっていた。テンポはゆるやかでも、その音自体は弾んでいる。生命の脈動、凛子の音だった。
「どうだ……わかるか?」
 かすかに凛子の声にはざらつきが混じっていた。
「ウス」
 うっすらと草一郎は眼を開ける。ドラムセットの後ろにいるカレンが目に入った。カレンは手を止めて、草一郎たちを興味深そうに見つめていた。草一郎の視線に気づいたらしい。厚い唇を曲げて、笑みを作った。笑いながら首を振ったせいで、ドレッドヘアの束が揺れている。
 こみあげてくる恥ずかしさに、草一郎は離れようかと思った。思っただけで行動には移せなかった。
 だって気持ちいいんだもん。
 凛子のささやきは続いている。
「ドラムに合わせるもなにも、な。人の体のなかでは、つねにリズムが鳴っているんだよ。あたしだってほら、このとおり。草一郎だってそうだろ。カレンだってそうだ」
「……そりゃ、いちおう人間でスからね」
 頭を抱きしめる力が強まった。
「だったらできんだろ。おんなじリズムを鳴らしているんだ。おんなじリズムで生きてるんだ。そんなに難しく考えるなよ。考えること自体は悪いことじゃないけど、いまは感じるときだから。ドラムとダンスを楽しめばいいんだ」
 腕から力が抜けた。解放されて、草一郎は頭を掻きながら真っ直ぐに立つ。凛子は右腕を横に伸ばした。指先はカレンを指さしている。ドラムセットからも頭ひとつ飛びだしているカレンは、上目づかいの不敵な笑みで答えた。
 凛子が言う。
「まだ不安なら、聞かせてもらえばいい」
 草一郎はすっかり聞き流していた。ドラマーの笑顔を見続けている。うん? とようやく言葉を呑みこみ、確かめるように凛子の顔を見た。
「聞かせてもらうって……?」
「決まってるだろ。ここの音だよ」
 どん、と凛子の拳が胸に叩きこまれた。
 咳きこむ草一郎を、凛子が見下ろしている。にたりと笑った。

 大小さまざまな太鼓が、扇状に並んでいた。そのまわりを飾りつけるように、シンバルがにょっきりと首を出している。そんなドラムの王国の真ん中にゆったりと腰かけているのは、ドレッドヘアーの王冠と、しなやかな筋肉をローブにする女王さまだった。
 黒人の血によって、浅黒い肌と野生のリズムを受け継いでいるドラマー。
 草一郎が威圧感を覚えているのは、決して彼女の背の高さからばかりではなかった。およそ一九〇センチほどの身長がもたらす効果も、決して否定はしないのだが。座っていてもやはり大きかったし。
 彼女――カレンは草一郎を見つめている。どこか楽しそうだった。
「で? なんのようなのかな、ええと」
「草一郎、です」
 軽くカレンがうなずく。
「草一郎くんが、お姉さんになにか? 凛子ちゃんとお楽しみだったようだけど」
 若いってのはいいねえ、とくぐもった笑いを洩らす。スティックを指先で回した。
「その……鼓動を、聞かせてほしいんです」
 回ったスティックを、カレンはぱしっと握りしめる。
 ぐっと草一郎の顔を覗きこんできた。
「鼓動ぉ……?」
 ああ、とうなずいた。
「さっきのはいちゃついてたんじゃなくて、なるほど、心臓の音を聴いていたのか。ふうん、なるほどね」
 納得したように、カレンはなんどもうなずいている。精悍さを感じさせる横顔を見つめながら、草一郎はどこか胸をざわめかす匂いを感じていた。控え室で嗅いだものよりも尖っている。新たにつけた香水なのだろう。
 見かけよりも、ずっとこの人は女らしい。それとも、カレンさんにとって香水に包まれるのは、戦闘前の儀式なのだろうか。
 草一郎はドラムの向こう側を見た。見かけよりも、ずっと男らしい人を。
 そこには赤い三つ編みの後ろ姿がある。慣れない草一郎に代わりに、凛子がベースのセッティングをしているところだった。楽器を肩から提げるためのストラップが、だらりとなっていた。一八〇センチの草一郎で腰の位置に楽器が来るように調整してあるのだから、小柄な凛子では太ももにまで来てしまうだろう。しかたがないので、しゃがんで弾いているらしい。
 低音が響く。ず太いその音は、太鼓やシンバルを震わして音を鳴らさせた。もちろん草一郎の腹にも、重々しい響きは伝わってきている。
 凛子が手を伸ばし、ベースの細長い首の先に触れた。そこにあるつまみを回し始める。
 草一郎は目をみはった。
 これは音程を調整しているということで、行為自体は珍しくもない。弦楽器というのはチューニングが狂いやすいから、それこそ一曲弾くたびに調整することだってあるのだから。
 問題なのは、凛子がなにも使わないでそれをやっているということだ。
 たとえば『ラ』の音があるとする。これは音程を調整するときの基本となる音で、周波数四四〇メガヘルツと決まっていた。普通の人間は、それを知るために、音叉を使っておなじ振動を作ったり、ピアノで実際に音を鳴らしてもらったり、機械で計ったりする。
 なにかの音を聴いて、普通はそれが『ラ』だとはわからないからだ。
 長さを測るなら物差しがいるし、重さを量るならばはかりがいる。音程だっておなじことだ。知るには目安となるものがいる。
 しかし――この世にはわかる人間もいたりする。
 なにかを手に取って、正確に何グラムなのかがわかるように、なにかを聴いて、正確にどの音程なのかわかる人間がいる。
 その能力を絶対音感という。
 音程の基準を体のなかに持つということだ。正確なメーターを持つということだ。絶対音感があれば、『ラ』が『ラ』なのであると、なにに頼らなくてもわかる。
 おそらく、凛子には絶対音感がある。
 チューニングメーターを使わず、自分の耳で音程を調整しているからだ。
 子供のころから音楽に接していたりすると、絶対音感は身につくことがあるという。そういえば、凛子はピアノが上手だったな、と草一郎は思いだした。なんかのコンクールで優勝したこともあるんだっけ?
 いままでだって理解できていたわけじゃない。
 けど――さらに遠くなったような気がした。
「草一郎」
 なぜかうろたえて、草一郎はとなりに座る女性に向きなおる。かえってカレンが驚いたようだ。軽く体を後ろに引いた。
「そんなにビビることないじゃないか。ほら」
 両手を大きく開いて、胸を突きだした。外国人の血というのは、やっぱりこちらにも作用しているのだろうか。なんとも素晴らしい大きさである。もちろん草一郎は、このくらいの大きさも嫌いではない。強く引きつけられるものを感じながら、問いかける。
「あの」
 カレンが眉間に皺を寄せる。
「鼓動を聴きたいっていったのは、草一郎だろう」
 つややかな唇を尖らせる。かわいさよりも、色っぽさを感じてしまった。なんというか、すごくいい人なのかもしれない。
「ええと、腕を貸してもらえれば」
 鳶色の瞳を、ぱちくりとさせる。あー、あー、あー、と何度もうなずいた。スティックを回してから、カレンが左手を差しだした。褐色なのでわかりづらかったが、頬がすこし赤らんでいる……ように見えた。
 草一郎は手首を探る。血管に親指で軽く触れた。
 力強い脈動が、指先を押し返してくる。おなじようで、やっぱり凛子とは違っていた。直接心臓の音を聴くのと、動脈から感じるのとでは、もちろん別だろう。そういった感触以上に、なにやら間が違う。凛子はゆっくり……。
 ゆっくり?
 カレンはすこし速い。これから人の前でなにかをしようというならば、それが普通なのだ。落ちついているほうが変だ。草一郎は凛子の小さな背中を見つめた。凛子はまだベースの音を作っている。アンプから放たれた低音が、ドラムを震わしていた。
「そっちも手を出しな」
 カレンの声に引っぱられる。
「あたしばっかり音を聴かれてるのは、ズルイ」
 素直に草一郎は手首を差しだす。さっそくカレンが握りしめ、血管をこりこりと探りだした。その手は大きくて、温かかった。凛子の手はすこし冷たかったと、草一郎は思いだす。
「へえ。けっこう面白いね」
 お互いに手首を掴みあって、頭をつき合わせているというのも、妙な光景だ。はたしてカレンのバンドメンバーたちは、どんな思いでこれを眺めているのだろうか。確かめる度胸は草一郎にはなかった。
「草一郎はさぁ……」
 カレンが話しかけてきた。
「はい」
「凛子とつき合ってるの?」
 思わず草一郎は息を詰まらす。
「な、なにをいってるんスか」
「どんどん鼓動が速くなってるよ。ほらほら」
 言われると自覚してしまう。身体全体が自分の鼓動で跳ねるようだ。
「そんなんじゃないスよ。だいたいにして、会ってまだ一週間ス」
「男と女は時間じゃないし」
「そりゃそうかもしんないスけど」
 と、口では言ってみるが、もちろん草一郎にはよくわかっていない。
「じゃあ、惚れてる?」
 こんどこそ言葉に詰まった。
 頬も体も熱くなってくる。口をもごもごと動かした。カレンの表情をうかがうも、口元しかわからない。そこはしっかりと笑っていた。
「どんどん速くなるねえ」
 詰めていた息を、草一郎はゆっくりと解きはなつ。
 へえ、とカレンが感心したような声をあげた。
「落ちついてきたよ」
「正直にいって、よくわかんないんです」
 顔をあげたカレンと、目が合った。
「すごい人だってのは、嫌というほどよくわかるんですけど。きれいだけど、でも怖いところもあるし、逆らえないし。もしかしたら、好きなのかもしんないスけど……」
「また速くなってきたね。まあ、若いってのはいいもんだ」
 むっとして、草一郎は口を曲げる。カレンは笑った。じつに楽しそうな笑い声だった。あまりに楽しそうなので、思わず草一郎がへそ曲げていた唇も弛んだ。
「――草一郎!」
 カミナリが落ちた。黒雲は凛子だった。
 ベースを片手に、目をぎらつかせた凛子が睨みつけている。草一郎は思わず手を離した。カレンはしっかりと掴んだままだったが。
「いつまであたしにやらせる気だ。お前のベースなんだから、お前がセッティングしろ!」
「すんません!」
 カレンの手をすり抜けて、凛子に向かって駆けだす。ドラムセットを、つんのめりながら回りこんだ。だから草一郎は気づいていない。不機嫌そのものに見えた凛子が、カレンと視線を交わして、にやりと意味深な笑みを浮かべたことに。カレンもそれに答えたことに。

 ベースの、ギターよりひとまわり以上は太いネックを握る。ギターからベースに持ち替えてまだ一週間だが、すでに違和感はなかった。図太い四本の弦。指先で撫でると、ざらりとした感触とともに、アンプからわずかに音が洩れた。布を擦るような音だった。
 草一郎は、右手につまんだピックで弦を弾く。
 アンプから弾かれ出た音は、耳よりも体に響いた。内臓に染み入ってきて、震わす。重い音はステージの上に広がった。舞台左側の凛子にも、後ろでドラムを叩くカレンにも、とうぜん聞こえているだろう。客席に立つ、わずか七人ばかりの観客にも。後かたづけしているライブハウスの店員にも。
 ――いったい、どう聞こえているんだろう。
 草一郎はあることを思いだしていた。
 それは凛子が草一郎の自宅までやってきて、ベースを渡しに来てくれたときのことだ。
『どんな楽器でも、一番いい音が鳴るポイントというのはひとつしかないんだ』
 たかだか弦を弾いて音を出すという行為の、なんて奥の深いことか。草一郎の目の前でベースをつま弾きながら、しみじみと凛子は呟いた。
『つねにそれをやれ、とはいわないけれど。とりあえず、どう弾けば一番いい音がなるのかを覚えること。ギターを扱える程度にはベースを扱えるようになれ』
 そう言いながら奏でられる低音は、とても丸く、優しかった。感情すら伝えられるようになるには、どれだけ練習すればいいんだろう? 少なくともいまの草一郎では、凛子ほどにもベースで人に語りかけることはできない。
 そのことに気づいたのは、凛子が帰ってからのことだった。走り去る車のテールランプを見送ってから家に戻り、居間に入ると、家族からの熱い視線に出迎えられた。
 いまの子はだれだ? どういう関係なんだ?
 中学校になる妹が、目を輝かせながら草一郎に詰め寄る。あどけない顔から放たれた『彼女?』というじつに直球な問いかけに、サラリーマンの父からスーパーでパートをしている母まで乗ってきた。なんといっても、二階にある草一郎の部屋に女性が連れこまれたのは、これが始めてのことだった。おまけにその女性ときたら、ぱさついた金髪に三つ編みで、かわいさよりも少しきつさが勝ってはいるが、たしかに美人なのだから。
 家族からの質問を、草一郎はすべて沈黙で跳ね返していた。なぜかビールの量がいつもより多くなっていた父の言葉も、聞き流していた。
『いやあ、あの子もアレか、バンドやってるのか? 父さんの頃はなあ、バンドなんていったら……』
 何度か聞いた話だった。バンド活動をすることに覚悟のいる時代があったらしい。もちろん草一郎にはまったくもってピンとこない。だから黙って鯛の身をほぐしていた。なぜか今日の夕食は豪華だった。いったいなにがめでたいというのか。
『ベースっていうのか、なんか、優しい音だったな……。みかけはちょっと不良っぽくても、きっといい子なんだろう。おれはな、認めるぞ』
 草一郎の箸が止まった。
 もちろん父親の勘違いに惹きつけられたわけではない。
 『優しい音だったな』と、父は言った。
 音楽といえば演歌かフォークかムード歌謡しか知らない父だ。無理に娘と話題を合わせようとしてアイドルの曲を口ずさんで、かえって妹を不機嫌にさせる父だ。
 だけど、凛子の音は伝わっていた。
 二階で弾いたベースの音が、一階にいる父に聞こえて、なにかを伝えていた。
 ただの勘違いかもしれない。
 でも……草一郎がいくらギターを弾いても、家族からそんな言葉を聞いたことはない。妹からもない。友達からも、またライブハウスの少ないお客さんからもない。
 ひどく打ちのめされて、だから逃げるように練習して――。
 分厚い音の壁が、草一郎の耳を打つ。
 はっと我に返ると、凛子がギターをかき鳴らしてるところだった。左手はなめらかに弦の上を踊り、右手は荒々しく引っ掻いている。六本の弦が震え、続けざまに荒い音の粒がアンプから飛びだした。
 凛子がギターを弾くところを見るのは、これが初めてだ。
 彼女が肩から提げているのは、ストラトキャスターと呼ばれるギターだった。一九五四年に生まれて、それからずっとギターの王さまとして君臨している。ギターはこの世に数あれど、匹敵するものは、ほかにただひとつだけ、レスポール以外にはない。
 王さまというより、どちらかといえば女王さまのほうが正しいかもしれない。そう思わせるほどに、女性的な姿かたちをしている。元々ギターは女性に例えられることが多いけど。
 赤いボディーのストラトを、凛子はじつに無造作にかき鳴らしていた。初めてギターを手にした少年のような、まるで宝石のごとき扱いかたとは逆さまである。かといって道具として冷たく扱っているわけでもない。
 ギターという楽器を、完璧に使いこなしている。
 持っている実力のすべてを解き放とうとしている。
 立ち振る舞いだけでも、弾き方だけでもそんなことは伝わるものだ。くらべて、自分はどう見えているんだろうか、などと草一郎は考えてみる。
 音の嵐が、ぴたりと止んだ。
 凛子が草一郎を見つめる。ややつり上がり気味の瞳が、草一郎を捉えていた。
「いいか、ブルースのコード進行でいくぞ。――できるな?」
 どういうコード進行か知っているのか、ということではもちろんない。
 覚悟は決めたか? できるのか? というか、やれ。
 凛子が目でも訴えかけていた。
 自信はない。が、やるしかない。
 草一郎はうなずいた。凛子もうなずき、舞台奥にいるドラマー、カレンに視線を送った。カレンが静かにスティックを上げた。
 カウントが鳴る。
 スティックとスティックが打ち鳴らされる音。思ったよりもゆるやかなテンポでみっつ打たれ、四拍目は空白。
 ステージの上に、渦が巻く。
 中心にあるのはカレンのドラムだった。オーソドックスなリズム。やはりゆるやかだったが、とても力強い。まわりを取りまいているのが凛子のギター。のっけから激しく荒れ狂っていた。
 そして――。
 草一郎のベースはもたついていた。自分でもそれは嫌というほどわかっている。原因もわかっていた。ドラムの音を聴きすぎているのだ。
 雨どいから垂れる水滴を、見ながら拳で打ったって当たるわけがない。
 当てたいのなら、来るタイミングを予想して打たなければ。
 ドラムだっておなじこと。聴きながら弾いたって合うわけがないのだ。わかっている、わかっているのだけど――。
 一度狂ったリズムは戻らない。
 取り返そうとすれば取り返そうとするほど、草一郎の指先から紡ぎ出される音は、迷い、恐れ、あちらこちらへと飛んでしまっていた。
 ちらりとカレンを見る。
 ドラムに変化はない。変わらず、ありふれたパターンを鳴らしていた。彼女なら、もっともっと面白いリズムだって鳴らせるはずなのに。
 もしかして、気を使ってくれているのか。
 表情からは読みとれなかった。カレンはうつむき加減で、黙々とスティックをドラムへと振り落としている。ナタのような鋭い音が飛びだしていた。
 その音のひとつひとつが、こちらを責めているような気もする。草一郎は、無意識のうちに奥歯を噛みしめていた。
 客席を見る。最前列に並んだ男たちは、みなにやにやと笑っていた。ひげ面の男が、となりに耳打ちして、大笑いする。
 草一郎はうつむいた。
 とたんに、切り裂くような音が止む。
 はっとして草一郎は顔を上げた。カレンはまだドラムを叩き続けている。じゃあ、止んだのは――。
 凛子は、ギターをそのままに、手をだらんと下げていた。顔はやや傾き、草一郎を燃えるような目つきで睨みつけている。
 浮かんでいるのは、敵意というより、殺意。
 草一郎はぶるりと震えて、ベースの音も一緒に震えた。それを最後に、音は消えた。力なく、左手が弦から滑り落ちる。
 すべて、終わった。
 黒々とした闇が、草一郎の心を覆い尽くしてゆく。だって、そもそも一週間でどうにかしろってのが無茶なんスよ。言い訳ばかりが浮かんでは消えた。
 深い深い意識の底に引きこもろうとしたとき、だれかが引っぱり上げているのに気づいた。
 そうだ。まだ、ドラムの音は止んではいない。
 楽曲を飾りつけるすべてが無くなっても、いまだリズムは続いていた。うっすらと汗に濡れた体で、カレンは淡々と叩き続けていた。
 がつん、と草一郎は殴られる。
 凛子のギターの音だった。左手はなにも音をかたち作らず、そのまま弦をかき鳴らしていた。濁った不協和音に殴られて、草一郎は凛子を見つめる。
 右手を胸に当てていた。
『おんなじリズムを鳴らしているんだ。おんなじリズムで生きてるんだ』
 ついさっき凛子に言われたことが、甦る。
 どうして忘れていたのか――。
『いまは感じろ』
 カレンの奏でるリズムに、草一郎は身を委ねる。とても優しかった。ゆったりとしたテンポなのも、あえて基本のリズムパターンなのも、ぜんぶ自分のためじゃないのか。難しいことをやることはない。ただ、合わせればいいんだ。活かそうとすればいいんだ。
 ふん、と凛子が鼻を鳴らして、ギターを構え直すのが見える。
 まったく、手間かけさせんなよ――。
 草一郎は感謝の言葉の代わりに、ベースを、そっと奏でた。
 音が滲む。ドラムと混ざりあって、よく聞こえない。だが、それでいい。
 渦。ドラムを中心に、ギターはまわりで嵐を起こす。
 ならばベースはどこにある? どこにいればいい?
 いなくていい。溶け合えばいいんだ。決して出しゃばらぬように、目立たぬように、ドラムとギターをつなげばいい。空気だ。目には見えないけれど、なくなってはいけない存在、それでいい。
 ドラムのパターンが変化した。
 こんなのはどうだい、とカレンが呼びかけているのだ。草一郎は控えめに答えた。無理に追いつこうとしなくていい。やれることをやればいい。
 替わりに凛子が暴れてくれる。
 期待どおり、いや、期待以上に凛子は暴れまくっていた。
 楽しいのだ。自分の能力と互角に立てるドラムに出会えて、喜んでいるのだ。強い歓喜が、しかしちゃんと抑制されて、ギターの音にあらわれている。凛子がかき鳴らす音に、カレンが答え、さらに凛子が答える。どんどんと場の圧力は高まっていった。
 だけど、もう草一郎は恐れない。
 どこまでだって強く吹き荒れればいい。いくらだって支えきってみせるから。荒々しい風に吹かれながら、草一郎はすこしだけ空気を軽くした。からかうように、凛子がおなじフレーズを弾いてみせる。カレンがそれに続いた。

「――どうだ」
 凛子の言葉に、答えられるものはいなかった。
 最前列にいたはずの審査員たちは、みなおなじようにうなだれている。ステージの上に聞こえているのは、すこしだけ荒い三人の呼吸音だけだった。
 凛子、カレン、草一郎。
 ついさっき、たしかになにかを作りあげた。目に見ることのできないそれは、もうとっくにどこかに消えてしまったけれど、この場にいた人間の心には、しっかりと刻みこまれている。そうなんだと草一郎が知ったのは、演奏を終えたときのことだった。
 拍手がおこった。
 フロアーをモップがけしていた店員と、舞台のそでにいたライブハウスのオーナー。たったふたりだったけれど、決してお世辞なんかじゃない、心からの賞賛だというのは、顔を見ればわかった。こんな拍手、草一郎はもらったことがない。
 審査員たちもおなじことだ。拍手こそなかったが、思いつめたような表情を見れば、どんな思いなのかはわかる。とくにひげ面の男はひどかった。それも当たり前なのかもしれない。いまの演奏が素晴らしかったと認めてしまったら、カレンは彼のバンドから、凛子のバンドに移ってしまうのだから。
 ひげ面の男が、うつろな目でカレンを見つめた。
「どうしても、なのか」
 草一郎の左側、凛子をはさんだとなりにカレンは立っていた。スティックを指先で回す。
「しかたないさ」
 いまのを聴いていたんだ、わかるだろう? と言外に匂わせていた。男は諦めきれないといった様子で、口を開く。
「……そのお嬢ちゃんが凄えのはよくわかった。だけどよ」
「坊やはたいしたことがないって?」
 ぱしっとカレンはスティックを掴んだ。
「だから、かもしれない。いまの坊やがどれだけ凄いことをやったのか、あんたたちにはわからないから……なのかもしれない」
 眉をうなだらせ、それでも唇は笑みを作り、まるで淋しそうな、哀しそうな表情になった。
「ドラムにとって、バンドにとって、あれがどれだけ凄いのか。たぶん、あんたたちにはずっとわからない」
 男はじっと見つめていた。ひげに包まれた口がもごもごと動く。
「わかった」
 ようやく、といった感じでそれだけ言うと、身をひるがえして歩きだした。ほかの男たちも、すがるように後を追う。
 三人は並んで、彼らの後ろ姿を、最後まで見送った。店員がモップがけを再開している。
「さて」
 カレンが声をあげた。思ったよりも明るい声だった。
「これで凛子と草一郎の仲間ってわけだ」
 そう言って、カレンが手を伸ばす。まるでつかみ取るような勢いで凛子が握手した。小気味のいい音があがる。ぐっぐっぐっと三回揺すると、あっさり外れた。続けて草一郎にも手が差しだされる。
「よろしくお願いします」
 しっかりと草一郎は握り返した。やはり温かい手だった。すこし草一郎のほうが大きいのかもしれない。
「こちらこそよろしく」
 カレンが目を細めた。
「いいベースだったよ」
 草一郎が笑みをこぼす前に、凛子の声がかかった。
「調子にのるなよ。最初のアレはいったいなんだ? ビビりやがって」
「アレからよく持ち直したじゃないか」
「いいカッコしようとするからあんなブザマなことになるんだ」
「でも頑張ったよ。なんだか泣きそうな顔していたのに」
 上からは褒められ、下からは怒られ、草一郎はどんな表情をしていいのかわからなくなった。なんともぎこちない笑みを浮かべる。
「つぎは草一郎の番だな」
 ぼそりと凛子が呟いた。その言葉に、草一郎はおそるおそる凛子の顔をうかがった。
「あの、おれの番って」
「草一郎……お前まだ、元のバンドに辞めるって言ってないだろ」
 う。
 ずばり指摘されて、草一郎は半端な笑顔で固まった。
「まったく、とことん手のかかる……」
 さらに凛子が睨みつけてきた。草一郎は身をすくめる。
「ほれ、番号教えろ」
 ポケットから携帯電話を取りだしながら、凛子が言った。
「番号って」
「決まってるだろ。お前がいたバンドのバンマスのだよ」
 バンマスというのはバンドマスターの略だ。人というのは、思うより言うことを聞かない生き物だ。バンドをやろうなんてのは、なおさら屈折していることが多い。そんな奴らなんだから、意志をまとめて決定する役割を持った人物を設定しておかないと、文句ばかりでなにひとつ満足にできないということにもなりかねない。
 ためらいつつも、草一郎は電話番号を教えた。名前は杉原さん。草一郎のひとつ上だから、凛子と同学年だろう。
 凛子は草一郎から聞き出すなり、いきなりその場で電話をかけ始めた。
 コールするわずかな間が、草一郎には永遠にも感じられる。
「……もしもし、杉原か? 始めまして、こちらは赤羽根凛子と申しますが。……ああ、そうだよ、人殺しだの暴力女だのいわれてる凛子さまだよ。そうそうそう。いいか、結論から言うぞ。お前んところでしょぼいギター弾いてた小僧、草一郎な、あたしがもらったから」
 ずん、と草一郎はその場に崩れ落ちそうになる。
「ああん? あとは草一郎本人に訊けよ。そうだな、場所は……」
 あれよあれよという間に、待ちあわせ場所と時間を決めて、電話を切ってしまった。思わず携帯電話に向かって手を伸ばす草一郎に、にやりと笑いかけた。
「話はつけてやった。あとはまかせる」
 それはどんな話のつけかたですか。
 うなだれる草一郎の肩を、カレンがぽん、と叩いた。

