よみかく分室課題部屋

983 １０００字課題、５／２８分、Ｎｏ．１３３「のほほん書店」（４８００文字）

2004/5/29(土)02:14 - 名無し君２号 - 8249 hit(s)

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Ｎｏ．１３３
題名：のほほん書店（４８００文字）

　いきなり「書を捨てよ、町へ出よう」ときた。
　店内に足を踏み入れて、最初に飛びこんできた文字だった。真っ正面にあるレジの
真上に、大きな額縁が飾ってあり、そこに書かれていた文章である。
　べつにどうということはない。ここが古書専門店でさえなければ。
　春臣はあっけにとられていた。ヘッドホンから流れるビーチ・ボーイズの繊細なコ
ーラスが、右から左、左から右へとすり抜けてゆく。
　レジにいる店員もおかしかった。ぱさついた金髪に、おなじくらいぱさついた青い
エプロンを身につけている男だ。楽器屋あたりならしっくり来る風体も、古びた構え
の店内には、まったくもって似つかわしくない。
　指先で制服のズボンをつまむ。ざらついた手触りを味わいながら、春臣はゆっくり
と店内を見回していった。
　本の備えはどうなのか。
　背表紙を眺めてみるが、残念ながら春臣にはよくわからない。そもそも、こういっ
た昔ながらの古本屋には一度も入ったことがなかった。郊外の大型新古書店には、Ｃ
Ｄを買いによく行ったりするのだが。
　放課後、いつものように街をぶらぶらして、初めてこの店を見つけた。
　いや、きっと前からあったとは思う。だけどいままでは目に入ってこなかった。思
わず自転車を停めてしまって、思わず開けっぱなしの入り口をくぐってしまって――
　どうするつもりなんだろう。
　そろそろ、小説のひとつぐらい読んでいいころなのかもしれない。たしかにそんな
ことを考えてはいた。だから敷居の高そうなハードカバーは避けて、文庫本が並ぶコ
ーナーに移動した。色とりどりの背表紙を見つめる。知っている題名や、知っている
作者名はあまりなかった。当然だ、興味なかったのだから。
　なんとなく、有名なのは避けたいな、と春臣は思った。
　そういえば、いつだったか読んだ、国語の教科書に載っていた話はどんなタイトル
だったろうと考える。たしか……レモンを本の上に置くとかいう話だった。レモンが
爆弾であればいい、というのは共感できるなとひそかに思っていた。バカにされるか
らだれにも言ってないけれど。
　太宰治、人間失格。
　その色褪せた背表紙に、そっと春臣は手を伸ばした。
　そして触れずに引く。
　なにかが春臣に触っている。「サーフィンＵＳＡ」に入り混じって、だれかの声が
聞こえている。春臣はヘッドホンを外す。右耳に、男の声が飛びこんでくる。
「――い、そこのあんちゃん。おおい、おーい」
　かすかにざらついたその声は、春臣をすこし苛立たせて、眉間にかすかな皺を寄せ
させた。あまり好きな物言いではなかった。抗議の意味もこめて、レジをにらみつけ
る。
　とたんに、笑顔に出迎えられてしまった。
　あまりに好意的なものだったから、春臣はすこしたじろいで、鋭く細めた瞳を、少
々まぬけな感じに見開いてしまう。ぼさぼさな金髪の店員は、おいでおいでと手招き
をしはじめた。
　普段の春臣なら、素直に従うのはシャクだとばかりに、あえて動かないという消極
的抵抗を取る場面だ。だが、いまの春臣はたじろいでいた。だから素直に従い、レジ
に近づいていってしまう。歩みながらリモコンを操作して、テープの動きを止めた。
外音に触れた鼓膜に、やけに自分の足音がかつかつと響いて聞こえる。
「なんですか」
　口調がぶっきらぼうになってしまったのは、従ってしまった自分を恥じたからだ。
かといって恥ずかしいことを認めてしまうのは、さらに恥ずかしいことだ。だから攻
撃した。
　そんなことはわかっているよ、とばかりに店員はにこにこと微笑んでいる。その包
容力といったら、ちょっとした母親並だ。間近で見ると無精髭に覆われていた、荒れ
気味の唇を動かす。
「なああんちゃん。いま、いくら持ってる？」
　きっかり二秒、春臣の呼吸は止まった。
　あわてて息を吐きだし、また吸いながら、春臣は相手の顔をまじまじと見つめる。
変わらない笑顔だった。どうやら、店員の真上にある額縁みたいなシャレではないら
