よみかく分室課題部屋

993 １０００字課題、６／８分、Ｎｏ．１３７「漂流王子」（３６００文字）

2004/6/8(火)23:28 - 名無し君２号 - 7937 hit(s)

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Ｎｏ．１３７
題名：漂流王子（３６００文字）

　堅い音とともに白いテーブルに置かれたのは、六本のビール缶がひとまとめになっ
たお徳用パックだった。山田多喜絵はスーツを脱ぐなり、すぐ横のベッドに放り投げ
た。テレビの真正面、いつもの場所にどっかと腰を降ろす。パックに手を伸ばした。
「あーもー、やってらんねー」
　赤いマニキュアに染まっている爪先で、おもむろにプルトップを引いた。小気味の
いい音が鳴る。喉を鳴らして飲み始めた。缶の角度が、水平からどんどんと傾いてい
った。
　ぶはぁ、とビール臭い吐息を吐きだした。
「まったくうるせーんだよな、あのハゲはよぅ」
　口元をぐいと拭った。薄れ気味だった口紅が、さらにかすれた。
「中途半端に残った毛が、さらにむかつくんだよぉ」
　二本目をひっつかむ。ためらうことなく開けた。
　――そのとき。
『お嬢さん。飲みすぎは体に毒ですよ』
　室内に声が響きわたった。妙にぼやけていて、冷たい声だった。
　まったく動じることなく、多喜絵はビールを飲んでいた。缶が垂直になってゆく。
『あの、ちょっと？』
　ぶはぁぁぁ、とホップ臭い吐息を吐きだした。
「なんだよぅ。最近の五月病は幻聴まで聞こえんのかよぅ」
『五月病ってあなたもう十年選手でしょーが。ちとあつかましいのでわ』
　天井目がけて、多喜絵は歯を剥きだしにした。
「その十年選手をお嬢さん呼ばわりしたのはどこの電波だ！」
『電波はひどいです』
「やかましい。あたしの頭ンなかで鳴ってんじゃねーつんなら、ツラァ出してみな」
『ではお言葉に甘えまして』
　声は多喜絵のすぐ真横に移動していた。ぎょっ、と多喜絵は三本目の缶に伸ばした
手を止める。声の聞こえた空間が、音もなく歪みはじめた。虚空を中心に盛り上がる。
これ以上膨らんだら破裂してしまう。その寸前で、空気はまっぷたつに裂けた。
　紫色の裂け目から、毛に包まれた手があらわれた。多喜絵の記憶のなかで一番似て
いるのは、ベッドで枕のとなりに座っている白熊のぬいぐるみだ。白い手に続いてあ
らわれたのは……。
　白熊の顔。白熊の体。白熊の足がテーブルに降りたつ。
　その抱きしめがいのありそうな大きさは、まったくぬいぐるみとおなじだった。
　ああ、と多喜絵は思う。ついにあたしは壊れてしまったのか。ごめんね母さん。ず
っとずっと、親不孝ばかりだったね。孫の顔も見せてあげられなかったね。見合い、
受けときゃよかったかなあ……。
　視界がぼけてきた。涙が表面張力の限界を超えてしまい、瞳から溢れそうになって
いる。
『はーい！　異次元からコニャニャチワ！』
　能天気な顔で、ぬいぐるみは手を振っていた。ぬいぐるみに表情というのも妙な話
だが。
「コニャニャチワって……古い」
『これが古いとわかるあなたもケッコーなもんですけどね。というか異次元のほうは
スルーなんですか』
　多喜絵には答えることができない。三本目の缶で唇をふさいでいたからだ。
『人の話を聞いてくださーい』
　ひふ、と笑い声が洩れた。缶は転がり、軽い音を立てる。
「ケッコーなもんで悪かったなぁ……。ちくしょう、電波のくせしやがって、痛いと
こついてくるじゃねーか」
『電波じゃありません。私は漂流王子です。多次元に散らばったココロのカケラを、
探し求めて旅しているのです』
「うっせーよバーカ」
『うわあお。単純明快な突っこみですね』
　多喜絵は四本目の缶をつかんでいる。ぬいぐるみは制止しようとでもしているのか、
手をぴょこんと動かした。無視して缶を開ける。ぷしゅっ。
　空になった缶を転がしてから、肩肘をついた。
「んでー？　電波があらしになんの用らの」
『飲みすぎはよくないですよ』
「ビールなんて水だバーカ」
　ぱんぱかぱーん、と口でファンファーレを奏でて、ぬいぐるみはぎくしゃくと踊っ
た。
『あなたは選ばれた戦士なのです。うだつのあがらないお茶くみコピー要員なんかと
っとと辞めちゃって、私を手伝ってください』
　まだ中身が半分残っている五本目のビール缶を、多喜絵は全力で投げつけた。ぬい
ぐるみの顔にめりこむ。
「貴様ー！　貴様も負け犬いうかー！　電波のくせして、貴様も三十女で未婚で子ナ
シは負け犬いうかー！　フゴゴー！」
　ぬいぐるみはふらふらとしている。ボタンの目が飛びだしていた。
『うだつのあがらないうんぬんは、いつもあなたが酔いながら自嘲していることじゃ
ないですかー』
「他人から言われるとムカツクんだよォ！」
『そりゃそーですね』
　ボタンの目を、ぬいぐるみはぐいぐいと押さえつけていた。転がった缶から、泡立
つ液体がテーブルに広がり、こぼれてカーペットを汚していた。
「あたしだってさぁ、どうにかしたいんだよぉ。だけどさぁ、ろくな男はいないしさ
ぁ、まわりはバカばっかだしさぁ、もうやだよぅ。ヤケ飲みなんかしたくないよぅ」
『自覚はしてるんですね』
「うるさい電波！」
『だから漂流王子ですってば』
「いいや。あんたは電波さ。そしてぬいぐるみなのさ。それが証拠に……」
　振り向いた多喜絵は、ぽかんと口を開ける。ベッドの上には、白熊がきちんと座っ
ていた。顔をテーブルに戻す。やっぱりぬいぐるみは二足歩行していた。
「これはアレかな。アル中ってやつかな。見えないもの、見えちゃいけないものが見
えてるのかな」
『大丈夫。ココロのカケラを手に入れれば、どんなお悩みも解決ズバットですよ』
「電波にしちゃあ、ビミョーにセンスが古いしなー」
　何度も何度も首をひねる。ちらりと見れば、ぬいぐるみはわけのわからないダンス
を踊っている。多喜絵は最後の缶を取ると、一気に飲みほした。長々とゲップをして
から、感情と肉体の欲するところに従って、横になった。
　すぐに意識は泥のなかに沈む。
　漂流王子は、じっと多喜絵の寝顔を見つめていた。静かな寝息は、すでにいびきに
変化している。
『いまはおやすみなさい。目覚めたとき、あなたは新たな運命の波に揉まれまくりの
呑みこまれまくりですからね。溺れないよーに気を使うつもりではありますけども、
駄目だったらゴメンチャイね』
　ゆるさなぁいぃぃぃ、と多喜絵が呟いたのは、あくまで寝言のはずだ。

時間：４時間

読んで欲しいもの（）は読んでの読者感想、→は作者判断：
・いいかんじに煮えた主人公（あはは）→そこそこ
・すっとぼけた異次元人（あはは）→そこそこ
・変な雰囲気（おほほ）→ぼちぼち
・なんとなく壮大そうな幕開け（へえ？）→うーん

〔ツリー構成〕

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