     3

 さほどファミレスは混んでいなかった。すでに夕食の時間も過ぎ、店内にはまばらなお客さんの姿しかない。家族連れの子供があげる楽しげな笑い声が、たまに草一郎のところに届いてくるだけだった。
 それだけに、前に座る男が指先でテーブルを叩く音が、とても寒々しく響く。
 実際にちょっとばかり寒い。二の腕に浮いた鳥肌をさすりながら、草一郎はこつこつと苛立たしげに音を立てる男を、そっと上目遣いに見つめた。
 ライオンのような、放射状に広がった茶髪が怖ろしい。オレンジのサングラス越しのおかげで、鋭い目つきを直に味わわなくて済むのがありがたかった。
 彼の名は杉原匠。
 草一郎が前に所属していたバンドのリーダーだ。
 杉原がゆっくりと煙草の煙を吐きだす。年齢は草一郎の一個上だから、たぶん十七歳。もちろん法律違反である。それを指摘する度胸は、草一郎にはなかったけれど。
 ゆらりと杉原が首を回す。
「べつにな、草一郎くん。おれは、きみがおれらのバンドを抜けるからって頭に来てるわけじゃあないのよ」
 言いながら、杉原が煙草を灰皿にぐじぐじと押しつけた。真ん中からヘシ折れ、茶色い葉がこぼれるのを、じっと草一郎は見つめていた。
「……はい」
「嫌なら嫌でいいのよ。辞めるなら辞めるでいいのよ。やりたい音楽が違ってきたとか、いろいろあんだろーし。それでもな、筋ってあると思うわけよ」
「はい」
 煙草の箱を取りだし、杉原は振ってフィルターの先を出した。口にくわえ、引っ張りだす。かきん、と金属音を立ててジッポーライターを開き、火をつけた。
 杉原の吐きだした真っ白な煙が、テーブルの上に広がった。咳きこみそうになるのを、草一郎は必死で我慢する。
「わかるか? 先にバンドを辞めてから新しいバンドに入るっつーならまだいいけどさ、草一郎くんは、なんだ? 新しいバンドに入ってから、すみません、辞めますってなわけじゃん。いわゆる二股よ? おまけにその辞めるってな連絡が、きみ本人じゃなく、バンドのメンバーから来るってのは、いったいどういうことなワケよ。しかもよりによってそいつが……」
 ぐっと天井を見上げ、ため息まじりに煙を噴きあげた。
「赤羽根凛子とはなあ」
 ハハハ、と乾いた笑い声をあげた。草一郎も一緒に笑う。
「なにがおかしいんだい、草一郎くん」
 ぴたりと笑いを引っこめた。
「……すみません」
 ソファーの真ん中に杉原はでんと座り、背筋をそっくりかえらせている。うなだれ、手を膝におき、猫背になっている草一郎とは正反対だ。
「なにがそんなに不満だったのさ。『あれ』に身をまかせようなんて気になるほど、おれらのバンドは居心地が悪かったかい」
「いえ、そういうわけでは」
 それにしても、毎度のことながら凛子はひどい言われようである。今回は『あれ』か。
 なんだか会う人会う人、みんなが彼女を悪魔のごとき物言いをする。ただひとり褒めていたのはパンクな男性だったが、その理由も「暴れっぷりが良かった」とかいうものであって……。
「もしかして、あんまりあいつのことを知らないんじゃないのか、草一郎くん」
 草一郎は顔をあげた。
 杉原が口の端を曲げている。
「――どうやら図星みたいだな」
 違う。杉原は勘違いをしている。知らないのは――。
 ぐっと草一郎は体を前に傾ける。
「あの、杉原さん……」
「お待たせいたしましたー! 三色アイスに、トマトソースのスパゲティお持ちいたしましたー!」
 頭の上から突き抜けるようなウェイトレスの声だった。杉原がコーヒーカップを横にずらし、料理の置けるスペースを空ける。
「スパゲティ、こっちね」
 草一郎も杉原に従って、すでに冷め切ったホットココアをずらす。ことりと目の前に置かれた赤、青、緑の半球状のアイスの寒々しさに、暖かいものを頼めば良かったと心底思った。思わず腕を撫でる。いまだ消えない鳥肌に、さらに寒さはつのった。
 がしがしと杉原が粉チーズを振っている。真っ赤なスパゲティがまだらに白く彩られていった。しかし、派手な音を立てるばかりで、肝心の中身があまり出てきていない。
 杉原が舌打ちを響かせる。
「中でチーズ、固まってるよ」
 叩きつけるように、円筒状の容器をテーブルに置いた。がちゃんと、塩やつまようじの容器が揺れる。一緒に草一郎も体を縮こませる。
「つまりさあ、こういうことだと思うんだよ、草一郎くん」
 びくつく草一郎にはおかまいなしで、杉原はフォークを手に取っていた。きらめくフォークの先端で、スパゲティをくるくると絡め取る。
「一見まともそうに見えてもさ、使ってみれば何の役にも立たない。そういうのってあるよな」
「はあ」
「なんていうか、人にも同じことが言えるだと思うんだ」
 じろりと睨みつけられる。オレンジのレンズ越しに、鋭くつりあがったまなじりが見てとれた。その姿勢のまま杉原はフォークを口に運び、もぐもぐと口を動かした。
「赤羽根凛子。確かにね、上手いよ。それは認める。曲も――おれは聞いたことないけれど、いいものを書くみたいだ。あのイカレた行動もあって、ちょっとした有名人ってやつさ。すでにレコード会社の人間も何人か目をつけているそうだ。――でもな」
 フォークの先端が、ぴしっと草一郎に向けられた。
「わかるかな、草一郎くん。凛子は傍目には凄いよ。でもさ、その中身はどうだろうな? よく聞きなよ。赤羽根凛子はな、かたちとしてはなにひとつとして残しちゃいないんだぜ。音源も、映像も、なにもかも。ライブだって最後までやった試しがない。ただ噂だけが広がっているだけで、実際はどんなもんだかわかりやしない。あの粉チーズを同じだよ。振ればがさがさと派手な音を立てるけど、中身はちっとも出てこないんだ」
 そっと草一郎は視線を外した。
 ――わかってないのは、杉原さんですよ。
 凛子のギターと、新しく入ったカレンのドラムと、自分のベース。一緒に音を合わせた。それぞれが互いに試しあい、挑みあい、やがて支えあう。そんな時間を過ごした。
 耳の奥に、まだ残っている。
 カレン独特の、叩きつけるようなドラムの音。草一郎は強く弦を弾き、ぴたりとリズムを寄りそわせた。さあ、お膳立ては整った。
 そこでど真ん中を駆け抜けてゆくのが、凛子のギターだ。
 煽る煽る。もっと来いと凛子が迫ってくる。だけどここではあえていかない。カレンと一緒に、待つ。溜める。じらす。
 限界ギリギリ、はちきれそうになったところで、一気に追いつき、追い抜く。もちろん凛子のギターだって黙って置いてかれてなんかいない。
 加速する。三人がひとつになって、どこまでもゆく。
 ああ……。草一郎はゆっくりと熱い息を吐きだした。
 最近、ずっとこうだ。
 気がつくと、頭のなかに凛子たちとの演奏が流れ出している。朝でも昼でも夜でも、何度だってリフレインする。そして何度でも――高ぶってしまう。
 杉原のバンドにいたころには、一度も味わえなかった感覚だ。
「三、だ」
 気がつくと、杉原がフォークを皿に置いていた。まだスパゲティは半分以上残っている。
「凛子が入ったことで解散したバンドの数だよ。三つのバンドが消えた。凛子と関わったことで潰れた人間は数えきれず。あれだけのテクとルックスだから、声をかけたやつらもいるんだよ。うちのバンドに来ないかって。だけどみんないなくなった。下手だなんだと徹底的にやっつけられて――自信喪失ってやつだ」
 黙って草一郎は杉原の顔を見つめる。
「そいつら、プロデビューまでもうすぐってのばかりだったんだよ。スタジオミュージシャンをやってたやつもいるんだぜ。それでも凛子にかかっちゃ素人同然、ボロボロさ」
 草一郎は小さく笑みを浮かべた。
「本当なんでスかね、それ。いつも凛子さんの話は噂ばっかりで……」
 そうだ。本当の凛子の姿を知らないのは、まわりの方だ。杉原たちの方だ。どれだけ素晴らしい力を持っているのか、わかっていない。
 あれだけの音を出せるなら、そりゃちょっとばかり無茶苦茶でも……いや、けっこう、ううん、かなりデタラメな性格だけど……。
「本当さ」
 なんだか疲れた杉原の声だった。
「だって、そのなかにはおれの先輩がいたんだもの」
 その言葉が染み渡るなり、草一郎の背中を冷たいものが駈け上がっていった。ぶるりと体を震わす。
「その人、いいベーシストだったんだぜ。だけど潰れちまった。いまは音楽を聴くのも嫌だってさ。凛子の『リ』の字を聞いただけでも吐きそうになるってよ」
 ため息をついて、杉原は首をこきこきと鳴らした。
「なあ、草一郎くん。そんな思いをしてまで、凛子とやらなくちゃいけないのか? おれはさ、きみが楽器を捨てるのは見たくないんだよ」
 杉原が人なつっこい笑顔を見せた。かつて同じバンドにいたときはよく見せてくれた顔だ。そういえば、杉原に怒られたことは一度もなかったなと、草一郎は思い返した。
「それにさ、いま草一郎くんに辞められると、ファンの子が悲しむんだよね」
 いきなりな話題に、草一郎は目を大きく見開く。そんな表情がおかしかったのか、杉原がくっくくっくと笑った。
「そんな驚くことはないよ。けっこう草一郎くんは女の子に人気があるんだぜ」
「……初耳です」
「そうか。じゃあ自分の目で確かめてみるといい。志保里さん、こっちこっち」
 目をぱちくりとさせた。杉原は斜め向かいの席を見つめている。視線をなぞって、草一郎はそこに女性の姿を認めた。
 志保里と呼ばれた女性がぺこりと頭を下げ、立ちあがった。歩きながら首をなんどか振って、長い髪を背中に回す。歩を進めるたびに、足首までを包みこんでいたスカートが、ゆったりとうねった。柔らかそうな生地だった。
「あ、あのぉ、杉原さん?」
「素敵な人だろう、草一郎くん?」
 答えになっていない。
「いったいなんなんですか、これは……」
「失礼します」
 しゃなりと志保里は杉原のとなりに腰をおろした。長いまつげが印象的な瞳で、草一郎をじっと見つめてくる。
 柔らかな微笑みをこぼした。
「ふふっ、初めまして……じゃあないの、じつは」
 こちらこそ初めまして、と返そうとして、草一郎は、へ、と間の抜けた声を洩らした。
「草一郎くんが中学生のとき、何度かライブやったじゃない。私、見に行ってたのよ。かわいい子が、一生懸命ギターを弾いてるなあって、ひと目で気に入っちゃった」
「彼女は田仲志保里さん。大学生だよ。お姉さんだよ。バンドの打ち上げにも何度か来てたんだけどさ、草一郎くんはすぐに帰っちゃったから覚えてないだろう」
 はあ、とぼんやり答えながら、草一郎は志保里の顔を見つめた。
 とても白い肌だった。うっすらとほどこされた化粧に、年上の女性を感じてしまう。こちらの視線に気づかれ、怒るどころか微笑み返された。慌てて視線を外す。
 うつむきながら、なぜか凛子の姿を思い浮かべていた。
 まったくタイプが違うな……。
 脳裏の凛子は、とんでもなく機嫌の悪い顔をしていた。思わず「ごめんなさい」と頭を下げてしまう。
「ねえ、溶けちゃうよ」
「は、はい?」
 返事をしつつも、何のことやらわからず、あたふたとテーブルの上を見回す。
「アイスよ。食べないの?」
 ああ、と目の前にある皿に目をやる。赤、青、緑の三原色が、どろりと混ぜあって、複雑な色合いを作りあげていた。
「あー……」
「じゃ、ちょっと貰ってもいいかな」
「え? あ、はい」
 手を伸ばし、志保里がスプーンを取る。凛子のしなやかな腕とも、カレンの筋肉の浮いた腕とも違って、触れれば溶けてしまいそうな、柔らかそうな腕だった。
 まだかたちを残していた固まりを、スプーンでひとすくいする。ぱくりと口のなかに入れた。ピンク色の唇から、スプーンがするりと抜けてゆく。
「うん、おいし」
 志保里からスプーンの柄を差し出されて、草一郎は自分が口を半開きにしていたことに気づいた。慌てて閉じる。
「ほら、草一郎くんもどうぞ。だってこれ、食べたいから頼んだんでしょう?」
 ぐびり、と草一郎はのど仏を動かす。
 ゆっくりとスプーンに手を伸ばした。指先が触れあう。しっとりとした感触に、また唾を飲みこんだ。銀色のスプーンをアイスに差し向けながら、これって間接キッスだよなあ、とか考えてしまう。ぷすりと、溶け残ったアイスに突き立てた。
 あ〜んと口を開ける。
 その時、何かが乱暴にテーブルの上に置かれた。
 見ればステーキ皿の上で、分厚い肉が焼けた鉄板相手に表面を弾けさせている。
 草一郎の唇から三センチのところで止まっていたスプーンが、手ごとだれかにつかまれた。ぐいと引っ張られ――。
 アイスは真っ赤な唇のなかに収まった。
 彼女はむぐむぐと口を動かしている。ハッ、とつまらなそうな声をあげたとき、やけに鋭く尖った八重歯が覗いた。
「クソまっじいアイスだな」
 思いきり草一郎は息を吸いこんだ。ひ、と妙な声が洩れてしまう。
「凛子さん!」
 くい、と真っ赤な三つ編みの少女は、顎を動かした。
「おう」
 真っ白なTシャツが、凛子の小柄な体のラインをぴっちりと浮かびあがらせていた。表にデザインされたハートマークつきのブタは、その控えめな胸のおかげで、ぜんぜんデッサンが狂っていない。デニム生地のスカートから出た素肌は、すぐに黒いブーツに収まっていた。
 目を針のように細め、口元を歪めている。
 思わず草一郎が横に視線を外すと、志保里があの長いまつげの瞳を大きく見開いて、背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。となりの杉原は口をあんぐりと開けている。オレンジのサングラスがずれ、目元が覗いていた。
「草一郎、ちょっと詰めろ」
 反応するのをまたず、凛子がむりやり体をねじ入れてきた。やたらと熱い体温を感じながら、草一郎は急いで奥にずれる。
 ようやく杉原が我に返った。
「な、なんだよいったい。どうしてお前がここにいるんだ!」
「かったい肉だよなぁコレ。ロースって言葉の意味、ちゃんとわかってんのかな」
 つばを飛ばす杉原にはまったくおかまいなしで、凛子はステーキにナイフとフォークを突き立てていた。肉をまるでガムのようにぐちゃぐちゃと噛みしめる。
 杉原が、凛子から草一郎へと睨む先を変えた。「おまえの仕業か」というメッセージに、草一郎はぶんぶんと首を横に振る。
「人のことをさんざんにぬかしてくれたあとは、色仕掛けか? マヌケなことに、このバカはそれにつられそうになってやがるしな。心配だから来てみりゃこのザマだよ」
 むぐむぐと頬を動かしながら、凛子がナイフをびっと草一郎に向けた。口を真一文字にして、草一郎は顔を引きつらせる。
 手首が返り、刃先が杉原に向いた。
「もうこいつはあたしのモンだ。お前にゃやらないぞ、変なグラサン」
「だ、だれが変なグラサンだ」
「さっきから聞いてりゃ、人のことばっかりでテメエのことはさっぱり語ってないじゃないか。本気で草一郎を引き留めたいんなら、どうして自分を語らない? どうしてこれからどんな音を作っていきたいのかを語らない? テメエのことすら信じてないようなヤツは、グラサンで充分だ」
 杉原の顔が真っ赤に染まった。噛みつきそうな勢いで口を開く。
「赤羽根さん。もしかして、ずっと盗み聞きしていたの?」
 口を開けたまま、杉原は割りこんできた志保里を横目で見る。凛子のゾッとするような笑顔とは違い、なんとも華やかな、ときめく笑顔をしていた。
 フン、と凛子が鼻で笑う。
「ああ、そこで、最初っから最後までばっちり聞いてたよ」
 ナイフの先は、草一郎の横のついたてを指していた。ついたての向こう側には、いま草一郎たちが座っているのとおなじかたちの席がある。
「と、となりにいたんスか」
 草一郎の問いかけに、凛子は心底楽しそうに目を細めた。
「お前グラサンにビビッちゃって、あたしらに気づかなかっただろ」
 ――あたし「ら」?
「カレンさんも一緒なんスか」
「ああ、そうそう。草一郎に紹介しなくちゃならないヤツがいるんだ。残念ながらファンの子じゃないけどな」
「そういうことを言わないでくださいよ」
 ちらりと志保里の様子をうかがう。
「ほーう? そんなに気に入ったのか、コレが」
「ちょ、ちょっと凛子さん」
 変わらず、志保里はにこにこと微笑みを浮かべていた。ホッとすると同時に、ふと草一郎の胸に疑問が湧いてくる。
 表情ひとつ変えないってのは――じつはとんでもなく凄い人なんじゃないだろうか。
「凛子センパイ」
 妙に耳に届く声だった。やや低めの、すこしざらりとした声質。
 草一郎はテーブルの脇を見上げる。そこには少年の顔があった。
 若い。草一郎と同じか、もしかしたら年下かもしれない。彼は制服姿だった。パリッとしたYシャツといい、しっかりタックの残ったズボンといい、いやに清潔感にあふれている。顔もおなじだ。シミもニキビもない、下手すれば志保里よりも白い肌。クセのないさらさらとした前髪の下で、目を糸のように細めていた。
「――ん。来たのか」
「おいてきぼりにしないでくださいよ。ひとりぼっちじゃ淋しいじゃないですか」
 唇から覗いてみえた前歯も、CMに出れそうなくらい白い。
「料理はどーした」
「こっちに席を移動するんですか? ……ああ、こちらの方々が、さっき凛子さんが言っていたバンドのメンバーさんなんですか」
 少年が軽く首をかしげる。
「こいつ、草一郎だけな。あとは部外者」
 ステーキのつけあわせのコーンをかきこみながら、凛子が答えた。
「ぶ、部外者はそっちだろうが」
 もしゃもしゃと顎を動かしながら、凛子が杉原をねめつける。
「なんだ、まだいる気か? もう話は終わっただろ。草一郎はやんない。ハイ終了、とっとと帰れ」
「あら、じゃあ私はまだいてもいいみたい」
 む、と凛子が口の動きを止めた。
「だって私、草一郎くんのファンなんだもの。草一郎くんのいるバンドなら、私は応援したい。この子も、バンドのメンバーなんでしょう?」
「ちょっと志保里さん。それじゃ話が……」
 微笑みというのは何段階も種類があるのだと、草一郎は初めて知った。志保里の笑顔といったら、まったく最高、完全無欠のものだった。ここまで来ると、一切の質問を遮断する効果すらあるらしい。杉原が言葉を呑みこんだ。
 凛子といえば、口の中のものをごきゅっと呑みこんでいる。
「ふうん? ずいぶんと気に入られたじゃないか、草一郎」
 目が怖い。口元に笑みが浮かんでいるのが、さらに怖い。
「わあ、おめでとうございます、草一郎さん」
 立ちっぱなしの少年が、ぱちぱちと手を叩いた。少年まで笑っている。この席で微笑んでいないのは、これで草一郎と杉原だけになった。
「いや、おめでとうじゃなくて……」
 草一郎は眉を寄せ、ぎゅっと目を凝らした。
「ところで、きみは誰なの?」
「あ、ごめんなさい。ぼくの名前は桜海里といいます」
 ここでさっきの志保里の言葉を思いだした。
 『この子も、バンドのメンバーなんでしょう?』。
 ぱちぱちとまばたきする。
「もしかして、きみは新しいメンバーなの?」
 海里と名乗った少年が、凛子をちらりと見た。
「う〜ん……。まだ決まったわけじゃないんですけど」
「覚悟を決めろよ。あたしとお前の仲じゃんか」
「まあ、それはそうですけど」
「り、凛子さん」
「うん? なんだ?」
 いままで見たこともない、優しい笑顔を見せていた。
 この人、こんな顔もできるのか? というか、この子にはそういう顔を見せるのか? どういう仲なの? ――いや、そっちじゃなくて。
「海里くんが新メンバーって、パートはどこなんですか」
「ベースだよ」
 ずんと胸の奥深く、なにかが落ちた。呼吸が、一瞬止まる。
「う……」
「ばーか、冗談だよ。そんな顔するんだったら、『おれのパートは絶対譲りませんよ!』ぐらい言ったらどーだ」
 ぎゅっと唇を噛んだ。たぶん、いま泣きそうな顔しているな自分、と草一郎はうつむいて、表情がわからないようにした。
 それを知ってか知らずか、凛子が変わらない調子で続ける。
「ボーカルだよ。これでメンバー勢揃いってわけだ」
「だから、まだやるって決めたわけじゃ」
「お前、いちおー男だろ? ついてんだろ? 迷ってないでスパっと決めろよ」
「ついてるって凛子センパイ。それはセクハラです」
 ちらりと草一郎が見たとき、うっすらと海里は頬を赤らめていた。確かにセクハラだろう。こんないたいけな中学生に――学生服を着てなければ、小学生といっても通用しそうだ。
 からん、と凛子がナイフとフォークを鉄板に落とした。
「まったくやりづらいよなぁ。草一郎のときと違って、お前には色仕掛けが通じないんだもんなぁ」
「あら」
 志保里が草一郎を見つめてくる。へえ……と呟き、肘をテーブルについた。重ねた手に、顎を納める。浮かんだ笑みは、少し意地悪さを感じさせるものだった。
「やっぱりだ! そんな汚い手を使ったのか!」
 杉原が息を吹き返した。
「いいのか、草一郎くん、この女は、ほらこのとおり、目的のためなら手段を選ばないんだ! 女の子なら、おれが他に何人だって紹介してやる。さっさと手を切ってしまえ!」
「あたしほどのイイ女はそうざらにはいないだろ」
「やかましい!」
「――あははっ」
 ぞくり。海里が洩らした笑い声が、草一郎の肌をざらりと撫でた。
 なんだ? どういう声なんだ? もしもこの声で、歌うのだとしたら……。その下でベースを奏でることを思って、草一郎は震えた。
 海里の声を聞いたときとは違う震え。強い快楽への予感。
 そして、静かな興奮に陥れてくれた張本人は、じっと草一郎を見下ろしていた。
「ふうん。草一郎さんって、面白い人ですね。いまのを感じるんですか」
「おれが? 面白い? 感じるって……」
 すっと海里が上半身を伸ばしてきた。とん、とテーブルに片手をつき、間近にまで顔を寄せてくる。
 草一郎はみじろぎひとつしない。黙って海里の細い目を見つめ返していた。
「なるほど、これは凛子さんがベタ惚れ」
 ひぃあ、と悲鳴をあげながら海里が後ろに飛びすさった。
 あとにはナイフが光を反射している。それをさっきまで海里の腹があった場所に向かって突き立てているのは、不機嫌そうに顔をしかめた凛子だ。
「あたしの視界をふさぐな」
「ひ、ひどいですぅ」
 お腹を押さえながら、海里がうるんだ声をあげた。
「やかましい。どうするんだ、あたしたちと一緒にやるのかやらないのか、さっさとキメロ」
「もう……」
 Yシャツをまくり上げ、海里が自分の腹部を確かめる。抜けるような白い肌というやつを、草一郎は初めて目の当たりにした。それでも引き締まっている。草一郎より逞しいかもしれない。
「わかりました。入りますよ」
 衣服を元に戻し、海里はお腹をさすった。にこりと笑う。
「あいかわらず凛子さんは無茶苦茶だし、カレンさんって人も面白そうだし、草一郎さんも話どおり素敵だし。まあ、退屈はしなそうですもんね」
「よーし、これで決まりだな」
 凛子が立ちあがった。海里を連れ、すたすたと席から離れてゆく。
 ふっと振り向いた。赤い三つ編みが揺れる。
「なにやってんだ、さっさと来いよ」
「あ、は、はい」
 急いで草一郎も立ちあがった。杉原と志保里が見上げている。
 勢いよく頭を下げた。テーブルぎりぎりまで近づける。
「すみません。確かに最初は色仕掛けかもしんないでスけど、いまは違うんです。凛子さんと一緒にやるのが面白くってしかたないんです。いろいろと良くない噂もあるし、実際にとんでもない人なんですけど、でも、やってて凄え楽しいんです。すみません」
 相手の言葉を、じっと待った。かきん、とライターを開ける音がした。火がつき、やがて、ため息にも似た、煙を吐きだす音。
「……勝手にしろ」
 力の無い言葉だった。ゆっくりと頭を上げると、杉原は天井を見上げていた。となりでは、志保里がペンで紙ナプキンになにかを書いている。折り畳み始めた。
 草一郎の手を押し抱き、その紙片をそっと握らせる。
「携帯の番号。怖い人に見つからないように、ね」
 しっとりとした感触に、こくん、と頷いていた。
「はーやーくーしーろー」
 もう一度頭を下げ、草一郎は駆けだした。紙片が眠る拳をぎゅっと握りしめ、さりげなくズボンのポケットに差しこむ。
 草一郎を待たずに、すでに凛子は先頭を切って歩きだしていた。となりに並ぶ海里が、微笑みかけてくる。こうしてみると、なおさら華奢さが伝わってきた。
「海里……くんはさ、いくつなの? 中学生? まさか、小学生ってことはないよね」
「なに言ってんだ」
 前を歩く凛子が答える。
「草一郎とタメだぞ」
 右足を踏みだした格好で、草一郎は歩みを止めた。
「ええ……?」
 上から下まで、海里の姿をじっくりと眺めた。凛子と同じほどの身長。Yシャツから露出した、ほっそりとした腕。襟足まで伸ばした、長めの髪。その下の、あどけない顔。ほそい輪郭。
 草一郎が見やすいように、海里がわざわざ真正面を向いてくれた。見上げてくる。
「えへへ、よろしくお願いしますね、草一郎さん」
「……うん。よろしく」
 海里が横を向く。
「あっ、ほら草一郎さん。凛子センパイが爆発しそうですよ。早くいかなくちゃ」
 歩きだす海里に並んだ。
「タメならさ、『さん』はいいよ。海里くん」
「えー、でもなんだか恥ずかしいですよ」
 こっちも恥ずかしいんだよ、と草一郎は言おうとした。
「おい、草一郎」
「な、なんですか」
 凛子が後ろ姿を見せつけたまま、びっと親指を斜め後ろに向かって突き立てた。
「レシート取ってきてくれ」
「あ、ぼく行きますよ」
 凛子たちが隠し聞きしていた席へと、海里が向かう。その後ろ姿を見送りながら、草一郎はある事実を思いだしていた。
「あーっ! アイスの金、払わないと!」
 走り出す。背中越しに凛子の声を聞きながら。
「別れの場面が台無しだなぁ?」
 ひゃはは、と心底楽しそうに笑っていた。気まずい思いをしながら、仏頂面の杉原と、にこやかな志保里の元に戻る。
「……なんの用だ」
 ――あああ、ホントに台無しだ。

     4

「草一郎、リズムがズレてる。やり直し」
 凛子の声は、とても冷たく草一郎の耳に届いた。ここがスタジオのなかで、防音材で囲まれていて、だから残響音のまったくない、色のつかない声だったから――だけではない。
「はい。すんません」
 奥歯を噛みしめる。腕を回そうとして、Yシャツが冷たい汗でぺたりと貼りついていることに気づいた。
 スティック同士をうち鳴らし、カレンがカウントを刻んでゆく。
 ワン、ツー、スリー……。
 フォーと来て、もう一発目のワンで一斉に音を鳴らした。こんどは正確さを意識して、ベースを弾く。ドスドスと下っ腹に響くバスドラムをアクセントにして、そこだけすこし強めに、草一郎は太い弦を震わせた。こうすることで、曲に疾走感が出る――。
 荒々しいギターの音が、ぴたりと止んだ。
 弱々しく草一郎のベースも黙りこむ。カレンのドラムも止まった。未練たらしく金属音を鳴らしているシンバルを、そっとカレンが手で押さえた。
 スタジオのなかが、静まり返る。
「こんどはあわせすぎだ。草一郎、すこしはうねらせろ。やり直し」
「はい、すんません」
 黙ってカレンがスティックを鳴らす。ワン、ツー、スリー……。
 さっきから何度繰り返しているだろう? 凛子のギター、草一郎のベース、カレンさんのドラムに、ついに桜海里というボーカルが入って、ようやくバンドとしてのかたちが整った。なのに、肝心のボーカルのところまで演奏がいかない。イントロまでしかいけない。
「――駄目だ」
 また止まった。
 紺色のブレザーに包まれた怒り肩に、凛子はギターのストラップを食いこませていた。赤い三つ編みが揺れ、ギターに据えられていた視線が、草一郎へと移った。
「どぉーしよぉーもないな、草一郎」
 目も口も笑っていない。
 ぐび、と草一郎はつばを呑みこんだ。
「お前、練習やってんのか、ホントに」
「……やってマス」
「やってますねえ……お前のいう練習と、あたしのいう練習は、はたしておなじモンなのか?」
 草一郎は黙りこむことしかできなかった。視界の隅で、マイクスタンドに手をあてた海里が、心配そうに見つめているのがわかった。――かえって気が重くなる。
 さらにうつむいて、海里の学生ズボンの黒を、目のなかから消した。
 Tシャツにジーパン姿のカレンを除いて、みな学校の制服姿だった。放課後すぐに、楽器屋の三階にある貸しスタジオにやってきたからだ。バンドのメンバーが全員揃った翌日、いきなりの行動。鉄は熱いうちにブッ叩け。まったく凛子らしくはあったけれど。
「凛子」
 ひんやりと張りつめた空気を、カレンの声がそっとゆるめた。
「うん?」
 気怠そうに振りむいた凛子に、ひとつ、カレンは咳払いする。
「もうそろそろ時間も無くなることだし。細かいミスはとりあえず置いといて、最初から最後まで通してやってみようよ」
 真っ白い壁に貼りつけられた時計の針は、ちょうど六時を指していた。凛子は時計からカレンへと顔を戻す。
「ベースにとってリズムの問題は、細かいミスじゃすまないんだけど――ま、カレンのいうとおりか。海里、お前も黙って見てるだけじゃつまんないだろ」
 薄い色の唇を曲げ、海里は微笑んでいた。
「いいえ。けっこう楽しいですよ」
「余計な気はつかわなくていい」
 まったくだ、と草一郎は心のなかで相づちをうつ。
「ははっ。嘘じゃあないですよ。こういう凛子さんを見ているだけでも楽しいです」
「バカやろう」
 あはは、と海里が笑い声をあげた。思わずといった様子で、カレンも笑いをこぼしていた。失敗続きなことよりも、いま一緒に笑えないことが、なんだか草一郎には哀しい。
「じゃ、やるか。ということだから草一郎。テキトーでいいぞ。仕方ないから許す」
 はい、とは返事できなかった。
 カン、カン、カン、と甲高い音が聞こえた。ああ、カレンさんがドラムスティックを鳴らしているのか。じゃあ、これはカウントだ。
 ――カウント?
 気づいたときにはすでに演奏が始まっていた。
 あわてて音を重ねる。もちろんずれた。追いつこうとテンポを速めたら、さらにずれた。
 でも、演奏は止まらなかった。
 なにごともなかったかのように前奏が終わろうとしている。すぅ、と海里が息を吸いこむ音が、マイクからスピーカーごしで、草一郎の耳に届いた。
 いままで一音たりとも発声していなかったのに、海里は完璧に入ってきた。すくなくとも草一郎がわかるほどのズレはまったくなかった。
 音程も完璧だった。
 先に凛子から楽譜は渡されていた。それをぱらぱらと見て、MDのデモ音源――草一郎も聴いたが、凛子がピアノの伴奏にあわせて鼻歌を歌っているだけのもの――を聴いて、ただそれだけで、海里はすべてを完璧にこなしていた。
 そして、そんなことはどうでもいいと思わせるほどに――心を揺さぶる声だった。
 Aメロに続いて、Bメロに入る。曲調が変わった。
 透きとおるような声ではけっしてない。どこかもの哀しい、すこし湿り気を帯びた声だった。まだ歌詞は決まってなくて、だから海里は適当な嘘英語を並べている。
 なのになんだってこうもざらりと心に触れてくるのか。
 決して大きな声じゃないのに、しっかり耳に届いているのもおかしい。カレンのバカでかいドラムに、凛子の図太いギター、もちろん草一郎だって負けないほどの低音で、地の底を這いずりまわらせている。ほとんど暴力的といってもいいほどの音圧なはずだ。
 なのに届く。耳をとおり抜け、直接心にまで「意志」を染みさせてくる。
 ――なんなんだよ、ホントに。
 天才とか才能とか、努力じゃ越えられない壁とか、いろんなことを考えつつ、けっきょくのところ、草一郎は興奮していた。
 気づいたら、指がなめらかに動いていた。思うとおりに音が出せていた。しっかりとバンドの音を支えていた。
 サビを弾き終えて、うっとりとした心地よさのなかで、気づいた。
 これはぜんぶ、海里の歌の力だということに。


 最後まで暴れまわっていた凛子のギターが、最後の遠吠えを終えた。余韻はスタジオの防音材にあっさりと吸いこまれて、消えた。
 はぁ……と草一郎は詰めていた息をはきだした。
 ベースから手をはずし、だらりとさげる。たった一曲なのにすごく消耗していた。でも体を流れる汗は、さらりと心地のよいものだった。
「ふん」
 まんざらでもなさそうに、凛子も笑みを浮かべていた。薄く汗ばんだ顔を、草一郎に向けてくる。
「やればできるじゃないか」
 最初、なんのことを言われているのかわからなかった。
 笑顔を見て、ようやく褒められているらしいと気づいた。鋭い八重歯を、なんともひさしぶりに見たような気がする。
「いや、でも」
 口ごもる。今回ばかりは、自分の実力じゃあ、ない。
 そっと様子をうかがってみると、海里はYシャツのボタンを半ばまで開けて、ぱたぱたと手であおいでいた。
 こちらに気づき、満面の笑顔を向けてくる。
 力無く、草一郎も笑顔を返す。さらに海里は頬のはじをあげた。笑顔が強まる。まぶしすぎて見ていられなかった。
「きっかけはどうあれ」
 ハッと凛子の顔を見つめた。――自分の力じゃないって、バレている?
「やればできたんだ。だったらハナっからやれよ。できるくせにやらないから、こっちはイラつきが止まらないんだ」
「……はい」
「あたしはできないことはやらせない。いいかげんに信じてもいいんじゃないのか?」
「し、信じてマスよ」
「嘘ついても無駄だぞ。顔も音も信じてなかったじゃんか。草一郎はわかりやすすぎ、ぜんぶバレバレなんだから」
 なんとも言葉が痛くて、草一郎はぎゅっと目を細めた。
 暗くなった視界のなかで、凛子がぐるりと首を回し、時計を見つめる。
「片づけ考えたら、あともう一曲できるかな? カレン」
 ドラムセットに座っているカレンがうなずいた。ドレッドヘアを揺らして、スティックを振りあげた。
 カウント、ワン、ツー、スリー……。
 草一郎はベースを震わした。もうだれも、なにも言わなかった。もちろん演奏は止まらない。


 はああああ。
 スタジオの通路にあるソファーに腰をおろしたとたん、草一郎は思わずため息をついてしまっていた。ぼろぼろで、ところどころ空いた穴から中身のウレタンを覗かせているソファーに座ったからじゃあ、ないだろう。
 うなだれているのが、なんとも快感だった。体を起こしたくない。
「なーにだれてんだ。まだ若いくせに」
 甘い、でも奥の尖った匂いがした。独特の香水の匂い。
 顔を起こすと、カレンの顔があった。厚めの唇を笑顔に曲げて、赤い缶を差しだしてくる。
「コーラで良かったっけ」
「あ、すんません」
 素直に草一郎は受けとる。プルを引いて、小気味のいい音を聞いた。一気に中身を喉に流しこむ。冷たく刺激的な液体が滑り落ちていった。五臓六腑に染み渡る、というのを草一郎は実感した。
 ふふ、と微笑みながら、カレンがとなりに座る。どさ、と重量感ある音がして、ソファーがきしんだ。缶を開ける。
「――で、どーした。ヘコんでるみたいだけどさ」
 草一郎はそっとまわりをうかがう。
 ライブ告知やメンバー募集などのポスターがべたべた貼られた通路に、人の姿はなかった。凛子と海里は、いまカウンターで会計をすませているはずだ。
 両手のなかにある缶に、目を落とす。
「やっぱりヘコみますよ。カレンさんや凛子さん、海里だって、みんな凄い人ばかりで、なんかおれが足を引っ張っているみたいで」
「みたいというか、足を引っ張っていたのは確かだけど」
 びくん、と草一郎は体を震えさせた。
「でも後半は見違えるくらい良くなったし。そんなに落ちこむほどでもないって」
「……なぐさめになんないっス」
 あはは、とカレンは笑った。あまりにあっけらかんとした明るい声だったので、草一郎の口元にも笑みが浮かんでしまう。
「ところで、スタジオ代は大丈夫なのか?」
 え? と草一郎が見つめると、カレンは缶ジュースから口をはずした。
「いやさ、凛子ん家は金持ちだし、あの海里って子も、高そうな時計してるとこみると不自由はしてなさそうだけど、草一郎はどうなのかなって。少ないお小遣いをやりくりしているんじゃないかって思ってさ」
 痛いところをつかれた。凛子は持っている楽器を見ればその裕福さは推して知るべしだし、海里もなにやらきらきら光る高そうな時計をしていた。草一郎の持っている時計といえば、親戚から貰った安っちいデジタル時計ぐらいである。
「図星っス。スタジオ代もワリカンですけど、やっぱり一回で千円ぐらいかかっちゃうし。弾けば弾くほど、ピックは削れるし、弦は張りがなくなるし。またベースの弦は高いし……」
 安いベースの弦でも、CDアルバム一枚買えてしまう。ピックだって一枚百円だ。昔だって苦しいことは苦しかったが、いまはなんといっても練習量がぜんぜん違う。当然、消耗する度合いが違う。ベースの弦は、ギターと違って切れたりはしないから、その気になれば弾き続けることができるのだが、まわりのメンバーの耳も違う。張りのなくなった死んだ音のする弦じゃあ、とてもじゃないが一緒に演奏はできなかった。
「困ってるなら、あたしのバイトでも紹介しようかなって思ってさ」
「バイト? そりゃ、ぜひお願いしたいですけど、あの、どんな仕事なんスか」
「なんだと思う」
 カレンの姿をじっと見つめた。
 ドレッドヘア、褐色の肌、鳶色の瞳。ここだけ見るとかたちが整いすぎていて、こんなに気安くは話せなかったかもしれない。それを救っているのが厚ぼったい唇で、笑顔のかたちに曲がると、なんともホッとする雰囲気を醸しだしてくれていた。
 体にぴったりとしているせいで、胸に突き破られそうなTシャツに、ぎこちなく視線をはずした。
 おやおや、とカレンが呟いた。
「まだ慣れないの? 毎回見てるだろーに」
 ぐい、とカレンが突きだしたのが視界の端に見えた。
「いや、その……もうちょっと、大きめの服を着るとかしてもらうと」
「そうしてあげたいけどさ、ほら、胸がでかいと、こう、服のラインが膨らむのよ」
 カレンが胸の頂点から、垂直に手をおろした。お腹からはだいぶ離れた位置をとおっていた。
「そうするとさ、太っているように見えるわけ。引き締まってるのにお腹が出ているように思われるのは、ちょーっと我慢できないな。だからどうしてもぴちぴちになっちゃう」
 なるほどと草一郎は思った。ばいんばいんな人には、ばいんばいんなりの悩みがあるわけだ。ぺたんぺたんな凛子には、まったく関係ない悩みである。いや、ぺたんぺたんにはぺたんぺたんなりの悩みがあるのか?
「で、わかったの、クイズの答え」
「あ、はい……コンビニ……はないっスよね。うーん、服屋とか……楽器屋とか、ですか」
「ハ、ズ、レ」
 むん、とカレンが腕を見せつけた。褐色の肌にぴしぴしと筋がうかび、なんとも立派な力こぶができあがる。目を見開く草一郎に、楽しげな笑いをこぼした。
「運送会社の仕分け。重い小包を、地域ごとに分けるお仕事。重労働だから金になるよ。おまけに体も鍛えられる。一石二鳥。どう、草一郎も」
 ぶんぶんぶん、と首を横に振った。
「おれには無理っス」
 ベースを肩に数時間かついでいるだけでも痛みだすのだ。この若さで、最近肩こりになりつつもあった。
「ライブには体力がいるよ。わかっただろ、今日の練習で。本気で入りこめば、それだけ力は奪われてゆくよ」
「そう……ですね」
 足りないものばっかりだ、と草一郎はため息をついた。凛子もカレンも海里も、今回の演奏を終えてもまったく平気だった。音楽的体力ってやつなんだろうか。
「あの、カレンさんの体、凄いですけど」
「まあスタイルには自信があるな」
「そ、そうじゃなくて……いや、たしかにナイスバディーっスけど、あの、筋肉のほうです。おれなんかよりぜんぜん逞しいっス。やっぱり、ドラムを叩くために鍛えたんですか」
「まあ……最初はね」
 めずらしく言いよどんだ。
 カレンの横顔は、じっと遠くを見つめていた。視線の向こうは、ポスターのべたべた貼られた壁である。なにかを思いだそうとしているようにも見えた。
「ドラムってそれほど力がいるわけじゃないんだ。きちんとした場所をきちんとしたフォームで叩けば、ちゃんとキレがあって重い音が出るんだよ。もちろん最低限の筋力はいるけど、あたしほどには、ね」
「じゃあ」
「草一郎はさ、どうしてギターを始めた?」
 ころりと話題が変わる。しかしカレンは口元にこそ笑みを浮かべていたが、瞳は真剣そのものだった。
「おれは……ポスターなんですよね。もうだれのだったか覚えてないんですけど、ギターを、こうカッコよく構えているのを小学生んときに見て、それで夢中になっちゃって。イトコのお兄ちゃんからもう弾かなくなったギター貰って……まさか、いまベーシストになっているとは思いませんでしたけど」
 うふふ……とカレンが微笑む。
「あたしはね……ドラムしかなかったんだ」
 じっとカレンを見つめる。
「ほら、あたしはさ、お爺ちゃんがアメリカ人なんだよね。ジャズドラマーだったんだ。だから、四分の一は黒人の血を受け継いでいるってわけ。最初はアメリカで暮らしてたんだけどさ、親の都合でこっちにやってきて……やっぱさ、日本って、目立つやつには厳しいでしょ。あたしなんかほら、こうだから」
 カレンは笑う。草一郎は笑えなかった。
「イジメられたんスか」
 首を振った。
「それならまだよかったかな。近づいてもこなかった。日本語もまだうまくなかったし、友達はいないし、ずっとひとりぼっちでね。そんな女の子の遊び場が、お爺ちゃんのドラムセットだったってわけなのよ。爺ちゃん、丁寧に教えてくれてね……いまはこんな滅茶苦茶なドラマーになっちゃったけどさ。昔のほうが絶対、基本に忠実だったね」
 こんどは草一郎も笑った。そのほうがいいと思ったからだ。
「――宗教だったんだ」
 ほとんど呟きだった。
「ドラムは、ロックは、あたしにとって神さまだったんだ。ひとりぼっちの淋しさから逃げこむために、あたしはドラムを叩いてきたんだ。ビートを刻んでいるとき、あたしは祈っていたんだ。ここからお救いくださいますように、って」
 草一郎の視線に気づいた。
「そんな顔すんなよ、草一郎。ま、そうして天にますますドラムさまの洗礼を受けたカレン・キャンベル・早乙女お嬢ちゃんは、やっぱりお子さまだから、腕力が足りないわけよ。爺ちゃんみたいにキレのいい音がでなくてね……だから鍛えた。そこが始まりだね」
「へえ……」
「そうしたら、背は伸びるしスタイルはよくなるし。高校に入ったら、こんどは逆にモテちゃったのよ。エキゾチックとかなんとかで、まったく勝手なもんだ」
 よかったっスね、と言っていいのかどうか、草一郎には判断がつかなかった。
「うらやましいなんて、言うなよ草一郎。だってさ……」
 声が落ちる。カレンが身をぐっと寄せてきた。
「――そこは女子校だったんだから」
 引きこまれて、思わず体を前のめりにしていた草一郎は、最初なんのことやらわからず、目をぱちくりとさせていた。
 ゆるゆると意味が染み入ってくる。
 頬がぴくぴくと反応した。――だ、駄目だ。
 思いっきり草一郎は吹きだした。がくがくと体を動かしながら笑う。
 カレンも一緒になって笑いながら、目尻に涙をうかばせていた。
「この体だしさ、お姉さま、お姉さまって。段ボールひと箱もチョコ、貰ったりしたんだよ」
 遠慮のない笑い声を、通路中に響かせた。
 ひとしきり笑って、横っ腹をさする。痛かった。心地よい痛みといってよかった。
「あ、ありがとうございます、カレンさん」
「ん?」
 まだカレンは笑いをこぼしていた。ときおり体をぴくん、と跳ねあげている。
「おかげで、元気でました」
「そっか」
 うん、そうか、とカレンが背を反らす。
「でもね、草一郎」
 真正面から見つめられた。
「はい」
「あたしは、凛子のやり方が間違っているとは思わない。練習でできないことが、本番でできるわけもないし。それは正しいと思う。だからこそ、どこまでも追いこんでゆくんだ。だからこそ、見える世界があるんだ」
 深々と草一郎はうなずいた。
「凛子もあたしとおなじ。ロックという宗教にハマっている。あの海里って子も、たぶんおなじだ。そういうのは、なんとなくだけど、わかる。だから……普通じゃない」
「おれは……」
 カレンは満面の笑みをうかべた。手を振りあげる。
 強い衝撃が草一郎の背中に走った。思いっきりブッ叩かれていた。
「あんまり深く考えるなよ。頭よりも体で行動するのが、草一郎のいいところだろ」
 さてと、とカレンが立ちあがった。
「あの」
「ちょっとお花つみにいってくる」
「花……?」
「トイレってことだよ。なんだか、こういうときにジュネレーションギャップを感じるよねえ」
 笑いながらカレンが歩いていった。
 思わず草一郎は立ちあがる。深く頭をさげた。
「ありがとう、ございました」
 ひらひらと手を振りながら、カレンは奥の角に消えた。