しい。いや、もしかしたら額縁の文句もシャレじゃないのかもしれない。そういえば、
シャレにしては妙に達筆な筆づかいではある。
　書を捨てよ、町へ出よう。
　古本屋でこんなたわごとをぬかせるぐらいなら、店員が客をカツアゲするなんか朝
飯前かもしれない。そういえば今日は朝飯を食べなかったな。
「お前さんみたいのが太宰を読んじゃ駄目だよ。沈んじゃうから」
　ダザイ？　最初なんのことかわからなくて、ややあって太宰治のことだと気づき、
ようやく春臣は、自分がさっき手に取ってみようとした本の作者だと思いだした。
　カッと頬が熱くなる。
　自分がなにに興味を示してしまったのか、知られてしまったことが、たまらなく恥
ずかしかった。それを否定されたこともさらに輪をかける。
　うつむこうとした瞬間、足をするさらりと撫でられた。
　あわ、とまぬけな声をあげて、春臣は跳びはね、二歩下がる。取り残されたのは黒
くてしなやかなシルエットだった。ひらひらとしっぽがくねる。彼は鳴く。
　ぅなぁご。
　彼じゃなくて彼女なのかもしれない。だが春臣には、その鳴き声はとても男性的に
聞こえていた。こう言っているようにも聞こえていた。
　――ま、落ちこむなよ。
　店員は笑っていた。
「漱石も言ってる。ああいうのはシャレがわかるやつじゃなきゃってさ」
　解釈の相違はともかくとして、春臣にはひとつ訊かなくちゃならないことができて
いた。
「あの、ソーセキって、その猫の名前ですか」
「そうだよ。なあ、漱石」
　名前を呼ばれて、漱石は「なぅあぅご」と鳴いていた。店員は立ちあがるなりレジ
を回った。腰を折り曲げ手を伸ばして、黒猫の頭をひと撫でする。そのまま春臣の横
をすり抜け、入り口のほうへ向かった。
　置いていかれた春臣は、店員と黒猫との視線をいったりきたりさせる。漱石の頭を
撫でたい衝動にかられたが、実行する勇気が臨界を越える前に、店員は戻ってきてし
まった。
「ほら」
　渡された文庫本の表紙には、こう書かれてあった。
　「赤毛のアン」と。
　春臣は店員を睨みつける。明確な殺意すら浮かんできていた。
「バカにしてるんですか？」
　店員は見事なまでにすっとぼけた、きょとんとした顔になった。
「どうしてそう思うの？」
　逆に問い返されて、春臣は返す言葉に詰まった。いろんな思いが渦を巻いているが、
どこから手をつけていいのかわからないからだ。なぜか、話せばそれで負けになるよ
うな気もしていた。結果、身動きできない。
　そんな沈黙をどう取ったのか、店員はにやりと笑う。
「使い古された言葉だけどさ、騙されたと思って読んでみ。つまらなかったら持って
くればいい。いつでもお代はお返ししますから。な？」
　不思議と静まりかえった、どこか乾いた心で、春臣は本を見つめる。掴んでいた両
手に、ぎゅっと力がこもった。
「……いくらですか」
「だからいくら持ってんのかって訊いたんだけど」
　ああ、なるほど、と春臣が納得して、財布を取りだし中身を確認しようとしたとき、
店員がうーん、とひとしきり唸ってから口を開いた。
「じゃあ、五百円でどうだ」
　財布を取りだしたところで春臣は固まった。裏切られた、という気持ちに、すぐに
硬直はほどける。
「ふざけるなよ。それじゃ新品とおなじじゃないか」
「うんにゃ」
　店員は真顔で首を横に振る。
「定価より高いだろ」
　だったらなおさら……と唾を飛ばそうとして、店員の人さし指に止められた。
「仲介料ですよ、社長さん。わかりやすくいえば情報料ですか。ナビゲート料とか」
　むずむずと体のなかから湧きあがってくるものがあった。怒りにも似た感情に、な
ぜか春臣は財布のなかから五百円を出そうとする。しかし小銭が無くてはたせず、千
円札を抜きとった。店員が広げていた手のひらに叩きつける。
「まいどあり。じゃあいまお釣りを」
　呑気な店員の声を背に、春臣は足早に進んでいた。
「おい、あんちゃん、お釣り、五百円、おーい」
　そのまま出入口から、春の日だまりのなかへと抜け出してゆく。漱石が、なぅあぅ
ごと見送りの声をあげた。

時間：５時間

読んで欲しいもの（）は読んでの読者感想、→は作者判断：
・主人公の青臭さ（うふふ）→成功
・すっとぼけた店員（うふふ）→そこそこ
・古本屋の雰囲気（ふーん）→そこそこ

〔ツリー構成〕

【550】１０００字課題根っこ 2003/8/22(金)05:10 名無し君２号 (181) ≪