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1062 弟切、自己課題、テーマ「別れ」、題名「プラスチック」(5000字)
2004/8/20(金)23:28 - 弟切 千隼 - 1447 hit(s)

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  題名「プラスチック」
              2004/08/20 弟切 千隼


 三週間前、理沙の携帯に、圭子からメールが入った。
「聞いて驚け。久松君と初音ちゃんが付き合ってるんだってーー!!」
 その日から、理沙は食事ができなくなった。
 仕事はしなければならない。そう思うから、栄養剤で命をつないでいる。粉末を水に溶かした液体や、錠剤を飲み下すことは、食事とは呼べないだろう。
 圭子のメールには続きがあった。
「ってことで、久しぶりに集まろうよ。あの久松君がど〜やって初音ちゃんを口説いたのか、問い詰めちゃお」
 理沙には想像がついた。久松聡がどんなふうに、津久井初音を口説いたのか。
 つい半年前、理沙自身が聡に口説かれたからだ。
 会って、確かめなければ。
「私も行く」
 理沙はそう返信した。

 木目模様のレストランの扉を、理沙は押し開けた。意外と軽い。木に見せかけたプラスチックのようだ。
 店内はクリーム色が基調だった。壁のところどころに、造花が飾られている。
 奥の席で、圭子が手を振っていた。
「理沙ぁー、こっち」
 圭子の隣には、稲垣達也がいた。彼も圭子や聡や初音と同じ、大学時代の同期生だ。圭子の向かいには初音がいて、達也の向かいには――聡がいた。
 平静なそぶりを保ちつつ、理沙は圭子の隣に座った。達也の反対側だ。
「おひさー」
「おひさ。理沙ってば痩せたじゃん」
「ん、ちょっと仕事が忙しくて」
 嘘ではなかった。ここ二ヶ月ほど、理沙の帰宅は午後十一時を越えていた。誰かと会うどころではない。
(だからって)
 理沙はちらりと聡に目をやった。
 彼女と目が合うと、聡はうっすらと笑った。口もとのえくぼが歪んでいる。
 能天気な圭子の声で、理沙は視線を戻した。
「羨ましい〜。あたしも結構忙しいのに、ぜーんぜん痩せないの」
 なら男にふられてみれば、という声を、理沙は心にしまいこんだ。
 圭子に罪はない。彼女は何も知らない。達也も、初音も知らないはずだ。聡との関係は。
「理沙も何か頼みなよ。えーと、メニュー」
「こっちにあるよ」
 初音がにっこりと笑って、理沙にメニューを渡した。
 色白の頬が、内から輝いていた。薔薇色とはこういう色を指すのかと、理沙は思った。
「ありがと」
 理沙は精一杯、無愛想にならないように応えた。大ざっぱにメニューをめくって、飲み物のところに目を通す。
「ブレンドコーヒーでいいわ」
「あれ、時枝、いつもカフェオレじゃなかったっけ?」
 達也は細かいことを覚えている。
「最近、ブラックが好きになったの」
 嘘だった。今の理沙の胃は、砂糖やミルクを受け付けない。
 圭子の向こう側から、達也が理沙を覗きこんだ。
「お前、働きすぎじゃないか? そんなに痩せて。何か食えよ。飲み物だけじゃなくて」
「おなか空いてないから」
「顔色も悪いし。やっぱ食ったほうがいいぞ」
「ファンデーション変えたの。私には合わないみたいね。食べ物はほんとに要らないから」
「あたし、大きいピザ頼んだから、みんなで食べられるよ。おなか空いたらつまんでよ」
 圭子が割りこんで、達也が応えた。
「そうだな。俺もピザ頼んだから、適当につまんで」
 以前は、こんなふうに理沙に気を遣ってくれるのは、聡だった。
 今の聡は――理沙の方を向いてさえいなかった。
 聡と初音が視線を絡ませている。甘い視線だ。理沙には見覚えがある。
 初音の瞳が、うるんで光っていた。
 かなわない。
 理沙の思考は真っ白になった。