 角を曲がったとたん、カレンは鼻歌を止めた。
 立ち止まり、横目で見る。
 制服姿の少女が、角の壁に背をもたらせ、立っていた。赤い髪の頭をあげると、口元には笑みが浮かんでいた。
「――凛子」
 小声だった。角を曲がったすぐそこには、草一郎がソファーに座っている。
「盗み聞きは趣味がよくないと思うけどね」
「そういうつもりじゃなかったんだけど」
 ぽつりと凛子は洩らした。
 カレンは通路奥のトイレに向かって歩きだす。凛子もそれに並んだ。
「余計なことをしちゃったか」
「いや」
 首を凛子は横に振る。
「あたしにはできないことだから。感謝してる」
 ため息はカレンから洩れた。
「焦りすぎるなよ、凛子」
 無言の凛子にかまわず、カレンは続ける。
「草一郎とはあたしたちとは違うんだ。たとえ、凛子のいうとおり――才能があるとしても、壊れてしまうよ」
「わかってる」
 凛子は目をふせた。
「でも、我慢できないんだ」
「凛子」
「できるはずなんだ。草一郎なら、もっともっと高い場所へ、遠い場所へ、あたしたちを連れていってくれるはずなんだ」
「凛子」
 強いカレンの口調だった。凛子はぷいと横を向く。ちょうどトイレの前だった。
「うん。我慢するよ――できるだけ」

     5

 四時間目の終わりを告げるベルが鳴った。とたんに、教室の空気がゆるむ。
 起立、礼、ありがとうございましたー。
 ざわめきながら生徒たちは着席した。気の早いものは、先生が教室から出る前に弁当を取りだしたりしていた。
 そんな生徒たちを横目に、草一郎はゆったりとかまえている。
 鞄からコンビニの袋を取りだし、机の上に置いた。がさ、と音がして、焼きそばパンがひょっこり頭を見せる。
 そっとパンを袋のなかに戻した。
 べつにお腹が空いていないわけではない。腹の虫は元気よく声をあげている。じりじりとした焦りにも似た期待感も、湧いてきている。
 ただし、その期待は食事に対するものではなかった。
「大変だな、車矢」
 となりの席の男が、弁当をかきこみながら草一郎に話しかけてきた。
「なんだよ、大変って」
「いや、いろいろと」
 早弁していたため、すでに三分の一しか残っていない彼のご飯を眺めながら、なんだよ、いろいろって――そう問いかけようと草一郎が口を開いたとき。
「そーいーちろー」
 ガラの悪い声に、教室のざわめきが潮の引くように静まっていった。みんな動きを止め、前方の出入り口を見つめる。
 そこには制服をだらしなく着こなしている、小柄な女性が立っていた。三つ編みにまとめていた髪の色は――なんとも目の覚めるような青色だった。ホント、毒々しくて、べつの意味で目が覚めた。
 ちょいちょいと女性が指で招く。笑みの浮かんだ瞳は、ぴったりと草一郎に据えられていた。
 すっくと草一郎は立ちあがる。手にコンビニの袋をぶらさげた。
「ホント、大変だよな。いろいろ」
 となりの声は無視して、待ち人の前までゆく。
「凛子さん……頭、また色変えたんスか」
「おう。むちゃくちゃアタマ悪そーだろ?」
 女性――赤羽根凛子は、にゃははと笑った。静まり返っている教室に、だれかがもらした、けふん、というちいさな咳払いが響いた。


 雲ひとつない、こちらは本当の意味で、目の覚めるほどきれいな青空が広がっていた。暖かな風が心地よい。フェンスの向こうには街並みが広がっている。遠くにはビル街が見えた。
 視界を妨げるものはなにもなかった。だれもいなかった。草一郎たちが――正確には凛子が来るようになってから、みんな姿を消していたからだ。
 まあ、それはそれとして。
 いま入ってきた扉のある壁に寄りかかるようにして、凛子が腰をおろしている。ためらうこともなく、草一郎はとなりに座った。
「これ、昨日の練習のなんだけどな」
 持ってきたコンビニの袋には目もくれず、凛子は制服のポケットからMDプレーヤーを取りだした。受けとって、草一郎はイヤホンを耳に差しこむ。
 ピッと電子音が鳴り、ディスクの再生が始まった。
 サーッときめ細かいノイズが流れてくる。スティックのカウントが小さく聞こえ――どん、と音の塊が耳に飛びこんできた。
 ざらついた塊をたぐってゆくと、それがドラムであり、ベースであり、ギターであることがわかった。音質はよくない。それぞれの音のバランスもよくない。ドラムはやかましく、ベースはくぐもり、ギターはひたすら濁っている。練習時の演奏を、じかにマイクで録音したものだからしかたがない。
 しかし、勢いは感じる。熱も感じる。
 それはうまく音が絡みあっているからだ。互いのおいしいところを生かしあっている。互いの足りない部分を補いあっている。
 ドラムはリズム感を生み、ギターは曲調を決定づける。そのふたつをつなげるのがベースの役割だ。ベースはリズムを強調し、そして曲調も強調する。
 自分の演奏に、草一郎はにんまりと笑みを浮かべていた。
 殺してない。カレンのドラムと凛子のギター、ふたつともしっかりと生かせている。やるじゃん、おれ。
 歌声が流れだした。
 やはり音質は悪い。なんだか遠くから聞こえていた。
 それでも、海里の声が入ってきたとたん、バンドの音に色がついた。いままでだって熱はあった。灼熱は感じた。しかしボーカルが入ってからは、実際に燃えさかる炎が見える。ゆらめく姿が見える。
 自分が演奏しているのにもかかわらず、なんだか気持ちがあおられてきた。暴れだしたくなる衝動に、鼓動が早くなってゆく。どうにかこらえた。
 凄いな……。
 演奏に入り混じって、ぱん、という音がかすかにした。見ると、凛子がパンの袋を開いている。草一郎はイヤホンをはずした。
「そんなにスゲえか? 昨日の演奏」
 う、と声を洩らす草一郎の前で、もふもふと凛子がパンを食べ始めた。
「喋ってました、おれ」
「凄いってことだけな。なにが凄い」
 ちいさく草一郎はため息をついた。
「海里っていうのは……なんなんスかね」
 もふ、と凛子は顎の動きを止めた。
「なんだ、そっちかよ。てっきりあたしは、おれのベースってサイコー! って言ってんのかと思った」
 草一郎は唇をへの字に曲げる。イヤホンをくるくるとMDプレーヤーに巻きつけた。
「そこまでは思ってないスよ」
「そこまでは? じゃあー、ちょっとはやるじゃん、おれぐらいは思ってたわけか」
「……」
 パンを取りだし、草一郎は袋を開けた。ソースの香ばしい匂いが漂う。
「それ、やきそばパンか? うまそーだな」
「うまいっスよ。凛子さんのはなんですか」
「ステーキパン」
「凛子さんって、肉好きですよね」
「べつに好きじゃねーよ。肉を喰わなきゃ力がでないから仕方なくだ」
 そういうもんスかね、と草一郎はペットボトルのふたに力をこめた。かきき、と回る。口をつけ、ぐいと飲んだ。
「もうちょっと、な」
 凛子が牛乳パックの角を持ち、ストローをぷちゅっと突き刺した。
「ふあい?」
「もうちょっと、自信を持ってもいいぞ。草一郎はうまくなったよ」
 牛乳のパックから突きでたストローをくわえ、ちゅーと吸い始める凛子を、じっと草一郎は見つめた。
 へへっと笑う。
「調子に乗っちゃいますよ、そんなこと言われると」
「お前は調子に乗るぐらいでちょーどいい」
「どういう意味っスか」
「そのまんまの意味だ」
 凛子がくせのある笑い声をあげる。草一郎もいっしょに笑った。
 ひとしきり笑ったあとで、凛子がふところから折りたたまれた紙を出し、広げた。
「さーてと、まずはイントロのアレンジなんだけどな……」
 それは楽譜だった。殴り書きされた、お世辞にも丁寧とは言いがたいものだったが、草一郎はもうその筆跡にも慣れていた。身を寄せて、のぞきこむ。シャンプーだろう甘い匂いと、ステーキパンだろうスパイシーな香りが漂ってきた。
 もう、そんなことにも慣れていた。
 凛子の言葉に、草一郎はうなずきを返す。


 ちちち、と小鳥がほがらかにさえずっていた。
 しかし、草一郎も凛子も聞いちゃあいない。
「――で、思いっきり引く。ギターもベースもドラムも、音数を減らす」
「スカスカにするんですか? でも……」
「そこでがつんとブチかますんだ。ベタだけどな、効果的だぞ」
「ベタすぎませんか」
「それは料理のしようだろ。べつにベタなのは悪かねーぞ。わかりやすいことを恐れんなよな」
「わかりますけど、それよりもここは……」
 ――ほわんほわん。
 なんとも間の抜けた音が、熱気に水を差した。
 ペットボトルがコンクリートの上を転がってゆく。どうやら風で倒れたらしい。あわてて草一郎は追いかけた。
 ふう、と凛子が息をはく。
「ま、今日はこんなもんか。時の経つのは早いもんだ……なっと」
 携帯電話のディスプレイを見ながら、言った。
 草一郎は凛子の元に戻り、手にしていた空のペットボトルをコンビニの袋に詰めこんだ。すでに入っていたゴミがつぶれて、ぐしゃりと音を立てた。
 楽しい時間の終わり、か。
 なんとも午後の授業が憂鬱だった。こうして凛子と昼休みを過ごすようになって、さらにしんどさがつのる。今日はスタジオにも入らないし、なおさらだった。
 かすかにため息をついて、凛子に続いて出口へと向かう。
「ああ、そうだ。草一郎、放課後、なんか予定あるか?」
 立ち止まった凛子の背中を草一郎は見つめた。三つ編みが毒々しく青い。
「いえ……ひたすら練習ス、けど」
 ざわざわと心のなかがうごめきだす。
「それじゃー……ウチに来るか?」
 心のざわめきは、ぐるんぐるんと渦を巻きはじめた。ぐび、とつばを呑みこむ。
「あの、ウチって……凛子さんの、家、スか」
「そーだよ。いやか……?」
「ぜんっぜんっ嫌じゃないです! おうかがいさせていただきまっス!」
 あいかわらず背中を向けたままの凛子に、草一郎は元気よく答えた。興奮を押し隠しそうとして、ちいさくガッツポーズを取る。
 ――そんなだったから、ずっと凛子が背を向けたままだったことに、草一郎はちっとも気づいていなかった。


 予想どおりというか、凛子の家は、いわゆる高級住宅街にあった。
 建ちならぶ家々はみんなそろいもそろって、休日にはバーベキューパーティーでもできそうな広さの庭に、三世代でも四世代でも住めそうな大きさの建物を備えている。
 もの珍しさに、草一郎はいちいち眺めながら歩いた。
 それぞれデザインが違う。和風だったり洋風だったり純日本家屋だったり、そのまわりを囲んでいるのもブロックや板、樹木に草花と、じつにさまざまだった。
 自分の家と比べてみたりする。
 草一郎の自宅のまわりは、だいたい似たような家ばかりだった。建て売り団地なんだからしかたがない。そして草一郎の親はローンに苦しんでいる。中流家庭なんだからしかたがない。大変なのは親だと考えると、自分の家というのはおかしいのかもしれない。両親の家というのが正しいのだろう。
 まわりに見向きもせず、凛子は広い道路をすたすたとつき進んでいた。バス停からずっと、ゆるやかな坂をのぼっている。
 そっと草一郎は振り向いてみた。
 見下ろした先には、街がべたりと広がっている。自分の住んでいるあたりに目を凝らしてみても、それらしき建物を見つけることはできなかった。
 なんとなく、これはお金持ちの光景なんだと、草一郎は思った。
「草一郎」
 半身だけを凛子は振り返らせていた。青い三つ編みとスカートが、風になびいている。
「あ、すんません」
 駆け足で近づき、となりに並ぶ。
 じっと凛子が見あげてきた。
「あの……凛子さん?」
 視線を、凛子は静かに真横の家へと向けた。
「ついたぞ。ここだ」
「ここ……?」
 ほかの家々にけっしてひけを取らない――むしろ大きいぐらいな三階建ての家が、庭をはさんだ向こう側にそびえたっていた。種類としては洋風である。
 しっかりと閉めきられた鉄柵の門。レンガづくりの塀には大理石製の表札がついている。たしかに「赤羽根」の文字が彫りこまれていた。
 凛子が鉄柵をきしませながら開く。
 門から手を離し、石畳の上を歩いていった。あわてて草一郎はついていこうとして、門が開きっぱなしなのに気づき、戻る。なるべく音を立てぬように気をつけて、そーっと閉めた。
「り、凛子さん、ちょっと待ってください」
 まさか門から玄関まで、走れるだけのスペースが空いていようとは。
 両開きの玄関の前で、どうにか追いつく。めずらしく凛子は草一郎を待っていてくれた。
「それにしても、すっげえスよね、凛子さんの家は」
「あたしの家じゃない」
 え? と草一郎は凛子の顔を見る。凛子は扉を睨みつけていた。
「これはオヤジの家だ。あたしはただオヤジのガキってだけだ」
 なんとなく、さっき草一郎が考えていたことに近いような気がする。自然と笑みがこぼれてしまった。
 凛子が眉間に皺をよせる。
「なんだよ?」
「いや、なんでもないっス」
「ヘンなやつ」
 複雑な模様が彫りこまれた把手に、凛子が手をかけた。ぐいと扉を開く。
 すう、と落ちついた香りがした。他人の家は独特の匂いがするものだが、なんといえばいいか、生々しさのまったくない香りだった。それは、まるで旅館のように奥行きのある廊下や高い天井から来るものなのかもしれないし、ふかふかな絨毯や、高級そうな靴箱の上で吠えているライオンの置物を始めとする、高級そうなインテリア類が生みだしているものなのかもしれなかった。
 入ってすぐにある、格子にすりガラスのはめられた扉が開いた。
 初老の男性があらわれ、凛子に向かって会釈をする。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
「ん、ただいま」
 その男性に、草一郎は見覚えがあった。草一郎の家に、ベースやアンプを凛子が持ってきたとき、車を運転していた人だ。たしかアンプをいっしょに運んだんだっけ。あれは重かったなあ……。
 あちらも思いだしたのだろう、草一郎に向かっておじぎをしてきた。かるくうろたえながら、草一郎も頭をさげる。
「お嬢さま、お客さまがお見えになっておられます」
 ……お客さま? 草一郎が凛子の表情を読もうとするより早く、
「おかえりなさーい」
 聞き覚えのある、すこしかすれた声が、男性の後ろ、部屋のなかから飛びこんできた。
 ひょこ、と子供っぽい笑顔が顔をだす。
「わあ、草一郎さんもいっしょですね」
「……海里」
 微笑みを返そうとして、草一郎は頬をひくつかせてしまった。
 そりゃそうだよな。ふたりっきりじゃあ、ないよな。
 わかってはいても、なかなか納得はできない。ふくれあがった気持ちが、音がでそうないきおいでしぼんでゆく。代わりに、はぁ、とちいさくため息をついた。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、海里はにこにこと笑っていた。


「ひさしぶりですよねー、凛子さんのおうちに来るのも」
 階段を上りながら、となりに並ぶ海里が言った。並びながら階段を上れるという事実や、前方をゆく凛子の、短いスカートと太股の境界線も草一郎には気になっていたが、どうにもこれは聞き逃せなかった。
 ひ、ひさしぶりだと?
「海里はさ、そのう……凛子さんの家に、なんどか来たことがあるの?」
 なるべく自然を装って訊いてみた。
「ええ、子供のころはなんどか。家が近いものですから」
「へえ、近く、なんだ」
 無邪気そのものな海里の顔を見つつ、草一郎はふたつのことを思った。
 ――こいつも金持ちなのか。
 それはまあいい。時計や服装でなんとなくわかっていたし。
 ――凛子さんと海里って、どういう関係なんだろう。
 まだ、昔からの知り合いなんだということまでしか知らなかった。たしかにバンドのメンバーとしても、また友達としても仲は良くなってきた。それでも、まだあまり深いところを訊くのはためらってしまう。凛子のことならなおさらだった。
「変わってないなあ。ああ、これもなつかしいなあ」
 呟く海里の視線は、なにやら花らしきものが描かれた油絵にそそがれていた。金色の額に入れられ、白い壁に飾られている。草一郎にはなにがなんだか、だ。
 二階にあがり、きれいに磨きあげられた廊下の上を突き進む。突き進めるというのがまた信じられない話だった。
 が、いちいちあっけに取られているのは草一郎だけのようだ。前をゆく凛子も、となりに並ぶ海里も、平気な顔で歩いている。
 ようやく、凛子がドアの前で立ち止まった。
 ドアレバーを回し、引く。
「ほれ、入れ」
 言うなり、なかに入っていった。ドアは開けっぱなしにされている。
「……失礼します」
 なんとなく、断ってから凛子に続いた。
「ぼくも、失礼しまーす」
 そんな草一郎の態度が面白かったのか、海里が笑顔で真似をする。
 普段ならかるく睨みつけてやるところだったが、ちょっといまの草一郎にはそんな余裕がなかった。
 部屋に足を踏み入れるなり、ぎょっと目を剥いていたから。
 広い。
 ――そして汚い。
 グランドピアノが余裕で入る大きさのフロアーが、楽器類で埋め尽くされていた。ギターが数えただけで七本、さらに音を出すためのアンプや、音色を変えるためのエフェクターが無造作に置かれ、それらをつなぐためのケーブルが、何本も地をのたくっていた。
 正に足の踏み場もない。
 楽器はギターだけじゃなく、ベースやキーボード、シンセサイザーに音を取りこむためのサンプラーという機械まであった。壁によりそって、アップライトのピアノもみえる。
 窓際にパイプベッドが置かれ、となりにはスチールの机があった。机の上にはノートパソコンと、楽譜の束が積み重ねられている。さらに横には棚があり、そこにはCDにレコードがぎゅうぎゅうに詰めこまれていた。
 CDがあるということは、ステレオもどこかにあるはずだけど。
 きょろきょろと探して、ようやく草一郎は、天井の隅にちいさなスピーカがあるのを見つけた。当然、オーディオの機械もどこかにあるんだろうが、ちょっと草一郎には探しだせなかった。
「うわあ。部屋のなかは……変わっちゃいましたねえ」
 海里が草一郎の背中からのぞきこんでくる。
「わかった。ぼくたちに掃除を手伝わせるために、今日は呼んだんだ。そうでしょう、凛子さん」
 なんちゃって、とのんきな笑い声をあげる。
 楽器の腐海にたたずむ凛子は、にこりともしない。思いっきり鋭い視線をぶつけてきた。ひ、と海里は笑いを止める。
 がしがしと凛子が頭をかいた。
「とりあえず、そこらへんに座ってくれ」
「……座れといわれましても」
 草一郎と静かになった海里は、なるべく楽器やケーブルのすきまを狙って足先を伸ばした。大股になりすぎてバランスを崩したりしつつ、どうにか凛子のそばまで近づく。
 壊れないように機材やケーブルを寄せ、座れるだけのスペースを作った。
 凛子はベッドに腰をおろしている。朝に起きてそのままなのか、シーツはぐしゃぐしゃになっていた。
 女の子の部屋って、もうすこし華やかなものじゃないんだろうか。勉強道具がないのはともかくとして、タンスらしきものもまったく見あたらないのはどういうことなんだろうか。
 これじゃまるで、ただ音楽をするためだけの部屋だ。
「草一郎」
「は、はいっ」
 あわてて視線を凛子に戻した。
「残念だけど、下着が入ってるタンスなんかは別の部屋だ。そっちのほうがよかったか」
「い、いーえ? ここでかまわないス」
 別の部屋……? 普通、ひとりひと部屋じゃないのか……?
 ――そりゃ普通じゃないよな、この人は。
 なんとなく納得して、草一郎はあぐらに重ねた足を、ぐいと引きつけた。体を前のめりにさせる。
「今日、家に呼んだのは……いろいろと、草一郎に知ってもらおうと思ったからなんだ」
 ベッドの脇、凛子の後ろに窓がある。そこから差しこむ光のせいで、微妙に凛子の表情は薄暗く見えた。
「いろいろとって、なんですか、凛子さん」
「知りたいんだろう? あたしが何者なのか。あたしと海里が、どんな仲なのか」
「あれれー? まだ凛子さん、喋ってなかったんですか。どうりで、たまーに草一郎さんの目つきにトゲがあると思ったんだあ」
 ときどき、海里は身も蓋もないことを言う。今回も、にこにこと微笑みながら、ケーブルと楽譜とCDケースのすきまで正座をしていた。
 はっ――ため息とも、笑いともつかない声を凛子があげた。
「まあ、そういうことだ。お互いをわかりあうのは、これからバンドを続けてゆく上でも必要なことだし……。カレンからは聞いたんだろう? どうしてカレンがドラムを叩いているのか。どうして音楽をやり続けているのか」
「ええ……でもどうして」
「カレンから聞いた」
 ――宗教だったんだ。
 まざまざとカレンの声が草一郎の耳によみがえってきた。いま思えば、あれは正に告白だった。普段は心の奥にしまいこんでいる密かな思いを、草一郎にうち明けてくれたのだ。
 なんでだろう。
 わからない。でもあのときの草一郎には、たしかに必要なことだった。
「あたしと海里も話すよ、草一郎。どうしてあたしたちが音楽をやっているのか――お前はそれを知らなくてはならない。これからもあたしたちとやってゆくために」
 凛子に、いつものあざ笑うような笑顔はなかった。いままで見たことがないほどに真剣な表情で、草一郎を見つめてくる。視線が背中まで突きぬけてゆくように感じ、草一郎はぶるりと体を震わした。
「ぼくも話すのは決まりなんですかー?」
 静かに、凛子が瞳を真横に動かした。黙って海里も見つめ返している。
 張りつめた空気を解きほぐすように、海里が深く息をはいた。上目づかいで草一郎に微笑みかける。
「ま、しかたないですかね」
 凛子がうなずいた。
「覚悟を決めろよ、退屈小僧」
「やめてくださいよ、それぇ」
 ふふ、と凛子が笑った。あはは、と海里も笑う。
 いよいよ、凛子と海里がどういう関係なのかがわかる。
 なのに、ちっとも草一郎の胸は晴れなかった。ちっとも胸が高鳴らなかった。
 もしかしたら、本当に、もしかしたら――。
 世の中には、知らないほうがいいこともある。そんな言葉を、実感する羽目になるかもしれない。


 床いっぱいに機材の広がっている部屋を、凛子はまっすぐにつっきってゆく。さっきまで凛子が座っていたベッドとは対角線上の角にある、アップライトのピアノへと向かった。さほど手こずることもなく、機材とケーブルとのすきまをひょいひょいと歩いてゆくのは、やはり慣れているからなんだろう。
「あたしが子供のころ、ピアノを習っていたことがあるというのは、知っているんだっけ」
 黒光りするふたを開いた。白と黒の鍵盤があらわになる。
「あ、はい。コンクールに入賞とか……凄かったんですよね」
「凄かった、ね……」
 きん。
 張りつめた高音が響き渡った。凛子の指が、高音部の白鍵を叩いていた。
「海里。これはなんの音だ」
「最上音のアーでーす」
「じゃあこれは?」
 両の手のひらを鍵盤に叩きつけた。ひどく濁った、不快な音が放たれる。
 すこしのあいだ、海里が目を泳がせた。
「えーと、ツェー、チス、エフ、フィスに、オクターブ上がってゲー、アー、アイス、ハー、ツェー、です」
 凛子は鍵盤を見下ろしている。
「ん……正解」
 たまらず草一郎は声をあげた。
「あ、あの? ツェーとかチスとか、なんですか、いったい」
「ああ、わからないか……ドレミファソラシドのドイツ語読みだよ。さっき海里は、ド、ドのシャープ、ファ、ファのシャープに、オクターブ上のソ、ラ、ラのシャープ、シ、ドって言ったんだ」
「はあ、なるほど」
 つまり、海里は凛子さんが奏でた、あのぐちゃぐちゃな音の塊が、どんな音程でできているのかを当てたわけだ。ふんふん……。
 ――あれを聴いて、すべての音程を当てた?
 凛子が草一郎の顔を見つめて、ひかえめな笑みをうかべた。
「わかったか。本当に凄いのはだれなのか」
「あ……」
「あたしだって、一音だけ聞いて、それがどんな音程なのかを当てることはできる。でも、六音七音をいっぺんに聞いて、それがなにでできているのかまでは無理だ。あたしにはできない」
「そんなに大したことじゃないですよ。音程を聴きとる力と、いい音を生みだせる力とはべつのものですし」
 まっすぐに海里は背筋を伸ばしていた。足はあいかわらず正座のままなので、まるでありがたい先生を前にした生徒のようにも見える。
「正論だ。だが、お前が言っても皮肉にしか聞こえない」
 冷たく言い放ち、凛子はピアノから立て続けに低音を放った。低くて重い音が、一定のリズムで不気味に響く。
 最後に長々と伸びて、ぴたりと止んだ。
「お前は持っているじゃないか。いい音を生みだせる力も」
 静かに海里が目をふせる。その唇は笑みのかたちを取ってはいたが、なぜか草一郎には哀しげに見えた。
「草一郎。こいつはべつにボーカリストだったわけじゃない。あたしたちのバンドに入るまで、本格的に歌ったことは一度もないはずだ」
「そりゃ、どういうことっスか」
 思わず草一郎は聞き返していた。
 あれだけの歌声を持った人間が、歌い手となったのはバンドに入ってからという。とうてい信じられる話ではなかった。
「あたしがガキのころ……自分よりも素晴らしいピアノを弾ける人間なんて、この世にいないってまだ思いこめていたころ、こいつと出会ったんだ。県主催のピアノコンクールでな、いまとおんなじ、すっとぼけたツラして、呑気に弾いていたよ」
「上手かったんスか」
 ゆっくりと凛子は首を横に振った。
「むしろ下手だった。リズムは揺れるし、音の強弱も、伸ばす長さも安定していない。コンクールの採点基準からいえば、けっして褒められたもんじゃあなかった」
「じゃあ」
「だけど、気持ちよかったんだ。その日演奏した、だれよりも……気持ちいい音だったんだ。技術ってなんだろうなと思ったよ。あたしのほうが絶対に上手いのに、奏でられた音はこいつのほうがいいんだ。技術じゃない部分から生まれるもの――それは、いったいどうすれば生まれるんだ? どうすれば鳴らすことができるんだ? 技術ならば努力で得ることもできるかもしれない。でもそいつは技術じゃあないんだ」
 睨むように凛子は草一郎を見つめてくる。
「いくら努力しても、手に入れられないものがある。追いつけない相手がいる。世の中はけっしてあたしを中心には回っていなくて、思いどおりになっちゃあくれやしない――そんなことに、あたしは小学生で気づいた。こいつに気づかされた」
 なんて言えばいいのかわからず、草一郎は助けを求めて横を向いた。しかし海里は、いつもの微笑みを見せてはくれなかった。かわらず薄い笑みをうかべたまま、うつむいている。
「コンクール自体は、あたしが大賞だった。だけどそんなものにいったいなんの意味がある? もう気づいてしまったのに。自分より上がいると、だれよりもあたしが気づいてしまっているのに。なにもかもバカバカしくなって――だから止めた」
「止めたって」
「ピアノだよ。こいつにゃ勝てないと思ったから、すっぱり捨てた」
 なにやら腹の底に重しをのせられたような気分に、草一郎は落ちこんだ。
 知識も、技術も、情熱も、ぜんぶ凛子にはかなわないと思っていたのに。いわゆる、天才なんだと思っていたのに。
 その凛子が、自分に才能なんかはなかったと告白しているのだ。
 じゃあ、自分はなんなんだ?
「そんなこんなでやさぐれていたときに、ギターに出会ってなー……。まあ、ロックがちょうど気分にあっていたとゆーか」
「で、ぼくの出番というわけですか」
 静かに海里が顔をあげる。真顔だった。
 凛子は振りむき、鍵盤に手をついて後ろへかたむく体を支えた。
 不協和音が、部屋のなかに響き渡る。
「そういうことになるか。海里、お前はあたしからピアノを奪ったくせして、あっさり辞めちまってたよな。飽きたとかぬかしやがって」
「なんといっても、退屈小僧ですから」
 ふふ、と海里が笑った。いままでのような無邪気な笑いではなく、どこか陰を感じさせるものだった。
 くるりと草一郎に向き直る。
「草一郎さん。ぼくはね、べつに音楽なんて好きじゃないんですよ」
 その言葉は、草一郎の心の奥、大切にしていたものを、乱暴にゆさぶった。
 好きじゃないって? あれだけの力を持ちながら、好きじゃないって? 好きでもないくせに、あんな、人の心に伝わる歌を歌えるだって?
 海里は微笑んだ。ひどく哀しい笑顔を見せた。
「みんな、そういう顔をするんですよね」
 いつもと違う、そっけない物言いに、はっと草一郎は我に返った。自分の思いを、そのまま顔に出してしまっていたことに気づく。
 妬み、怒り、憎しみ――。
 負の匂い。黒い心。
「あ……ご、ごめん」
 にこりと、ようやく海里が見覚えのある、明るい微笑みを見せた。
「いいんですよ。慣れてますから」
 慣れている?
 いったいどれほどの嫉妬を受ければ、こんな感情をぶつけられることに慣れることができるというんだろう。
「でもね、草一郎さん。凛子さんは違ったんですよ」
「――違う?」
「いきなり目の前で泣いたんです。ぼろぼろ涙をこぼしながら、すんごい目で睨みつけて、くやしい、くやしい、あたしがそれを持ってないのがくやしいって」
「おいコラ。すこしはかっこつけさせろ」
 ぎろりと凛子が睨みつける。
「充分かっこいいじゃないですか」
 楽しそうに海里が笑っているのを、しかし草一郎は聞いてはいなかった。
 ――それを持ってないのがくやしい。
 さっき自分は、そんなふうには思えなかった。ただひたすら、海里のことを妬ましく思って――。
「――それからですか、友達づきあいをさせていただきまして。ついに今回、栄えあるバンドメンバーの一員として、加入させていただいたわけです」
 けっ、と凛子が吐き捨てるように笑った。
「でもですね、草一郎さん。本当のことを言うと、バンドに入るつもりはなかったんですよ。人を感動させるための音ならばぼく、ぜんっぜん苦労しないで出せるんですけど、そうするとなぜかみんな怒ったり、哀しい顔するんですよね。人を幸せにできないんなら、音楽なんてやる必要ないと思いますし」
 まわり。
 きっと、それは草一郎や凛子とおなじ、音楽をやる側の人間たちのことだろう。
 そりゃそうだ。なんの努力もなく、また音楽を好きでもないのに、生みだされた音は、なによりも素晴らしい。才能ひとつで自分たちを飛びこえ、そしてそこへはきっといくら頑張っても行くことができない。
 嫉妬しない人間が、はたしているんだろうか?
 ――そうか、いたんだな。
 草一郎は思い返して、凛子の顔を眺めた。
 この人は嫉妬しなかった。むしろ自分に才能がないことを責めた。そうしてピアノを捨てて、ギターを手に取った。
「それにしても……よく、海里といっしょにやろうって気になりましたよね。だって……」
 横目に海里の姿を確かめる。どうぞ、と言わんばかりに顎をしゃくった。
「――海里のためにピアノを辞めることにしたんでしょう? 普通だったら、なんかこう、複雑な思いになったり、もう顔なんか見たくないって思ったり……」
「すっげえ複雑な思いだよ。顔だってできれば見たくねーよ。てめえのブザマさを嫌というほど思い知らされるからな」
 こともなげに凛子は言い放った。
「だけど、それとこれとは話が別だ。こいつはあたしたちのバンドに、いまいちばん必要な要素をもたらしてくれる。音は特上、ルックスもそこそこ、ならあたしの個人的感情なんて、関係ないだろう」
 あはは、と海里が笑い声をあげた。
「普通、そういうことは思っていても口には出さないもんですよ」
「お前がいうな」
「それに、それだけじゃないでしょ、凛子さん。大切なことがひとつ抜けています。本当に伝えたいのは、むしろそっちのほうなんじゃないですか」
 すうっと、凛子の顔から表情が抜け落ちた。
 深く息を吸って、吐きながら目をふせる。
「……そうだな」
 顔をあげ、草一郎を見据えてきた。思わず草一郎は体を強ばらせてしまう。
「さっきあたしは言ったよな。いまでもできればこいつの顔は見たくないって」
「ぼくも言いましたよね。ホントはバンドに入るつもりはなかったって」
 となりから海里が首を伸ばしてきた。視線を凛子に戻すと、いつのまにか草一郎の側に向かって近づいてきていた。
 目の前に立つ。
「わかるか、なのにどうして組んだのか」
 草一郎は膝立ちになって、凛子の顔を見あげていた。
 細めてはいるが、瞳にいつもの斬りつけるような鋭さはない。どちらかといえば、心の奥底にまで届く重さを感じた。
「バンドというのは、凄い奴らばかり集めりゃいいってもんじゃないんだよな」
 ふと視線がはずされる。どこか、あらぬ方向を凛子は見つめていた。自分自身の心のなかを探っているような、そんな目つきだった。
「数を足しているつもりが、お互いに良い部分を打ち消しあっていて、けっきょくゼロでした、なーんてよくある話でさ。そうそう簡単じゃあないんだ。それでもな、あたし、海里、カレンと、どれもこれもアクの固まりみたいな奴らばっかり集めただろ」
「しつもーん。ぼくもアクなんですかー?」
「いちばんエグい」
「凛子さんには言われたくないでーす。きっとカレンさんもそう思ってまーす」
「ちと黙ってろ」
 海里は口を真一文字に閉じた。いまだ姿勢は正座のままだ。凛子の視線が、草一郎に戻ってきた。
「なあ、どうしてだと思う? どうして、あたしはこんな面子を集めたんだと思う?」
 草一郎はうつむいた。
 弱々しく顔をあげる。真正面から凛子の視線とぶつかった。
「――わかりません」
「考えろよ、すこしは」
 苦笑しながら、凛子が手を腰に当てる。草一郎はまたうつむいた。
「わかんないっスよ。だって、つまり、おれには、いわゆる……アクがないってことなんでしょう? それがどうして」
「それだけか、気づいたのは」
 凛子が首をかたむけた。青い三つ編みがゆれる。
 強く、草一郎は奥歯を噛みしめた。
「なんでですか? どうしておれなんですか? おれなんか……凛子さん、カレンさん、海里……だれにもかないやしないんですよ。テクニックだって、知識だって……」
 その言葉は、草一郎にとってとても苦かった。だから吐き捨てた。
「なにより、情熱だって。――だれにもかなわない」
「いまは、まだな」
 ぽつりと凛子が洩らした言葉が、部屋に染みて消えた。
 静寂。
 ゆっくりと草一郎は立ちあがった。それを凛子は身じろぎもせずに見つめていた。さっきとは互いの頭の位置が逆になる。草一郎のほうが頭ふたつは高い。それでもやっぱり草一郎は、自分は凛子を見あげているし、凛子からは見おろされているように感じていた。
「すんません」
「なんだ」
「――便所、貸してもらってもいいっスか」
 とりあえず、草一郎は逃げた。


