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1254 3500字「遠い記録」 (1+1+1+3 計6時間)
2005/5/21(土)15:35 - 魚住雅則 - 2585 hit(s)

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「お世話になりました」
 そういって僕は頭を下げた。職員室のドアがしまりきる間際、ちらりと目に映った顧問は頬をゆるませていた。
 気にすることはない。退部願いは快く受理されたのだ。なにも、問題ない。
 進学校で部活を続けるのは難しいのだ。その現実が僕の肩を重くする。
 誰とも顔をあわせたくなかったのでうつむいたまま廊下を進んだ。窓から差し込む夕陽が、リノリウムの床を影の黒とオレンジにくっきり塗りわけていた。
 そろそろ下りの階段にさしかかろうかという頃、視界の先に上履きがわりこんできた。それが誰かなんて考えるまでもない。上履きのすぐ上にみえるジャージの青い裾。こんな格好で廊下を歩く人を僕は他にしらない。
「……センパイ」
 陸上部のエースである沙樹センパイが僕を見つめていた。右手にもったゴム紐をうにうにと動かして遊んでいる。部活時は髪をまとめるのに重宝するとかで、いつも待っている赤いやつ。今は肩まで伸びた髪が陽を反射している。
「待っていたよ」
 獲物をねらう猫のように目を細めた。限界まで引き延ばしたゴム紐を僕にむけてくる。
「それ当たったらけっこう痛いんですよ」
「じゃあ、おとなしくわたしの言うことをきくか」
 わざと声を低くして、ふっくらとした唇のはしをつりあげるセンパイ。この人は悪い顔が似合わないな。
 家で教科書を開きたかったが、非情なスナイパーには逆らえなかった。
 
 さえぎるものがないグラウンドは、夕陽で一面が赤くそまっていた。ときおり吹く風が砂埃をたてる。
 コースごとに引かれた白線の上にたち、髪をまとめながら遠ざかっていくセンパイの後ろ姿を眺めた。
 センパイが僕に求めた役割は計測係だった。下校途中の人間を容赦なくコキ使うあたり、さすが沙樹センパイというほかない。
 来る途中で預かったジャージを右腕にひっかけ、ストップウォッチのタイマーをセットする。
 はるか百メートル向こうのセンパイに手を振って合図する。
「いいですかー」
「いつでもオッケーっ」小さな影が大声で応えた。両手をぶんぶか振っている。
 センパイは膝をおとすこともなく、立ったままでスタートするつもりらしい。スパイクにも履き替えなかったし、まあちょっとした遊びだろう。
「よーい」
 高く上げた右手を――
 「スタート」振り下ろす。
 視界のなかで影がおおきくなる。太股をおもいきり高くあげ、左右の腕をまったく同じ距離だけ前後させる。センパイのランニングフォームは陸上部の誰より無駄がなく、見ているとひきこまれた。
 しだいに地面を蹴る足音までハッキリと聞こえてくる。聞き慣れた音。最後まで耳にここちよい音だった。
 風切り音とともにポニーテイルが僕の目前を走りすぎる。タイマーのボタンを押す。
「……」
 腕がさがり、ジャージがずり落ちそうになった。
 センパイが叩きだしたのは、試合でもめったにお目にかかれない好タイムだった。
「どうだった?」 
 すぐ近くでセンパイの荒い呼吸音が聞こえた。僕の肩に手を置いてぐいっと顔をよせてくる。表示されているタイムをのぞき込んでほほうと笑った。
「おー。やるねわたしも」
 他人事のような一言になぜか苛立った。
「なに言ってんですか。スタートから本気だったらもっと速かったんですよ。今のじゃ、記録にも」
「いんだよ。これで最後だし」
 振りむく。センパイの横顔ははげしい運動のなごりでまだ紅潮していた。息も落ち着いていない。ストップウォッチを見つめて、うん上出来上出来と頷いている。
「どういうことですか」
「高校の陸上はそろそろ終わり。明日からバイトの毎日なのさ」
 先輩の家庭の事情は知らなかった。だが、センパイにはなんの気負いもなく。声にはどんな重さもなかった。
 楽しく走り続けるために必要なことなんだと笑う。
「大学でまた走りたいからね」
 ようやくからだに酸素を取りいれおわったらしい。センパイは落ち着いた表情で胸に手をあて、すうっと深呼吸した。
 首筋がちりちりと痒くなる。このまま家に帰ってテキストを開いている自分を思い浮かべる。痒みはいっそうひどくなり、灼けているように思えた。
「よし、キミが次の部長だ。とか看取ってくれたお礼にヨイショしてみる」
「……僕はセンパイ目当てで入ったんですよ」
 軽口をたたいた。不純な動機を叱られるかと思ったけれど、先輩は目を丸くしただけだった。
「そうなの? じゃあ明日から意味なくなるんだね」
 ――意味はある。
 僕はまだセンパイに追いついていない。近づいてすらいない。僕の上出来は遠く高いところにあった。
 職員室は開いているだろうか。明日じゃなく、後でなく、すぐに取り消しにいきたかった。
「僕と、つきあってください」
 思わず本心がでた。直前までいうつもりはなかった言葉。冗談まじりとはいえ、告白したからにはもうちょっとリアクションが欲しかったのかもしれない。
 センパイは人差し指をあごにあてて考えこむ。背が高くてしなやかな体つきのセンパイが、ときおりこういう子供っぽい仕草をするのだ。似合わないというのに。似合っていないのに……反則だ。
「だめ。わたしは高いのだよ。寿司屋なら時価だよ」
 僕から奪ったストップウォッチを赤い空へ放り投げる。
「でもチャンスをあげる」
 戻ってきた時計を横から殴りつけるように受けとめる。センパイは僕に時計画面をつきつけた。
 にひひ、と小学生のような笑みを浮かべて、
「この記録を越えられたら、もっかい挑戦してきたまえ」 
 僕はそれに応えて笑みをうかべる。
「越えてみせますよ。最速でね」



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一行コンセプト
「部活をやめる気だったが、諦めない先輩をみてやる気を取り戻す話」

起 退部届けを出してきた帰り道、先輩につかまる
承 先輩の練習を手伝わされる
転 それは先輩にとって高校最後の練習だった。走り続けるためにさらに行動するという
結 自分が情けなくなり、退部届を取り消すことにする

●はじめの状態と、終わりの状態に変化があるか
周囲の圧力から部活をやめようとしていた → こんな所では終われないと考え直した

●その変化になんらかの意味づけがされているかどうか
 周囲の圧力などものともせず、好きなことを続けるために努力するセンパイを見て、自分もそこに近づきたいと考える。

その他
登場人物名はひとつだけ その2
「僕」と「沙樹センパイ」


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