 気づくと、テーブルの上に料理が並んでいた。
 トマトの赤や、チーズの黄色や、ブロッコリーの緑が鮮やかだ。だが、理沙にはそれらが食べ物だとは思えなかった。
 みんなプラスチックの贋物だ。大衆食堂の店先にある、安っぽいプラスチックの模型。
 理沙は、先ほどの扉の手触りを思い出した。きっと何もかも、あんなふうにプラスチックでできている。
 誰かが何かをしゃべっていた。聡の声だ。
「……ずっと、転職しようかどうしようか迷ってたんだよね。耐え切れなくなって、ついに辞めたの、前の会社。二ヶ月くらい前かな。辞めたはいいけど、次の会社が決まるまでは不安でさ。初音ちゃんのとこ行って、よく話してた」
「初音ちゃん、だって。めろめろねー」
「暇してると、余計なこと考えるからな。津久井がいい話し相手になったんだ」
 圭子と達也の声もする。
(どうして、私のところへ来なかったの?)
 理沙にはわかっていた。彼女のほうが相手にしなかったのだ。仕事が忙しいという理由で。
 あれほど頻繁に、聡はメールをくれたのに。
「会いたいよ」
「話したい」
「ちょっとだけ時間取れないか?」
 すべてのメールに、理沙はほぼ同じ返事をしていた。
「ごめん。今忙しいの。後でね」
 聡からのメールは、次第に減っていった。
 テーブルの下で、理沙はこぶしを握り締めた。彼女の耳に、初音の声が飛び込んでくる。
「あたし、店員だから、普通のサラリーマンと時間が合わないでしょ。変な時に暇で、困っちゃう。久松君が仕事ない時は、ちょうどよかったの、相手になってくれて」
「こっちこそ助かった。お弁当作ってもらったりして」
「えっ! 何なに? 何よそれ?」
 圭子がテーブルに乗り出す。
「失業中はお金ないから、食費とかも大変だろうと思って……自分のお弁当作るついでに、久松君の分も作ったの」
 理沙は思わず初音の顔を見た。
 初音は、料理が得意なほうではなかった。学生時代も社会に出てからも、お弁当は母親が作ると言っていた。
 初音の顔には、一点の曇りもない。
「今度、ピザ作ってみようかな。久松君、ピザも好きだよね?」
 頬の薔薇色がいっそう濃くなった。こんな初音の顔を、理沙は見たことがない。
「御馳走さまっ。もー、羨ましすぎ。くやしいからピザ食べてやるぅ」
 圭子が軽くテーブルを叩いた。そのままピザに手を伸ばす。
「時枝も食えよ、ピザ。何にも食ってないだろ」
 達也が声をかけてきた。
「あ、でも」
 食べたくない、と答えようとして、理沙は口ごもった。達也の目の光に、普段と違うものを感じた。
「……じゃあ、もらうね」
 ゆっくりと、理沙は手を出した。プラスチックにしか見えないピザに。
 なぜか、ほとんど味はしなかった。プラスチックの味、といえば言えなくもない。
 だが、かすかに塩味を感じた。
 それで充分だった。理沙の胃は、久しぶりの食事を受け入れた。

 レストランで、理沙はお手洗いに立った。
 戻ろうとしたところで、聡に会った。
 理沙は立ち止まらない。通り過ぎようとした時、聡がささやいた。
「ごめん」
 理沙は足を止めた。振り返る。
「許さない」
 聡はびくりと肩を震わせた。
「でも、初音ちゃんに免じて許してあげる」
 聡の表情が緩んだ。
 その鼻先に、理沙は人差し指を突きつけた。
「そのかわり、初音ちゃんに私みたいなことをしたら、絶対に許さない」
 理沙はきびすを返すと、二度と振り返らなかった。


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