 トイレはトイレで、草一郎の部屋ほども広さがあった。ぴかぴかの洋式トイレの前で、しばらくぽつんと立ちつくす。とりあえず用事をすまそうと、ズボンのチャックに手をかけた。
 ふと思い直し、便座をさげる。くるりと背を向け、いそいそと腰をおろした。
 べつに大きいほうがしたくなったわけではない。あまりにきれいなトイレだったので、なるべく汚さないようにしようと思っただけだ。
 深くため息をつき、斜め前方のドアを見つめた。ノックされたら、思いきり手を伸ばさないと届かない。右手側には洗面台があり、鏡には草一郎自身の上半身が映りこんでいる。その背景には、やたらつるつるしたタイル張りの壁が広がっていた。窓には曇りガラスがはめこまれている。
 どうにも落ち着かない。
 普通、トイレってのはどんなところでもほっとひと息つけるものだと思うのだけれど。あまりにも広すぎだ。
 ――なにもかも、違いすぎるんだよな。
 なにも家の大きさに始まったことではない。家柄も、性格も、楽器の技術も、音楽に対する姿勢も、なにもかも差がありすぎなんである。どれもこれも凛子のほうが、十馬身は差をつけてぶっちぎりで勝利だ。
 なのに、バンドを組んだのは自分がいたからだなんて言われても。正直な話、草一郎にはまったくもってぴんとこない。
 いったい自分に、なにを求めているんだろう?
 いままでは、凛子やカレンや海里たち、草一郎とは別次元の腕前を持つ相手に、引っぱられながらどうにかやってきた。追いつこうとあがいてきた。
 でも……これからは? いったいどうなるんだろう。
 どうすりゃ……いいんだろう。
 不安と、それとはまた別の生理現象で、草一郎はぶるりと震えた。


 タオルで拭ったあとも、まだすこし湿っている手。いつものくせで振って乾かしながら、草一郎は廊下の上を歩いた。
 ほんのわずかだが、草一郎が足を進めるたびに、木の床はきしむ。
 すみずみまで掃除が行き届いているおかげできれいだが、けっこう年期は入っているようだ。高い天井や、壁に飾られた絵を、なんとなく眺めながら凛子の部屋へと向かう。
 ふと、足をとめた。
 そこには飾り棚があった。草一郎の腰ほどの高さがある。開き戸のガラスごしに、高そうなグラスや高そうなお酒が納められているのが見えた。なによりも目を引いたのは、棚の上に、時計やきらびやかな置物に混じって置かれた、ひとつの写真たてだ。
 草一郎は腰を屈め、目をこらす。
 若い男女と、小さな女の子が写っていた。どこか、洋風の建物が後ろに広がっている。
 全員の顔に見覚えがあった。男を見て、女を見て、そしてあいだで幸せそうに笑っている女の子を見た。
 もしかして……いや、もしかしなくても、これは凛子さんか?
 こんな笑顔を見せているとは。なるほど、かわいいときもあったんだなあ……。感慨にふけりつつ、五歳くらいの凛子の上で、負けないくらい幸福をふりまいている男女を眺めた。そうなると、このふたりは凛子の両親か。
 若い。まだ大学生くらいじゃないのか。
 そういえば、と草一郎は気づいた。凛子の両親がどんな人なのか、ちっとも知らない。これだけ立派な家に住んでいるということは、それなりな仕事をしていると思うけれど。
 男は長めの茶髪に眼鏡で、襟つきのシャツにチノパンを履いている。女は背中に隠れるほど長い黒髪に、白いワンピース。ともかく、金持ちそうだということだけはわかった。
「気になりますか? その写真が」
 背後からの声に、草一郎はびくんと体を震わした。無意識のうちに伸ばしていた指先が写真たてに当たって、がたがたと音を立てさせる。倒れそうになったのを、あわてて両手でしっかりと押さえた。
 腰を後ろに突きだし、両手は写真を押さえ、足はつま先立ちというなんとも間の抜けた格好で、草一郎はふりむいた。
 きれいに真っ白な髪の男性が、そこにはいた。
 この家に来たとき、最初に出迎えた人。草一郎の家に、凛子といっしょに楽器を持ってきた人。執事さんだった。とがめる目つきではなかったので、草一郎はほっと体の力をぬき、踵を床におろした。
「すみません……」
「べつに恐縮なさる必要はございません。お客さまに見せるために飾っているのですから、どうぞじっくりとご覧になってください」
 そういわれても、である。写真たてから手を離し、草一郎はよいしょっと腰を伸ばした。
「これ……凛子さんと、お父さん、お母さん、ですよね」
「はい」
「あの、失礼なのかもしれないですけど、凛子さんのお父さんって、どんな仕事をしているんですか? いや、こんな立派なお屋敷に住んでいるんだから、さぞかし凄いんだろうなあって、その……思いまして……」
 言いながら、だんだんと恥ずかしくなってきた。おれはなにを訊いているんだ?
 べつに気にした様子もなく、執事は淡々と答え始めた。
「旦那さまは演奏家をなさっておられます。赤羽根一馬といえば、コントラバスの奏者としては第一人者なのですが……」
「す、すみません」
 思わず頭をさげてしまう。
 草一郎の頭上で、執事はやわらかい笑い声をこぼした。
「お若い方ですからね。クラシック音楽にあまり興味をお持ちでないなら、ご存じなくとも当然でしょう」
 愛想笑いを浮かべつつ、草一郎はちらと頭をあげた。
「お母さんのほうも、やっぱり音楽家なんですかね。なんとなく、ピアノなんか弾いていたりして……」
「よくおわかりになりましたね。そのとおり、凛子さまのお母さまは、ピアノの奏者でございます。響子さまとおっしゃられるのですが……」
「すみませんっ」
 やはり知らない。執事は、ほほっと上品な笑い声をあげた。
「こちらはプロではございませんので、知らなくて当たり前です」
 ……もしかして、からかわれているのだろうか。
「で、でも、大変ですよね。こんな大きな家だと、掃除とかひと仕事だし……あ、そうか。べつに妻だからって炊事洗濯をしなきゃならないってことはないですよね。こういうのって男女同権ですもんね」
 あはは、と笑った。
 執事もほほほ、と笑う。
「ひとつ、勘違いをなされています」
「あああ、そうですよね、わざわざ自分たちでやったりなんかしないですよね。お手伝いさんなんかやといますよね」
「それもそうなのですが」
 ――執事が真顔になった。
「響子さまはもう奥さまではございません。――この写真を撮られた翌年に、ご離婚あそばれました」
 草一郎の笑みは、固まる。
「……スンマセン」
 うつむく草一郎のまわりを、執事がゆっくりと歩みはじめた。床が静かにきしむ。
「いまでもそうなのですが、旦那さま……一馬さまは、当時はとくにお忙しくてですね。よくあるすれ違いといいますか、草一郎さまにわかりやすく例えるならば、あれですな、方向性の違いで解散、といったところでしょうか」
 なんと答えたらいいのかわからず、草一郎は、は、はは……と頬をひくつかせた。
「じゃあ、凛子さんはそれから、ずっとお父さんといっしょに?」
「いいえ」
 歩みを止めた執事に、草一郎は顔をあげる。意地悪そうな笑みが、そこにはあった。
「親権は当初、響子さまにございました」
「……どういうことですか」
「一週間後だと記憶しております――お嬢さまがこの家に戻ってきたのは」
 眉をひそめ、草一郎は小声で訊いた。
「まさか、追いだされた?」
「いいえ」
 さきほどより、すこしだけ強い口調だった。
「ご自分の意志で、旦那さまの元に戻ってきたのです。母である響子さまに、お嬢さまはご自分で別れを告げ、一馬さまを選んだのです」
 草一郎は、口をぽかんと開け、やがて弱々しく、また閉じた。
「なんで……そんなことを」
「すべては音楽のため」
 きっぱりと執事は言い切った。
「ピアノをよりよい環境で学ぶためには、どこにいるのが、だれの元にいるのが一番よいのか。お嬢さまはそれだけをお考えになられました」
 まつ毛を、草一郎はそっとふせる。
「だって、そのときってまだ」
「はい。七歳でした」
 七歳……幼く見えるのは昔からか。そんなことを頭のかたすみでうっすらと考えた。
「すべては音楽のためって……七歳で? 母親よりも、父親を選んだ理由が……?」
「はい」
 気持ちが深く沈んできた。
 もしかして。
 いままでのすべてが……草一郎をバンドに誘ったことから始まって、いっしょに過ごした日々――どちらかといえば振り回されてきた日々だったが、そのなかでも、たまに見せた笑顔なんか……たとえば、今日いっしょに昼ご飯を食べたときに見せた笑顔なんかも……。
 もしかして、すべては音楽のため?
 ――まさか。
 笑い飛ばそうとした。実際に口元には笑顔を作ったが、いちど深く沈んだ気持ちは、また浮かびあがることはなかった。
「あの」
「はい」
「あの、いいんですか、そんなこと……おれなんかに」
「お嬢さまからおおせつけられていました。『すべてを包み隠さず話せ』と」
 沈みきったと思っていたが、まだ底があった。ずぶずぶと底の泥に、気持ちが沈んでゆく。へばりついて動けない。
 いったいなにを考えているんだ、あの人は。
 心のなかの凛子に問いかけてみる。――なぜか顔が思いうかばない。
「すみません、失礼します」
 頭をさげ、草一郎は執事の横をぬけた。
 だったら、直接聞いてみるしかない。足取りは速くなっていった。足下のきしみも、自然と大きくなってゆく。


 ドアの前に立って、草一郎はすこしためらった。いきおいよくドアノブに伸ばした手を、そのままノックのかたちに握りしめる。二度、木製のドアを叩いた。
「失礼します」
 扉を開いた。すぅと息を吸いこむ。
「あの、凛子さ」
 口を「さ」のかたちに開いたまま、草一郎は固まった。
「よう……遅かったな。腹でも壊したか」
 凛子が顔をあげた。その両の手は、床にあおむけになっている海里の両肩に置かれていた。しわになったスカートは、海里の腰に広がっている。両のふとももが、しっかりと海里の体を挟みこんでいた。
 自分の顔から血の気が引く音を、草一郎はたしかに聞いた。すう、とも、ごう、ともいえる音だった。
「なにを……やってるんですか」
 自分の声が、どこか遠くから聞こえる。
「見てわからないのか? 押し倒しているんだよ」
「助けてくださぁい、草一郎さぁん」
 逆さまの顔ではあったが、海里が瞳で草一郎にすがりついてきているのはわかった。わかってはいても、なにをしてやればいいのかわからない。
「なんで、そんなことを」
「わかりあうにはこれがいちばんだろ」
 力なく、草一郎は首を横に振っていた。
「なんですか、それ」
 凛子が首をかしげる。
「ふん? そうか、草一郎、お前……聞いたな? あたしがガキのころ、なにをやったのか。なにを選んで、なにを捨てたのか」
「えええ? それも教えちゃったんですか? そりゃ……」
 海里のすがる目つきが、憐れみの目つきへと変わった。
 なぜかそれが、ひどく苛立たしい。
「海里は、なんでも知ってるんだな」
「あの……草一郎さん?」
「なーにを嫉妬してやがる」
 凛子が青い三つ編みをかきあげた。鋭い視線をぶつけてくる。
 立ちあがった。ゆらりと揺れる。
「凛子さ……」
 話しかけようとした海里の、顔の真横に凛子は足を踏みだした。ひ、と声をあげ、海里は黙りこむ。凛子がまっすぐに草一郎を見つめながら、一歩一歩、近づいてきた。
「ああ……そうか。お前、あたしのぱんつに騙されてバンドに入ったんだもんナァ。……欲しいんならさぁ、そう言えよ」
 くれてやるからさ、とささやくように言った。
「――べつに、おれはそんな」
 逃れるように、草一郎は後ろにさがった。
「欲しいのか? 欲しくないのか?」
 踏みとどまる。ぐ、と胸を突きだした。凛子と見あう。
「それは、なんのためですか?」
「……なに?」
 おれのことを、すこしは――。
 言葉を呑みこんだ。
「それは、音楽のためですか。そのためなら、なんだってできるんですか」
 凛子は笑った。鋭く尖った犬歯を、つややかな唇から覗かせる。
「ほかにいったいなにがあるんだよ?」
 奥歯を強く噛みしめた。ぎりり、と音を立てる。
「……ついていけないです」
 凛子の黒い靴下を睨みつけながら、声をしぼりだした。
「なに?」
「たしかに、凛子さんは凄いけど……でも、もっと……」
「ハッキリ言えよ。男だろ、ついてんだろ、お前」
 顔をあげる。睨みつけようとして――果たせなかった。
「音楽以外には、なんにもないんですか?」
 フ、と凛子が鼻で笑う。
 すこしだけ、瞳のきつさがゆるんだ。
「ないよ。音楽以外には、ホント、あたし、なんにもない」
 予想していた答えは、草一郎の心をきれいにまっぷたつにした。あまりに切れ味が良すぎて、ちっとも痛くない。血もでない。
 だけど、きっと、痛みだす。
 ため息をつきながら、草一郎はまぶたを閉じた。
「……失礼します」
 頭をさげ、部屋から出てゆく。
 ドアを閉めて、廊下を早足で進んでも、だれも追いかけてはこなかった。

     7

「草一郎、いつまでそうしているつもりなの? いいかげんにしなさいよ!」
 母親の怒鳴り声が、薄いドアを突きやぶって飛びこんでくる。本人も突きやぶってきそうな勢いだったが、草一郎は顔をしかめて、布団のなかにもぐりこむだけですませた。言い返そうにも、口を動かすことすらおっくうだった。
 そこに仕事から帰った父親も加わる。お説教のハーモニーが始まった。
 どうしたんだ草一郎、と父の声。もしかしていじめられているの? とは母の声。正直に話しなさい、が父の声。
 やがてひそひそと、相談する声に変わった。
 両親の声を遠くに追いやって、草一郎は布団のすきまから、見るとはなしに閉めっぱなしのカーテンを眺めた。すでに夜の闇がやってきている。
 ふっ、と笑った。
 ――正直に話したって、どうにもなんないだろうに。
 凛子の家から逃げだして、三日たった。
 あれから学校には行っていない。学校に行けば、凛子と顔を合わせてしまうかもしれない。それがたまらなく嫌だった。恐かった。
 どう言えばいいんだろう? 凛子さんという人から逃げだしたって? その人は……学校の先輩で、バンドのリーダーで、凄いギターを弾く人で、とんでもなくエゴイストで、音楽のためならなんでもやって……。
 そして、おれが好きだった人。
 心のなかで言葉にしてみて、ああ、そうか、おれはあの人に惚れていたんだな、と草一郎は自覚した。同時に、心がぎゅうとしぼられる。こみあげてくる思いに、まぶたを固く閉じた。鼻の奥がつんとする。
 いくら好きだって、あの人には届かないじゃんか。だって――。
『音楽以外には、ホント、あたし、なんにもない』
 よみがえってくる凛子の言葉に、草一郎はベッドのなかで体を丸め、膝をかかえた。
 ついていけない。音楽が恋人、恋人のためなら海里と――ナニしようとする人だ。好きだから、なおさら辛い。
 ふと、頭のなかをよぎるものがあった。草一郎は体を起こし、ベッドのそばの机に向かう。二段目の引きだしを開け、なかにごちゃごちゃと詰めこまれていたケーブルや楽器の器具類をかきわけ、底に手を差しこんだ。
 紙片を取りだす。ぱたぱたと開き始めた。
 そこには数字が書かれていた。
 ――それは田仲志保里の携帯番号。
 前のバンドを抜けるために、リーダーの杉浦に話をつけに行ったとき、同席した女性。昔から草一郎のファンだと言って、このメモをくれた大学生の女性。
 草一郎は志保里の清楚な外見を思いだした。白い肌、長いまつげに、腰まで伸びたきれいな黒髪……まったく、あの人とは正反対だ、と思った。
 思って、落ちこんだ。
 ――どうして凛子さんのことを考えちゃうんだ。
 忘れてしまったほうがいい。こんな思いはもう振りきってしまいたい。そのためには……メモに視線を落とした。
 志保里は、怖い人――凛子に見つからないように、と言って草一郎のこの番号をくれた。だが、草一郎はいままで連絡を取ったことはなかった。
 相手は大学生だ。高校生である自分との差を感じて、気が引けたというのもある。おそらく……凛子に気兼ねしていたというのもある。
 いまなら。
 すくなくとも、凛子のことは考えなくていい。
 薄暗い部屋のなか、草一郎は横並びの流麗な字を、じっと見つめた。
 口元に笑みがうかぶ。
 丁寧に折り畳み、元通り、引きだしの奥にしまった。
 ――振られたから連絡するんじゃあな。
 それは志保里さんにも失礼だ。自嘲の笑みをもらしながら、草一郎はのろのろと布団へと向かった。
 潜りこもうとしたとき、ドアの向こうからまた声が飛びこんできた。
「草一郎!」
 母の声だった。ここで初めて、父と母のお説教がすでに終わっていたことに気づいた。
「ちょっと、草一郎、返事しなさい」
 すこしだけ底から引き上げた気持ちが、また沈んでゆくのを感じていた。心配しているのはわかるけれど、頭ごなしに言われると、どうしても反発したくなってしまう。こんな気分のときはなおさらだった。
 ため息をつきながら、もそもそとベッドに足を差し入れた。
「あなたに電話よ、女の子から!」
 心臓が一回転した。なんとか着地するも、バランスを崩して、あやうく倒れそうになった――そんな感じだった。反動で鼓動が激しく跳ねあがる。
 ……凛子さん。
 息が荒くなってくる。来るべきときが来た。
「ちょっと、聞いてるの?」
「……いないって」
 どんどんとうち鳴らされるドアの音に、草一郎の声はかき消された。草一郎は奥歯を噛みしめる。
「いないって言ってくれよ!」
 ノックが止んだ。びくんと震える母親の姿が見えるようだった。
「いるっていっちゃったわよ、もう」
 草一郎は頭を抱える。凛子のことだ、ここで電話にでなかったら、家に押し掛けてくるだろう。
 直に顔を合わせるよりは、まだ電話のほうが……。
 覚悟を決め、草一郎はドアノブを睨みつけた。ぎゅっと唇を噛む。


 たかだか三日ぶりだというのに、母親はまぶしそうに草一郎の顔を見あげてきた。その目元に皺を見つけたとたん、ずきんと草一郎の心は痛んだ。
 とりあえずいまはそれどころではない。一階へと向かった。
「本当に、心配したんだから……」
 母親の声が後ろからついてくる。
 あえて無視して、草一郎は居間の電話を取った。
 受話器を耳にあて、つばを呑みこむ。
「……もし、もし」
 返ってくるまでの時間が、とても長いものに感じられた。
「もしもし……草一郎くん?」
 現実には一秒もない時間の後で返ってきた言葉に、草一郎の全身から力が抜ける。膝から崩れ落ちそうになって、あわてて手の平を壁に押し当てて支えた。
「もしもし? もしもしー?」
 凛子の鋭く尖った声ではなく、すこしハスキーで、暖かい、なんとも大人な声。草一郎は安堵の息をつきながら、返事をする。
「なんだ……田仲さんですか」
 ふふ、と受話器の向こうから、やわらかな笑い声が返ってきた。
「そう、志保里です。でも、なんだはないと思うな」
「す、すみません」
 目の前にいるわけでもないのに、草一郎は頭をさげた。
「だいたいにして、草一郎くんったら、携帯の番号は教えたのに……ちっとも電話かけてくれないんだもの。私からかけることになっちゃったじゃない」
「すみません……。でも、どうしておれの家の番号」
「杉原くんから教えてもらったの。……迷惑だった?」
「そんなこと」
 むしろ、ありがたいです――。心のなかで感謝した。
「でも、最初なーんだって言ったってことは……だれかさんだと思ったのかな」
 言葉が心をえぐる。
「だれかさんって」
 勝手に口が動いて、聞き返していた。
「……だれのことですか」
 うふふ、と笑い声が響いてきた。
「決まっているじゃない。あの怖い人……凛子ちゃんよ」
 くっついたはずの傷が、また開いた。治りかけのかさぶたがはがれた。じゅくじゅくと膿があふれだす。
「それは……」
 笑おうとして、声が震えだした。
「――どうしたの、草一郎くん」
「いや、なんでも」
 すぐ側では、父親が新聞を広げつつ、横目で草一郎をちらりちらりと眺めていた。妹はテレビを見るふりをして視線をこちらに向けている。台所からは母親が様子をうかがっていた。とてもヘタなことは言えない。かといってこのままだと泣きだしてしまいそうだ。すでに声の震えは限界に来ているのだし。
「ねえ、草一郎くん。ちょっと会えない?」
 大学生はやっぱり大人で、だから人の心が読めるのだろうか? 志保里の提案に、草一郎は心のなかで手を合わせた。


「へえ、そんなことがあったんだ」
 ふうん、と田仲志保里がうなずいた。すでに湯気の立たなくなったコーヒーを持ちあげ、そっとすする。草一郎も習って、コーヒーを口元によせた。志保里のものと違い、草一郎のはミルクまじりの褐色だった。口をつけると、濃厚な匂いとともに、苦みと、わずかな甘さが舌に広がった。ちょっとぬるい。
 静かにクラシック音楽の流れる店内には、草一郎たちと、カウンターで洗い物をしている女性のマスター以外だれもいなかった。店に入ったときは若いカップルがいたが、志保里にいままでのいきさつを熱心に話しているあいだに、帰ってしまったらしい。
 自宅に電話をもらい、外で会おうと誘われて指定されたのがこの喫茶店だった。無口な店主は志保里と顔見知りらしく、会釈をよこしてきた。志保里が言うには、昔ここでバイトしていたことがあるとのことだった。
「でも、凛子ちゃんってやっぱり怖い人だったんだね。音楽のためならなんでもできるなんて……凄いな。凄いけど、怖いな」
 あいまいに草一郎はうなずきを返す。いままでの出来事を話したとはいえ、さすがに凛子の両親が離婚していたことや、海里を押し倒していたことなどは伝えられなかった。草一郎が喋ったのは、かいつまんだ、ところどころぼかした話だけだった。それでも、志保里は志保里なりに理解したらしい。
 ――もしかしたら。
 杉原から凛子について、いくらか噂を聞いているのかもしれない。杉原から教えられた話を草一郎は思いだした。杉原の知りあいのベーシストが、凛子にぼろくそにやっつけられて、楽器を辞めた――ひょっとして、海里とおなじように、押し倒されたりしたんだろうか――。
 ぎりりと奥歯を噛みしめる。
 どうして、こんなくだらないことばかり、悪いことばかりを考えてしまうんだろう? 部屋に引きこもっていた三日間、ずっとそうだった。我ながら本当に嫌になる。
「――くん。草一郎くん?」
「あ、はい、なんですか」
 草一郎は顔をあげる。あわてておろしたカップから、コーヒーが跳ねた。
「わ……」
 汚れた手を、草一郎はおしぼりでぬぐう。
「草一郎くん、服にもついてるよ」
 志保里もテーブルを拭きながら、草一郎のTシャツを指さした。赤いTシャツについた染みをぬぐいながら、草一郎は志保里を盗み見る。志保里は白いブラウスを身にまとっていた。
 志保里さん、本当に清楚だよな。まったく凛子さんとは……。
 首を横に振った。ちっとも吹っ切れやしない。
「で、バンドは辞めちゃったの?」
 おしぼりの動きを止め、草一郎は志保里の顔を見つめた。
「それは……あの」
 上目づかいで、志保里はじっと見返してくる。草一郎はそこに試すような光を感じた。たまらず、うつむく。
 顔をあげ、おそるおそる様子をうかがった。ちらりと覗いた志保里の唇は、笑みに変わっていた。
「ね、デートしよっか」
「は?」
 すっとんきょうな声をあげてしまった。
「ただじゃあ駄目。もしかして草一郎くん、学校、行ってないんじゃない」
 図星をつかれて、草一郎はちいさくうめいた。
 そっと志保里が手を伸ばし、草一郎の顎に触れてきた。逃れる間もなかった。
「ほら、無精髭。じょり、じょりって」
 たしかにざらついた感触が、草一郎自身にも伝わってくる。
「学校には行かなきゃ。ちゃんと真面目に学校に出たら、ごほうびにデートしましょう。ね?」
 知らず、草一郎はうなずいていた。


「ライブをすることに決めた」
 貸しスタジオのなかで、制服のブレザー姿の凛子は高らかに宣言をした。聴衆はマイクスタンドの前に立つ海里、ドラムセットの後ろに座るカレン――そして、無人のベースアンプだった。
「そいつはいいけど」
 椅子に腰かけているカレンは、ドラムスティックをくるくる回しながら、切れ長の瞳を冷たく細めた。
「三人でどうしようってのさ」
 ぱしっとスティックを握りしめる。
「草一郎はどうした。なんでここにいない」
 カレンと凛子、ふたりのあいだに挟まれるかたちになった海里は、視線をさまよわせたあげく、マイクスタンドをぎゅっと握りしめた。黒い学生ズボンに覆われた足を、もじもじと動かす。
「あの、いろいろあったんですよ、その」
「海里には訊いていない」
 ぴしゃりとはねつけた。
「あたしは言ったはずだ、焦るなってね。凛子、あんた……いったいなにをやらかした」
 首を曲げて、凛子が二度、三度と音を鳴らした。そのたびに三つ編みがぶらんぶらんと揺れる。ひときわ大きく首の音がなった。
 ゆっくりと首をまっすぐにする。
「べつに。大したことはしてない」
「大したことじゃなくて、無断で練習に来なくなるってのか。あいつはそんな奴じゃないだろ? 生真面目なのが草一郎の取り柄だ」
 カレンの視線を、凛子がまともに受け止め、返した。確実に五度は温度が低下したスタジオのなかで、海里はおろおろとするばかりだった。
 にらみ返したまま、凛子が唇を開く。
「あたしは――」
「なんだい」
「あいつを、草一郎を――」
「だから、なんだい」
 じれったそうに、カレンが身を前に乗りだす。黒いタンクトップに包まれた胸元がスネアドラムに当たって、ドラムセット全体がわずかに揺れた。
 む、と凛子は口をへの字にする。くるりと身を返し、カレンに背中を向けた。ふわりとスカートが浮きあがり、ゆるやかにしぼんでゆく。
「ちょっとだけ試してみただけだよ」
「だからさ、ちょっとってなにをやらかしたのさ。まさか押し倒したとかじゃないだろうね」
 海里が体を跳ねあがらせた。マイクスタンドが音を立てる。
 猫背になって身を縮ませる海里の背中を、カレンはじっと見つめた。
「そのまさかなわけ?」
「押し倒したのはそこの男だけだ」
 凛子の突きたてた親指が、海里を捉えている。
 はあ、とため息をついて、カレンは背を反らした。両手で椅子をつかんで、倒れないように体を支える。椅子がきしんだ。
「それを見られたってか」
 凛子は背中を向けたまま、海里は落ちつきなく目を動かしていた。沈黙を肯定と取ったのか、カレンはひとりでうなずく。
「そりゃ傷つくはずだわ」
 草一郎の気持ちぐらい、凛子だってわかっているだろうに……とカレンは小声で付けくわえた。
「……それだけでも、ないんですよねー」
 ぼそりと海里が呟いた。しっかりと聞きとがめたのか、カレンは片眉をあげる。口を開くも、声を発する前に凛子が割りこんできた。
「ベースについては心配しなくていい。ちゃんと考えてある」
「考えてあるって、どうするのさ」
 凛子はカレンに横顔を見せ、にやりと笑った。
「ともかく、だ。ライブは二週間後にやる。しっかり練習しなくちゃな」
 カレンは海里に探るような視線をぶつけた。海里はぶるぶるぶると顔を横に振り、なにも知らないことをアピールする。ふう、と息をついて、カレンはスティックで肩を軽く叩いた。
「ベース抜きで練習、ねえ」


 雲ひとつない青空に、まさにデート日和ってやつだよな、と草一郎は心のなかで呟きを洩らした。街の中心部にある商店街のアーケードの、さらに中心にある小さな噴水の前には、休日ということもあって数多くの人が立ち並んでいた。ほとんどが草一郎とおなじく、だれかと待ちあわせなのだろう。
 ――デートか。
 なんとも落ちつかない気分になって、草一郎はそわそわと足を動かした。デートなんて中学生以来で、それも同級生との、清く正しく美しいものだけだ。
 それがよもや、大学生のお姉さんとデートすることになろうとは。
 いったいどんなところに行きゃいいんだろうか。
 しゃわしゃわと湧きあがっている噴水に視線を落とす。太陽の光をきらきらと反射しながら、ブロック内の小さな溜め池に波紋を広がらせていた。
 待ちあわせ……。
 初めて凛子と待ちあわせした場所は、ここをずっと駅のほうへと向かって、途中にあるコンビニの前だった。まあ、あれはデートなんて言えるものじゃなかったけど。
 タコビル。死だの暴力だの破壊だの、いろんな意味で激しいジャンルの音ばかり専門にやるライブハウスのあるところ。そこに連れてゆかれて、出演していた血と殺戮なバンドにケンカを売って、紆余曲折あって、メンバーのドラムスを引き抜いて。
 ――そこで、生まれて初めてバンドとして、ベースを弾いたんだっけ。
 そして、もう、弾くことはないのだろうか。
 草一郎は、ほとんどつぶりそうなくらいにまで目を細めた。
 あれから学校には行った。ご褒美に志保里がデートしてくれるといった、その言葉のためだけじゃなかった。いいかげん両親に心配させるのも止めにしようと思ってもいたからだ。まあ、志保里の件が背中を押したことは否定しないけれど。
 でも――だけど。
 学校にいるあいだ、いちども凛子はやってこなかった。
 ほっとする気持ちと、哀しい気持ち。ふたつの感情が、ずっと渦を巻いている。そのたびに思う。本当に、このままでいいの――
「ごめんなさい!」
 飛びこんできた声に、はっと草一郎は振りむく。
 手をあわせた志保里が、頭をさげていた。Tシャツの上に涼しげな水色のシャツをはおり、チェック柄のスカートを履いていた。それほど短いものではない。かといって野暮ったいほど長くもなかった。
「待ったでしょう、本当にごめんね」
 片目を開けて、草一郎の様子をうかがってくる。
「あ、いや。そんなには待ってないです」
 もうすこし気の利いたことが言えないのかよ、と草一郎は自分自身に突っこんだ。それでも志保里はほっと表情を崩す。
「よかった」
 にこやかに微笑みかけてくる。かえって申し訳なさがつのった。なんといっても、草一郎がさっきまで考えていたことは――。
 左手に、突然のぬくもり。
 志保里が、草一郎の手を取っていた。
「じゃ、いきましょうか」
 にこやかに微笑みかけた志保里に、草一郎はうろたえ、なんどもまばたきする。
「あの、いったいどこへ」
 残っている右手の人差し指を、志保里がそっと唇に当てた。
「そうね……とりあえず」
 目を笑顔のかたちに細めた。
「ごはんにしましょ。おなか、空いたでしょ?」


「ここは……」
 ファミレスのドアの前でとまどっている草一郎の手を、志保里がくいっと引いた。
「覚えてる? 私と草一郎くんが、初めて出会った場所」
「ええ、それは、わかりますけど」
 忘れはしない。前のバンドから抜けるために、草一郎はリーダーの杉原と、このファミレスで話しあいを持った。そこで杉原から紹介されたのが志保里だったのだから。
 志保里がドアを開く。ひんやりとした空気が流れだしてきた。カウンターへ向かうあいだも、ずっと草一郎の手は握りしめられたままだった。まるで手を放したとたんに、草一郎がどこかへ行ってしまうとでも思っているかのように。
 駆けよってきた店員が、いらっしゃいませと頭をさげる。
「何名様ですかー?」
 ふたりです、と志保里は答え、うかがうように草一郎を見た。
「草一郎くんは、煙草は」
「あ、吸わないです」
 そもそも、おれはまだ高校生ですよ――という言葉は、なんだか子供に見られそうなので黙っておいた。
 左手に、しっとりとした感触と志保里の温もりとを感じながら、草一郎は店員の案内についてゆき、ざわめきのなかを店の奥へと向かう。さすがに昼時とあって、だいぶ席は埋まっていた。それでも角にはふたつのテーブルが空いていた。向かい合わせに、草一郎と志保里はひとつのテーブルに座る。
 ようやく解放された手に物足りなさを覚える。なんとなくそれを悟られたくなくて、草一郎はメニューを開いた。ファミレスのメニューなんて、そうそう変わり映えするものではない。セットメニューのあたりを眺めるうち、ステーキのところで目が止まった。
 ステーキ。あのとき、凛子が食べていたもの。
 杉原と話しあったとき、草一郎が引き抜かれるのを心配して、凛子がひそかに聞き耳を立てていた。結果的には話しあいの場に乱入して、さんざん暴れまくったわけだが。
 凛子はこのステーキを食べていた。固いといって、ガムみたいに噛んでいた。
「あ……」
 志保里が洩らした声に、あわてながら顔をあげる。いま考えていたことを気づかれたのだろうかと、背中にひんやりとしたものを感じながらだ。
 しかし志保里の瞳は、草一郎ではなく、その背後へと向けられていた。
 まさか――凛子さんじゃ。
 さらに冷えた背中に、大急ぎで草一郎は振りむく。
「もしかして、杉原くんじゃない」
 上半身をひねりながら聞いた志保里の声に、草一郎の体から力が抜けた。肩越しに、にこやかな顔で片手をあげる杉原を見る。ライオンのように広がった茶髪は健在だった。
「いよう」
 ほっとしたのもつかの間、こんどは志保里といっしょにいるところを見られた恥ずかしさがこみあげてきた。返事をしようとして果たせず、草一郎はぎこちない笑みを返した。


「奇遇だな、草一郎くん」
「はあ」
 志保里のとなりに腰かける杉原に、草一郎はどうにも後ろめたさを覚えた。
 もともと志保里は、杉原がバンドを辞めようとする草一郎を引き留めるために連れてきた人だった。志保里本人は、前から草一郎のファンだったと言ってはいたが。
 結局草一郎は杉原のバンドを辞め、凛子の元へと行った。そしていまは凛子の元からも逃げだし、なぜだか志保里とデートをしている。なんとも状況は複雑である。
 そんな草一郎の気持ちを知ってか知らずか、杉原は店員を呼び出すボタンを押している。チャイムが店内に鳴り響いていた。
 あら、と志保里が声をあげた。
「まだなににしようか決めてないのに。ねえ、草一郎くん」
 同意を求められ、草一郎はちいさくうなずく。
「ごめん、ごめん。じゃあ、ちゃっちゃと決めちゃってよ」
 口調とは裏腹に、まったく杉原に悪びれた様子はない。
「杉原くんは?」
「もうおれは注文してますよ。いま店員を呼ぶのは、席を移ったことを伝えるためです」
「勝手なんだから……」
 もう、と志保里は笑った。草一郎もひかえめに笑いつつ、そういえばこういうところのある人だったな、と懐かしさを味わっていた。
 やってきた元気な店員に、志保里はきのこのスパゲティ、草一郎は親子丼を注文する。杉原はこっちに席を移るからと言い放ち、店員はプロフェッショナルな笑顔で受け答えし、伝票を杉原が元いた席から持ってきた。
「――さて? 草一郎くん、話は聞いたよ」
 ひとあし先にやってきたカルボナーラをフォークにくるくると絡め取りつつ、薄い青のサングラスごしに杉原が探るような視線をぶつけてきた。
「話って……なんですか」
「駄目だったんだって、バ、ン、ド」
 草一郎はうつむいた。かちゃかちゃと食器の音を立てながら、杉原が続ける。
「おれの言ったとおりだっただろ。あの女にゃだれもついていけやしないんだ」
 自分の場合はちょっと違うな、と草一郎は思った。音楽面でついていけなかったわけではない。そりゃ厳しかったけど。
 好きになってしまっていたから、音楽しか見てくれない凛子のそばにいるのが辛くて、逃げだしたのだ。
「そもそもあの女は――」
 ここぞとばかりにさんざんに言い立てている杉原の横で、志保里がすまなそうに眉をうなだれせていた。なぜだろう、と草一郎は長いまつげでふちどられた志保里の瞳をじっと見つめる。めずらしく、志保里は視線を逸らした。
 なんだ? いつもなら無敵の微笑み返しが待っているはずなのに?
「なあ、草一郎くん」
 もう杉原は黄色く彩られたパスタには目もくれていない。ぐいと体を前のめりにさせてきた。テーブルが揺れ、草一郎のすぐそばにあるウーロン茶の入ったグラスが、ちゃぽんと音を立てた。
「戻ってこないか」
 テーブルにこぼれたウーロン茶をナプキンで拭いていた草一郎は、最初、なにを言われているのかわからなかった。手を止め、見つめ返す。
「え……?」
 杉原は真剣そのものの表情だった。さらに体を近づけてくる。
「おれたちのバンドに、戻ってこいよ。まだギターの空きはあるんだ。なんならベースでもいい。シゲも、ギターにちょっと興味あるみたいだったし」
 な? と、中腰になった杉原がにこやかに微笑みかけてくる。
「あ……」
 なんとも杉原の笑顔がまぶしくて、草一郎はまたもやうつむいた。気配で杉原が腰を落ち着けたのがわかった。カルボナーラの皿に、フォークが当たる音がする。また食べ始めたらしい。
「どうして、杉原さんはそんなによくしてくれるんですか」
 うつむきながらの問いかけに、ぴたりと食器の音が止まった。
「おれは、杉原さんのバンドから、その、なんていうか、勝手に抜けたのに。抜けかただって、筋の通ってない、めちゃくちゃな」
「あー、ありゃたしかにひどかったな。断りもなくあの女のバンドに入って、話があるからってファミレスに行けば……そういえばここだったか? いきなりその女はやってくるし。さんざんだった」
 あの女、という言葉にずきんと胸が痛む。
 鋭い八重歯を見せる笑顔が、頭のなかにさっとよみがえった。
 ――凛子さん。
 遠くから杉原の優しげな声がやってくる。
「なんていうかな……おれは、草一郎くん、きみが好きなんだよ。といっても勘違いするなよ、そういう意味じゃないからな」
 ははは、と杉原はひとしきり笑う。
「きみは一生懸命だからな。だれよりも練習してたし、だれよりも上達が早かった。ちょっと地味で、引っ込み思案なところがあるから、なかなか目にはつきにくいけどな……。口ばっかり達者な奴ばかりでな、なかなかいないんだよ。黙々と努力できる奴ってのはさ」
 さて、と杉原が立ちあがった。カルボナーラの皿には、ベーコンのかけらが残っているだけだった。
「デートの邪魔しちゃ悪いからな。おれはお先するよ。バンド復帰の件、返事は急がないから、よく考えてみてくれ」
 言いながら自分の伝票を抜き取る。
「じゃ、志保里さん。彼のこと、頼みます」
 妙な頼みかたをして、杉原は席を離れた。
「杉原さん」
 草一郎は立ちあがった。
 だまって頭をさげる。ひらひらと手を振りながら、杉原は去っていった。


 細くたなびく雲の向こうに、沈みゆく太陽が見える。すこし暖かく、すこし寂しい光が、まわりの木々や芝生、ベンチに散歩道を赤く染めていた。
 赤い逆光のなかで、志保里がやわらかく微笑む。
「楽しかったね」
 照れくささに、草一郎は目をふせた。
 ここは公園だった。杉原と別れてから、映画、買い物と定番なデートコースを回った。最後に手をつなぎながら公園を歩くなんて、あんまり中学生時代とやっていることは変わらない。
 やっぱりおれが高校生だから、気をつかってくれたんだろうか?
 ふう、と志保里が息をはいた。
「ちょっと疲れちゃった。ね、座らない?」
 ちょうどよく木製のベンチが空いていた。手で座る場所をさっとはらい、志保里が腰をおろした。草一郎はやや間隔をあけて、となりにちょこんと座る。
 風が吹いてくる。火照った体には気持ちがよかった。
 となりでは長い髪をゆらがせながら、志保里が心地よさそうに目を閉じていた。またふう、と息をはいてから、草一郎を見つめてきた。
「ごめんね、いろいろとつきあわせちゃって」
 と、頭をさげる。
「いや! おれのほうこそ」
 あわてて草一郎もならった。お互いに頭をさげあっている状況がおかしかったのか、志保里がふきだす。
「とても楽しかった。デートなんて、久しぶりだったし」
 なんともあどけない表情で笑う。
 大学生だからって、そんなに違いはないのかな。思わず草一郎はそんなことを考えながら、真正面を向いた。
 黒々と茂った木々の向こうで、車のヘッドライトが忙しく行き交っていた。さらに向こうには、薄暗くなったビルが見える。
 胸のなかに、もくもくと寂しさが湧いてきた。
 一日の終わり、デートの終わり。
「今日はありがとうございました。おかげで、だいぶ気が楽になりました」
「まだ堅いなあ」
 え? と草一郎が見ると、志保里は軽く唇を尖らせていた。
「もうすこしね、砕けてもいいんじゃないかな。草一郎くんって、すごい真面目だよね」
「そう……でしょうか」
「うん。すっごく真面目。カタブツ。難しく考えすぎなんじゃないかなあ。ほら、杉原くんなんて、頭より体で動くタイプじゃない? すこしは見習わないと」
 苦笑しつつ、草一郎は杉原のことを思いだす。
「でも偶然でしたよね。あんなところで出会うなんて、本当に……」
 ふいに、あのときの志保里の表情が頭をよぎった。どこかすまなさそうな、気まずそうな顔。めずらしく、視線を逸らしたこと。
 まじまじと志保里の顔を凝視した。またもや志保里は視線をはずす。どこかいたずらそうな上目づかいの横顔を見せた。
「志保里さん、もしかして」
 ちいさく舌を出しながら、志保里がウインクをした。
「ばれたか」
 草一郎は深く息を吸いこんだ。肩があがり、吐くとともにさがる。志保里が首をかたむけながら問いかけてきた。
「怒った?」
「いや……べつに……その」
 最初から、志保里はこのつもりだったのだ。杉原と話していたとき、志保里がどこか気まずそうな表情を見せたのは、図っていたことが後ろめたかったからだ。
 草一郎を杉原に会わせることこそが今回の目的だった。
 それは――なんのために?
 決まっている。草一郎を前のバンドに復帰させるためだ。
「でも、どうしてですか。なんでそんなこと」
 髪の毛をくるくると指先に絡めながら、志保里がぼつりと言う。
「とても辛そうだったから」
 言葉が胸に刺さる。返す言葉もない草一郎の前で、志保里は続ける。
「私は音楽のことはよくわからないけど……杉原くんのところで頑張っていたときは、草一郎くんはとても楽しそうだった。でもいまはどう? とても苦しいんじゃない?」
 潤み始めた志保里の瞳が、きらきらと輝きだす。
「だから、余計なことだとは思ったけど、杉原くんとも相談してやってみたんだ。正直に話したら、きっと草一郎くん、出てきてはくれなかったと思うから。――だって、まだ彼女のこと、忘れてないもの」
「そんなことは」
「あります。デートの最中にほかの女の子のことを考えちゃ駄目よ。そういうのってすぐにわかるんだから。伝わるんだから」
 思いきり図星をつかれて、草一郎はうめいた。熱くなる頬に、たまらず顔をふせる。
 遠くで、車の排気音がリズミカルに通り過ぎてゆくのが聞こえた。いつのまにか外灯がついていたらしい。足下から自分の影が、散歩道へと伸びていた。
「あの……」
「なあに」
 すこし声に棘が感じられる。
「……どうして、おれにそこまでしてくれるんですか」
 思い切って草一郎は顔をあげる。志保里の顔に、険は浮かんでいなかった。そのことに勇気づけられ、草一郎は言葉を続ける。
「杉原さんもそうだったけど、そんな、おれ、たいした奴じゃないですよ。だらしないし、情けないし、カッコ悪いし。なんでそんなによくしてくれるんですか?」
「じゃあ私も杉原くんとおなじ答えをあげる」
「え……」
 頭のなかで杉原の言葉がこだまする。『おれは、草一郎くん、きみが好きなんだよ』頭に血が上ってきた。すぐにつぎの言葉もこだまする。『といっても勘違いするなよ、そういう意味じゃないからな』。上がった血がすとんと下がった。
「そうか、そういう意味じゃあないんですよね」
 思っていたより気落ちした声が出てしまった。ごまかそうと笑い声をあげる。乾ききった笑いになってしまった。
 にこりと志保里は微笑む。
「ううん、そういう意味」
 きっぱりと言い切った。
 ――そういう意味?
 外灯の青白い光に、志保里の顔はさらに白く、透き通ってみえた。すこしばかり頬が赤いような気もするが、よくわからない。
「草一郎くん。私ね、きみがちょっぴり羨ましいんだ」
 真正面を見つめながら、志保里が呟くように語り始めた。
「羨ましいって……おれが? ですか?」
「うん。なにか夢中になれるものがあるっていうのは、とても素晴らしいことよ。草一郎くんにはわからないかもしれないけれど……けっこう多くの人が、そういうものを見つけられないまま、大人になってしまうから。私も、含めて、ね」
 なにか喋ろうとして、結局草一郎は口をつぐんだ。
 体を前に傾け、また後ろに戻し、ベンチの背もたれによりかかる。空に浮かんだ月が、なんとも澄み切って見えた。
 ふふ、と志保里の笑い声が聞こえる。
「わからないよね、うん。でも、草一郎くんはそれでいいよ」
 なんだかひどく自分が子供のような気がしてきた。
 ともかくなにか言葉にしよう。そんな衝動にかられて、草一郎は志保里に向き直った。
 ひどく近い位置で、志保里の瞳が濡れ光っていた。
 息を呑んだ、その唇に、なにか柔らかいものが押し当てられる。長い長い時間のあとに離れてゆく志保里の瞳は、長いまつげでしっかりと閉じられていた。
 ゆっくりと瞳が開く。
 つややかな志保里の唇が笑顔のかたちに孤を描いて、そこでようやく、草一郎はそれが自分の唇と重ね合わされたということに気づいた。
 志保里が立ちあがる。たったった、と数歩進んで、くるりと振り返った。ひるがえった髪が体にまとわりついて、はらはらと散った。
「いろいろ余計なことしちゃたけど……自分の気持ちをいちばん大切にしてね」
 とびきりの笑顔を見せる。微笑みではない。満面の笑顔だった。
「じゃ、また! こんどは草一郎くんから連絡して。絶対よ」
 敬礼するように手をあげ、志保里は駆け足で去っていった。揺れ動く黒髪を、しなやかな足の運びを、草一郎は目で追いかける。遠く、夜の向こうに消えてゆくまで、ずっと見続けた。
 自分でも気づかないうちに上げていた手を、すとんと落とす。甲がベンチに当たって固い音を立てたが、ちっとも痛みを感じなかった。
 帰り道、途中の公衆電話から、草一郎は杉原の携帯に連絡を取った。
「もしもし、杉原さん……矢車です」
 唾を呑みこむ。電話機を睨みつけた。
「例の件、お願いします。はい、後悔は……しません」
 電話ボックスを押し開け、夜空をあおぐ。北極星がひときわ大きく瞬いていた。

     8

 杉原の奏でたギターの音が、スタジオのなかを駆けぬけてゆく。
 曲のラスト、草一郎もベースの音を長々と伸ばした。弦を押さえている指先を激しく、細やかに震わして、すこしでも余韻を広げようとする。
 ――多少のむなしさを覚えながら。
 ギターの刺々しい音、ドラムのシンバルの金属音、そして草一郎が奏でる深い低音。引き延ばされて、かすれてゆくそれぞれの音たち。完全に消えてしまう前に、草一郎はちいさなため息をまぎれこませた。
 そして、完全な静寂が訪れる。
「――よし」
 杉原が笑顔を見せた。オレンジのサングラスごしに覗く瞳も、自信ありげな笑顔のかたちに孤をつくっていた。
「いいんじゃないかな、いまの?」
 杉原の問いかけに、マイクを手に持っていた長髪の男が笑みを返す。薄い唇をゆがめていた。
「そうだな。ぼくの歌も完璧だったし」
 ボーカルの谷口万里夫だ。本人はマリーと呼んでほしいらしいが、バンドのなかで従っているのはいまのところ草一郎だけだった。
「おれのギターも完璧だったよ」
 互いに笑いあっている。それを離れた場所から眺めているのは、元ベースである現ギターの立花重之、通称シゲだった。彼はみんながシゲと呼ぶ。頭に巻かれた白いタオルに、顎に生やした髭が、オッサンくさいあだ名を抵抗なくさせているのだろう。実際に年上でもあった。
 立花が、草一郎をちらりと見て口の端を曲げる。
(どうだよ、こいつらのおめでたさは)
 そう言っているのが態度で伝わってきた。草一郎は静かに視線を逸らす。
 ドラムセットに座っている、立派な体格の大男を見た。横を刈りあげてっぺんは平らに揃えた頭に、角張っている顎のせいで、顔はみごとに長方形だった。彼の名は大滝。だれからともなくゴリと呼ばれている。
 大滝はいつものように、口を真一文字にしたまま、バンドメンバーを睨めつけていた。本人に言わせると、べつに睨んでいるつもりはないらしいが。
「草一郎くんはどうだった?」
 喜色満面の杉原にいきなり話しかけられ、草一郎は体を固まらせる。すぐに力を抜き、笑いかけた。
「ええ、よかったですよ」
 くっくっく……と立花が低い笑い声を洩らした。そこに秘められた感情には気づかず、杉原とマリーはまたもやああだこうだと喋りはじめている。
 立花をのぞき、みんな草一郎のひとつ上、高校二年生だった。よくある、同級生でバンドを組んだというやつで、立花だけがみっつ上の大学生だった。そんなバンドになぜ中学生時代の草一郎が入っていたのかといえば、杉原が近所のお兄さんで、妙に気に入られていたなんていう縁があったからだった。
 ――中学生時代。
 ひたすらがむしゃらだったころ。楽器のことも、音楽のことも、なにひとつわからないで突き進んでいたころ。
 だからこそ気づかなかったことがある。
 このバンドのメンバーは……だれひとりとして、他のメンバーの演奏を聴いてないということだ。
 演奏したあとの感想といえば、自分のプレイがどうだったのか、ただそれだけ。お前の演奏のそこがよかった、あそこが駄目だった、そんな言葉はない。
 演奏を聴いていないのはリズムの不安定さでもよくわかる。ドラムの音をしっかりと聴いていれば、どうしたってちぐはぐな演奏にはならないはずだ。なのにリズムは悪い。そのためにまったく演奏が絡みあわない。絡みあわないために、バンドだけが作りだせる輝きが生まれない。まるで荒れ果てた大地の上を歩いている気分だった。
 ここには、みずみずしさのかけらもない。
 あのひとたちなら――。
 心のなかの呟きを、草一郎はまぶたをぎゅっと閉じることで押さえこんだ。それを言っちゃあ、おしまいだ。
 薄目を開けてみても、光景に変化はない。あまりにも緊張感のない、この空気。草一郎が杉原のバンドに戻って二週間が経つというのに、まったく変化はない。
 復帰して、さっそく音をあわせたが……。
 まずはドラムスの大滝。
 細かいテクニックは上手くても、肝心の作りだすリズムがどうも乗りきれない。原因はわかっている。大きく、一曲全体を見て叩いていないからだ。四小節、八小節という短い範囲だけを考えて叩いているから、どうにも息切れする。
 ボーカルの谷口は音程が不安定、滑舌も悪い。典型的な自分に酔った歌声だ。ナルシストで許されるのは、本人に魅力がある場合においてのみだろう。
 杉原のギターはさすがに上手い。だけど、やっぱり自分のことしか考えていない。好き勝手に弾きまくっているせいで、弱いボーカルがさらに押しやられる。完全にかき消えてしまう。
 もうひとつのギター、シゲこと立花重之は、元ベーシストということもあるのか、まだ全体を見ている。バランスも悪くはない。
 しかし……まだ足りない。シゲさんでもまだ、だ。
「あの」
 杉原と谷口はまだああでもない、こうでもないと語りあっている。熱心なようでいて、よく耳をすませば、自分のパートのことしか喋っていないのがわかる。
 草一郎はすこし語気を強めた。
「すみません。杉原さん」
 うん? とごきげんな杉原が振りむいた。
「あの、アレンジなんですけど。バッキングはもうすこし押さえたほうがいいんじゃないでしょうか。谷ぐ……マリーさんの声を、活かすように」
 かたちのよい眉を、杉原はすこし不快そうに曲げた。サングラスごしの瞳も、いっしょに歪む。そのままマリーに顔を向けた。
「だってさ、谷口」
 振られたマリーは、髪をさらりとかきあげる。
「べつに。ぼくはどっちでもいいよ」
 草一郎に向かって、杉原は肩をすくめてみせる。
「だってさ、草一郎くん」
「ですけど」
「スギがどんなプレイをしたって、ぼくの声なら大丈夫だよ。心配してくれるのはうれしいけどさあ」
 大丈夫どころか、マリーさんの声は存在すら消されてんですよ。そんな言葉を、草一郎は胸の奥に落としこんだ。
 いままでなんども繰り返してきたやりとりだ。「もっとドラムのアクセントを効かせたほうが……」「押さえたギターを……」「無理に高いキーで歌おうとしないほうが……」エトセトラ、エトセトラ。
 オブラートに包みこんでいた言葉が、草一郎の胸のなかでは刃を剥きだしにさせる。そしてその刃は、だれでもない、草一郎自身を傷つけていた。
 顔をあげ、もう一度提案しようと、息を吸いこむ。
 肩にだれかの手が置かれた。言葉が草一郎の口のなかでよどむ。
「もう時間だぜ」
 立花だった。
「シゲさん」
 建築現場にいてもおかしくなさそうな、黒のランニングという格好。筋肉で盛りあがる肩から伸びた立花の太い腕が、草一郎へと辿りついていた。ちらりと、草一郎の脳裏にカレンの体が思いうかぶ。美しさはともかく、ごつさでは立花が上だろう。
「そろそろ片づけなくっちゃな」
 スタジオの時計は、終了時間の十分前を示していた。五分前には部屋を空けておくのがマナーだ。
 んー、と伸びをする声が聞こえた。
「いやー、今日も練習したなあ」
 呑気なマリーの声に、草一郎は奥歯を強く噛みしめる。メンバーに背を向け、楽器の片づけを始めた。


 スタジオのぶ厚い扉を、杉原が開いた。長い髪をかきあげながら谷口が続く。
 百八十センチの自分にとっては低い扉を、草一郎は頭を屈めて通り過ぎた。ちらりと振りむいたマリーが、羨ましさをあらわにして睨んでくる。マリーの身長は、たしか百六十五くらいだった。
「草一郎くん、もうバンドにも慣れただろう?」
 知ってか知らずか、列の先頭にいる杉原がにこやかに話しかけてきた。マリーは杉原の脇を通りぬけてゆく。大滝ものそりとあとに続いた。
「……ええ。だいぶ慣れました」
「あんま慣れねえほうがいいと思うけどな」
 呟きにも似た小声が、たしかに草一郎の耳に届いた。どきりとして横を向くと、草一郎のすぐとなりに立花が並んでいた。にやりと笑いかけてくる。
「そうか、ならよかった」
 草一郎と立花のやりとりには気づいた様子もなく、杉原は鼻歌を奏でながら通路を歩いていった。鼻歌はしっかりと自分のギターソロのメロディーだった。
 充分に離れたことを確認してから、草一郎は小声で話しかける。
「……どういう意味ですか、シゲさん」
 立花は、杉原の派手なシャツの後ろ姿を見つめていた。
 ぼつり、と呟く。
「お前、なんでここにいるんだ」
 草一郎は口をもごもごとさせた。
「なんでって……それは」
「草一郎、気づいてるか。お前、口調が昔と変わってるぞ」
「口調? ですか?」
「ああ。いまのだって、昔なら『口調っスか』なんて言ってるとこだ」
 自分でも意識していなかった変化を指摘されて、草一郎は目をぱちくりとさせた。
「それは、その」
 しぼりだすような言葉は、やっぱりふくらまずにしぼみきってしまう。
「ほれ、いくぞ」
 強く背中を叩かれ、草一郎はよろめく。
「昔よりも草一郎が強くなったってこったろ。まあ要するに、おれたちを見下してんだよな」
「そんなことは……!」
 また強く背中を叩かれた。
「静かに話せ」
 ひとしきり草一郎は咳きこむ。
「あわてんのは図星つかれた証拠だ。修行が足りねえな。ま、音楽の修行はみっちり積んだみたいだが」
 自分の靴先を見つめながら、草一郎は歩いた。タイルに蛍光灯の光がぼんやりと映っている。
「……おれ、邪魔ですか。ベース、シゲさんから取ったりしたから」
「んなこた言ってねえ。おれにとってバンドはあくまで趣味だ。みんなでわいわいやれれば、てめえのパートなんざどうでもいい」
 足音が通路に響く。遠くから、杉原とマリーの陽気なお喋りが聞こえてきた。
「だけどな……お前にとってもそうなのか」
 無言で歩き続けた。明かりが近づいてくる。
「ま、趣味でやるのも悪くはない、が……ほれ、かわいい彼女が待ってるぞ。そんな顔、見せてやるなよ」
 スタジオのカウンター前にあるソファーで、志保里が手を振っていた。アップにして後ろで留めた髪のせいか、その笑顔はいつもよりかわいく見えた。


「その教授がね、ホントおかしいの」
 夕闇に、志保里の声がひときわ明るく聞こえた。すでに外灯はつき、住宅街を抜ける夜道をしんみりと浮かびあがらせていた。しょう油の匂いが、どこかから漂ってくる。
 草一郎は目を伏せた。
 ――お前、なんでここにいるんだ?
 シゲさんには完全に気持ちを見透かされていた。ハッキリとではなくても、他のメンバーも気づいているのかもしれない。もしかしたら、時々マリーさんが見せる棘は、これが原因なのかも。
 ――要するに、おれたちを見下してんだよな。
 杉原さんたちにとっては、バンドは趣味。
 あくまで趣味でやっている人たちに、それ以上を求めてどうしようというのだろう。悪いのはまぎれもなく自分だ。
 ――ま、趣味にするのも悪くはない。
 そうか……そうだよな。
 もっと力を抜いて、なにも考えずにやれば、きっと楽しくなる。昔、中学生のときに杉原のバンドにいたときは、とても楽しかったのだ。
 それはただの趣味だったから。
 ここが駄目だ、あれが良くないなんていう人は、だれもいなかったから。
 問題なのは、すでに自分自身でも、己のベースをチェックしているということなのだけど。いまさら下手なベースなど弾けない。
 だが、それも……。
 許せるのかもしれない。どうでもいいと、思えるようになるのかもしれない。
「――一郎くん、草一郎くん?」
 声が、深い場所にあった草一郎の意識を、そっと揺り動かした。
 まだ覚めきらないまま、ゆっくりと視線を横へ、そして下へと向ける。
 冷めた目つきで、志保里が睨んでいた。
 我に返る。
「は、はいっ、なんですか?」
 さらに志保里の瞳はぐぐっと細くなる。怒ってはいるんだろうが、まるでまぶしがる子猫のような、なんとも愛くるしいしぐさになってしまっていた。どうもいつもと勝手が違う。
「さっきから私の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてましたよ、もちろん」
 当たり前だといわんばかりに返事をした。
 ――あわてんのは図星をつかれた証拠だ。
 立花の言葉は、しっかりと草一郎の教えになっていた。
「本当に……?」
 すこし視線の強さがゆるむ。しかしまだ信用半分のようで、完全にまぶたは開いていない。
「どうしたんですか、志保里さん」
「なにが」
「今日はずいぶん……若いというか」
 とたんに志保里は真っ赤になった。アップにして髪どめで留めた頭に、ワンピースは肩ひものタイプで、鎖骨のなだらかなラインや、肩の白さが夜目にも鮮やかだった。ワンピースの下にはジーンズで、靴は踵の低いミュールだ。いつものお姉さんな姿ではない。
「似合わない、かな……?」
 もじもじしつつ、草一郎をうかがってきた。
「いえ。よく似合っていると思います」
 志保里とのつきあいも二週間が経ち、この程度のやりとりならば軽くこなせるようにはなっていた。
「そう、よかった」
 志保里の吐息には、安堵の思いがにじんでいた。ちらりと上目づかいで草一郎を見つめたあと、なにもなかったかのように歩きだす。
 ベースをかつぎ直して、草一郎は追いかけた。
「あのね」
 となりに並んだ草一郎を、志保里が横目で見た。
「はい」
「草一郎くんって、いくつだっけ」
「十六歳です」
「私はいくつでしょう」
 草一郎は夜空に視線をさまよわせた。
「大学二年生だから……二十歳ですか」
「まだ十九!」
 草一郎は目を丸くする。それで自分が大きな声を出したことに気づいたのか、志保里は真っ赤になってうつむいた。か細い声で続ける。
「三月生まれだから、まだ十九歳なの……」
「すみません」
「いや、それはその……いいんだけど」
 こほん、とひとつ咳払いをした。
「で、草一郎くんとしても、やっぱり、年が離れすぎているのは気になるでしょう……?」
 頬を赤く染めながらも、真剣そのものの表情で志保里は見つめてきた。
「あ……。だから、その格好ですか」
 さらに志保里の顔は赤く染まる。まるで熟した苺だ。
「そりゃ相手によってファッションを変えるなんてなんだか主体性がなくて都合のいい女みたいだけど、でも、私は私なりに、草一郎くんを、あの、その、思って……」
 声がどんどん小さくなってゆく。
 志保里はうつむいたまま、両手で太股のジーンズの生地をぐいぐいと引っぱっていた。
「だって、高校生にとってひとつ違うのは、とても大きいでしょ。私なんて、みっつも違うわけだし」
「そんなこと、気にしたこともなかったですよ」
 耳まで真っ赤になっている志保里に、草一郎はあわててつけくわえる。
「でも、ありがとうございます」
「……べつに、感謝されるようなことじゃないよ。だって」
 小さな声で、志保里がなにごとかを呟いた。
「はい?」
「ううん、なんでもない!」
 顔をあげた志保里が見せた表情に、草一郎はもうなにも言えなくなってしまった。その笑顔は問いかけを遮断している。
 ひとしずく、志保里の右目の下に水滴が落ちた。
 ぱちくりしている志保里の顔に、さらにひとつぶ、もうひとつぶ。
「――雨?」
 志保里の言葉に、草一郎は空を仰いだ。どこにも星が見えない、真っ暗な空から、次々に雨が降りそそいでいた。どんどん雨足は強まってきている。
「おれの家まであともうちょっとです。急ごう」
 喋りながら草一郎は駆けだした。こうしている間にも、本降りになっている。となりに小走りしている志保里の姿を認めてから、視線を前に向けた。
 ――なんだ?
 前方、自宅の前にだれかがいる。夕闇の深い青に、浮かぶ影。小柄な体、スカート。
 そして、ふたふりの三つ編み。
 足をつっぱらせて、草一郎はむりやり体の勢いを止めた。早くもできあがっていた水たまりがしぶきをあげる。
 数歩駆けて志保里もあわてて止まった。
「草一郎くん? いったい――」
 振りむき、不安そうに眉間に皺をよせてから、素早く草一郎の視線を追いかける。そこに立つ人物を確かめて、息をのんだ。
「あ……」
 また草一郎の顔を見つめる。さっきよりも眉間の皺が深い。
 草一郎は自分の胸に手を当て、強く握りしめる。雨に濡れて体にひっついているTシャツが、ずるりと引っぱられた。
「……凛子さん」
 いきなり夜が輝き、銀色の針のような雨と、ずぶぬれになりながらも目の光りを失わない、制服姿の少女を浮かびあがらせた。
「よう」
 懐かしい声のすぐあとで、雷鳴が空気をつんざいた。
 雷の余韻が残るなかを、ゆっくりと草一郎は足を進める。身を縮こませている志保里の横に並んだ。またもや稲光が輝いて、激しく夜空を震わせる。志保里はびく、と体を震わせた。
 凛子は平気な顔をしている。口元には軽い微笑。冷笑。
「なんの用……スか」
「ご挨拶だなあ? バンドのメンバーが会いに来たんだ、用件なんかバンドのことしかないだろうが。違うか、草一郎」
 「バンドのメンバー」「用件なんかバンドのこと」「草一郎」、言葉が出るたび、志保里は体を震わす。最後には草一郎の顔を見あげてきた。震えているのは、雨に濡れたばかりではなさそうだった。
「もう、おれは凛子さんとは」
「あたしたちのバンドから抜けたって言いたいんだろう?」
「……そうです。おれは、もう」
 強い雨が、アスファルトを激しく叩いていた。おでこから流れた水が目に入って、草一郎は乱暴に腕でぬぐう。またすぐに垂れてきた。
 あいかわらず凛子は冷笑を崩さない。
「ま、そんなことはどーでもいいんだ」
「そんなことって」
「いいかげん気づいたころじゃないのか、草一郎」
 首をくいっと傾け、凛子は問いかけてきた。
「なにがですか」
 凛子は笑った。鋭い八重歯が上下とも覗く。
「テメエがどれだけエゴイストか、だよ」
 ひゃはははは、という笑い声が、雨音や、雷の準備運動にも負けずに響き渡った。
 一瞬だけ呆気にとられ、草一郎は立ちつくす。
「なにが……なにを言ってるのか」
「へえ? 気づいていたか、自分の本性に」
 ――あわてんのは図星をつかれた証拠だ。
 凛子の瞳と、立花の言葉、両方が草一郎を責める。
 救ったのは、腕を包んだ温もりだった。
 志保里が、草一郎の腕を抱きしめていた。ぶるりと震えて、志保里はうつむく。草一郎の胸に顔をうずめてきた。思わず残った手を伸ばし、肩に触れようとした。
「それじゃ、救われねーよ」
 触れる寸前で手は止まった。指が惑う。
「あたし――あたしらが救われることがあるとしたら、ひとつしかないのさ、わかってんだろ? 草一郎」
 なぜか哀しさを感じさせる微笑みを浮かべて、凛子が近づいてきた。
「こんどライブをすることに決めた。時間は一週間後の二〇時ごろ。場所はタコビル。前にいちど行ったよな。カレンを引っこ抜いたとこだ」
 真横に凛子が立つ。ぎゅう、と志保里の抱きつく力が強くなった。
 凛子と志保里、ふたりを草一郎の目線は行き来する。
「おれは……」
 差しだされた凛子の二本の指。そこにはカバーのかけられたMDがはさまっていた。
「ま、聴いてみな」
 志保里の力はさらに強くなる。迷いながらも草一郎がMDを受け取ると、もう用は済んだとばかりに凛子は歩きだした。三つ編みが草一郎の視界から消える寸前、ささやきが届く。
「そっちのほうが、たぶん楽な道だけどな……」
 草一郎は振りむく。凛子は背中しか見せなかった。
 強くしがみついている志保里に気づいて、草一郎は、ようやく肩に手を置いた。――MDをポケットにしまいこんでから。
「……来て」
「え?」
「家まで、送ってくれるんだよね?」
 声が震えていた。
「あ……はい」
 雨は勢いを落とし始めていた。しかしすでに体はびしょぬれ、楽器ケースのなかのベースも気になる。
「明日、休みなんだよね?」
「ええ」
 もぞりと肩を動かし、背のベースの位置を直す。
「だったら、家に、来て」
 草一郎は体の動きを止めた。いきおいよく志保里に顔を向ける。濡れた志保里の顔が目の前にあった。
「あの」
「二回も言わせないの」
「はい」
「来て。わかった?」
「……はい」
 雨は完全にあがった。


 カーテンごしに入りこんだ月の光が、フローリングの床を窓のかたちに青白く染めていた。草一郎は音を立てぬようにそっと足を踏みだす。ぺたりと貼りついた足の裏を、気をつかってはがしながら、壁にかけられた自分の服に向かう。
 ハンガーに雨に濡れたズボンが干してあった。ごわごわとした触感は、まだまだ湿っぽいことを伝えてくる。
 ズボンのポケットに手を差しこむ前に、草一郎はベッドに視線を走らせた。
 豊かな曲線を描いて、シーツはひとのかたちに盛りあがっていた。抜け出た黒髪はしっとりと濡れ光っている。
 ゆっくりと上下するシーツが、志保里の寝息を伝えていた。
 ポケットから草一郎はオレンジ色のディスクを取りだした。ケースに入ったMD。抜き足差し足で、部屋の隅に置かれているミニコンポに近づく。
 屈みこみ、きょろきょろと顔を動かした。
 転がっていたヘッドホンをつまみあげ、コンポにつなぐ。ヘッドホンを頭にはめ、MDをスロットに入れた。
 きらびやかに輝いた銀色のコンポに、一瞬固まる。あわててベッドを振りむくも、志保里は背中を見せていた。草一郎は体の位置を動かし、なるべく光りが漏れないように気をくばる。
 コンポの上に置かれていたリモコンの、ボリュームボタンをあげる。
 ざらついたノイズが大きくなった。ドラムスティック同士を打ち合わせる、木の甲高い音。ワン、ツー、スリー……。
 音が鼓膜に突き刺さる。
 バスドラムの低音と、シンバルの高音だと理解したときには、すでに演奏は先に進んでいた。テンポが速い。草一郎の知っている曲だ。かつてなんどとなく弾いた曲。ここ二週間ばかりは弾いていない曲。
 凛子が書いた曲のなかでも、だいぶ激しい曲調のものだ。
 ドラムだけで十六小節、たしか凛子が出した指示はただひとつ、「クソやかましく」だけだった。期待にカレンは十二分以上に答えている。
 続いてギターだ。またまた荒々しい、一歩間違えば下手クソと取られてもおかしくない弾き方だった。まさにギリギリ、刃の上を進むような危うさで、ドラムと絡みあってゆく。
 ――まったくたまらない。
 なんてはちゃめちゃで、なんて気持ちいい演奏なんだろう。これこそがバンドの音だ。バンドじゃなきゃできない音だ。
 次はベースが入る。
 ……どうなるんだろう?
 凛子はライブをやると言っていた。だったら、とっくに新しいベースを加入させているはずだ。いったい、どんな音なのだろう。
 壊さなきゃいい。草一郎は心の底からそう思った。もしもベースが自己主張をしすぎれば、たちまちにいまのバランスは崩れてしまう。かといって自分を殺しすぎれば、物足りなさが出てしまうだろう。
 難しいところだよな。
 まあ、凛子さんのことだから、それなりの腕前を持った奴をどこかから引っぱってきているんだろう。
 期待と不安に、すこしばかりの嫉妬を絡めながら、草一郎は暴れる音に耳をすませた。
 ……?
 始まらない。ずっとずっと、ドラムとギターが踊っているままだ。
 なんだろう? アレンジを変えたのだろうか?
 十六小節、もうボーカルが被さってきてしまう。
 あいかわらず――さらに凄みを増した海里の声が流れだした。音域の下と上ではドラムが暴れ、ど真ん中ではギターが荒れ狂っているというのに、まったくものともせず、まるで液体のように気体のように、海里の声はこちらまで染みとおってくる。
 皮膚をぺろりと剥がされ、神経を表にさらされたような気分になりながら、草一郎は音に身を委ねた。
 だから、気がつくのにすこし遅れた。
 気がついて、耳で探って確かめて、真実だと明らかになったとき、草一郎は背中に一本の太くて長い釘をぶちこまれた。
 ベースがない。
 この演奏には、あるべきベースの音がない。
 それが意味していることは、ただひとつ。
 凛子さんは、カレンさんは、海里は――新しいメンバーを入れていない。おれが抜けたまま、ずっとそのままで続けている。
 草一郎がいなくなってからも練習していたことは、深みが増した音からもわかる。
 おれは、おれは、おれは。
 体が震えた。コンポからの光が、腕の鳥肌を照らしている。寒気にも似た興奮に、草一郎は自分の体を強く抱きしめた。
 そして、その背中を眺めている女がひとり。
 志保里の瞳には、なんの感情も浮かんではいなかった。

     9

 通路には、くぐもった低音が響き渡っていた。
 ちかちかと蛍光灯が明滅する。そのたびに煙草でヤニ汚れた壁がかすんで、また浮かびあがった。壁には無数のポスターが貼られている。
 ライブを告知するもの。バンドのメンバーを募集するもの。なぜか「お金貸します」と携帯番号が書かれたものや、「人妻倶楽部」と書かれた紙も混じっていたりした。
 ポスターの前には、ずんずんと空気を揺するドラムと、地を這いずるベースの音に合わせて、体をゆらゆらと動かしている男がいた。手に持ったコーラの空きビンを、もう片方の手の平にぺたん、ぺたんと当てている。
 彼は、鶏のとさかを思わせる見事なモヒカン頭だった。意外とつぶらなその瞳は、一枚のポスターから離れない。
 あるライブハウス――ここ、タコビルだ――でのライブを告知しているものだった。日付は本日当日。開始時間は七時とあるから、すでにライブは始まっている。
 つまり、いま通路に響いている音は、このポスターのライブの音だった。
 出演するバンドが七組載せられている。『七転八倒』やら『13th Fack Street』やら、ハードだか、なんなんだか、判断に困るバンド名の最後には、こう書かれていた。
 ――『凛子とそのなかまたち』。
 モヒカン男が、ひときわ大きくビンを手の平に打ち鳴らした。
「やっぱり凛子ちゃんは最高だよ」
 荒れている唇から、隙間だらけの前歯が覗いた。つるつるの眉の下にある目を、宙にさまよわせる。
「……いまたしか五バンド終わったから、もうちょっとで凛子ちゃんの出番だあ」
 うひひひっ、と猫背になって体を揺する。
 間の抜けたチャイムが、モヒカン男の笑いを止める。彼は鋭い視線を通路の奥へと向けた。
 がくがくと危うく揺れたのち、息切れしながらエレベーターの扉が開く。
 やけに背の高い男があらわれた。戸惑いもみせずに、やせぎすな足を踏みだす。モヒカン男は目つきを鋭くした。
 若い。背には楽器をかついでいるようだ。と、いうことは今日のライブの出演者か? しかしもうライブは始まっている。こんな時間になってやってくるのは考えづらい。
 モヒカン男はビンを持つ手に力をこめた。
 客ともちょっと違ーな。
「おう、兄ちゃん。降りる階を間違えてんじゃねーかい。ナースパブは二階、テレクラは三階だぜぇ。ちなみにナースパブのおすすめはレイちゃんだぜぇ」
 そういえば、と、モヒカン男は思いだしていた。前にもこんな奴がいたなぁ。ライブハウスに楽器を持ちこんできた奴ら。
 くるりと黒目が回る。
 そうそう、凛子ちゃんだよ。あれはカッコよかったなぁ。乗りこんでいって、バンドにケンカ売って。しっかりやりこめて、メンバーを引っこ抜いて。
 モヒカン男はこみあげてくる笑みをこらえた。
 ――ん? 凛子ちゃんの他には、だれがいたっけか?
 悩む間にも、男は恐れるようすもなく近づいて来ている。モヒカン男はビンをくるくると回した。
「おい、きーてんのかよ、兄ちゃん」
「聞いてます。そして間違えてないですよ、柴崎さん」
 モヒカン男――柴崎の顔から威嚇の色が消えた。なにごとか問いかけようとして、そのまま口を半開きにする。
「――おー、お? お前、どっかで」
 うっすらと無精髭の生えた男を、柴崎は見あげた。
「たしか、凛子ちゃんと、一緒に……?」
「どうも」
 男は顔を真横に向けた。壁のポスターを見て、口元をゆるめる。
「り、凛子ちゃんと?」
 柴崎の問いに、男は視線を戻した。
「そのなかまたち、です」
 男――車矢草一郎は、微笑みを見せた。


「なんだよ。お前……こんな時間に来るから、なにモンかと思っちったじゃないかよ。ここって場所が場所だからよ、酔っぱらいのサラリーマンとかがたまーに間違って降りてくんだよ。でもサラリーマンとも違うし」
 怪訝そうに、柴崎は毛のない眉の部分を持ちあげたりさげたりしていた。
「で、なんだよ。遅刻か?」
「ええ、まあ……」
 目を細め、草一郎はモヒカン頭の向こうを見つめる。
 閉めきってはいるものの、音を洩らすライブハウスの扉。その横に並べられた、皮は色褪せ、クッションもへたりきっているだろうソファーに、腰かけている女性の姿があった。
 志保里だった。
 熱のない瞳で、草一郎を見返してくる。
「ああ、あの子な、ずっとそこに座ってんだよ。話しかけても返事すらしねーしよ。そんなことよりお前、早くしねーと凛子ちゃんの出番が」
「わかってます。そのために来たんですから」
 きっぱりと草一郎は言い切った。
 その言葉と同時に、志保里が立ちあがる。
 立ちあがるなり、頭を軽く振った。長い黒髪がはらりと舞い、ゆったりとした白いワンピースの後ろで踊る。
 志保里の靴音は重低音を突きぬけて響いてきた。踵の高い靴だった。
 柴崎が、気圧されたように脇に避ける。
「久しぶりだね、草一郎くん」
「……一週間ぶりです」
 志保里は微笑みを見せた。完璧な微笑みだった。
「私にとっては久しぶりだった――草一郎くんにとってはそうじゃなくても」


 柴崎がちらちらとこちらを見ている。
 草一郎と志保里は、扉の横のソファーに並んで座っていた。ここまで近づくと、ドラムやベースの低音だけではなく、ギターやボーカルの音もかすかに聞こえてくる。草一郎は柴崎から視線を外して、自分の足下に落とした。
「なんどか電話したんだけど」
 湿り気を帯びた、志保里の声。
「また学校をサボっていたんだってね。お母さん、なんだか疲れた声だったよ。朝から晩までずっと部屋に引きこもったまま、顔を出してくれないって。私のほうからもなんとか言って欲しいって頼まれたけど……連絡すらくれないんじゃ、どうしようもないよね」
 ため息が、低音の響く廊下に溶けた。
「私から電話があったことは、お母さんから聞いていたんでしょう? 電話の一本をかけることも、まして電話に出ることもできないくらい、そんなに忙しかったの?」
「すんません」
 またため息をついて、志保里が背を反らした。壁に頭をつけ、目を閉じた。
「部屋のなかから、なにか低い音が聞こえていたって。一階まで響くくらい、大きな音。それも朝から晩まで、ずっとだって」
 草一郎の頭には、バンドの順番がよぎっていた。
 いまのバンドが五組目だとは柴崎から聞いた。あとひとつ終えれば、いよいよ凛子のバンドの出番となる。
 脇に立てたべースを、ケースの上からぎゅっとつかんだ。
 志保里の目は、いまベースをつかんでいる手に注がれていた。
 むしろ見せびらかすように、草一郎は上半身を起こす。視線が、ベースから草一郎の顔へと移ってきた。
「どうして、そんなに一生懸命にベースを弾いていたの?」
 瞳に責める色はない。
 ただ、わずかにうなだれた眉が、志保里の悲しみを伝えていた。
「腕が落ちていたからです。杉原さんのところだと、のびのびとできるぶんプレッシャーがなくて、それで練習量も減ってしまって」
「そんなことが訊きたいんじゃないよ」
 きれいに揃えられた長いまつげを、志保里は伏せる。
「どうして、そこまでして練習しなくちゃならなかったのかってこと。それはなぜ?」
「時間がなかったからです。あと一週間しかなかったから、それこそ食べる時間も寝る時間もおしかったから」
「だから――」
 真っ正面から志保里の顔を見据えた。
「凛子さんのバンドに戻るためです。今日、ここで、ライブをやるためです」
 唇をぎゅっと志保里が噛みしめる。いやいやと首を横に振った。やがて、草一郎の視線に耐えきれなくなったかのように目を逸らし顔を伏せ、うなだれる。
「杉原くんのところは……どうするの?」
 ようやくそれだけを言った。
「すでに辞めるって連絡してます」
 ドッ、ドッとドラムの音が体を揺する。重々しくベースの低音がへばりついてくる。あいかわらず柴崎はちらちらと様子をうかがってきていた。顔を動かすたびに、立派なモヒカンがばさばさと動く。
「……杉原くん、なんだって?」
「二度と戻ってくんなって怒られました」
「当たり前だよ」
 うなだれたまま、志保里が笑う。弱々しい笑い声だった。
「迷惑をかけてるって、わかってるんだよね」
「はい」
「それでもやるんだ」
 ちらりと志保里を見た。長い黒髪は背中を滑って、肩から腕を覆っていた。伏せられた顔からは、表情を伺うことはできない。
「はっきりと言ってしまえば」
「うん」
「杉原さんより、音楽のほうが大切なんです」
「――そう」
 志保里が唇の端を動かすのが、かろうじて見えた。言葉を放とうとして、無理に押さえつけた――そんな動きだった。
 次に来るだろう言葉がなんなのか、草一郎にはよくわかっていた。
 だから待つ。通路に訪れた沈黙は、五バンドめが演奏を終えたことを告げていた。つぎのバンドが終われば、凛子のバンドの出番がやってきてしまう。しかし、草一郎の心は不思議と落ち着いている。
 いまは、志保里さんの時間。
 空気が震える。六バンドめが演奏を始めた。通路に、またリズムと低音が満ちた。
 あわせたように、志保里が体を起こした。背筋をしゃんと伸ばし、首をゆっくりと振る。乱れていた髪は、すぐに落ち着いてゆく。
 まつげにふちどられた大きい瞳が、草一郎を真正面から捉えた。
「じゃあ……じゃあ、音楽と私とでは?」
 濡れて光る瞳を見つめ返して、草一郎は答える。
「やっぱり音楽のほうが――大切です」
 志保里の唇が歪む。
「そう」
 完璧な微笑みのかたちとなった。
「すみません」
「謝らないで」
「すみません」
 微笑みを浮かべたまま、志保里が立ちあがった。数歩前に進む。
 背中ごしに、なにか言いよどむような気配が伝わってきた。モヒカンをばさばさ動かしている柴崎からは、いったいどんな表情が伺えるのだろう。
「ねえ、あの子とは? ……凛子ちゃんとでは?」
 か細い声だった。それでも通路にたちこめる音をすりぬけて、草一郎の耳に届いてきた。一瞬、海里の声と重ねあわせる。
「あの人たちと音楽はイコールです。凛子さんやカレンさん、海里と一緒にやりたいから、あそこじゃなきゃ駄目だから、おれは戻るんです」
 背を向けたまま、志保里が呟く。
「嘘」
「嘘じゃないです」
「じゃあ、気づいてないだけだよ」
 言い返そうとして、草一郎は口をつぐんだ。身じろぎひとつしない志保里の背中を見つめる。
「どっちにしろ……私にとっては、草一郎くんは一番だった。たとえ、草一郎くんにとってはそうじゃなくても」
 ふう、と息をつき、顔を上に向けた。黒髪がわずかに揺れる。
「やっぱり私は、私のことを一番に思ってくれる人がいい」
「すみません」
「だからあやまらないでったら」
 語尾の震えが、草一郎の心も震わした。
 ちいさく鼻をすする音がした。
「もう時間でしょう? ほら、早くいかなきゃ」
「はい」
 言葉とは裏腹に、草一郎は動かなかった。
「……じゃあね」
「はい」
 遠ざかってゆく志保里の背中を、草一郎は睨むように目を細めて見送った。ボタンを押して、エレベーターがやってくるまでの時間が、やたらと長く感じられた。
 間の抜けたチャイムが鳴り響く。
 ぎこちなく、ためらいがちに開いたエレベーターのドア。すぐさま志保里が飛びこむ。後ろ手にボタンを押した。締まるときは、やたらと早く、スムーズな動きだった。
 最後まで背を向けたままの志保里を載せて、エレベーターは、下の階へと消えてゆく。
 完全に沈みこんだのを見て、草一郎は立ちあがった。首をぐきぐきと鳴らす。
「おーいおい」
 ちらちらとエレベーターのほうを振りむきながら、柴崎が近づいてきた。
「……飲むか?」
 コーラのビンを差しだす。
「いえ」
「ま、その、なんだ。頑張れよ。人生いろいろあるさ」
「そうっスね」
 柴崎が、首を傾げた。モヒカンもいっしょに傾く。
「なんですか?」
「お前……笑ってるぞ」
 言われて、草一郎は初めて気づいた。思わず口元に手を当てる。唇は曲がり、頬は持ちあがっていた。
 たしかに笑みを浮かべている。
「なんか似てるなぁ」
 こんどは逆の向きに首を傾げた。もちろんモヒカンはいっしょについてくる。
「だれに、ですか」
「凛子ちゃんにだよ。よくそんな風に……ちょっとおっかない笑いかたしてるじゃんか」
 真似をしているつもりか、柴崎がにたりと笑ってみせた。八重歯が覗く。草一郎は、自分でも唇をなぞってみた。つるりとした歯の感触、八重歯の尖りぐあいが伝わってくる。
「そうっスか。似てますか、凛子さんに」
 触っている唇が、さらに角度を深めるのがわかった。
「そっくりだ」
「そっくりっスか」
 そりゃつまり、笑ってなきゃやってらんねえってことっスよ。
 そんな言葉は大切に胸のなかにしまっておいて、草一郎は一八〇度体の向きを変えた。
「それじゃいきます」
「おうっ、いってこい!」
 柴崎の声援を背に、ぶ厚い扉を押し開けた。


 楽屋のなかは静まり返っていた。
 汗まみれで帰ってきた男たちが、扉を開けたとたんに立ちすくむ。ついさっきライブを終えたばかりで高潮しきっていた笑顔が、みるみるうちに強ばっていった。
 部屋の奥をちらちらと横目で見つつ、隅に置いてある荷物へいそいそと向かった。楽器を布で拭う手もそこそこに、着替え始めた。流れでる汗すらそのままだ。
 そんな彼らを追い立てるような、甲高い木の音。
 浅黒い肌の大柄な女――カレンが、ドラムスティックでテーブルの端をリズミカルに叩いてた。揺れるドレッドヘアの下では、眉間に深々と皺を作っていた。
 テーブルの真ん中には吸い殻がぎゅうぎゅう詰めになった灰皿がおかれ、そのまわりには缶やペットボトル、漫画雑誌が所狭しと並べられていた。
 ごちゃごちゃなゴミの山を挟んだ向かい側では、少年が身に余るほど大きなベースを一心不乱に弾いている。とはいえベースが特別大きいわけではない。少年が小柄なのだった。不機嫌さ丸だしで神経質なリズムを叩いているカレンと比べても、ひとまわり以上も小さい。
 子供にも間違えられそうな高校生、桜海里は、細い眉をしかめ、まぶたを固く閉じて、ベースに没頭している。太い弦をつま弾き、激しく震わしていた。
 ふたりに背を向けて、テーブルとは離れた化粧台に座っている少女がひとり。
 ふたふりの三つ編みを垂らしていた。
 その色は漆黒。
 自然の黒さではない。薄暗い照明の下でも、濡れたように輝いていた。背の開いた、これまた黒いワンピースとあいまって、さながら魔女だ。
 鏡に映る顔は険しい。
 鋭い眉に、鋭くつりあがった瞳。化粧っ気のない肌は青白かった。
 みじろぎひとつせず、赤羽根凛子は鏡のなかの自分を睨みつけている。
 ――唐突にリズムの雨が止んだ。
「いったいどうするのさ」
 くるくるとスティックを回しながら、カレンは凛子の背に語りかけた。体からすれば小さいパイプ椅子がきしむ。
 ベースを弾く手を止め、海里も体を起こした。こちらは普通な大きさに見えるパイプ椅子は、べつに音を立てなかった。
 沈黙している背中に、カレンはさらに体を凛子のほうへとねじった。
「凛子、聞いてるのか?」
「なんだよ」
 背を向けたまま、凛子は気怠い声を返した。
「なんだじゃない。ベースだよ、ベース。どうする気だよ」
「ベースなら、目の前にいるだろォ」
 ちらとカレンは海里を見た。
「いままで弾いているのを見たことがないんだけどね」
「そいつならそこいらの奴より、よっぽどうまくこなすよ」
 ムチャ言わないでくださいよ、と海里が呟いた。小さく肩をすくめる。
「いいかげんにしなよ、凛子」
 怒り肩でカレンは立ちあがった。
 物憂げに凛子が振りむくのと、パイプ椅子が倒れて派手な音をあげるのが同時だった。
「草一郎はどうした。あんた、説得しに行ったんじゃないのか」
 ずいと前に踏みだした。紫のタンクトップに包まれた豊かな胸も、ずいと前に出る。
 間を外すように、凛子がカレンに横顔を見せた。小さく息を吐く。
「だから信じろよ」
「ずっとそればっかりじゃないか。もうつぎはあたしらの出番なんだよ。この期に及んで、あんたのなにを信じろってんだ」
 横顔を向けたままで、凛子が黒目を移動させた。カレンを捉え、ぐっと目を細める。
「――なんだい」
「あたしなんか信じなくったっていい」
 あんぐりとカレンが豊かな唇を開いた。きれいな歯並びを覗かせる。
「凛子、あんたね……!」
「あたしじゃなく、草一郎を信じればいい。すくなくとも、あたしはそうしてる」
 ぱくん、とカレンは口を閉じる。小鼻を膨らました。
 腰に手を当て、首を左右に傾ける。ぴたりと真っ直ぐにした。顔にかかったドレッドヘアの一本を、手で払う。
「凛子、あんた……」
 さっきとおなじセリフを口にした。
「あの」
 三人の視線が、いっせいに声のした方へと向けられた。
 着替え終わった男たちが、ぺこぺこと頭をさげている。
「お先に、失礼します」
 すっぱりと凛子は無視し、カレンはちいさくため息をついた。海里だけがにこやかに手を振る。
「じゃあ」
 男たちがドアを開けた。
 離れようとしていたカレン、海里の視線が、勢いよくドアへと戻る。
 背のひょろ長い男がのっそりと立っていた。人のよさそうな顔にまばらな無精髭を生やし、肩には長い楽器――ベースを背負っている。
 海里が勢いよく立ちあがった。すっ飛んだ椅子が派手に転げたときには、凛子も振りむいていた。
「草一郎さん!」
「草一郎!」
 ゆっくりと凛子は腰をあげる。
 草一郎は駆けよったカレンや海里と挨拶を交わしていた。何度もカレンに肩を叩かれて、顔の半分をしかめ、顔の半分で笑っていた。
「なにやってんだよ、いままで!」
「すみません」
 海里はにこやかに笑っていた。
「ホント、遅すぎですよ、草一郎さん」
「すまん」
 手に持ったベースに気づき、海里はあわてたそぶりで背中に隠す。
「草一郎」
 靴音を鳴らして、凛子が近づいてくる。歩くたびに黒いワンピースのスリットから、真白い足が覗いた。
 カレンと海里はあいだを開ける。
 草一郎のすぐ前で凛子は止まった。じっと見あげた瞳には、感情の揺れは認められない。冷たさすら感じさせる目を、草一郎は黙って見返した。
「草一郎」
「はい」
「――お前、いったいなにしに来た?」
「凛子!」
 いまにも飛びかからんばかりのいきおいで、カレンが凛子に向き直った。
 目の前に腕を伸ばされ、どうにかといった様子で踏みとどまる。手でふさいだ相手の顔を見つめた。
 その相手――草一郎は、凛子の顔を見おろしていた。悲しみも怒りもその表情からは感じ取れない。ただ真剣さだけは感じられた。
「もちろん、ベースを弾くためっス」
「ベースなら……もう、いるよ」
 半分伏せた凛子の瞳は、海里へと注がれていた。背中からベースの頭を覗かせていた海里が、ぶるぶると顔を横に震わせる。
「凛子さーん!」
「このバンドのベースはおれです」
 カレンと海里は驚きの表情を浮かべて、草一郎を見た。
「もしかしたら海里のほうが上手いのかもしれない。それでも、このバンドの音を……カレンさん、海里、そして凛子さんの音を最高に活かすことができるのは、おれしかいない……っス」
「草一郎、お前……」
「草一郎さん、なんだか」
 ふっ。
 凛子が微笑んだ。
 手の甲を草一郎の胸に当てる。ドス、とけっこう大きな音がした。一瞬だけ草一郎は顔をしかめたが、すぐになんでもないといった顔に戻った。
「間に合ったみてーだな」
 草一郎も微笑みを見せた。
「なんとか」
「おかえり、草一郎」
 こんどは軽く胸を叩かれた。
「……ただいま、っス」
 カレンと海里が顔を輝かせる。
「なんだかよくわかんないけど……ともかく、全員揃ったわけだ!」
 腕を持ちあげた。草一郎もあげる。がつんとぶつけあった。
 はう、と安堵のため息をついたのは海里だ。
「よかった……。本番ぶっつけでベース弾かせられるとこでしたよ」
 ベースをそっと床に置く。
 その時、ドアが激しく打ち鳴らされた。
「すんませーん! もうすぐ出番でーす! 準備まだですか!」
 にたり、と凛子は八重歯を剥きだしにした。
「よーし……」
 すぅと息を吸いこんだ。
「ぶっ殺しにいくぞ!」
 オウ、という声が楽屋中に響き渡った。


 すでに夜のとばりが降りた――なんていう陳腐な言い方がしっくりくる街の景色だった。疲れた顔をしている背広姿の男たちに、熱心に声をかける呼びこみの男。濃い化粧とネオンの光のおかげで、年齢不詳な夜の女の姿。
 そんな濃密な大人の空気のなかに、子供の姿がひとり。
 ビルの出入り口にあたるガラスの扉、その内側の壁に、彼女は身を寄せていた。姿格好自体は、膝までもある純白のワンピースに、腰まで伸ばした豊かな黒髪、若々しく伸びやかな手足と、まったくもって子供のものではない。
 泣きじゃくっていた。
 彼女はまるで子供のように、人目もはばからず泣いていた。手の甲で涙を拭い、それでも足りず、ついには両の手のひらで顔を覆い隠す。体を震わす。
 建物のなかにいることもあってか、ガラスごしに彼女の姿を認めても、通行人は足早に通り過ぎるだけだった。あまりにも切実すぎて、酔っぱらってすら話しかけるのに抵抗を感じたのかもしれない。
 いま近づいてゆく若者ふたりもそうだった。ビルの入り口をくぐって、一瞬ぎょっとして立ち止まったが、すぐに視線を逸らして歩きだす。
 ――が、また止まった。
 頭にタオルを巻いた髭面の男が、女を見て首をかしげている。
 前を歩いていた男が振り返り、足を止めた相方を怪訝な様子で見つめた。どうしたんだよとばかりに、オレンジ色のサングラスごしの目を細める。
「おい、シゲ……」
 小声でささやいた。
 悲しみにひたっている女が、ぴくんと体を震わす。
 手をはずし、涙まみれの顔を覗かせた。
「なにやってんだ、志保里」
 あきれた様子で声をかけた髭面の男を認めて、女――志保里はずずっと鼻をすする。
「シゲくん」
「うおっ、ホントに志保里さんだ!」
 サングラスをかけた男が、おおげさにのけぞった。
「やだ、杉原くんまで」
 また志保里は鼻をすすった。頬を染めてうつむき、肩からさげていた小さなバッグをあさりだす。ハンカチを取りだし、顔をぬぐった。
「いったいどうしたんですか、志保里さん」
 放射状に広がった派手な髪形の頭を、杉原が志保里の顔に寄せる。心配そうに眉間に皺を寄せていた。
「なるほどねえ」
 シゲこと立花重之は、ごつさを感じさせる角張った顎の上にある唇を、にやにやと歪めていた。
「本気だったってわけだ」
 その笑みを打ち消さんばかりに、志保里は充血した瞳を鋭く尖らせた。
「うるさいっ」
「え? え?」
 ひとり杉原だけが、わけのわからないといった様子で志保里と立花を交互に見つめていた。
「なんだってお前がそんな似合わない格好しているのかとは思ったんだよ。あの坊やにそこまで夢中だったとはなあ」
「え? ええ?」
 志保里が、ワンピースを腰のあたりでつまんで持ちあげる。
「やっぱり、似合わないかなあ? 付け焼き刃じゃ、かわいくない?」
 上目づかいで立花を見あげる。鼻をすすった。
「いいや。充分かわいいよ、お前は」
「じゃあなんでなのよっ。どうして、草一郎くんは……」
 みるみるうちに瞳に涙が盛りあがってきた。
「う〜〜〜」
「あーあー、泣くな泣くな」
 ハンカチを目元にあてた志保里の肩を、立花がぽんぽんと叩く。
「しょうがないんだよ。あいつとお前は、いわば呼吸している場所が違うんだから。魚は陸の上じゃ死んじまうだろ。しばらくは我慢できるかもしれないけど、あいつはやっぱ水のなかじゃないと生きていけないんだよ」
「なんなのよぉ、それぇ」
「女の子とつきあったりするのより、もっと大切なことがある奴がいるって話。ま、なかには魚のふりして肺で呼吸しているような、イルカみたいなのもいるが」
 おれのことだけどな、と呟いた。
「じゃああの凛子って子はなんだよぉ」
「さしずめサメってとこかね」
 顎の先に手をあて、じょりじょりとさすりながら、立花はもごもごと口を動かす。
 ――それも人食いザメな。
「わっかんないよ、シゲくんの言うことは」
「そりゃ無理だ。人は魚のことはわからない。魚だってこっちのことはわかんない」
 ハンカチの隙間から、志保里が立花を睨む。
 すぐに弱々しい、すがりつくものに変わった。
「私、どうすればよかったの?」
 タオルの隙間に指を差しこみ、立花はがりがりと掻いた。ちらと杉原を見つめる。杉原はサングラスごしに目を泳がせていた。
 立花が大きな鼻から深々と息を吐きだした。
「どうしようもねえよな、それは」
「……いじわる」
 また志保里は泣きじゃくりはじめた。
 杉原が立花に身を寄せる。耳元でささやいた。
「志保里さんって、こういう人だったの?」
「こういう人だったんだよ、杉原」
 ほえ〜と杉原は口を開ける。
 ん、と立花が杉原の手を取った。腕時計の文字盤を確かめる。
「おっと、こんなことしてる場合じゃないな」
「こんなことってなんだ!」
 志保里の爪先が立花の脛めがけて飛んだ。
「だっ! なにしやがる!」
 脛を抱え、立花はケンケンと片足で飛ぶ。
「乙女ゴコロのわかんないやつは、乙女に蹴られて死んじゃえ!」
「だったら草一郎も蹴飛ばしてやれよ」
 うう、と志保里はたじろいだ。よろめく。
 両の足で立った立花が、親指を上へと向けた。先にはキャバクラ、テレクラを経てライブハウスがある。
「どうせなら最後まで見届けないか? 志保里がそんなになるまで心底惚れた男の晴れ舞台だ。凛子の噂が本当なら、かなり暴れまくるステージになる。どさくさにまぎれて蹴っ飛ばしてやりゃいいだろう」
 しばらく志保里はうつむいた。
 顔をあげたとき、その目にはもう涙はなかった。
「残酷だよね、シゲくんって」
 にやりと笑って、立花は答えとした。
「じゃあ決まりだな? いこうぜ、杉原」
「お、おう」
 三人は通路の奥にあるエレベーターへと向かう。
「そういえば、杉原くんも、そ……草一郎くんから、バンド抜けるって連絡あったんでしょう」
 上部にある薄汚れた階数表示が、ゆっくりと動きだした。
「え、ええ。二度と帰ってくんなって言ってやりましたよ」
 すこしぎこちなく杉原は答えた。
「ビビんなくてもいいぞ、杉原」
「べ、べつにビビってなんかないよ」
 間の抜けたチャイムが響いた。三人が乗りこむ。
「なのに、どうして彼を見に行くの?」
「それは……」
 言いかけた口を閉じ、杉原は真正面を睨んだ。コンクリートの壁が通り過ぎ、二階の通路があらわれる。
「なんとなく、こうなるんじゃないかってのはおれもわかってたんですよ」
 ほう、と立花が感心した声をあげた。
「意外と考えているんだな」
「そりゃどういう意味だよ、シゲさん」
「べつに」
 まったくもう……と杉原が口の端を曲げる。
「だからってわけじゃないですけど。まあ実際、シゲさんにしつこく誘いをかけられなきゃ来なかったですよ」
「シゲくんが……?」
「ええ。このオッサン、ホントにしつこいんです」
 あはは、と明るい笑い声がエレベーターに充満した。
 物憂げに志保里は顔をふせている。立花を見あげた。
「なんだ」
「もしかして……私のしたことって、余計なことだったのかな」
「だろうな」
 あうう、と志保里は顔を引きつらせる。
「冗談だ。そんな本気にするな。あわてんのは図星をつかれたからだ。男を騙すからには、もっとすっとぼけてなきゃ駄目だぞ」
「この……!」
「わ、バカ、狭いんだから暴れるな、こら」
「止めてください、志保里さん! ここって古いんだから……お、落ちるっ、落ちるぅー!」
 ひとしきりエレベーターは揺れた。
 ――はあはあと荒い呼吸が狭いなかに満ちる。
 力の抜けるチャイム音とともに、息切れしながらエレベーターの扉は開いた。疲れ果てた顔をしながら、三人は外に飛び出る。
「と、ともかくだ。答えはすぐに出るじゃないか。この先、ライブでな」
 ひとすじの汗を頬につたわせながら、立花が奥にある扉を顎で示した。
 志保里は誰もいない廊下の奥にある扉――その横には志保里にとって悲しい思い出のあるソファーがある――に視線を向けた。
 うなずき、足を踏みだす。


 薄暗がりのなか、ぎゅうぎゅう詰めの人々からは熱気にあふれたざわめきがあがっていた。言葉の渦は天井へと舞い上がり、立ちこめていたもやへと吸いこまれてゆく。
 あともうちょっと。
 あともうすこしでイケそうだ。
 早く来い。早くしてくれ。イカせてくれ。
 はち切れんばかりの期待感が、無人のステージへとぶつけられている。
 舞台の袖から人の気配。スタッフの声。静まり返る観客たち。
 人の影が、薄闇に浮かぶ。
 ――歓声が爆発した。ドスの利いた「凛子ぢゃーん」という声。
「うるせェ! 黙って待ってろ!」
 殺気に満ちた少女の声が、バカ騒ぎをふき飛ばす。
 すぐ倍となって帰ってきた。ライブハウスのなかに渦を巻いて、わんわんと響き渡る。凛子コールが起こる。一部にカレンコールも混じっていた。
 猫を絞め殺したような、エグい鳴き声があがる。
 それがギターの音だと気づいて、さらに客のボルテージはあがった。
 草一郎はそんなお祭り騒ぎのなか、ひどく冷静な自分自身に気づいていた。
 きんきんに冷え切っている。冴え渡っている。
 ――どうしちゃったんだろうな、いったい。
 ベースアンプにケーブルを突き刺して、支配下へとおいた。スイッチ・オン。ヴォン……という音が鳴って、アンプに命が入る。つまみを適当にあげた。リハーサルには間に合わなかったから、音量や音質はいま調整するしかない。前回はどうだったっけ。
 カレンを得るためにここで演奏したことを思いだして、ざっと音質のつまみを回す。海里の声が入ることを考えて、やや中音域を上げた。
 凛子もギターの音を作っている。こんどはカバを蹴っとばしたり、また猫を絞め殺したり。そのたびに客ははやしたてる。どうすればギターであんな音を出せるのだろうか。音を調整している段階であれだけ客をあおれるのは、さすがといおうかなんといおうか。
 思わず草一郎は口元に笑みを浮かべてしまった。
 懐かしさとともに、ようやく実感する。
 ――おれは、ここに戻ってきたんだ。
 人差し指で、弦を弾いた。アンプのスピーカーから低音が放たれ、ステージから客席まで広がっていった。腰に来る――いい音だ。返ってくるお客さんの声からでも、それはわかった。
 カレンが軽くリズムを叩いた。闇のなかでも、カレンの笑顔が見えるようだった。草一郎も短いフレーズで答える。またカレンが叩く。シンバルがうねりを作り始める。
 ――お前らばっかり楽しんでんじゃねーぞ。
 壁のような音の塊が、草一郎をぶっ叩いた。
 すんげえ音圧。海里のシルエットの向こうで、凛子が思いっきりギターを掻きむしっているのが見えた。塊は続けて放たれることで、鋭く尖った切っ先へと変わる。
 ぶった斬りである。皆殺しのギターである。
 メンバーである草一郎すらやられているのだから、観客はたまったものじゃなかった。轟音のなか、負けじとあげた歓声のなかに、草一郎は柴崎の声を聞いた――ような気がした。頭のなかに、人の良さそうなモヒカン頭が浮かぶ。
 ――ぶっ飛ばしてあげますよ、柴崎さん。
 カレンを見る。ドラムセットの奥で、影が頷いた。
 海里を見る。きらりと光る両の眼が、片方だけ消えた。余裕のウインク。
 追い立てるようなドラミングが雨あられ、背中から襲いかかってきた。草一郎たちを飛び越し、すでに踊っている観客たちに降りかかってゆく。
 同時に閃光。
 ライトが目を焼く。浮かびあがる男たちの顔、顔、顔。目を見開き、口を叫ぶかたちで、拳を突きあげている少年を見つめながら、草一郎は指先を弦へと走らせた。
 ぶっとい音がドラムに乗っかる。ギターを持ちあげる。一緒になって突っ走る。踊れ、少年、踊れ。踊れ、みんな、踊れ!


 とんでもない圧力だった。
 雄叫びをあげながら、人が群れをなしてこちらへと押し寄せてくる。その足音はドラムが、殺意のこもった叫び声はギターが生みだしていた。人々の影はベースが作りあげている。
 思わず志保里は身をすくませていた。とん、と背を後ろの壁にもたれさせる。
 そんな暴徒じみた音は、ライトを浴びて輝いてるステージから放たれていた。
 正確にはその上にいる四人の男女からだ。彼らと彼女らは、志保里とステージとのあいだにいるたくさんの観客を、その音でもって踊らせていた。
 中央には少年がいる。たしか名前は海里。マイクスタンドを掴んだまま、みじろぎひとつしない。以前見かけたときには幼く感じた顔つきを、いまは怖いほどに張りつめさせている。
 後ろでは大柄で褐色の肌を持つ女性が、肩を剥きだしにした腕でドラムを叩いていた。速いリズムにあわせてドレッドヘアーを揺らしている。
 ひたすら観客をあおっているのは、むかって右側にいる三つ編みの少女、凛子だ。体を派手に動かしているわけではない。むしろ逆で、うつむいたまま、女性的なフォルムのギターをひたすらかき鳴らしていた。弦を押さえる指先が忙しく動いている。
 ステージの左側に立つ男で、志保里の視線は留まった。
 真っ直ぐに高い背を伸ばし、淡々と彼はベースを弾いていた。
 ――草一郎くん。
 手を胸の前で重ねあわせ、志保里は下唇を噛みしめた。
「――ぃ――ん――ぃ」
 横を向くと、無精髭をうかせた立花の顔がすぐそばにあった。口をぱくぱくと動かしている。志保里は耳を近づけた。
「たいしたもんだな、おい」
 かろうじて聴きとれた。
「シゲくん、なに!?」
 怒鳴り返す。じゃないと会話できそうになかった。
「草一郎だよ! あんなのに囲まれて、頑張ってるじゃないか!」
「――のほぅが――よ!」
 こんどは逆方向からだ。振りむくと杉原が大口を開けていた。ライオンのたてがみじみた髪が、気のせいかさらに広がったように見える。
「おれたちのところにいたほうが、良かったよ!」
「あんな安定した音は出してなかっただろ」
 志保里を挟んで、男ふたりが唾を飛ばしあう。
「だってあんなつまんない音なんだよ!」
「べつにベースは面白い必要ないんだよ」
「それは違う、それは違うよシゲさん!」
「わかってねえなあ。足すだけじゃ駄目なんだよ、引かなくっちゃよ」
 納得しきれない様子で、杉原は唇を尖らせた。サングラスの向こうの目も面白くなさそうに歪めている。不満顔のまま、ステージに顔を戻した。
 志保里もついてゆく。顔の向きを戻した。
 マイクスタンドを掴んでいた海里の手が、そっと離れた。肩が持ちあがる――深く息を吸って――。
 歌声が流れた。
 低い。まるでささやくような歌い方だった。なのに聞こえる。耳に届く。まるで暴徒の群れが、先頭に立つものだけを残して、一気に姿を消したかのようだった。
「ギターもドラムも、音色やフレーズを変えた」
 にやにやと立花が笑みを浮かべている。
「ベースはフレーズこそ変えてないが、音量をやや下げている。なあ? たいしたもんだろう?」
 空気自体が変わっていた。観客たちは踊りながらも、呪文のような歌声に耳を澄ませている。いや、済まさなくても、勝手に入ってきていた。志保里はぶるりと体を震わせる。
 ステージ上の草一郎を見つめた。最初とまったく姿勢を変えていない。姿勢よく、感情を見せずにベースを弾いている。
 それも指で――指?
「シゲくん」
「なんだ」
 立花が横目を向けてくる。
「草一郎くんって、いままで指で弾いていたっけ?」
「いいや。おれたちとやっているときは、ずっとピック弾きだったぜ」
「ピック?」
「弦を弾くための、三角形の小さくて薄い板のことだよ。プラスチックとかナイロンでできてんだ」
「それって、どう違うの?」
「音色が柔らかくなったり、音量を変えやすくなったり。感情が出やすくなるっているのかな。ただ、ピックより指のほうが、音の粒がそろわないぶん、かなり難しいんだよ」
「難しい……」
「練習したんじゃないか。それこそ一生懸命」
 ここ一週間というもの、草一郎は朝から晩までベースを弾いていた。
 「時間がなかった」「食べる時間も寝る時間も惜しかった」「今日、ここで凛子さんたちとやるために」
「そういうことだったんだ」
「あん?」
「なんでもない」
 志保里は草一郎を見つめた。
 遠い、と感じた。
 たしかにステージと志保里のあいだには多くの人がいる。でもそれだけじゃなかった。いままでとは違う、また別れを告げたさっきとも違う、どこか別の場所に草一郎がいってしまうような感覚に、志保里は深く息を吐いた。壁に体重をあずけ、顎を引く。それでも、草一郎からは視線をはずさなかった。


 つつがなく演奏は続いた。とびっきりやかましいのを立て続けに三曲。海里が狂いのない音程で声を伸ばしている。最後になってギターの不安定な揺れにあわせ、わずかに音程を下げた。
 三曲目が終わると同時に、ステージを照らしていたライトが消える。暗がりのなか、草一郎はベースの調弦にとりかかった。チューニング・メーターの赤く輝くランプを見つめながら、急いで音程を合わせる。
 首を後ろに曲げる。肩ごしに海里を見た。
 ゆっくりと肩を上下させている。呼吸を整えていた。うつむいた顔には、さすがにちょっとしんどさが滲んでいる。
 ――仕方ないよな。
 草一郎は自分のおでこから垂れてきた汗を、袖で拭った。楽器を弾いているだけの自分ですら、すでにこのありさまなのだから。
 本気で腹の底から声を出すというのは、体にとってけっこうな負担である。思いっきり息を吸って、思いっきり吐きだす。肺から空気を残らず絞りだす。空になった肺を、素早く空気で満たす。
 歌うというのは、それをずっと繰り返すということだ。
 それを三曲、一曲三分ちょっとだから、合わせて十分に渡って海里は繰り返していた。途中、ギターソロや前奏、後奏もあるから、多少は休めるかもしれないけれど。
 初めて本格的にボーカルを取ったにしては、海里は完璧だった。まわりの演奏を聴く余裕もある。ギターの音程の揺れにあわせて、自分の歌い方を変えたりまでしている。スタジオで演奏しているときだってたしかに完璧だったけど、それはしょせん練習だ。
 本番は違う。
 人前でやるというだけで、緊張感が違う。緊張感は力みになって、力みは疲労になる。そんななかで、海里はすべてをコントロールしていた。いまのところは。
 ――やるもんだよなぁ。
 不思議と草一郎に嫉妬はなかった。いままでは、海里の才能を見せつけられるたびに、夏の夕立のように黒雲がもくもくと湧いてきていたのに。
 湧いてきているのは違う思いだった。
 ――このままじゃ、つまんないよなあ。
 完璧なのはいい。でも、それだけじゃつまらない。きっと海里にとってはかえって迷惑な考えだろう。草一郎は唇をかすかに歪めた。
 海里のさらに奥、舞台の袖に視線を動かした。
 凛子もギターの音程を合わせていた。興奮さめやらぬ観客が声をあげているので、さすがに耳でチューニングはできないようだ。草一郎とおなじく、チューニング・メーターを使っているらしい。赤い光がちかちかと点滅していた。
 照明の消えたいまは、凛子は影でしか見ることができない。
 ふいに、三つ編みが揺れた――ような気がした。
 視線を左に向ける。舞台の奥にドン、と置いてあるドラムセットには、小刻みな呼吸をしているカレンがいた。なんてったってドラマーは全身運動だ。両手両足をフル稼働だ。タンクトップからさらされた肩や腕は汗で濡れていた。筋肉が鈍く輝いている。
 すっ、はっ、すっ、はっ、という浅い呼吸は、長距離走の選手とおなじものだった。鼻から吸って口から出す。
 カレンは凛子の側を向いていた。それから草一郎を見て、うなずいた。目には強い光が宿っている。まるで獣のようだ。もっともっとおかわりちょうだい。
 顔をあげた海里も、ちらと横目で草一郎を見てから、うなずいた。かすかに曲げた唇からは、品が感じられる。もう休みは終わりですよ。
 ――みんな、準備完了ってわけだ。
 草一郎もうなずき返した。
 すかさず四曲目のカウントが始まる――草一郎は最初に出す音を押さえながら、さっきの言葉を思い返していた。
 このままじゃ、つまんないよなあ。
 前奏が始まった。前までの三曲とは違ってシンプルなものだった。さっきまでが大暴れなパーティーだとしたら、こんどはひとり酒場で杯をかたむけている……といったところだろうか。目をこらせば、この酒場も普通じゃないことがわかるだろうけれど。
 いや……わからせてあげよう。
 しっとりと艶めいたギターの音色が去った。ドラムもリズムをキープするためのシンバルだけを残して、いなくなった。金属と金属がすりあわされ、シャラシャラと音を立てている。
 あとは海里のかすれ気味の――わざとそうしている――声と、草一郎のベースだけが居残っていた。
 Aメロの中ほどまでいったところで、わざと草一郎は音量をすこし上げる。
 さりげなく海里も声を大きくする。すぐさま全体のバランスは整えられた。
 ――じゃあ、これは?
 さらに草一郎は上げる。指先に力をこめ、弦を強く弾いた。ベース音の低いうねりが海里の声にかぶさって、一瞬だけかき消した。
 海里が横目をぶつけてくる。
 なんです? との思いがこめられていた。
 口元に笑みを浮かべて、草一郎は答えとした。わずかに海里の瞳が揺れる。
 ギターが入ってくる。ドラムも本格的に叩き始めた。
 海里はさらに声を張った。ここは練習と変わらない。ギターとドラムが一緒になるところから、負けないために海里は声を張り上げなくてはならなかった。
 だが草一郎は練習のときよりも、心持ち音量を大きくしていた。
 自然と曲が持つ圧迫感が増える。観客もそうだが、演奏している側もそうだった。
 ドラムを叩きながら、カレンが草一郎を見つめてくる。
 草一郎は見返した。
 大きな鳶色の瞳を見つめたまま、わざとカレンのドラムからベースのリズムを離した。引きずり気味にする。ねばっこく貼りついて、遅れそうで遅れない。
 ふふん、とカレンは笑った。かたちのよい、高い鼻の下で唇をにんまりと曲げる。
 ドラムのスピードが上がる。重いベースを引っぺがそうとする。演奏のバランスが崩れる、ぎりぎりのところで草一郎は速度を上げた。追いつかせる。それでも間隔は空けたまま。リズムにべったりとくっついて、曲全体を重い、湿ったものにする。
 こんどはカレンが遅くなった。
 草一郎はあわせて遅らせる。結果、変わらない。
 カレンが笑った。厚めの唇を大きく開いて、大笑いした。大笑いしながらドラムを叩いている。もちろん演奏の音量の阻まれて、笑い声は聞こえない。
 ちょうどサビが終わり、ギターソロのパートに入るところだった。
 激しくドラムがぶっ叩かれる。雷鳴のように鳴り響く。
 練習と違っていた。
 押しのけられそうになっていたギターの音色が、すぐさま入り直してきた。スタジオでアレンジを考えていたときは、もっと弱々しいはずの音だった。それがいまは、怒りもあらわに暴れまわっている。
 強烈な視線を感じた。
 体を硬直させている海里の向こう側からそれは飛んできた。ギターを抱きかかえるようにして演奏していた凛子が、前髪のすきまから鋭い眼光を飛ばしてきている。ちょうどうつむいているので、観客は気づいていない。おそらくはギターを見ながら弾いてると思っているはずだ。
 テメエ、なに考えてやがる。
 右足はエフェクター――ギターの音色を変える装置――を踏みつけていた。装置のオン・オフは踏んで切り替えるので、これは正しい。もっとも、普通は踏んだら足は離すものなのだが。踏んづけたまま、ギターの音色そのままの感情を突き刺してきていた。
 なにも気づいていない観客は、ともかく暴れられるので喜んでいる。
 草一郎はベースを弾きながら、ステージの中央へ、ゆっくりと歩いていった。
 凛子もエフェクターから足を外し、歩きだす。ギターのフレーズは動きながらでも弾ける、つまり易しめなものに変わっていた。凶暴性は変わらない。
 ゆっくりとふたりの距離は狭まってゆく。
 あいだに挟まれた海里は演奏のリズムに乗る振りをして、ひたすらうつむいていた。頬が強ばっているのが見えた。
 手を伸ばせば、お互いに触れそうなほどの距離になっていた。凛子は睨みあげ、草一郎はじとっと見おろしている。
 本来なら、すでにギターソロは終わっているはずだ。ドラムはおなじ箇所をひたすら繰り返している。草一郎も当たり前のような顔をして弾いている。海里は目を固く閉じて、足の爪先をトントンタンタンと動かしている。
 小動物なら見ただけで死にそうな目つきを、凛子は草一郎にぶつけてきていた。化粧のせいか怒りのせいか、たぶんどっちもか、その顔色は青白い。
 さらに凛子は近づいてきた。
 草一郎も近づく。
 海里は背を逸らして隙間を空けた。
 草一郎は頭を下げ、凛子の頭に寄せる。横顔が擦れあう。ほのかに髪が香る。互いの耳元に唇が辿りついた。わけもわからず観客は騒ぎ立てている。
「どういう――いやそれはいい、どうするつもりだ」
「……考えてなかったス」
「バカヤロウ」
「すみません」
「起承転結考えて曲順決めてんだぞ」
「ウス」
「ここでこんなに盛りあげてどうすんだ。つぎの曲がパッとしないだろーが」
「だって」
「なんだよ」
「こっちのほうが、面白いじゃないスか」
 凛子がのけぞった。唇は真一文字にぎゅっと閉じられている。
 ――あ、殺られる。
 無意識のうちに、草一郎はさらに頭を下げていた。たぶん殴られやすいように。
 幸いにも、降ってきたのはギター本体ではなかった。
 かわりにぶっといギターの音色が鳴り響いている。凛子はギターを弦を激しく震わしていた。うつむいているので表情はわからない。
 ただ、唇は笑顔のかたちになっていた。
 ひどく乱雑に弾き散らして、凛子はギターソロを終えた。知らんぷりして元の場所に帰ってゆく。
 あわてて海里はマイクに飛びついた。めずらしく出だしがほんのちょっとばかり――ごくごくわずかではあるが――音痴だった。
 頭をゆらゆらと動かしながら、草一郎は後ろ歩きで下がってゆく。
 すでに練習とは違う曲になってしまっていた。伴奏はやたらとやかましい。おかげで海里の歌い方はほとんど叫び声になっていた。それはそれで観客は喜んでいる。
 海里がじろりと睨んできた。
 しっかりと恨みがこもったその視線を、きれいに草一郎は無視した。客席のほうを向く。もみくちゃになっている少年の目が、ベースに向けられているのを感じた。ちょっとだけ見えやすいように弾く姿勢を変えた。


「たいしたもんだわ、ホントに」
 立花の呟きを聞いているものは、だれもいなかった。
 バンドの演奏が爆音だということもある。おかげでまともに会話できる環境にはない。
 すでにまわりにはほとんど人がいなかった。一緒にやってきた杉原は、とっくに興奮のまま前方になだれこんでいる。たてがみじみた派手な髪がときおり人波から飛び出ているのが、後ろの壁にもたれかかっている立花からも覗けた。
 すごい吸引力だった。
 凛子たちを知らない、目当てじゃなかった客だっているだろうに、ほとんどを巻きこんで、盛り上げている。
 最初からそうだったわけじゃなかった。
 さっきステージ上で少々ごちゃごちゃしていた。ギターとベースがもめていたように見えた。
 そこから演奏の質が変わる。
 観客を惹きつけだしたのは、それからだ。
 良くいえば音に勢いが出てきた。悪くいえばまとまりがなくなった。バランスを取ることを放棄したともいえる。ボーカル、ギター、ベースにドラム、すべてのパートが自分勝手に動いていた。ほとんど崩壊寸前だ。
 質だけをみれば、さっきより明らかに落ちている。
 ――なのに、いまのほうが熱がある。
 それは熱狂している観客を見れば明らかだった。立花は、ぴょんぴょん飛び跳ねる杉原の頭を見つめて、口元をにやりと曲げた。
 でたらめな、おかげで暴力的なまでのテンション。
 壊れかけのバンドをぎりぎりでまとめているのは――。
 長身の男。うつむきかげんで、やや猫背になってベースを弾いている。観客のほとんどは注目していない。男は凛子やカレンに、女は海里に意識を釘づけにされている。
 そんなだれも見ていない男が、ばらばら、それぞれの好き勝手な場所に行こうとする音たちを、真ん中でしっかりと引き留めていた。
 ベースがリズムを保っているから、ドラムが暴れられる。
 ベースが根っこを押さえているから、ギターが飛び回れる。
 ベースで暴走した演奏のせいで、ボーカルには余裕がなくなっている。
 いまの状態を引き出しているのは、間違いなくベース――草一郎だった。
「化けたもんだぜ」
 なあ、と声をかけようと横を向いて、立花は呼吸を止めた。
 志保里が泣いていた。大きく見開いた瞳から、ひとすじの滴が頬をつたって流れている。
 ぱたんと立花は口を閉じた。
 もごもごとつぶやきながら、ステージのほうを向く。
 ――お前も気づいてたんだな。
 当たり前なのかもしれない。最初からずっと、志保里は草一郎しか見ていなかったのだろうから。
 草一郎の成長は、志保里の件が無関係じゃあないだろう。男なんか女でずいぶん変わるもんだ。
 そして変わった男は、もう女の元には戻ってこないってわけだ。
 軽く立花は舌打ちした。
 あいかわらず能天気にのりまくってる杉原の背中を、むしょうに蹴り飛ばしたくなってくる。黙って狂乱に巻きこまれることのできない自分がうらめしかった。


 最後の曲が始まった。激しい曲。あくまでも暴れたまんまで終わる。最初の予定だと、前の曲でいったんしみじみさせてからここで爆発させるはずだった。
 予定を未定にさせたのは草一郎だ。落ち着くどころか盛り上げてしまった。
 つけは充分に払わせられていた。凛子のギターはともかくとして、カレンのドラムも、海里の歌声も、だれも言うことを聞いてくれない。みんな前の曲のテンションのまま、それ以上の勢いで暴れまわっていた。
 ひたすら草一郎は自分を保っている。
 ともすればまわりに引きずられて荒れ狂いそうな意識を、静かに保っていた。張りつめた水面だった。さざなみひとつ起こさなかった。
 そうすることで見えてくる。
 自分勝手にやっているようで、暴風には中心があった。カレンも海里も凛子も、ある一点を見つめながら動いている。
 保たなくてはならないリズム。
 保たなくてはならない和音。
 保たなくてはならない音階。
 草一郎はただなぞるだけ。見えてきた中心を、ただベースでなぞるだけ。
 ああ……冷たくなってゆく。
 やたらと視界がくっきりとしていた。ライトのまばゆさに慣れてきたからだろうか。観客ひとりひとりの顔がよくわかる。ステージの左手側、凛子のいる側に、柴崎のモヒカン頭がつきだしていた。
 あれだけもみくちゃになりながら、よくも乱れないもんだなあ。
 ぴんと立ったモヒカンを見つめながらも、指先は勝手に動いていた。何十、何百回と弾いた、練習したフレーズを自動的になぞっている。弾く強さ、タイミングはわかっていた。体に染みこんでいた。意識する必要はなかった。正確に奏でられた。
 みんながこちらを見ている。
 目こそ歌い手である海里を捉えていた。しかし意識は違うようだ。ステージ上にあるもの、いわばバンド全体に注がれている。
 気持ちいい。
 負担はない。勝手に体は動いているのだから。
 だから、観客の熱を味わうことができた。とても気持ちがいい。
 いままではなかったことだ。
 過去にライブはやったことがある。杉原のバンドにいたとき。無我夢中で、ひたすら間違えないように、それだけを考えていた。こんな余裕なんてなかった。
 あ、と草一郎は心のなかで呟いた。
 杉原が見えたからだ。客席のなかほどで飛び跳ねている。いつものサングラスはかけていなかった。珍しく素顔だが、例のライオンヘアーで杉原だとわかる。
 来てくれたんスね。
 喜んでくれているようだ。それが嬉しかった。楽しませているのが自分の演奏じゃないとしても。凛子のギターや、海里の歌声、カレンのリズムだとしても。
 じゃあシゲさんも来ているはずだ。草一郎は焦点をまわりに散らす。いない。ずずっと奥、壁にまで向けた。
 いた。後ろに立って、腕組みしている。
 草一郎は口元に笑みを浮かばせた。まったく、シゲさんらしい。
 その横には――。
 心に、ぽちゃんと小石が落ちた。
 志保里がいた。
 表情まではわからない。ただ、なぜか、泣いていることだけはわかった。泣き顔なんか見たこともないのに。
 波紋が広がってゆく。やがてさざなみへと変わった。
 ベースラインがぶれる。揺れが生まれる。なんとかコントロールした。ごまかしそうとした。
 すかさずギターが被さってきた。狂ったベースを、そういう演奏だということにしてしまった。そのまましばらくアドリブが続く。草一郎も合わせた。
 ――そうだ。
 いろんな人を傷つけた。杉原さんを始めとして、シゲさんたちバンドの人に迷惑をかけた。凛子たちだってそうだ。凛子さん、海里、カレンさん、勝手にいなくなって、また勝手に戻る。志保里さんはそんな自分の犠牲になったようなものか。
 ぜんぶ音楽のために。自分のために。
 まったくひどい話だ。人間失格だ。
 ――それでも。
 ベースのぶれが収まった。そこで自分からフレーズを変える。凛子のギターをなぞる。
 凛子も弾き方を変えてきた。やや前のめりに弾いていたタイミングが、草一郎とおなじぴったりなものになる。
 音色が重なる。
 気がつくと、ドラムも変わっていた。単純な、それだけに勢いが出るものへとフレーズを変えている。
 寄りそいあっていた。好き勝手に暴れていたものが、いまはひとつになっていた。
 ――そうだ。
 わかってくれる人がいる。おなじ種類の人がいる。
 それだけで……。
 凛子のギターが動きだした。終わりが近い。草一郎も動く。ドラムも暴れる。ひとつになって、最後へとひた走る。
 最後の最後、絶頂。そしてぶった切った。
 一瞬、静寂。
 とたんに海里が吠えた。
 長い。月夜に吠える犬のように、どこまでも長く尾を引かせた。目を固く閉じている。大きく口を開け、体をくの字に曲げて、声を絞りだしている。
 かすれた声が、かすれきって、消えた。
 静けさのなか、凛子がゆっくりと右手を挙げる。
 ワン、ツー、スリー……。
 ギターめがけて振り下ろされる。あわせてドラムが叩かれる。もちろんベースも一緒だ。
 わかってくれる人がいる。それも三人も。
 ひとかたまりになってエンディングへ。最後の曲が、もうすぐ終わる。


 歓声を背中で聞きながら、草一郎は舞台の袖に入った。前をゆく凛子、海里、カレン、みんなひとことも喋らない。ぼんやりとした照明の下、黙々と階段を下りて、狭い通路を進んだ。
 はあ、とだれかが声を洩らした。
 全員が通路の途中で立ち止まる。まだ楽屋には遠い。
 まず海里が壁にもたれかかった。そのままずるずるとへたりこむ。続いてカレンも壁によりかかった。草一郎も狭っくるしい道の真ん中にしゃがみこんで、ただひとり、凛と立っている凛子の背中を見あげた。黒いワンピースから覗いた白い背中が、汗でしっとりとなっている。
「きついぃぃぃ」
 海里の声は枯れていた。どんよりと疲れ切った顔で、両膝のあいだに頭をうなだらせている。
「こんな一生懸命やったの、初めてですよ」
「まったく」
 汗に浅黒い肌を輝かせていたカレンが、ふふふっと楽しそうに笑う。
「スティック、何本も折ってしまった。……だれかさんのせいでさ」
 鳶色の瞳で草一郎を見つめてくる。海里もがばりと顔を上げ、こちらはじろりと睨みつけてきた。
「ひどいですよ、めちゃくちゃですよ、なんなんですか、あれは」
「そうそう。ぐいぐいとあおってきちゃってさ。思わず乗せられちゃったじゃんか」
「しばらく見ないあいだに、草一郎さん、性格変わったんじゃないですか。昔はあんな人じゃなかったですよ」
 うんうんとカレンがうなずいている。
「前はもうちょっと優しい感じだったけどねえ。性格も、音も」
「ぼくに意地悪ばっかり。そんなに嫌いだったんですか、ぼくのことが」
「あたしにもさんざんやってくれたし」
 草一郎は両手を床になげだした体育座りで、ふたりの言葉を聞いていた。汗まみれの体はずんと重い。目と閉じれば、頭のなかがぐるぐると回り出す。それでも気持ちがよかった。どこか浮きあがるような感じだった。
「すんません」
「反省しているようには聞こえないです」
 がらがら声の海里は、にこやかに笑っていた。カレンが低い声で笑う。
「――草一郎」
 全員が凛子を見た。
 三つ編みが揺れる。凛子が肩ごしに横顔を見せた。草一郎を見おろしてくる。
 唇の端が、やさしくつりあがった。
「よくやった」
 草一郎はゆっくりと微笑み返す。ぺこりと頭をさげようとして、思いとどまった。「ありがとうございます」の言葉を引っこめ、改めて見あげる。
「凛子さんこそ」
 ちいさく凛子は鼻で笑った。その笑いがだんだん大きくなってゆく。ついには声になって、唇からこぼれた。草一郎も笑う。気がつけば、海里も、カレンも笑っていた。天井のみみっちい蛍光灯を揺らさんばかりの勢いで、通路中に笑い声が響き渡った。
 目尻に浮かんだ涙を指で弾きながら、凛子が草一郎に向かって屈みこんでくる。
「指、どうした」
 草一郎は右手を目の前に持ってくる。人差し指の先に、血が滲んでいた。
「あ……」
 よほど一生懸命に弦を弾いてしまったらしい。皮がむけていた。
「気づかなかったです」
 しみじみとした声が出てしまった。
「ほれ」
 顔の前に指が差しだされた。すこし変形した爪のあたりが、赤く染まっている。
「あたしもだ」
 自分のごつごつした大きい指と、ほっそりとして白い凛子の指。傷ついた二本の人差し指を、草一郎は見比べる。
「ここまでさせられちまうなんてな……たいしたもんだよ」
 そっと凛子が草一郎の手を握りしめてきた。
 肌の熱さにびっくりしているうちに、ぐいと指先を持っていかれた。凛子の唇に近づく。
 するりと呑みこまれた。
 草一郎は固まる。さらに熱い。傷口がさらさらと厚ぼったいものにねぶられ、すこしだけ痛んだ。
 解放される。濡れ光る指先が、ひんやりとした。
「お前の血は苦いなあ」
 凛子が顔をしかめた。歪んだ唇が濡れていた。
「……弦がサビてたんスかね」
「ん」
 血の滲んだ指先が突きだされる。草一郎の鼻のすぐ下、唇の前に置かれて、おもわず顎を引いてしまった。
「ん?」
 せかすように指がぴくんと動く。
 爪が削れていた。ギターを弾く以上、弦にこすれて変形するのは当たり前だ。とくに凛子は、弦にわざと指先を当てて尖った音を出す奏法を多用していたから、なおさらだろう。
「べつに病気は持ってないぞ」
 そういう意味でためらっているわけじゃないのだけど。
 おずおずと唇を近づけた。くわえる直前で、探るように上目づかいで見あげてみる。凛子が目を細め、片眉をぐいとあげた。顎先でうながしてくる。
 あーんと口を開け……ぱくりと納めた。
 しばらく見つめあう。口のなかで、もぞりと指が動いた。そろりそろりと舌を近づける。
 触れた。凛子が瞳を揺らし、「んっ」と声を洩らした。
 ――辛い。そして苦い。
 視線が絡みあう。舌と指も絡みあう。
 ぬる、と人差し指が抜かれた。ほっとしたような、物足りないような。妙に気恥ずかしくて、唇を袖で拭いながら立ちあがった。
 にやにやと海里が笑っている。カレンも微笑んでいた。
「……なんスか」
 返事のかわりに肩で押された。ぐいぐい、ぐいぐい。海里もちいさな体で押してくる。草一郎はふたりに挟まれた。もみくちゃにされながら、草一郎は凛子が濡れた指先を眺めているのを見た。その唇は穏やかに弧を描いている。
「おーい」
 いっせいに振りむく。
 男が立っていた。赤いビロードのようなYシャツが目に鮮やかで、オールバックにした髪もてかてかとしている。うさんくさい風貌を打ち消すように、満面の笑顔を浮かべていた。
 このライブハウスのオーナーだ。
「ほれ、邪魔だとよ」
 凛子の言葉に、もぞもぞと草一郎たち三人は壁に並びだした。
「ああ、違う違う、そうじゃない」
 オーナーが手を振る。その手を握りしめ、親指を突き立てた。指先を自分の背中に向ける。
「聞こえないか? 客が騒いでよ、帰ろうとしないんだ。だから、なあ?」
 たしかに、声援は鳴りやんではいなかった。凛子を呼ぶ声がときどき混じっている。
 思わず草一郎は、みんなと顔を見合わせた。
 驚きの表情に、笑みが生まれてきた。
「いいよ、やろうじゃないか」
 凛子が答えた。草一郎はうなずく。
 オーナーを先頭にして、ステージへと通路を戻っていった。
 歓声が近づいてくる。
「凛子さん」
「ん?」
 すぐ後ろに凛子は歩いていた。草一郎はちらりと見る。
「いろいろとすみませんでした」
「なんだ、いまさら」
「おれは……」
 凛子が眉間に皺を寄せる。
「どうしたよ」
「その、凛子さんが……だれかれかまわず押し倒す人でも、かまいませんから」
 びくん、と前を歩く海里が肩を跳ねあがらせた。
「たとえそうでも、おれは」
 最後まで草一郎は喋れなかった。
 尻に痛みが走ったからだ。ふっとばされ、カレンの背中に頭から突っこむ。がきん、と跳ね返された。
 草一郎は尻を押さえながら振りかえる。凛子が蹴りあげた足をおろしていた。
「人を淫乱みたいにいうな」
「だって、海里を押し倒してたじゃないスかー!」
「あれはあれ、それはそれだ。だいたいにしてだな、あたしはまだ処女だぞ」
 時が凍りつく。
 ぽかんと草一郎は口を開けた。
「……はあ?」
 どずん、とみぞおちに拳が埋まった。うめきながら草一郎はしゃがみこむ。見あげると、潤む視界のなかで、凛子がひらひらと手を振っていた。よほど手応えがあったらしい。
 すがる思いで背に首を曲げる。海里は引きつった笑いを浮かべていたし、カレンも口を細長いOの字にしていた。見開いた瞳が驚きを伝えてくる。
「まったく、お前らは……あたしをなんだと思ってんだ」
 ぶすっと凛子が顔をしかめていた。あえて草一郎はコメントをしなかった。
 への字だった凛子の唇が、にんまりと曲がる。
「そうだ、草一郎」
 まだみぞおちが痛い。咳きこみつつ答える。
「な、なんスか」
「なんならお前にくれてやろうか? こんなもん後生大事にとっておいても仕方ないし」
 草一郎はまたあんぐりと口を開けた。
「あ……う……は?」
 いたずらそうだった凛子の笑みが、じつに綺麗な、清純さすら感じさせるものに変わった。その表情のまましゃがんできた。
 草一郎のおでこを、指で弾く。
 びちん、と小気味いい音とともに激痛を感じて、草一郎はもだえた。
「ばーか」
 なにがなんだか、わけがわかんないっス。
 鼻をすする草一郎の前に、手がさしのべられた。
「ほらいくぞ。――みんな待ってる」
 人差し指にはもう血が滲んでいなかった。草一郎はつかむ。しっかりと握りしめる。ぐいと引っぱり上げられ、立ちあがった。
 草一郎の横を、凛子はすり抜けていった。駆けだす。
 三つ編みの黒いふたつの束が踊る。カレンが、海里が追いかけた。残されたオーナーが早くいけと、くいくいと親指で示していた。
 草一郎も駆けだす。
 通路の奥、階段をあがった向こう側が、光り輝いていた。
「うるせぇ!」
 ステージからは凛子の怒鳴り声。
 いきおいのまま草一郎は飛びこんでいった。口元には笑みを浮かべながら。


〔ツリー構成〕

【550】 1000字課題根っこ 2003/8/22(金)05:10 名無し君2号 (181)
┣【551】 1000字課題、8/21分 2003/8/22(金)05:14 名無し君2号 (1450)
┣【554】 1000字課題、8/22分 2003/8/23(土)03:59 名無し君2号 (3066)
┣【555】 1000字課題、8/23分 2003/8/24(日)03:47 名無し君2号 (2905)
┣【556】 1000字課題、8/24分、bU 2003/8/25(月)02:26 名無し君2号 (1584)
┣【558】 新木 伸、昔のやつ 2003/8/25(月)09:25 新木 伸 (8809)
┣【559】 1000字課題、8/25分、No7,8 2003/8/26(火)03:28 名無し君2号 (2860)
┣【561】 1000字課題、8/26分、No,9 2003/8/27(水)05:29 名無し君2号 (1319)
┣【567】 1000字課題、8/27分、No,10 2003/8/28(木)05:11 名無し君2号 (1539)
┣【570】 No.10 新木リライト版 2003/8/29(金)08:39 新木 伸 (1649)
┣【590】 細江、リライト版 2003/9/4(木)15:28 新木 伸 (1797)
┣【568】 1000字課題、8/28、No,11 2003/8/29(金)01:49 名無し君2号 (1723)
┣【574】 1000字課題、8/29分、No,12〜15 2003/8/30(土)13:34 名無し君2号 (6774)
┣【575】 1000字課題、8/30分、No,16 2003/8/31(日)04:28 名無し君2号 (1352)
┣【576】 1000字課題、8/31分、No,17〜19 2003/9/1(月)04:34 名無し君2号 (3700)
┣【577】 OFF会での成果 2003/9/1(月)21:37 新木 伸 (215)
┣【578】 新木、「馴染みのコーヒーショップ」 2003/9/1(月)21:38 新木 伸 (3139)
┣【579】 巻島、「富士山と男の子」 2003/9/1(月)21:39 新木 伸 (3203)
┣【580】 望乃、「低気圧ガール」 2003/9/1(月)21:40 新木 伸 (5480)
┣【583】 弟切、「科学者と孫娘」 2003/9/2(火)21:52 弟切 千隼 (3554)
┣【587】 弟切、「科学者と孫娘」リライト 2003/9/3(水)23:43 弟切 千隼 (1392)
┣【612】 弟切、「科学者と孫娘」書き直し「交流」版 2003/9/25(木)00:21 弟切 千隼 (2221)
┣【615】 弟切、「科学者と孫娘」書き直し「交流」版その二 2003/9/27(土)00:50 弟切 千隼 (2213)
┣【588】 紫ゆきや「ポチとお嬢様」 2003/9/4(木)02:34 紫ゆきや (2134)
┣【582】 1000字課題根っこ、9/1分、No,20〜22 2003/9/2(火)05:00 名無し君2号 (3821)
┣【586】 1000字課題、9/2分、No,23 2003/9/3(水)04:48 名無し君2号 (1155)
┣【589】 1000字課題、9/3分、No,24 2003/9/4(木)11:58 名無し君2号 (1626)
┣【591】 1000字課題、9/4分、No,25 2003/9/6(土)06:34 名無し君2号 (1586)
┣【592】 1000字課題、9/5分、No,26 2003/9/6(土)06:37 名無し君2号 (1105)
┣【594】 1000字課題、9/6,No,27 2003/9/7(日)12:03 名無し君2号 (1683)
┣【595】 1000字課題、9/7分、No,28 2003/9/8(月)13:36 名無し君2号 (1482)
┣【597】 1000字課題、9/8分、No,29,30 2003/9/9(火)11:27 名無し君2号 (3080)
┣【598】 1000字課題、9/9分、No,31 2003/9/10(水)05:52 名無し君2号 (1803)
┣【599】 1000字課題、9/10分、No.32 2003/9/11(木)09:15 名無し君2号 (1674)
┣【600】 1000字課題、9/11分、No,33 2003/9/12(金)08:06 名無し君2号 (2332)
┣【604】 1000字課題、9/11分、No,33のやりなおし版 2003/9/18(木)13:00 名無し君2号 (1797)
┣【601】 1000字課題、9/15分、No,34〜36 2003/9/15(月)18:57 名無し君2号 (4112)
┣【602】 1000字課題、9/16分、No,37 2003/9/17(水)17:11 名無し君2号 (1450)
┣【603】 1000字課題、9/17分、No,38 2003/9/18(木)12:56 名無し君2号 (1237)
┣【605】 1000字課題根っこ、9/18分、No.39 2003/9/19(金)17:19 名無し君2号 (1238)
┣【606】 関節技 2003/9/19(金)17:23 名無し君2号 (2826)
┣【607】 1000字課題、9/19分、No.40 2003/9/20(土)15:09 名無し君2号 (1409)
┣【608】 1000字課題、9/21分、No.41 2003/9/22(月)03:50 名無し君2号 (1485)
┣【613】 吸血母さん、リライト(その1) 2003/9/26(金)02:56 魚住 雅則 (1601)
┣【624】 re(1):吸血母さん、リライト(新木版) 2003/9/30(火)22:53 新木 伸 (1636)
┣【623】 1000字課題、9/21分、No.41、やりなおしの1 2003/9/30(火)06:47 名無し君2号 (5059)
┣【628】 1000字課題、9/21分、No.41、やりなおしの2 2003/10/2(木)06:09 名無し君2号 (11568)
┣【609】 1000字課題、9/23分、No.42 2003/9/24(水)03:34 名無し君2号 (1175)
┣【614】 1000字課題、9/25分、No.43 2003/9/26(金)03:37 名無し君2号 (1646)
┣【616】 1000字課題、9/26分、No.44 2003/9/27(土)06:28 名無し君2号 (1804)
┣【619】 1000字課題、9/27分、No.45〜46 2003/9/28(日)05:57 名無し君2号 (2874)
┣【620】 1000字課題、9/28分、No.47 2003/9/29(月)07:23 名無し君2号 (1676)
┣【622】 1000字課題、9/29分、No.48 2003/9/30(火)06:44 名無し君2号 (1726)
┣【629】 1000字課題、No.48「科学者と孫娘」のやりなおしの1 2003/10/3(金)06:12 名無し君2号 (1862)
┣【640】 10/5分、No.48「科学者と孫娘」、やりなおしの2 2003/10/6(月)10:09 名無し君2号 (3439)
┣【649】 10/10分、No.48「科学者と孫娘」、やりなおしの3 2003/10/11(土)14:06 名無し君2号 (1495)
┣【659】 10/13分、No.48「科学者と孫娘」やりなおしの4 2003/10/14(火)14:05 名無し君2号 (1629)
┣【625】 1000字課題、9/30分、No.49「ポチとお嬢様」 2003/10/1(水)04:26 名無し君2号 (1705)
┣【627】 1000字課題、10/1分、No.50「盗賊」 2003/10/2(木)05:43 名無し君2号 (1618)
┣【630】 1000字課題、10/2分、No.51「いくじなし」 2003/10/3(金)06:15 名無し君2号 (1638)
┣【639】 10/5分、No.51「いくじなし」、やりなおしの1 2003/10/6(月)10:06 名無し君2号 (1649)
┣【642】 リライト新木版 2003/10/7(火)09:49 新木 伸 (1750)
┣【635】 1000字課題、10/3分、No.52「カフェ・ノワール」 2003/10/4(土)07:56 名無し君2号 (1642)
┣【641】 1000字課題、弟切、「穴」 2003/10/7(火)00:52 弟切 千隼 (1871)
┣【653】 1000字課題、弟切、「穴」書き直し 2003/10/12(日)23:16 弟切 千隼 (4034)
┣【654】 re(1):1000字課題、弟切、「穴」書き直し、(人称替えバージョン) 2003/10/13(月)03:51 新木 伸 (4082)
┣【661】 1000字課題、弟切、「穴」書き直し、削り&三人称版 2003/10/15(水)01:35 弟切 千隼 (3051)
┣【667】 1000字課題、弟切、「穴」書き直し、痛み感と挫折感増強 2003/10/23(木)15:11 弟切 千隼 (3629)
┣【643】 1000字課題、10/9分、No.53〜56の根っこ 2003/10/9(木)14:20 名無し君2号 (58)
┣【644】 1000字課題、10/9分、No.53「おいかけっこ」 2003/10/9(木)18:28 名無し君2号 (1847)
┣【645】 1000字課題、10/9分、No.54「きょうの占い」 2003/10/9(木)18:31 名無し君2号 (2206)
┣【646】 1000字課題、10/9分、No.55 2003/10/9(木)18:32 名無し君2号 (1882)
┣【647】 1000字課題、10/9分、No.56「真夏の果実」 2003/10/9(木)18:34 名無し君2号 (1554)
┣【648】 1000字課題、10/10分、No.57「邪眼」 2003/10/11(土)14:02 名無し君2号 (1744)
┣【655】 1000字課題、10/12分、No.58「修学旅行の夜」(1000字) 2003/10/13(月)12:58 名無し君2号 (1305)
┣【658】 1000字課題、10/13分、No.59「シンデレラvsピーターパン」(1000文字) 2003/10/14(火)14:03 名無し君2号 (1671)
┣【662】 1000字課題、10/16分、No.60「話し合い」(2000文字) 2003/10/17(金)13:24 名無し君2号 (4041)
┣【665】 1000字課題、10/18分、No.61「井戸端会議」(1000文字) 2003/10/19(日)04:53 名無し君2号 (5566)
┣【666】 1000字課題、10/19分、No.62「いいじゃないか」(1000文字) 2003/10/20(月)08:48 名無し君2号 (1184)
┣【668】 1000字課題、10/23分、No.63「見張り塔からずっと」(2000文字) 2003/10/24(金)03:29 名無し君2号 (2508)
┣【669】 1000字課題、10/23分、No.64「決して死ぬなとあなたは言った」(1000文字) 2003/10/24(金)03:32 名無し君2号 (1629)
┣【670】 削除
┣【671】 1000字課題、10/23分、No.65「メイド」(1000文字) 2003/10/24(金)03:37 名無し君2号 (1670)
┣【672】 1000字課題、弟切、「メイド」 2003/10/24(金)22:59 弟切 千隼 (1925)
┣【679】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し 2003/11/1(土)01:29 弟切 千隼 (2558)
┣【684】 1000字課題、弟切、「メイド」地の文書き直し 2003/11/3(月)20:20 弟切 千隼 (2501)
┣【708】 1000字課題、弟切、「メイド」、全面書き直し 2003/12/6(土)23:00 弟切 千隼 (2278)
┣【711】 1000字課題、弟切、「メイド」、甘夏リライト 2003/12/11(木)04:02 甘夏 (2760)
┣【714】 1000字課題、藤極堂、「メイド」、リライト 2003/12/12(金)21:48 藤極堂 (2045)
┣【726】 1000字課題、弟切、「メイド」、全面書き直しその二 2003/12/29(月)00:39 弟切 千隼 (2084)
┣【738】 1000字課題、弟切、「メイド」冒頭のみ書き直し 2004/1/14(水)00:06 弟切 千隼 (795)
┣【739】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し、説明文版 2004/1/14(水)00:10 弟切 千隼 (308)
┣【740】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し、描写文版 2004/1/14(水)00:12 弟切 千隼 (468)
┣【743】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し、描写文版その二 2004/1/17(土)01:52 弟切 千隼 (404)
┣【750】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し、描写文版その三 2004/1/19(月)23:27 弟切 千隼 (450)
┣【753】 1000字課題、弟切、「メイド」書き直し、描写文版その四 2004/1/23(金)22:05 弟切 千隼 (479)
┣【674】 1000字課題、10/27分、No.66「そろそろと足踏み」(2000文字) 2003/10/27(月)16:14 名無し君2号 (2733)
┣【675】 1000字課題、10/28分、No.67「星をみるひと」(1000文字) 2003/10/28(火)19:17 名無し君2号 (888)
┣【676】 1000字課題、10/29分、No.68「ボスしけてるぜ」(1000文字) 2003/10/30(木)06:28 名無し君2号 (1623)
┣【678】 1000字課題、10/30分、No.69「なんでこんなことに」(1000文字) 2003/10/31(金)08:07 名無し君2号 (1684)
┣【680】 1000字課題、10/31分、No.70「トランジスタ・ラジオ」(1000文字) 2003/11/1(土)10:50 名無し君2号 (1556)
┣【681】 1000字課題、11/1分、No.71「真夜中のエンジェル・ベイビー」(1000文字) 2003/11/2(日)08:05 名無し君2号 (1690)
┣【683】 1000字課題、11/2分、No.72「君が僕を知っている」(1000文字) 2003/11/3(月)09:47 名無し君2号 (1250)
┣【685】 1000字課題、11/3分、No.73「二時間三十五分」(1000文字) 2003/11/4(火)12:12 名無し君2号 (988)
┣【687】 1000字課題、11/4分、No.74「なかよくケンカしな」(1000文字) 2003/11/5(水)11:54 名無し君2号 (1529)
┣【688】 1000字課題、11/5分、No.75「十五年後」(2000文字) 2003/11/6(木)09:31 名無し君2号 (3105)
┣【689】 1000字課題、11/6分、No.76「耳たぶをくにくに」(2000文字) 2003/11/7(金)08:26 名無し君2号 (3149)
┣【690】 11/8分、No.76「耳たぶをくにくに」やりなおしの1(1000文字) 2003/11/9(日)06:52 名無し君2号 (1482)
┣【692】 No.76「耳たぶをくにくに」、新木リライト版 2003/11/10(月)01:47 新木 伸 (2385)
┣【693】 1000字課題、11/9分、No.77「愛と青春のルサンチマン」(1000文字) 2003/11/10(月)08:19 名無し君2号 (1664)
┣【694】 1000字課題、11/11分、No.78「魔王の憂鬱」(1000文字) 2003/11/12(水)11:38 名無し君2号 (1675)
┣【695】 1000字課題、11/12分、No.79「酔いどれ天使」(1000文字) 2003/11/12(水)11:40 名無し君2号 (1729)
┣【696】 1000字課題、11/14分、No,80「錆びたピストル」(2000文字) 2003/11/16(日)12:16 名無し君2号 (3307)
┣【697】 1000字課題、11/15分、No.81「幸福論」(1000文字) 2003/11/16(日)12:17 名無し君2号 (1742)
┣【698】 1000字課題、11/18分、No.82「ごくらく巫女ひき計画」(1000文字) 2003/11/18(火)15:47 名無し君2号 (1737)
┣【699】 1000字課題、11/20分、No.83「畏れるばかりで」(1000文字) 2003/11/20(木)16:12 名無し君2号 (1673)
┣【700】 1000字課題、11/23分、No.84「かたむく天秤、おとこのこ編」(2000文字) 2003/11/24(月)03:28 名無し君2号 (3422)
┣【701】 1000字課題、11/23分、No.85「かたむく天秤、おんなのこ編」(2000文字) 2003/11/24(月)03:33 名無し君2号 (2967)
┣【702】 1000字課題、11/23分、No.86「かたむく天秤、ふたり編」(1000文字) 2003/11/24(月)03:35 名無し君2号 (1574)
┣【703】 1000字課題、11/28分、No.87「いしやきいも」(1000文字) 2003/11/29(土)04:37 名無し君2号 (1782)
┣【704】 1000字課題、11/28分、No.88「離魂病」(1200文字) 2003/11/29(土)04:42 名無し君2号 (1963)
┣【705】 1000字課題、11/30分、No.89「ばらばら」(1400文字) 2003/12/1(月)06:50 名無し君2号 (2377)
┣【706】 1000字課題、12/1分、No.90「紅く塗りつぶせ」(1200文字) 2003/12/2(火)10:28 名無し君2号 (2048)
┣【707】 1000字課題、12/3分、No.91「静寂」(2000文字) 2003/12/4(木)10:27 名無し君2号 (3048)
┣【709】 1000字課題、12/6分、No.92「アルバム」(1400文字) 2003/12/7(日)07:39 名無し君2号 (2317)
┣【715】 1000字課題、12/13分、No.93「矢」(1500文字) 2003/12/13(土)08:26 名無し君2号 (2283)
┣【716】 1000字課題、12/15分、No.94「散華」(1200文字) 2003/12/15(月)11:21 名無し君2号 (2019)
┣【717】 1000字課題、12/18分、No.95「星空」(1600文字) 2003/12/18(木)11:37 名無し君2号 (2564)
┣【720】 1000字課題、12/23分、No.96「姉弟喧嘩」(2000文字) 2003/12/23(火)06:01 名無し君2号 (2685)
┣【721】 No.96「姉弟喧嘩」 新木部分リライト 2003/12/23(火)20:39 新木 伸 (1170)
┣【722】 1000字課題、12/25分、No.97「眼球」(2000文字) 2003/12/25(木)13:36 名無し君2号 (2676)
┣【727】 No.97「眼球」(新木部分リライト) 2003/12/29(月)15:43 新木 伸 (666)
┣【723】 1000字課題 青葉桂都 No.1「クリスマスは一緒に」/No.2「勝負」 2003/12/26(金)02:41 青葉桂都 (4998)
┣【725】 1000字課題、12/28分、No.98「死亡遊技」(1600文字) 2003/12/28(日)18:16 名無し君2号 (2759)
┣【728】 1000字課題 青葉桂都 No.3「きゅうせいしゅ」 2003/12/29(月)17:42 青葉桂都 (2296)
┣【729】 100字課題 青葉桂都 No.4「森の外」 2003/12/31(水)00:51 青葉桂都 (2649)
┣【730】 1000字課題、12/31分、No.99「最後の言葉」(2000文字) 2004/1/1(木)07:25 名無し君2号 (2673)
┣【756】 1000字課題、1/25分、No.100「世界の真ん中で」(1200文字) 2004/1/25(日)06:34 名無し君2号 (1484)
┣【760】 1000字課題 青葉桂都 No.5「眠り姫」 2004/1/27(火)02:56 青葉桂都 (2291)
┣【761】 1000字課題、1/26分、No.101「伝説の木」(2000文字) 2004/1/27(火)04:38 名無し君2号 (2637)
┣【770】 1000字課題、2/1分、No.102「桜の枝」(2000文字) 2004/2/3(火)03:04 名無し君2号 (2806)
┣【781】 2/2分、「桜の枝」リライト 2004/2/9(月)06:47 名無し君2号 (2584)
┣【784】 1000字課題、2/3分、No.103「テディベアと少女」(2000文字) 2004/2/10(火)10:00 名無し君2号 (2567)
┣【791】 1000字課題、2/13分、No.104「ロマンティックな光景」(1600文字) 2004/2/13(金)12:33 名無し君2号 (2089)
┣【818】 1000字課題、2/21分、No.105「秘密」(2000文字) 2004/2/21(土)14:12 名無し君2号 (2518)
┣【819】 1000字課題、2/21分、No.106「ハーモニー」(2000文字) 2004/2/21(土)14:13 名無し君2号 (2770)
┣【826】 1000字課題、2/24分、No.107「平和な世界」(2000文字) 2004/2/24(火)14:49 名無し君2号 (2615)
┣【827】 1000字課題、2/24分、No.108〜109「川のヌシ」(2000文字) 2004/2/24(火)14:52 名無し君2号 (5041)
┣【842】 1000字課題、2/28分、No.110「待ち人を待ち」(2000文字) 2004/2/29(日)03:25 名無し君2号 (2749)
┣【843】 1000字課題、2/28分、No.111「待ち人が来て」(2000文字) 2004/2/29(日)03:28 名無し君2号 (2344)
┣【844】 1000字課題、2/28分、No.112「待ち人と帰る」(2000文字) 2004/2/29(日)03:30 名無し君2号 (2343)
┣【845】 1000字課題、2/28分、No.113「待ち人で泣く」(2000文字) 2004/2/29(日)03:32 名無し君2号 (2205)
┣【866】 1000字課題、3/12分、No.114「花いちもんめ」(2000文字) 2004/3/12(金)06:03 名無し君2号 (2350)
┣【871】 1000字課題、3/18分、No.115「鏡の中に」(2000文字) 2004/3/18(木)07:28 名無し君2号 (2573)
┣【874】 1000字課題、3/22分、No.116「まだまだ甘い」(2000文字) 2004/3/22(月)09:10 名無し君2号 (2769)
┣【876】 1000字課題、3/27分、No.117「美味しい罠」(3500文字) 2004/3/27(土)11:13 名無し君2号 (4557)
┣【880】 1000字課題、4/1分、No.118「武侠少女月影抄」(3500文字) 2004/4/1(木)09:08 名無し君2号 (3850)
┣【889】 1000字課題、4/12分、No.119「深く重く、そして強く」(4400文字) 2004/4/12(月)17:40 名無し君2号 (5692)
┣【892】 1000字課題、4/15分、No.119−2「深く重く、そして強く」(4400文字) 2004/4/15(木)17:10 名無し君2号 (5847)
┣【908】 1000字課題、4/23分、No.119−3「深く重く、そして強く」(9500文字) 2004/4/24(土)03:58 名無し君2号 (11885)
┣【909】 No.119−3「深く重く、そして強く」、新木削り版 2004/4/25(日)00:16 名無し君2号 (7732)
┣【924】 1000字課題、5/2分、No.119−4「深く重く、そして強く」(10400文字) 2004/5/2(日)07:04 名無し君2号 (13998)
┣【951】 「深く重く、そして強く」、5/14までの暫定版、ボツ分(原稿用紙31枚) 2004/5/16(日)23:30 名無し君2号 (19901)
┣【952】 「深く重く、そして強く」、5/15、16の暫定版(原稿用紙20枚) 2004/5/16(日)23:39 名無し君2号 (13051)
┣【953】 1000字課題、5/18分、No.119−5「深く重く、そして強く」(原稿用紙40枚) 2004/5/18(火)15:14 名無し君2号 (27190)
┣【977】 No.119−5「深く重く、そして強く」の「解」「感」分析、途中まで 2004/5/26(水)15:10 名無し君2号 (9827)
┣【1063】 1000字課題、8/21分、No.119−6「深く重く、そして強く」出会いと別れ(16000文字) 2004/8/21(土)13:13 名無し君2号 (23075)
┣【1070】 1000字課題、8/21分、No.119−7「深く重く、そして強く」練習、そして軽い挫折(1320.. 2004/8/24(火)08:13 名無し君2号 (17743)
┣【1085】 1000字課題、9/5分、No.119−8「深く重く、そして強く」近づく距離、大きな挫折(2200.. 2004/9/5(日)23:12 名無し君2号 (30432)
┣【1086】 No.119−8「深く重く、そして強く」近づく距離、大きな挫折(22000文字)、76字整形版 2004/9/5(日)23:13 名無し君2号 (30671)
┣【1092】 9/10分、No.119−9「深く重く、そして強く」逃げました(9600文字、原稿用紙17枚) 2004/9/10(金)22:36 名無し君2号 (13681)
┣【1095】 9/14分、No.119−10「深く重く、そして強く」逃亡編、1(10000文字、原稿用紙19枚) 2004/9/14(火)23:42 名無し君2号 (14960)
┣【1098】 9/17分、No.119−10「深く重く、そして強く」逃亡編、2(12000文字、原稿用紙24枚) 2004/9/18(土)01:16 名無し君2号 (18828)
┣【1099】 削除
┣【1100】 】 9/21分、No.119−11「深く重く、そして強く」自覚編(16800文字、原稿用紙32枚) 2004/9/21(火)23:23 名無し君2号 (22667)
┣【1101】 9/21分、No.119−11「深く重く、そして強く」自覚編(76文字整形板) 2004/9/21(火)23:25 名無し君2号 (22852)
┣【1103】 9/26分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その1(8000文字、原稿用紙17枚) 2004/9/26(日)23:00 名無し君2号 (17283)
┣【1104】 9/28分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その2(5000文字、原稿用紙10枚) 2004/9/28(火)23:39 名無し君2号 (12707)
┣【1105】 9/29分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その3(6000文字、原稿用紙11枚) 2004/9/29(水)23:33 名無し君2号 (11048)
┣【1112】 10/2分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その4(2000文字、原稿用紙5枚) 2004/10/2(土)23:04 名無し君2号 (7251)
┣【1117】 10/9分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その5(3000文字、原稿用紙7枚) 2004/10/10(日)01:31 名無し君2号 (5048)
┣【1118】 10/12分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その6(6800文字、原稿用紙16枚.. 2004/10/12(火)23:27 名無し君2号 (12262)
┣【1119】 10/14分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その7(3500文字、原稿用紙7枚) 2004/10/14(木)22:52 名無し君2号 (5203)
┣【1122】 10/18分、No.119−12「深く重く、そして強く」覚醒編その8(6400文字、原稿用紙12枚) 2004/10/18(月)23:54 名無し君2号 (9001)
┣【1123】 No.119「深く重く、そして強く」全文結合版(原稿用紙370枚) 2004/10/24(日)19:26 名無し君2号 (238848)
┣【890】 1000字課題、4/12分、No.120「チョコより確かに」(2000文字) 2004/4/12(月)17:47 名無し君2号 (5045)
┣【891】 1000字課題、4/15分、No.121「逃げだしたあとで」(3500文字) 2004/4/15(木)17:07 名無し君2号 (3850)
┣【903】 1000字課題、4/22分、No.122「花もだんごも」(3600文字) 2004/4/22(木)04:00 名無し君2号 (7768)
┣【904】 No.122「花もだんごも」、新木さん冒頭リライト 2004/4/22(木)21:39 名無し君2号 (853)
┣【913】 1000字課題、4/26分、No.123「エスパー真奈美ちゃん」(4200文字) 2004/4/27(火)02:16 名無し君2号 (5023)
┣【932】 1000字課題、5/7分、No.124「愛しさの朝食」(4000文字) 2004/5/7(金)08:03 名無し君2号 (7738)
┣【938】 1000字課題、5/8分、No.125「愛は純粋ですから」(4000文字) 2004/5/9(日)00:55 名無し君2号 (5258)
┣【941】 1000字課題、5/10分、No.126「ぼくはぼくだけのために」(1000文字) 2004/5/10(月)11:45 名無し君2号 (1668)
┣【945】 1000字課題、5/11分、No.127「ノラ少女」(3600文字) 2004/5/11(火)14:09 名無し君2号 (5211)
┣【948】 1000字課題、5/15分、No.128「美味しく煮こみました」(4800文字) 2004/5/14(金)10:49 名無し君2号 (7424)
┣【955】 1000字課題、5/20分、No.129「たとえ負けるとわかっていても」(7200文字) 2004/5/20(木)17:02 名無し君2号 (8085)
┣【959】 1000字課題、5/22分、No.130「依頼はすでに解決していた」(8400文字) 2004/5/22(土)12:13 名無し君2号 (12765)
┣【973】 1000字課題、5/25分、No.131「きみよ、ぼくといってくれ」(2800文字) 2004/5/25(火)09:38 名無し君2号 (4373)
┣【974】 1000字課題、5/25分、No.132「その手は食いませんから」(3500文字) 2004/5/25(火)12:04 名無し君2号 (4615)
┣【989】 No.132「その手は食いませんから」、新木リライト 2004/6/5(土)21:31 名無し君2号 (1287)
┣【983】 1000字課題、5/28分、No.133「のほほん書店」(4800文字) 2004/5/29(土)02:14 名無し君2号 (6869)
┣【985】 1000字課題、5/31分、No.134「隣の芝生が青く見えすぎちゃった」(6000文字) 2004/5/31(月)16:00 名無し君2号 (8370)
┣【990】 1000字課題、6/5分、No.135「お刺身くわえたドラ猫」(2000文字) 2004/6/5(土)21:33 名無し君2号 (2630)
┣【991】 題名:お刺身くわえたドラ猫(新木リライト版) 2004/6/6(日)03:48 新木 伸 (2442)
┣【992】 1000字課題、6/7分、No.136「眼鏡っ子同盟」(4000文字) 2004/6/7(月)19:14 名無し君2号 (5330)
┣【995】 No.136「眼鏡っ子同盟」、2号削り版 2004/6/9(水)23:23 名無し君2号 (4095)
┣【998】 No.136「眼鏡っ子同盟」、新木削り版 2004/6/10(木)17:42 新木 伸 (2552)
┣【993】 1000字課題、6/8分、No.137「漂流王子」(3600文字) 2004/6/8(火)23:28 名無し君2号 (5308)
┣【994】 1000字課題、6/9分、No.138「追いかけっこ」(1800文字) 2004/6/9(水)23:16 名無し君2号 (2110)
┣【1000】 1000字課題、6/12分、No.139「愛と激情のキャッチボール」(3600文字) 2004/6/13(日)00:04 名無し君2号 (6479)
┣【1004】 1000字課題、6/18分、No.140「鳴らない電話が鳴りまして」(3600文字) 2004/6/18(金)13:01 名無し君2号 (5160)
┣【1009】 1000字課題、6/26分、No.141「亡者ふたり旅」(5000文字) 2004/6/27(日)02:12 名無し君2号 (8512)
┣【1021】 1000字課題、7/3分、No.142「悪魔っ子、地上に降りる」(2600文字) 2004/7/3(土)04:10 名無し君2号 (4530)
┣【1024】 1000字課題、7/6分、No.143「両手にガンを持つ少女」(6000文字) 2004/7/6(火)17:51 名無し君2号 (9696)
┣【1025】 1000字課題、7/8分、No.144「腹がへったら気が短く」(3400文字) 2004/7/8(木)23:50 名無し君2号 (5633)
┣【1031】 1000字課題、7/16分、No.145「だって仕方がないんだ」(6400文字) 2004/7/16(金)12:01 名無し君2号 (10726)
┣【1035】 1000字課題、7/20分、No.146「ナイフ使い、婆さんに拾われる」(4800文字) 2004/7/20(火)22:01 名無し君2号 (8337)
┣【1037】 1000字課題、7/26分、No.147「秘技・すいか斬り」(5800文字) 2004/7/26(月)23:47 名無し君2号 (9320)
┣【1041】 1000字課題、7/31分、No.148「しっかり殺れよ」(7200文字) 2004/7/31(土)18:31 名無し君2号 (11580)
┣【1109】 1000字課題 No.1 「ホントにもうサイアク」 9月26日分 津荒夕介 2004/10/2(土)20:15 津荒 夕介 (1362)
┣【1110】 1000字課題 NO,2「暇人」 9月27日分 津荒夕介 2004/10/2(土)22:21 津荒 夕介 (1580)
┣【1113】 削除
┣【1114】 1000字課題 No.3「君はどうする?」 9月28日分 津荒夕介 2004/10/3(日)01:19 津荒 夕介 (1617)
┣【1124】 10/28分、No.149「べんとらべんとら」(2400文字) 2004/10/28(木)23:19 名無し君2号 (4479)
┣【1126】 11/3分、No.149−1「べんとらべんとら」(10500文字、原稿用紙22枚) 2004/11/3(水)22:17 名無し君2号 (15320)
┣【1127】 1000字課題、11/5分、No.150「ざんざんざん」(5500文字、原稿用紙11枚) 2004/11/6(土)00:53 名無し君2号 (7849)
┣【1128】 削除
┣【1151】 削除
┣【1157】 削除
┣【1158】 削除
┣【1164】 削除
┣【1167】 削除
┣【1168】 削除
┣【1174】 削除
┣【1182】 削除
┣【1183】 削除

前の画面〕 〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕 〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了

※ 『クリックポイント』とは一覧上から読み始めた地点を指し、ツリー上の記事を巡回しても、その位置に戻ることができます.